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泣き虫皇子は仲間を集めて初代天皇になる!―神代の終焉と神武東征―  作者: 月見
一章 神武

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十一話 洛陽

 帯方郡に滞在して数日後、一行は魏の役人を道案内に付け、洛陽へ向けて出発した。


 そこからの旅は長かった。馬車に揺られながら各地を通り過ぎ、そのたびに狭野たちは城壁に囲まれた都市や、整えられた道、倭では見たこともない建物へ目を向けた。とりわけ狭野にとっては何もかもが初めて見るものばかりで、馬車が新しい土地へ入るたびに外へ身を乗り出すようにして眺めていた。


 しかし、洛陽までの道のりは数か月にも及んだ。


 最初こそ珍しい景色に目を輝かせていた子供たちも、同じような旅が続けば次第に飽きてくる。しかも馬車は絶えず揺れ続けるため、落ち着いて出来ることも少なかった。


 そこで那岐は、旅の時間も無駄にしないよう、持参した書物を子供たちに読ませることにした。一人が声を出して読み、残る者たちがそれに続いて復唱する。読み上げる役目は毎日順番に交代した。


 それでも、さすがに長旅の退屈までは消せなかった。


「まだ着かないの……飽きちゃった」


 狭野は馬車の中でぐったりしながら呟いた。


「流石に俺も飽きてきました……広すぎだろ、魏はよ……」


 日臣まで疲れたように外を眺める。


 椎根津彦はそんな二人を見ながら言った。


「こうして陸路を進んでみると、倭国は島国ですから海路で移動できた分、まだ良かったのですね」


 その言葉に、日臣はすぐさま顔をしかめた。


「いや……船はもういいわ」


「慣れなさいよね。情けなかったわよ」


 竹が呆れたように言う。


「うっせーい」


 日臣が不満そうに返すと、狭野たちは一斉に笑った。


 長く退屈な旅ではあったが、そんな何気ないやり取りを繰り返しながら、一行は少しずつ洛陽へ近づいていった。




 さらに数日後、ようやく首都洛陽の姿が見えてきた。遥か彼方に城壁が浮かび上がると、狭野は「おお! 着いたぞ!」と声を上げ、馬車から身を乗り出した。


 だが、城壁が見えてからも、馬車はなかなか城門へ辿り着かなかった。近づくにつれて、遠くに横たわっていた灰色の線は次第に高さを増し、やがて見上げるほど巨大な壁へと変わっていく。馬車はその城壁に沿って進み始めたが、どれだけ進んでも壁は途切れる気配を見せなかった。


「……まだ門に着かないの?」


 狭野が首を伸ばして前方を覗き込む。


「でかすぎるだろ……」


 日臣も呆れたように城壁を見上げた。一方、椎根津彦は驚くより先に、その構造へ目を凝らしている。


「これだけの城壁を造るには、どれほどの人と土が必要なのでしょう……」


「あっ、門が見えた!」


 浦が遠くを指差した。そこには巨大な城門が見えていたが、案内役の役人は首を横に振った。


「我らが入る門は、もう少し先だ」


「え? あそこから入らないの?」


 浦が目を丸くする。馬車はそのまま城壁に沿って進み続け、竹まで呆然と外を眺めていた。


「一つの村を囲っているという大きさではないわね……」


 倭で育った子供たちには、この巨大な城壁の内側すべてが一つの都であるということ自体、すぐには実感できなかった。


 しばらくして、ようやく一行は城門へ辿り着いた。門をくぐった瞬間、城壁の外とはまったく違う光景が目の前に広がる。


「うわぁ……」


 狭野が思わず声を漏らした。


 城門からは幅の広い大路が真っ直ぐ遥か先まで伸び、その両側には建物が整然と立ち並んでいた。人、人、人――どこを見ても人の姿が絶えることはなく、荷車が行き交い、商人が声を張り上げ、役人や兵たちも忙しそうに往来している。


「道が……真っ直ぐだ」


 狭野は大路の遥か先を見つめた。


「向こうが見えねぇぞ……」


 日臣も思わず足を止め、呆然と続く道を眺める。


 椎根津彦は驚きながらも、すぐに道路の造りへ興味を向けていた。目を輝かせながら両脇へ視線を走らせる。


「道幅も広い。それに排水のための溝まであります。建物の位置も揃っている……最初から計画して造られた都なのでしょうか」


「人が多すぎるわね……」


 竹は行き交う人々を見ながら周囲を見回した。


「こんなに人がいるのに、ちゃんと道が通れるなんてすごいね!」


 浦はすっかり興奮し、あちらこちらへ視線を向けている。


 城内の北方には巨大な宮城が構えられ、その正門から南へ向かって大路が伸びていた。整然とした直線道路に立ち並ぶ建物、高くそびえる楼閣、そして絶え間なく行き交う人々と荷車。その全てが、倭で育った子供たちには想像すらできなかった規模であった。


 そこは、倭のどの国とも比べようのない巨大な都であった。


 那岐は、そんな子供たちの少し後ろを歩きながら、静かに洛陽の街並みを見つめていた。その光景を眺めているうちに、遥か昔の記憶が蘇ってくる。


 四百年以上前、まだ少年だった頃の那岐は、秦という大国をこの目で見てみたいと願っていた。だが現実には、徐福の一団に奴隷同然に扱われ、不死草の実験に使われることになった。多くの者が命を落とし、漣を失い、那岐自身も生き延びるために逃げるしかなかった。


 結局、秦の都へ足を踏み入れることは一度もなかった。


 それから四百年以上の年月が流れた。秦はとうに滅び、その後に天下を治めた漢も滅び、今では魏・呉・蜀が争う三国の世となっている。


 そして今、那岐はようやく誰かに連れられてでも、命じられてでもなく、自分自身の意思で大陸の都へ足を踏み入れていた。


「ずいぶん遅くなったけれど……やっと来られたなぁ」


 那岐は洛陽の街並みを見つめたまま、誰に聞かせるでもなく小さく呟いた。




 那岐率いる大倭壱国の一行は洛陽に数日滞在することになった。


 洛陽の都を歩く狭野たちは、その規模の大きさに改めて圧倒されていた。どこまで歩いても人の流れが途切れず、整えられた大路の両側には建物が並び、市には倭では見たこともない品々が溢れている。


 那岐はそんな狭野たちに、せっかく洛陽まで来たのだから都を自分たちの目で見て回るよう勧めた。


「国を見るなら宮だけじゃなく、市も見たほうがいいよ。人がちゃんと物を買えるかどうかで、その国の暮らしが少し見えるからね」


 そう言って那岐は、狭野たちに多少の銭を持たせた。狭野、日臣、大久米、椎根津彦、竹、浦の六人は、さっそく洛陽の街へ繰り出した。


「人が多いなぁ。ここだけで倭国中の人が集まっているみたいだ」


 狭野は行き交う人々を見回しながら感嘆した。


 日臣の関心は、街を守る兵たちへ向いていた。城門には衛兵が立ち、都の中でも武装した兵が巡回している。


「城門の衛兵も、周辺を回っている警備兵もちゃんとしているな。軍法とか、どんなふうになっているんだろう……」


 武人の家に生まれた日臣にとって、魏の兵がどのような規律で動いているのかは気になるところだった。


 その隣では、椎根津彦がさらに忙しそうに周囲へ視線を走らせていた。


「あ、軍法には私も興味がありますね。魏の国はどのような法を敷いているのでしょう。それにしても、この整然とした道路、建築の見事さ、治水の技術……なんという高度な技術なのでしょう。凄すぎます」


 椎根津彦は道路だけでなく、その脇に設けられた水路や建物の配置にまで目を向けていた。


 狭野たちにとって洛陽の市は、珍しい物を買うだけの場所ではなかった。


 倭とはまるで異なる巨大な国が、人を集め、道を造り、兵を置き、都を動かしている。その仕組みそのものが、彼らにとって初めて目にする大きな学びの場となっていた。




 竹と浦は市場に夢中になっていた。倭では見たこともない品々が所狭しと並び、二人とも目を輝かせながら店先を覗き込んでいる。


「狭野ぉーーー! こっちこっちー! きてぇーー!」


 浦が嬉しそうに大きく手を振り、狭野を呼んだ。


「ね、狭野。見て見てー。似合う?」


 駆け寄ってきた狭野に、浦は髪へ挿した簪を見せるように顔を傾けた。


 狭野は少し考える。


 宗像に立ち寄った際、女性にはたとえお世辞でも良いところを見つけて褒めるようにと、那岐と日臣から口を酸っぱくして言い聞かされていたことを思い出したのだ。


「うんうん、すっごく似合っているよ~」


 もっとも、狭野には簪の何が良いのかさっぱり分かっていなかった。ただ教えられた通り、素直に褒めただけである。


「狭野かわいい! いい子ね!」


 満足そうに笑った浦は、すぐに別の商品へ目を移した。


「あ、竹にはこれなんかどうかしら?」


 浦が手に取ったのは、薄く透けるような美しい絹布だった。


「ちょっと浦、何を――」


「いいから、いいから」


 止めようとする竹を気にも留めず、浦はその絹を竹の頭へふわりと被せた。柔らかな布が黒髪を覆い、普段の凛々しい印象とは違った姿を作り出す。


 浦は満足そうに竹を眺めると、狭野へ振り返った。


「どう、狭野? こんな竹は?」


 狭野は竹を見たまま、思わず息を飲んだ。


「う、うん……すごく綺麗だ……」


挿絵(By みてみん)


 今度は教えられたお世辞ではなかった。本当に、そう思った。


 いつも自分を叱ってばかりいる竹が、まるで別人のように見えた。狭野は初めて、竹という少女がこんなにも綺麗だったのだと気づいたのである。


「あ……恥ずかしいよ、浦……」


 竹は困ったように視線を伏せた。


 狭野がお世辞を言っているのではないことくらい、竹にも分かった。その素直な言葉を向けられると、なぜか胸の奥が落ち着かない。


 頬まで少し熱くなってしまう。理由は竹自身にも分からなかった。ただ、狭野から本心で褒められることに、どうしようもなく弱かった。


 その様子を見ていた浦は、ふと狭野の表情へ目を向けた。さっき自分が簪を見せた時とは違う。狭野は本当に竹を綺麗だと思って見つめている。


「…………」


 浦は何も言わず、竹の頭から絹布を取り上げると、さっさと元の場所へ戻してしまった。


「え? 浦?」


「もういいの」


 竹が不思議そうに見ても、浦はそっぽを向いてしまう。


 どうして自分がそんなことをしたのか、浦自身にも分からなかった。ただ、なんとなく面白くなかった。胸の奥がもやもやして、理由も分からないまま少しだけ拗ねてしまったのである。


 大久米は黙ったまま、狭野たちから少し離れた場所に立って様子を見守っていた。そこへ日臣が近づき、声を掛ける。


「おい大久米、邪魔になるから他所にいくぞ」


 大久米は日臣へ顔を向けると、何も言わず表情だけで何かを訴えた。


「ん? わかってるけど、心配だから邪魔にならないように控えているんだ?」


 大久米は静かにうなずく。


「あのなぁ……そんな仏頂面でいられたら気が散るだろ。それに、あの双子は俺らよりつえーんだ。問題ない」


 それでも大久米は少し険しい顔をして、狭野たちの方へ視線を向けた。


「あのなぁ……あの様子見てみろ。あれは好意を、お互い気が付いてないのに好意を抱いている感じなんだよ。あんな微妙な関係の時はそっとしておくもんだ。昔、親父から聞いたことがある。近習たるもの、主への配慮も大事なの」


 半分は嘘で、半分は本当であった。日臣は確かに父から近習としての心得や様々なことを厳しく躾けられてきた。だが、今のような場合の心得まで教えられていたわけではない。


 それでも日臣には、なんとなく分かった。


 日臣自身、双子にはほのかな憧れを抱いていた。特に竹に対しては、強く、凛々しく、いつも自分より先を歩いているように見えて眩しかった。ただ、それがどのような感情なのか認めるにも、言葉にするにも、日臣はまだ幼すぎた。


 だからこそ、狭野と双子の間に漂うものにも敏感だった。気になる相手だからこそ、本人たちがまだ気づいていないものまで何となく察してしまうのである。


 大久米は改めて狭野たちの方へ顔を向け、じっと凝視した。


「というかな、大久米よ……少しはしゃべれ。俺はお前の顔芸の通訳じゃねぇー。ほら、いくぞ。あっちに兵舎があるんだ。見に行こうぜ」


 それでもなかなかその場を離れようとしない大久米を、日臣は半ば強引に連れ出すのだった。




 狭野たちが館へ戻ると、街で見たものや体験した出来事を、那岐へ楽しそうに語って聞かせた。洛陽で過ごした日々は、彼らにとって冒険であり、学びであり、そして見知らぬ品々に触れる買い物の旅でもあった。


 この時に見て、聞いて、触れたものの多くは、成長するにつれて記憶の中から薄れていくことになる。それでも、いくつかの経験だけは長い年月を経ても彼らの中に残り、それぞれの人生に少なからぬ影響を与えていくのであった。

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