↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/8

第4章 葉の塩

口をきかないまま、三日がすぎた。


四日目の朝、カイは葉の点検パネルの前で立ち止まった。循環ポンプの音がしない。養液の管が、詰まっていた。


菜葉が数枚、うなだれている。水の止まった菜園は、川を失った木みたいになる。ここから先の長い日数を支える芋と菜葉が、あと数日で枯れる。


食べるものが枯れるのは、疑いより先に片づけなければならないことだった。


濾過器は養液タンクの裏にあり、一人では無理な位置にある。奥でナットを緩める者と、手前でポンプを預かる者が、要る。


カイは幹まで戻り、彼女の部屋の扉を叩いた。

「手が足りない。葉だ」

それだけ言って歩きだした。背後で扉が開き、足音がついてきた。


点検口の中は、膝まで水だった。カイがナットにスパナをかけ、水音越しに言う。

「ポンプ、止めて」

「止めた」

「開ける。跳ねるから、顔をそむけて」

温い養液が一気に跳ねて、緑の匂いが立ちのぼった。詰めていたのは根の屑と繊維の塊だった。彼女が板の隙間から腕をねじ込んで、それを引きずり出す。水の中で、二人の指が一度だけ触れた。


「戻った」

ポンプが低く唸り、水が管を流れはじめた。菜園に川が戻る。菜葉が、ゆっくり顔を上げた。


彼女は濡れた手を振って水を切り、背を伸ばし、敬礼した。

「観測員見習いのミオです。本日の作業、完了しました」

カイは読み取り機のあの文字列を思い出しかけて、思い出さなかったことにした。

「……敬礼は、作業の前にやるもんだ」

「次からはそうします」


昼は菜園で食べることにした。電気鍋で芋を茹で、菜葉のスープを温める。カイは、二年ぶりに塩の小瓶を開けた。ひとりでいたあいだ、栓を開ける理由がなかった。


「なに、それ」

「塩だ」

「しお……」


彼女は指先ですくって、そのまま舐めた。次の瞬間、顔が真ん中から縮んだ。

「からっ――!」

くしゃみをひとつして、目を白黒させている。カイは吹き出した。

笑っていた。笑っている自分に、自分で驚いた。この船で声を出して笑うのは、いつ以来だろう。

「笑うことないじゃない」

「舐めるもんじゃない。芋につけるもんだ」

芋の半分に塩をふって渡す。彼女は警戒しながらかじり、目を丸くした。

「芋が……芋の味がする。さっきまでの芋は、なんだったの」

「芋だ。ただの」

「嘘。塩のあるほうが、芋です」


彼女はスープを両手で包み、うれしそうに、鼻歌をうたいはじめた。

カイの箸が止まった。

夜の廊下で聞いた、あの歌だ。

「……その歌、どこで?」

歌が止まる。彼女は小首をかしげた。

「この歌、どこで覚えたんだろう。思い出せないの」

「ゆりかごで、聴いたんじゃないか」

「ゆりかごで? ……分からないの。分からないのに、歌えるの」

ゆりかごの音源は、嵐で焼かれていた。訊いても、答えは出ない。

「……そうか」

カイは芋をかじった。それ以上は、訊かなかった。


彼女がスープを飲みほして言った。

「うちの船で、いちばんいいとこ、ここかもしれない」

訂正しようとした。(うちの船じゃない、俺の――)

言葉は、スープの湯気に溶けた。カイはただ、芋をもう一口かじった。


「私、まだ半分はカイを疑ってるの」

「知ってる」

「でも、今日の芋はおいしいから、休戦にする」

「……休戦だな」

「休戦中の観測員見習いは、日課も覚えます」

点検の表を二つに分けた。葉とゆりかごは彼女。根と幹と梢はカイ。表は食堂の壁に磁石で貼った。


翌朝から、根の点検には競争がついた。


根の両端に、バイパス弁が一つずつある。カイは真鍮のスパナで弁を四分の一まわし、油を差し、戻す。それを彼女にもやらせた。


「この弁、開けたらなにか起きるの?」

「知らない。開けたやつはいない。片方だけじゃ一生開かないんだ。二か所を十秒以内に揃えて回さないと、ロックが解けない仕掛けだ」

「なんでそんなふうに作ったんだろう」

「勝手に回されたら困る、ってことだろ。……親父の掃除癖だ。体で覚えろ、って」

「覚える。だったら、競争ね。両端から同時に回して、十秒以内に揃えて、中央で手を合わせるの」


一回目。合図とともに、二人で同時に回す。カイは数えた。彼女の弁が重く、手が滑る。十一で、まだ中央に届かない。

「もう一度」

二回目。彼女は弁に体ごとぶら下がって回した。九で、掌がパンと合わさる。彼女の手は、まだ、なんの変哲もない温度だった。

「九秒!」

「まあ……悪くない」

「今、笑ったよね」

「別に」


それからの日々は、ゆるやかな川みたいに流れた。朝は根で競争をし、昼は葉で水を見て、夜は食堂で芋を剥いた。九秒の記録は、十日ほど破られなかった。到達までの日数は減っていくのに、不思議と、日々は軽かった。


その夜、梢に上がった。


穹窿いっぱいに星が流れていた。銀の川のように、ゆっくり、のぼっていく。

到達まで、あと百六十二日。燃料は、その日数分しかない。


「地球は、まだ見えないの?」

「減速が始まれば近づいて見える。今は、ただの暗い方角だ」

彼女は膝を抱えた。

「海って、見たことある?」

「ない。船で生まれたから。水は、管の中でしか知らない」

彼女はしばらく黙り、それから言った。

「じゃあ、初めて同士だね」

「……なんだよ、それ」

「約束しよう。着いたら、二人で海を見るの」

「計画に、そんな項目はない」

「なかったら、付け加えればいいの。着いたら、海を見る。ほら、言えた」

穹窿の外で、星が銀の川をのぼっていく。カイは、視線を外さなかった。

「……着いたら、な」

「うん。着いたら」


梯子の前で、彼女は振り返り、掌を差し出した。九秒の礼儀だ。

カイは自分の掌を合わせた。

熱かった。

根の管が、長いあいだ流れつづけたあとのように、熱かった。

「おやすみなさい、カイ」

彼女は梯子を降りていく。幹の灯りが足元で待っていた。熱の出た人間の顔は、たいていもっと灰色をしている。それなのに彼女は、星の下で、普通に笑っていた。

カイは掌を開いて、じっと見た。

熱は、うつらない。うつるはずがない。

それでも、掌だけが、しばらく熱かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。