十二話 親魏倭王
難升米を使節長とした大倭壱国の使節が、魏の皇帝への謁見を許されたのは、洛陽に到着してから数日後のことであった。
使節長として難升米が立ち、その次使として伊邪那岐が都市牛利と名乗り付き従った。
本来、この使節を実質的に取りまとめていたのは那岐である。大陸の言葉を理解し、これまでにも大陸へ渡った経験を持つ那岐以上に適任の者はいなかった。しかし、すでに政治の表舞台から退き、隠居の身となって久しい那岐は、自らが使節長として前に立つことを望まなかった。そのため、表向きの使節長は難升米が務め、那岐はその後ろから補佐する形を取っていた。
やがて謁見の時を迎え、一行は貢物を携えて宮中へと入った。
魏の宮廷では、皇帝の前で地に頭をつけて敬意を示す礼法が用いられていた。しかし難升米は倭の使者として、倭の礼法に従った。深く身体を折って拝し、続いて柏手を打つ。
異国の宮廷にあっても、自らの国の礼をもって皇帝へ敬意を示したのである。
貢物が献上されると、難升米は改めて皇帝へ向き直った。
「遼東平定、誠におめでとうございます。我ら倭国を代表し、お祝い申し上げまする」
その後ろに控えていた那岐は、難升米の言葉を聞き終えると、落ち着いた声で魏の言葉へと訳し、皇帝へ伝えた。
皇帝は玉座から身動きすることなく、静かに倭の使者たちを眺めていた。やがて、その傍らに控えていた近習が一歩前へ出て口を開いた。
「この度の朝貢、誠に大儀である。また、公孫氏の討伐後、いち早く臣従したことも誠に大儀である。貢物も良い品であるぞ」
難升米は深く頭を下げ、恭しく答えた。
「天子の御代が末永く栄えますことを、倭王ならびに倭の諸国を代表し、お祝い申し上げます」
その言葉を受け、近習は再び口を開いた。
「よいぞ。この度の朝貢に対し、後日、陛下より返礼があるであろう。良き品をそなたらに下賜くださる。この度の朝貢、誠に大儀であった」
さらに近習は言葉を続けた。
「そして、この度の功績に対し、難升米殿を率善中郎将とする。都市牛利を率善校尉とし、さらに銀印青綬を下賜するものとする」
思いもよらぬ官職と恩賞に、難升米は恐縮した様子で深く頭を下げた。その隣では、都市牛利と名乗っていた那岐も、少しばかり困ったような表情を浮かべながら、仕方なく同じように頭を下げるのだった。
こうして難升米と那岐は、無事に皇帝への謁見を終えた。さすがに狭野たち子供は同行させず、別の場所で待たせている。
「……私、官職までもらっちゃったよ」
宮殿を出た那岐は、どこか困ったような顔で呟いた。
「誠に名誉なことでございます」
難升米がそう答えると、那岐は小さく肩を落とした。
「いやぁ……私はもう隠居しているんだけどなぁ」
那岐にとっては思いがけない出来事であったが、魏にとって、遼東平定の直後に海の彼方から倭の使節が訪れ、臣従を申し出た意味は決して小さくなかった。
長く魏と対立する呉は海上へ勢力を伸ばし、かつては公孫氏とも海を介して結びつこうとしていた。その公孫氏を滅ぼし、遼東を制圧した直後、さらに東の海の彼方にある倭の国までもが魏へ使者を送り、皇帝への臣従を表明したのである。
東の海には魏に従う国が存在する――魏にとっては、その事実だけで十分な意味を持っていた。倭が実際に呉へ兵を送る必要などなく、海の彼方に魏と結んだ勢力が存在しているというだけで、呉にとって無視できない圧力となる。
そのため魏は、大倭壱国を単なる遠方の朝貢国として扱うことはせず、韓の諸国の長とは明らかに異なる待遇をもって、その女王を倭を代表する王として遇することを決めたのである。
魏には、東方に自らの影響力を広げるという目的があった。一方の日巫女にも、魏の権威を利用して大倭壱国の立場を高め、倭国統一を進めるという目的がある。
立場も目指すものも異なっていたが、この時の両者は互いの存在を必要としていたのである。
宇佐の宮では、日巫女が待ちきれない様子で月読に問いかけた。
「まだ魏から知らせはないの?」
「大陸は広く、都も遠うございます。父上たちは、おそらくすでに都へ到着している頃でしょうが、帰路にも長い時間がかかります。もうしばらくお待ちください」
月読にそう諭されても、日巫女の心が落ち着くことはなかった。今回の朝貢で、どうしても手に入れたいものがある。
倭王の称号である。
大倭壱国が倭国統一を目指すうえで、それは喉から手が出るほど欲しいものだった。
西ではすでに大倭壱国連合の勢力が広がっている。しかし東には、三輪山を中心とした一大勢力が残されていた。三輪山は近畿のみならず東の諸国とも交流が深く、その影響下にある国も少なくない。
なにより、その中心にいるのが邇芸速日である。
戦ではいまだ敗北を知らず、軍を率いれば必ず勝利を収めてきた無敗の将。政治においても周辺の国々をまとめ、三輪山の勢力を着実に大きくしている。
正面から対抗するには、少しでも大倭壱国を優位な立場へ押し上げておかなければならない。
もし魏の皇帝から正式に倭王として認められれば、その権威は大きな武器となる。大倭壱国連合の結束はさらに強まり、これまで態度を決めかねていた国々も、大倭壱国へ従うようになるかもしれない。
だからこそ、今回の朝貢は失敗できなかった。
日巫女は静かに目を閉じる。もう少しである。もう少しの辛抱なのだ。そう何度も自分へ言い聞かせながら、遠い大陸から届く知らせを待ち続けるのであった。
帰国の途、那岐はひどく上機嫌だった。わざわざ荷車を一台購入し、来た時よりも大幅に荷物を増やしていたのである。
「那岐様、あの荷車には何が乗っているの?」
不思議そうに浦が尋ねると、那岐は嬉しそうに荷車を振り返った。
「あれかい? 竹簡だよ。今は詩というものが流行っていてね、それもいくつか買ったのだけど、ほかにも最新の大陸の学問をたくさん仕入れることができたんだよ」
「え? あの荷車、全部学問の竹簡なの?」
狭野が嫌な予感を覚えながら尋ねると、那岐は満面の笑みで頷いた。
「そうだよー。喜んで、みんな。これで数年はみっちり学べるよ!」
その言葉を聞いた瞬間、狭野たちの表情が揃って固まった。
――絶対いらない。どこかで燃えないかな……。
口には出さなかったものの、ほとんど全員が本気でそう思っていた。ただ一人、椎根津彦だけは違った。荷車いっぱいに積まれた竹簡を眺めながら、目を輝かせている。
この時、子供たちはまだ知らなかった。那岐が大陸から持ち帰った、この大量の竹簡に記された知識が、やがて彼らが国を築いていくうえで、大きな力となることを。
後に、返礼として魏の皇帝から「親魏倭王」の称号と金印紫綬、さらに銅鏡百枚を含む多数の豪華な品が下賜されることになった。これにより、大倭壱国は念願であった倭王の称号と魏の後ろ盾を得たのである。
宇佐の宮では、月読が届いたばかりの金印を携えて日巫女のもとを訪れていた。
「姉上、王の印が届きました」
月読はそう告げると、金印を日巫女の前へ差し出した。
日巫女は静かに受け取り、その印面へ目を向ける。そこには確かに『親魏倭王』の文字が刻まれていた。
「これでまた一歩前進ですね」
日巫女は金印を見つめながら、静かにそう口にした。
「倭王の称号を得たことを周辺国家に広げましょう」
「よろしく頼みます」
「承知いたしました」
月読が頭を下げる。
それから日巫女は何も語らなかった。ただ東の方角へ顔を向けると、静かに目を閉じた。
大倭壱国の女王・日巫女が、魏の皇帝より倭王として認められた。その知らせはほどなく倭国中へ広まっていく。
大国・魏から正式に倭王として認められたという事実は、大倭壱国にさらなる権威を与えた。大倭壱国は国力だけでなく、その権威においても最高潮へ達しようとしていた。




