第9話 辿る者、辿られる者
エミルのアパートは、裏ぶれた住宅街の一角にあった。あたりは明らかに日本人以外の人たちが多い地域だった。
一階に管理人室を見つけ、インターホンを押してみる。
「ハイ、ドチラサマ?」
片言の日本語を話しながら、やはり浅黒い肌をした男が顔を出した。
渼星は警察手帳を見せながら話し始める。
「警視庁の倉橋と言います。201のエミルさんの死亡事件の捜査に来ています。恐れ入りますが、部屋の中を確認させていただけませんでしょうか?」
「ハ、ハイ」
警察と聞いて一瞬驚いた顔をしたが、素直に協力して鍵を開けてくれた。
「オワッタラ、カギ、カエシテクダサイ」
そう言い残すと管理人は部屋へ戻っていった。
「揉めずに済んで何よりだわ」
そう言って渼星は警戒しながら部屋へ入っていく。
「お手伝いしますよ」
「あなた……」
一瞬絶句する渼星に、ニコリといつもの笑みで大上が言った。
「手は多い方がいいでしょう?」
いつものように穏やかに言ってから、大上は肩をすくめた。
「令状のある正式な捜索じゃないなら問題ないと思いますよ」
「屁理屈だけど……何かあればこちらに必ず知らせること。協力してもらった貸しはこれでチャラよ」
そう言って深くため息をつくと、渼星は大上を部屋に招き入れた。
家具は少なく、生活感は薄い。
ただ、締め切った室内には、乾いた布と香辛料の匂いに混じって、わずかに鉄臭さが残っていた。
寝るためだけに使っていた部屋――そんな印象だった。
そんなことを考えながら手分けして部屋を漁っていく。だが、何も見つからないことに焦りを覚えていた頃、大上が何かを取り出してきた。
「これ、なんでしょうね?」
それは、指先ほどの大きさしかない黒ずんだ革袋だった。
首から下げる護符にも見えるが、妙に乾いていて、古い墓土のような匂いがした。
どこにあったの? そこ、私も見たはずなのに……」
「ベッドとマットレスの隙間にありましたよ」
「よく見つけたわねこんなもの、見せてみて」
渼星はそれを手にとって、皮袋の紐を緩める。その瞬間、物理的に触れられそうなくらいに濃密な魔の気配が溢れ出した。
その瞬間、大上がわずかに顔を背けた。
まるでその気配そのものを嫌うような反応に、渼星は一瞬だけ眉をひそめる。
「何かしら。とにかく調べてみるわ。何かわかったら連絡入れるから、これは預からせて」
「もちろんです。私がここから何か持ち出したら、それこそ窃盗になってしまいますから」
そう言って大上は片目を瞑る。
「そ、そうね。さ、他にも何かないか探しましょう」
顔を赤らめながら、渼星はそう答えた。
その後しばらく部屋を探したが、他に目ぼしいものは見つからなかった。二人は部屋を出る。
「じゃあ、ここで、私はこれを調べてみるわ」
「それ、あまり長く素手で触らない方がいいですよ」
大上が珍しく笑みを消して言う。
渼星は小さく頷いたが、その忠告の意味をまだ十分には理解していなかった。
夕方になり、人けのなくなった大きな公園の奥で、渼星は人払いの結界を敷くと、見つけた皮袋を取り出す。
陣となるシートを置くと、そこに袋の中身を丁寧に取り出す。
中には三角形に折られた護符のようなものが入っていた。明らかに普通の品ではなく、魔のものの気配が濃密に漂ってくる。
「異国の護符ね、流石に詳しいことはわからないけど……さて、これから術者を辿ってみますか」
そう言うと、渼星は式神の札を何枚か取り出し、周りに配置して印を結ぶ。
その瞬間、渼星は視線を感じ、遠くの誰かと目を合わせた。
慌てて、結界を強化し、視線を遮断すると、息を大きく吐いた。
「覗かれていたわね。この場所は知られてしまったし、向こうの居場所もわかった。とにかく移動しないと」
そう言うと渼星は手早く片付けて、公園の外へ向かって歩き出す。
だが、出口近くに行った時に、中東風の男たちが集団で立ち塞がるように並んでやってきた。
渼星が、素早く道を外れ芝生を走り出すと、男たちは前を塞ぐように走り出した。
チンピラ風の外国人の男たち、相手が人間であれば、渼星が銃を使うわけにもいかない。
逃げ切るのは難しいと判断したところで、渼星は足を止めて声を張り上げた。
「私に何かご用?」
「ビュユジュがあんたを連れてこいって言ってる。大人しく一緒に来てくれませんか?」
リーダーらしき男が流暢に喋りかけてきた。
『ビュユジュ……確か中東の魔法使いを意味する言葉だったかしら。おそらくさっきのやつね』
心の中でそんな言葉を呟きながら、渼星は考え込み、とりあえず正攻法に訴えることにした。ゆっくりと懐から警察手帳を取り出すと、大きな声で怒鳴った。
「私は警察官よ、あなたたち、手を出すなら公務執行妨害で逮捕するわよ」
だが、その呼びかけに、一瞬固まる男もいたが、その行動は止まらなかった。
男たちの顔には明らかにここにいない何かへの恐怖が張りついていた。
男たちの包囲が丸い形をとり、そしてその円周が小さくなっていく。
荒事もしょうがないと覚悟を決めた時だった。
包囲の一角の後ろから襲いかかる影があった。ひとりの男を背後から蹴り飛ばす。そのまま反動で横に着地すると隣の男の腕を絡めて、そのまま投げ飛ばす。
そこに立っていたのは大上だった。
「こっちへ!」
渼星はすかさず大上の方向へ走り出す。
大上が渼星の手を掴んでそのまま一緒に走り出す。
その力強い手に引っ張られて、渼星は必死に走った。
走りながら、近づいてきた男たちを大上は文字通り蹴散らす。警察官の自分よりよほど荒事に慣れていると思った。
温かく握られた手に、不思議な既視感を抱く。こんな風に手を引かれたことが、昔確かにあった……そんなことを考えているうちに、二人は、人通りの多い場所まで逃げ切っていた。
手が離される、その瞬間、小さく声が漏れた。
「あっ」
その言葉の残念そうな口調に赤面してしまう。
「あの、助けてくれて……ありがとう」
そう言うのがやっとだった。




