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月夜の大神と対魔刑事と 〜陰陽師の女刑事は、月夜に獣と化す『人ならざる男』と恋に堕ち、組織を離れ、神降しの巫女となる〜  作者: 國村城太郎


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第10話 標的

 大上の車は、夜の大通りを滑るように走っていた。

 助手席に座る渼星は、まだ乱れた呼吸を整えきれないまま、思い切って口を開く。


「どうして私があそこにいるって分かったの?」


 渼星の声音には、さっきまでの動揺ではなく、はっきりした警戒が混じっていた。


 ふぅと大きなため息をついた大上は、何でもないことのように言った。


「危ないことをする気がしていたから、少し離れて見ていたんですよ。いったんもっと安全なところまで下がればよかったのに。どうしてあんな場所で霊視なんかしたの?」


 その言い方は、陰陽術の危険を知っている人間のものだった。

 少なくとも、ただの記者やライターの口から出る台詞ではない。


「あなた、いったい何者なの?」


 明らかに警戒した様子で渼星がさらに問いかけた。


「……君が思っているより、怪異に近い世界で生きてきた者ですよ」



 さらに胡乱げな目つきで大上を見ながら、渼星が声をかける。


「ほんとに、あなた何者? ちゃんと話してちょうだい。そうでないと私もこれ以上何も信用できない。助けてくれたことは感謝してるけれど」


 そう言って、渼星は大上をじっと見つめた。


 その視線を真正面から受け止めて、しばし考えている様子の大上はゆっくりと話し出した。


「……倉橋宗一郎さんには、昔世話になったことがあります」


 その名前に渼星が目を見開く。


「大上という名の術者には聞き覚えがありません。はぐれ陰陽師? それとも仏教系?」


「宗教の枠外で、怪異と付き合っている一族です。お父さんからは何も聞かされて無いのですね」


「父は、突然亡くなりましたので、全ての口伝を終えることができませんでした。そうですか、父の……」


 父の名が出たことで、渼星の警戒はわずかに揺らいだ。

 完全に信じたわけではない。

 それでも、さっきまでの張りつめた空気が少しだけ変わった。


「まだ何者かの視線が、この辺りを探っていますね」

 大上の声が低くなる。

「このまま逃げ回っていてもきりがない。……術者のところまで行ってみますか?」


 大上が真面目な顔になって、問いかける。


「危険よ。あなたまで巻き込まれる」


「今さらですよ、それに、自分の身くらいは守れます。先ほどのような普通の人間相手なら、あなたの術より私の方が向いています。私のことは気にしなくていい。君がどうしたいか、それだけで決めてください」


「わかりました、行きましょう」


 そう答えた渼星の言葉に、大上は迷いのない手つきでハンドルを切った。

 その横顔を見ながら、渼星は小さく息をつく。


 当たり前のように運転をする大上を見て、ふうっと息をつくと、渼星は、気持ちをこの後の荒事に向けて、切り替えた。



 車は再開発地区の外れで止まった。

 工事用のフェンスに囲まれた一角のその奥に、取り壊し前の古い地下一階付き雑居ビルが黒い影のように沈んでいる。周囲に人の気配はない。街灯の白い光だけが、やけに冷たくコンクリートを照らしていた。


「確かに、ここね。私は霊視で見たけど、あなたはどうやって?」


 渼星が低く問うと、大上はエンジンを切りながら小さく頷いた。


「あれだけあからさまに、こちらを探されれば、簡単にたどれますよ。警察犬が臭いを辿るくらい簡単ですね」


 その言い方に、渼星は一瞬だけ横目で大上を見た。普通の人間の言葉ではない。だが今は問い詰めるより先に、目の前の問題に向き合うべきだった。


 渼星は小さく息を吐き、コートの内側から呪符を取り出す。指先で印を切ると、紙片は青白い光を帯び、ふっと宙に浮いた。


「……やっぱり。下に流れてる」


 呪符は、まるで川の水が河口に向かうように、自然にビルの地下方向へ向かって霊気が流れている。

 人払いの簡易結界を周囲に敷き、渼星は拳銃の安全装置を外す。


「行くわ。あなたは下がって――」


「そうはいきませんよ」


 大上が軽く笑う。だがその目は笑っていなかった。金にも琥珀にも見える光が、夜の中で鈍く揺れている。


「ここまで来て一人で行かせる気はないですよ」


 渼星は短く唇を結んだ。反論したところで聞かない顔だと、もう知っている。

 やれやれと肩をすくめてから、フェンスの切れ目をすり抜け、二人はビルの裏手へ回った。


 搬入口のシャッターは半ば壊れ、わずかに人ひとり通れる隙間が開いていた。中へ入った瞬間、空気が変わる。湿った土の匂い。古い水の匂い。そして、その底にこびりつくような、甘ったるい死臭。


「……酷いわね」


 渼星が呟く。

 複数人分あった。さらに、その上には裸足で引きずったような、歪な痕も混じっている。


「生きた人間の足跡と、死体を引きずった跡だ」


 大上がしゃがみ込み、指先で床をなぞるように見た。

 そのまま視線を奥へ向ける。


「急いだ方が良さそうだ」



 狭い通路を抜け、地下への階段を降りる。

 一段下りるごとに、死の気配が濃くなっていく。渼星の肌が自然に粟立ってくる。


 地下室の手前で、渼星は足を止めた。

 扉の向こうから、かすかに鈴の音がした。あの夜、結界を破った時と同じ音だ。


 渼星と大上の視線がぶつかる。

 大上は無言で頷いた。


 渼星は拳銃を構え、左手に呪符を挟む。

 そして扉を蹴り開けた。


 中は広かった。

 薄暗いコンクリートの地下空間。その床一面に、黒ずんだ文様が幾重にも描かれている。壁際には死体袋。吊るされた鈴。積み上げられた骨壺が不気味に並んでいた。

 そして部屋の中央、血と灰で描かれた円陣の中に、誰かが立っていた。


 布で半ば顔を隠した細身の男。

 その足元には、まだ温かいらしい血がゆっくりと円をなぞって流れている。


「お待ちしておりましたよ」


 低く、よく通る声だった。


 その瞬間、渼星は悟った。

 こちらが辿り着いたのではない。

 最初から、ここへ来るよう誘い込まれていたのだと。

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