第3話 人の消える街
数日後、渼星はとある街を訪れていた。
平日の昼だというのに、通りを歩く人影がほとんどない。
真新しい看板を掲げた店も、シャッターを半ばまで下ろしたまま息を潜めている。
まるで街そのものの機能が、どこかで止まってしまったみたいだった。
最近、この街では大陸渡来のグループと地元の暴力団が抗争を始めている。
だが、人影が消えた理由はそれだけではない——死体も残さず人が消える、そんな噂まで流れていた。
目の前の異様な静けさは、そのせいかもしれないと渼星は思った。
怪異絡みの可能性がある、という名目で、渼星は今日も『パトロール』に出ていた。
退屈なデスクワークから逃げ出す口実としては、十分だった。
「颯太くん、ごめん」——そう心の中で書類を押し付けて来た後輩に謝る。
それにしても、最近は怪異の側の治安まで悪くなってきている。
渼星は歩きながら、そんなことを考えた。
出かける前の班長との会話を思い出す。
「班長、あの街では大陸渡来の人間が増えています。念のため調査をさせてください」
「またまた、そんな事言って、さぼってないでよ、渼星くん」
「大陸からの不法入国者に紛れて大陸産の怪異が入ってきている傾向は、先日の事件からも明らかだと思います」
少し遠くを見るような目でため息を吐いた班長が言葉を返す。
「奴らも、もうちょっとうまくやってくれないものですかねえ。人口が多く情報の行き来が少ないあちらさんと違って、日本じゃ誤魔化すのも大変だというのに……」
「日本土着の怪異たちは、この国で長く生きてきているだけに、この国での人との共存に長けています。いえ、それの出来なかったものたち、古来から私たちの先輩にあたる陰陽師によって対処されてきたというのが正しいかと思います」
「わかったわかった、倉橋警部補、該当地域の調査を命ず。ちゃんと報告書はあげてよ。あくまでも『お・し・ご・と』なの忘れないでよ」
そんなやりとりがあって、渼星は外回りに出てきたのだった。
さて、実際この街はどうなのか?
やはりここも……そんな小さな予感があった。
そうして考え事をしながら歩いていると、角で人にぶつかってしまう。
「ご、ごめんなさい」
そう言って頭を下げた渼星の頭上から聞き覚えのある声がかかる。
「おや、刑事さん、また会いましたね」
そこには人好きのする笑顔を貼り付けた大上の姿があった。だがその表情には驚きの色がかけらもない。予定していたかのような佇まいであった。
「お、大上さん。どうしてこんなところに?」
「また取材ですよ。色々剣呑な噂があるところですから……そう、抗争中に人が消えている——なんて噂、ご存知ですか?」
渼星は、その噂を知っていたが、素直に肯定することはできない。
「沈めるか埋めるか。抗争中に人が消えるなんて、珍しい話ではありません。もちろん、あっていいことではないですけど。――でも、今回はそれだけじゃなさそうで」
そんな危ない話を何気ない顔で口にする大上へ、渼星は胡乱な視線を向けた。
「想像力が豊か過ぎるなんて言われませんか?」
「一応、あちこち取材してまして、人を運ぶには車がいるはずなんですが、車の通れないような路地で短時間で消えた人間がいるって証言があるんですよ。それこそ何かに食べられでもしたみたいに……」
そう言うと大上は、渼星の目を何かを探るかのように見つめてきた。視線が絡み合い、まるで見つめ合うかのような時間がしばし流れた。
美しく整った顔に真っ直ぐ見つめられるだけで、妙に落ち着かなくなる。
渼星はそっと視線を外した。そして逡巡しながら声を絞り出す。
「宜しければ、その話、ゆっくりお聞きしてもいいですか?」
「はい、善良な一市民としては、警察への協力は惜しみませんよ。この先に雰囲気のいい喫茶店があります。ご一緒しましょう」
そう言って、後ろを指差し、歩き出す大上に、渼星は慌ててついていくのだった。
大上の後を歩いていく。抗争のせいか他に歩いている人の影が見えない。街中だと言うのに、驚くほど生活音が聞こえない。
そんな違和感を感じていると、さらに近くで吠えていた犬の鳴き声が急に止んだ。
常ならぬ静けさが街に漂う。
大上が突然立ち止まり、横の路地を見つめた。
なんだろう、と渼星も同じ方向を見る。
路地の奥に、人影がひとつだけ見えた。それが角の向こうへ消えた直後だった。人ではないものの禍々しい気配が、一瞬だけ噴き出す。
そして、途中で断ち切られたような短い悲鳴が響いた。
反射的に渼星は走り出し、その路地へ向かった。無言のまま訓練された身体は自然にホルスターから銃を抜き、銃口を人影が消えた曲がり角に向けた。
……そこには何もなかった。行き止まりで扉なども見えない建物の壁だけがある行き止まりに、先ほどの人影が見間違いだったかと思うくらいに何も見えるものはなかった。
だが渼星には、魔のものが残した分厚い瘴気が、そこにべったりとこびりついているのが感じられた。
それは上に向かって続いている。
ビルの狭間から頭上を見上げる。そこに立ち去る何ものかの影が確かに見えた。
そして、上からしたたり落ちてきた、赤い液体……それは血の色をしていた。
渼星はすぐに懐から、お札の張ってある竹筒のようなものを取り出す。すばやく呪言を唱え、お札の封を解く。すると中から黒い影が飛び出すと、屋根の上にのぼっていき、そのまま何かを追いかけるように走っていく。
「よし、管狐は食いついた。」
そして腕の通信機を操作し、緊急用のボタンをタップした。
『エトワールから各員、現場にて越境個体と思われる案件あり。対処に入る』
それだけをボイスメッセージとして残す。緊急時にはGPSで現在位置も本部に伝わる。応援はいずれ来るはずだ。
だが、その前にねぐらだけでも突き止めなければならない。別の地域へ逃がしてしまう前に。瞬時にそう考えた渼星は、そのまま管狐の気配を追いかけて、路地を飛び出す。
「倉橋さん、待っ——」
出口で待っていた大上が声をかける。
だが、そんな声など聞こえなかったように、渼星は管狐の方向へ全力で駆け出した。
すぐに渼星の頭からは大上のことは抜け落ちていた。
渼星は全力で駆けた。
人気のない街を、隷下の管狐の気配だけを頼りに追っていく。
曲がり角のゴミ箱を飛び越えながら進んでいく。抗争に巻き込まれるのを避けているのか、歩いている人が少ないので、遠慮なく全力疾走ができる。
街外れの倉庫街にたどり着いた時、管狐が戻ってきて竹筒に戻っていく。
そのまま、渼星は手早く呪言を唱えると再度封をした。
「ここか……」
中から明らかに強い人ならざるものの気配が漂ってくるのがわかった。
応援が来るまで、ここから逃がしてはいけない。その場所にただよう微かな死臭と、恨みをもったまま喰われたであろうものたちの怨念の気配に、渼星は奮い立つ。
渼星は握った拳銃を確認すると、周りをまわって入れる場所を確認する。通用口らしき扉を見つけ、鍵開けを試みる。小さな作動音とともにカチャリとドアが開く。
「この発明品が一番やばいわね……」
そう呟くと、倉庫の中にそっと入っていく。
それを憂うように見つめる視線があるのに渼星は気付いていなかった。




