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月夜の大神と対魔刑事と 〜陰陽師の女刑事は、月夜に獣と化す『人ならざる男』と恋に堕ち、組織を離れ、神降しの巫女となる〜  作者: 國村城太郎


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第5話 懐かしい匂い

 怪異の死骸を調べていた玲子が渼星に声をかけた。


「おそらく玃猿に間違いないんだけど、渼星の拳銃でも、黒瀬の刀でもない、……打撃痕があるのよ、あなたこいつ殴ったり蹴ったりした?」


「銃があるのにわざわざそんなことしませんよ」

 

 聞いていた黒瀬が話しかけてくる。


「こいつ以外に、別の怪異がいるってことですかね。縄張り争いでもしてたとでも?」


「何を言っても推測になっちゃうけどね。ただ、一カ所、明らかに渼星の弾痕の上から殴ったらしき痕があるのよ」


「実は、戦闘中、そこの棚と壁に挟まれて一瞬脳震盪を起こしたんです……あれ、その後すぐ怪異が叫んでるのを聞いて這い出したら、奴がうずくまっていたんです。私は一瞬と思ってたんですが……」


「その間に、別の怪異との戦闘があった……としか考えられないわね。で、ちょっと頭見せなさい」


 玲子さんは渼星の頭のこぶを触診する。


「かなり酷いわね。今日はこのまま病院に行った方がいいわね。水城くん、私はこの子病院に連れて行くから、後始末ちゃんとやっといて、黒瀬くんもちゃんと手伝うのよ」


「はーい」


「了解しました」



「お世話になりました」

 

 そう警察病院の玲子の知り合いという医者に、挨拶をして渼星は診察室を出た。


 診察の結果かなりの強さで後頭部を、打っていたということで、検査が長引いた。

 陽はすでに落ちきっていた。


 このまま直帰すると課に連絡を入れて、渼星は精神的にも肉体的にも疲れて重い足を引きずるように歩いていた。



 隣に車が止まる気配を感じて、視線をあげる。


「かなり辛そうな顔色ですね。よろしければお送りしましょうか?」


 運転席には大上がいた。

 心配そうな顔をしてこちらを見つめていた。


「え……、ええ。お願いします」


 疲れが警戒を上回った渼星は、助手席に身体を滑り込ませた。


 扉を閉めた瞬間、いつかどこかで嗅いだことのあるような懐かしい香りが、ふぅっと鼻をかすめた気がした。

 あれは、いったいいつどこだったのか……ずっと子供の頃……ぼうっと考えていると、横から声がする。


「どこまでお送りすればいいですか?」


「四谷までお願いできますか?」


「わかりました」


 大上はゆっくりと車を走らせていった。


 温かい車内、ゆらゆらと静かな振動、リラックスする緩やかな音楽。それに何故か安心する空気。

 この人の隣だけは、理由もなく肩の力が抜ける。それが少し怖くて、でも心地よさに抗えなかった。

 車が四谷の交差点近くでゆっくり止まった時、渼星は静かに寝息を立ててしまっていた。


 助手席の渼星を見る大上の瞳はどこまでも優しかった。


「……昔と、変わらないな」


 その小さな声は、眠っている渼星に届くことはなかった。


 静かな車内で、渼星の髪をそっと撫でる。

 

「ほんとに、変わらない……」

 

 その手の温もりは、眠っている渼星にはわからないはずなのに、何故かその表情は微笑んでいるかのようだった。


「寝かせてあげたいけど、さすがにこのままというわけにもいかないね」


「倉橋さん、着きましたよ」


 少し大きな声を出して、大上は呼びかける。


 その声にはっとして、渼星は目を覚ます。


「あ、ありがとうございました。ここで結構です」


「どうぞ、お気を付けて、また取材でお会いすることがあれば、よろしく」


「よ、よろしく」


 寝てしまった恥ずかしさから、否定することもできず、渼星は車を急いで降りて家路についた。



 翌日、警備企画課のデスクで、渼星は昨日の事件の報告書と格闘していた。


「倉橋ぃ、昨日何があった?」


 班長が声をかけてきた。


「弾痕の上の拳の痕、お前が棚に挟まれて気が遠くなったと言ってたな。その回復にはお前が思ってたより時間がかかっていた……」


 そう言って、班長の鷹宮は渼星を覗き込む。


「はい、そうかもしれません」


 渼星はそう答えるしかなかった。


「そしてその間に、玃猿を殴り倒せるような別の個体が玃猿を攻撃して、姿を消した。そうとしか考えられん。つまり別の怪異がまだあの辺りに潜伏している可能性がある」


 班長はそっと耳に顔を近付けて小声でささやく。


「倉橋家の縁のもの、という線はないんだな?」


「はい、私も何が何だか……」


 その言葉を聞いて、目を伏せた班長は、そのまま席に戻って、周りを見回して命令を発する。


「では、倉橋、黒瀬、事件現場周辺の捜索を引き続き行うこと。水城は近くに指揮車を出してバックアップを頼む」


「はい」

「了解」

「はーい」


 三者三様の返事で、席から立ち上がると外へ向かっていった。



 その日の夕刻、渼星は何も見つからないままあてもなく現場近辺を彷徨い歩いていた。


 ぼんやり昨日のことを考えていた渼星に声がかかる。


「倉橋さん、お身体はもう大丈夫ですか?」


 声の方を向くと、大上の笑顔がそこにあった。


「あ、大上さん。昨日は送っていただいてありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げる。

 親切にしてもらったことへ、素直に礼を言えた自分に、渼星は少し戸惑った。

 こんなふうに気を張らずに振る舞えたのは、珍しいことだった。


 その時、ふわりと風が二人の間を通り過ぎた。


 大上の髪がわずかに揺れる。その瞬間、車の中と同じ懐かしい気配が、ほんの一瞬だけ胸をよぎった。驚きながら、渼星は頭を上げた。


「今日もお仕事ですか? ご苦労様ですね」


「はい、大上さんも、取材ですか?」


「そうですね、ただ抗争は落ち着いてきているようなので、そろそろ取材も手仕舞になるかもしれません」


 たまたま同じ噂を追いかけたから、また会えた……、でも次は?


「昨日のお礼にお茶でも奢らせていただけませんか?」


 気付くとそんな誘いの言葉が口から出ていた。情報提供者との接点を保つのは仕事のうちだ。何の問題もない。

 そう自分に言い聞かせた時点で、それが言い訳だと渼星は半ば気づいていた。


 『言い訳』と思っている時点で、それは当たり前ではないのであるが、この時はそこまで考えが回っていなかった。


「良いですよ、この先にいいお店がありますので、案内しますよ」


 そう言って、大上は渼星をエスコートするように、一定の距離を保ちつつ歩き出した。


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