第58章 王級鎧巨兵、世界を呑む
王級鎧巨兵が魔王城と一体化し、四王国の空を覆う異形へ変わります。攻撃すればするほど、記憶の痛みが増幅して強くなる。力では倒せない敵です。総攻撃では外殻に傷ひとつつかない。そこで初めて、四ツ辻号の必殺連携「四辻連環」が火を噴きます。盾で受け、浮環で跳び、遠砲で牽制し、刃脚で踏み込む。最後に玄弥が縛りを断つ。その裂け目から、カイと玄弥は内部へ。中心で、王冠をかぶる前の、名もない少年に出会います。
空が、消えた。
赤い空も。割れた雲も。青白い星も。ぜんぶ、その影に覆い隠された。王級鎧巨兵。魔王城と一体になった巨体。四王国の空をぜんぶ呑み込むほどの異形が、荒野の果てにそびえていた。
玄弥は、それを見上げていた。
首が痛くなるほど見上げて、それでも、てっぺんが見えなかった。黒い王冠をいただいた頭部は、雲の向こうに隠れている。何本もの腕が、ゆっくりと動いた。一本動くだけで、荒野に影が走る。風が起きる。
「でかすぎる」カイが四ツ辻号の操縦槽からつぶやいた。「あんなの。どうやって、戦うんだ」
「分からない」玄弥は正直に言った。四ツ辻号の肩の上で、エクスカリバーを握って。「でも、戦う」
その巨体の内側から、声が聞こえた。
無数の声だった。泣き声。叫び声。すすり泣き。うめき声。――戦争で救われなかった人々の声。死んでいった兵士の声。記憶を奪われた子どもの声。そして、そのぜんぶの奥に。たった一つ、深い、深い、孤独の声があった。
『誰も』その声は言った。『誰も、来なかった』
魔王の声だった。
『私は、何百年も待った。誰かが来るのを。誰かが名前を呼ぶのを。だが、誰も来なかった。だから――もう、いい。誰も覚えてくれないのなら、私がぜんぶ覚えてやる。この世界の、ぜんぶの記憶を。私の中に。そうすれば、私はもう、ひとりじゃない。世界がぜんぶ、私になる』
その無数の声の中に、玄弥は、聞き覚えのあるものを見つけた。あの外城で弟を亡くした、兵士の声。母の味噌汁のにおいだけを頼りに、自分を取り戻そうとした、青年の声。――いや。ちがう。よく似ているだけだ。けれど、似ているからこそ、胸がざわついた。この巨体の中の声の、ひとつひとつが、どこかの誰かの、本物の嘆きなのだと。分かってしまった。
「それ、ちがう」玄弥は叫んだ。「呑み込むのは、覚えてるのとは、ちがう。それじゃ、みんな、お前の中で消えるだけだ」
『同じことだ』魔王の声が言った。『誰も私を覚えないなら、私が誰も覚えてやらない。誰も私を迎えに来ないなら、私が世界を迎えに行く。――私の中へ』
巨体が、動いた。その巨大な手が、四王国軍へ向かって、振り下ろされた。
「散れ」アヴァロンが叫んだ。
軍勢が散った。けれど、巨大な手が地面を叩いた衝撃で、鎧巨兵が何体も吹き飛んだ。砲が火を噴く。蒼帆魔導艦隊がいっせいに撃った。けれど――。
「効かない」提督が唸った。「砲弾が当たっても、あいつは痛がらない。むしろ」
砲弾が当たったところから、巨体が膨らんだ。
「増幅してる」玄弥は気づいた。「攻撃の痛みを。あいつは――痛みを食べて、大きくなる」
『そうだ』エクスが言った。『あれは絶望の塊だ。攻撃すればするほど。傷つけばつくほど。痛みが増えて、強くなる。――殴ってはならん。あれは、力では倒せん』
白角騎士団が斬りかかった。けれど、斬った傷が、すぐにふさがる。それどころか、傷から黒い触手が伸びて、騎兵を絡め取った。鋼壁が盾で押す。押した分だけ、巨体が重くなる。翡翠翼が空から攻めた。攻めた分だけ、骨の翼が増えた。
四王国の最強軍団が、総攻撃をかけた。けれど、攻撃するほど、記憶の痛みが増幅されて、王級鎧巨兵は強くなる。手も足も、出なかった。
「だめだ」グランヴェルの将が叫んだ。「攻撃するほど、あいつが、大きくなる」
蒼帆魔導艦隊の提督が、砲の手を止めた。
「撃つな。撃つほど、敵を太らせている。――こんな戦は、初めてだ。我が艦隊は、遠くから撃つことしか知らぬ。なのに、撃てば撃つほど、状況が悪くなる。手も足も出ぬとは、このことか」
翡翠翼の隊長も、空で翼を止めた。
「攻めれば、骨の翼が増える。守れば、押し負ける。退けば、追われる。――どうしろ、というのだ」
「退け」アヴァロンが決断した。「一度、退け。このままでは、全軍が呑まれる。力で勝てる相手ではない」
軍勢が退いた。けれど、王級鎧巨兵は追ってきた。一歩踏み出すたびに、地が裂けた。荒野がめくれた。逃げる軍勢を、ゆっくりと、追い詰めていく。
「玄弥」カイが操縦槽から叫んだ。「どうする。このままじゃ、全滅だ」
玄弥は巨体を見上げた。
考えろ、と、自分に言い聞かせた。攻撃しても効かない。むしろ強くなる。なら、どうすればいい。あれの中には、何がいる。記憶。痛み。孤独。――そうだ。中だ。外から殴ってもだめなら、中へ入るしかない。いちばん奥にいる、本人に会いに。
「カイ。中へ、入る」
「中? あの化け物の、中に?」カイが聞き返した。
「ああ。外から攻撃しても効かない。あいつは痛みを食べて強くなるから。なら、痛みを与えない。中へ入って、いちばん奥にいる本人に会う。――魔王に。名もない、楔に」
「でも、あの外殻。何万もの記憶が固まった壁だぞ。ただ斬っただけじゃ、すぐふさがる。さっき、白角がやられたみたいに。――こじ開けても、一瞬で閉じる」
玄弥は言葉につまった。
カイの言うとおりだった。剣を巨大化させて斬っても、傷はすぐにふさがる。一瞬の隙間では、中へ入れない。もっと確実に、外殻をこじ開けて、閉じる前に滑り込む。そんな方法が――。
その、とき。四ツ辻号の操縦槽で、カイが何かに気づいた。
「玄弥」カイは言った。声が震えていた。けれど、確信があった。「四辻連環だ」
「四辻連環?」玄弥は聞き返した。
「この四ツ辻号には、四つの王国の武装が、ぜんぶ入ってる。白角の刃脚。鋼壁の環盾。翡翠の浮環。蒼帆の遠砲。――ばらばらに使ったら、ただの寄せ集めだ。でも。一つの流れにつないだら」
「つないだら?」
「外殻を、こじ開けられる。一カ所に、四つの力を、順番に叩き込む。盾で受けて、浮環で跳んで、遠砲で牽制して、刃脚で踏み込む。閉じる隙を、与えずに。――最後に、お前が、エクスで縛りを断つ。それなら」
玄弥の胸が、ぐっと熱くなった。
四つの国の部品で組んだ機体。どこにも属さない四ツ辻号。それが、四つの力を一つにつないで、初めて本領を発揮する。連合そのものの戦い方で。
「やろう。お前と、俺で。二人で、四辻連環だ」
「ああ」カイは操縦槽でうなずいた。「おれが機体を動かす。お前は肩で剣を構えてろ。タイミングは、おれが合わせる。――いくぞ、玄弥。一発で決める」
四ツ辻号が、駆け出した。巨大な影へ向かって。地を蹴って。まっすぐに。
王級鎧巨兵の腕が、振り下ろされた。
「鋼壁の環盾」カイが叫んだ。
四ツ辻号の背から、グランヴェル由来の盾が、全方位に展開した。鋼の環。それが巨大な一撃を受け止める。真正面から受けずに、受け流すように。衝撃を横へ逃がして。機体が軋んだ。けれど、耐えた。
「翡翠の浮環」
受けた反動で、セレノア由来の浮揚翼が開いた。四ツ辻号が跳び上がる。巨体の腕を足場にして、一気に上へ。外殻のいちばん薄い継ぎ目めがけて。
「蒼帆の遠砲」
跳びながら、レイグラス由来の長距離砲が火を噴いた。けれど、巨体を狙ったのではなかった。継ぎ目のまわりの触手を狙った。再生を始めようとする黒い触手を、撃ち払って、閉じるのを遅らせる。牽制の一撃。
「白角の刃脚」
そして、最後。アルディア由来の高速突進脚が燃えた。四ツ辻号が空中で姿勢を変えて、継ぎ目めがけて突っ込む。光の軌跡を引いて、外殻に刃脚を叩き込んだ。黒い骨が、砕けた。継ぎ目がこじ開けられる。けれど――まだ、閉じようとする。再生が追ってくる。
「玄弥」カイが叫んだ。「今だ。縛りを断て」
「エクス」玄弥は剣を振りかぶった。「頼む」
『代償は、いいのか』
「いい」玄弥は叫んだ。「澪がいる。みんながいる。何回でも呼んでくれる。やれ」
エクスカリバーの刃が、白く燃え上がった。
みるみる伸びて、巨大な光の刃になる。玄弥は、それを両手で握った。胸の奥から記憶がこぼれ落ちる感覚があった。誰かの顔。誰かの声。けれど、玄弥は止まらなかった。
四ツ辻号がこじ開けた継ぎ目。その奥で、外殻を内側から閉じようとする黒い縛りへ。玄弥は、光の刃を振り下ろした。
「斬る。縛りだけだ。中の人は、傷つけない」
光の刃が、外殻を閉じようとする縛りを断った。
継ぎ目がこじ開けられたまま、閉じなくなる。四つの力でこじ開けて、最後に玄弥が縛りを断ったから、再生が追いつかなかった。総攻撃でも開かなかった外殻に、たった一つ、人ひとり通れる裂け目が、生まれた。
「やった」カイが、こぶしで操縦桿の縁を叩いた。「四辻連環。効いた。――四つ、ぜんぶ、いるって、言ったろ。一つじゃ、こじ開けられなかった。四つ、つないで、やっと」
「ああ。お前の機体だ、カイ。連合そのものだ」
外殻の裂け目から、四ツ辻号が滑り込んだ。王級鎧巨兵の内部へ。
*
中は、暗かった。そして、声で満ちていた。
壁という壁から。床から。天井から。声が染み出していた。何万もの記憶。何万もの後悔。畑を焼かれた農夫の嘆き。子を奪われた母の悲鳴。名前を忘れられた兵士のつぶやき。――そのぜんぶが渦を巻いて、玄弥たちを押し包んだ。
「うっ」カイが操縦槽の中でうめいた。「頭が。痛い。声が。いっぱい。割れそうだ」
「カイ。飲み込まれるな。お前の芯を思い出せ。お前が守りたいものを」
「おれの守りたいもの」カイは歯を食いしばった。「――家族の記憶。母さんの歌。ぜんぶは戻らなくても。これから作る記憶。お前たちと。連合と。――師匠を止めた、この手で」
「それだ。それを握ってろ。離すな」
二人は、内部を奥へ進んだ。通路は骨でできていた。歩くたびに、床から声が染み出す。
「帰りたい」と、子どもの声がした。「お母さん」と、別の声がした。「畑が」「妹が」「あの日、橋を渡れていたら」――そのぜんぶが、実際にあった、誰かの後悔だった。玄弥は足を止めそうになった。一つ一つに、立ち止まって、聞いてやりたくなった。
「だめだ」玄弥は首を振った。「今、止まったら、ぜんぶに飲まれる。――待っててくれ。あんたたちも、みんな、必ず助ける。でも、今は、いちばん奥だ。源を止めないと」
声の渦をかき分けて。痛みの壁を抜けて。いちばん奥へ。中心へ。
そこに、ぽつんと、ひとりの影がいた。
黒い王冠をいただいた魔王。けれど、その姿は、記憶牢で見たときより、もっと小さくなっていた。背を丸めて。膝を抱えて。子どもみたいに、震えていた。
「あんた」玄弥は四ツ辻号から降りて、近づいた。
魔王が、顔を上げた。
その黒い王冠の奥に、玄弥は見た。王冠をかぶる前の、名もない少年の記憶を。
まだ若い。十五か、十六か。玄弥と同じくらいの、ふつうの少年。畑仕事の手伝いをして。妹がいて。母がいて。村があって。笑っていた。泣いていた。怒っていた。――どこにでもいる、ひとりの少年だった。世界を救う前の。楔になる前の。誰にも忘れられる前の。
その記憶の断片が、玄弥の胸に流れ込んできた。
麦の穂が風に揺れていた。小さな妹が、少年の背中にしがみついて、笑っていた。母が、井戸端で歌を口ずさんでいた。――あたたかい暮らし。どこにも、英雄の影なんてなかった。ただ、守りたいものが、そこにあっただけ。
「お前。これが、お前か。本当の、お前」玄弥はつぶやいた。
『見るな』魔王が叫んだ。膝を抱えたまま。『見るな。それはもう、いない。とっくに死んだ。忘れられて、消えた。今の私は、ただの魔王だ。ただの化け物だ。それでいい。それで――』
「いいわけ、ないだろ」玄弥は言った。
玄弥は、エクスカリバーを、いったん地面に置いた。
武器を手放した。魔王の前で。斬る気がないことを、体ぜんぶで示すように。
「玄弥」カイが操縦槽から息をのんだ。「剣を放すな。危ない」
「平気だ。こいつ。もう、戦う気、ないよ。震えてる。ずっと、震えてる。――誰かが来るのを、待ってただけだ」
玄弥は、魔王の前に膝をついた。あの震える影と、目の高さを合わせて。
「遅くなって、ごめんな」玄弥は言った。「お前のこと。迎えに来るの。何百年も。誰も来なくて。ずっと、ひとりで。――ごめん。でも、今、来た。遅いけど。来たよ」
魔王が、息をのんだ。
『なぜ』魔王はつぶやいた。声がふるえていた。『なぜ、お前は、私を恐れない。私はお前の世界を呑もうとしている。お前の仲間を。お前の家を。なのに――なぜ、そんな顔で』
「だって、お前、本当は、世界がほしいんじゃないだろ。誰か一人でいいから、隣にいてほしかった。それだけ、だろ。――俺、知ってるんだ。その気持ち。痛いほど」
黒い王冠の奥の目から、ひと筋。
何百年ぶりかの涙が、こぼれた。
それは、ぽつりと、少年の頬をつたって、床に落ちた。たった、ひと粒の涙。けれど、それが落ちた瞬間、巨体の内側で渦巻いていた声が、ほんの少しだけ、静かになった。まるで、いちばん奥にいる誰かが、ようやく聞いてもらえた、と。知ったように。
読んでくださり、ありがとうございます。
この物語でいちばん大きな敵を描きながら、私がずっと意識していたのは、「殴って勝つ話にしない」ことでした。攻撃するほど強くなる敵。それは、痛みや絶望に、力でぶつかってはいけない、という、この作品のテーマそのものです。だから玄弥は、外から斬らず、中へ入る。痛みを与えるのではなく、いちばん奥にいる本人に会いに行く。
そして、その「中へ入る」ために、四ツ辻号にいちばん大きな見せ場を与えました。総攻撃でもびくともしない外殻を、たった一つこじ開けるのが、四辻連環です。鋼壁の環盾で受け、翡翠の浮環で跳び、蒼帆の遠砲で再生を牽制し、白角の刃脚で踏み込む。四つの王国の力を、一つの流れにつないで、最後に玄弥のエクスカリバーが縛りを断つ。一つの国の部品では、絶対にこじ開けられない。四つ、ぜんぶいる。連合そのものの戦い方で、初めて道がひらく。混成機を、最終決戦の主役にしたかったのです。
刃を巨大化させれば、玄弥はまた記憶を削られる。それでも「澪が、みんなが、何回でも呼んでくれる」と笑って踏み込む。代償を引き受けてなお前に進めるのは、彼がもう一人ではないからです。
巨体の中心で震えていた、王冠をかぶる前の名もない少年。「遅くなって、ごめんな」――この一言を、何百年ぶりかの涙とともに書きたくて、ここまでの五十七章がありました。次章、玄弥は剣を、どこへ振り下ろすのか。聖剣が、斬らないと決める章です。




