第57章 黒冠魔導団の最後
夜明け前、四王国じゅうの住民が、眠ったまま魔王城へ歩き出します。記憶を、根こそぎ奪うために。三島からは、灯里が転送門の対応式を逆算し、凪人が魔力を描き、澪が玄弥をつなぎ止める。玄弥とカイは記憶炉へ突入し、捕虜の名前を、一人ずつ読み上げていきます。
次の夜明け前。
異変は、四王国のぜんぶで同時に起きた。
まだ眠っている村で。城下町で。難民の野営地で。人々が突然、立ち上がった。眠ったまま。目を閉じたまま。ふらふらと外へ歩き出す。家族が止めても、聞かない。ただ、ひとつの方向へ。魔王城のほうへ。
糸に引かれるように。
「これは」アヴァロンが巻物を握る手を、固くした。「黒冠魔導団だ。七つの塔を失って、最後の手に出た。――王国じゅうの住民から、記憶を一度に奪う気だ」
「一度に。そんなこと、できるのか」玄弥は思わず聞き返した。
「できる。最後の、巨大転送門を開くために、何万もの記憶がいる。だから――王国ぜんぶの住民を、燃料にする気だ。一人ずつ削るのでは、間に合わない。だから、一度に。根こそぎ」
玄弥はこぶしを握った。
眠ったまま歩いていく人々。子どもも。老人も。みんな、糸に引かれて、あの骨の城へ。記憶を吸い取られ、転送門の支柱にされる。そうなれば――何万もの人が、空っぽになる。名前も、家族も、ぜんぶ忘れて。
「行く。魔導塔だ。記憶炉を止める」玄弥は立ち上がった。
その、とき。玄弥の握るエクスカリバーが、淡く光った。地下のずっと深く、記憶鉱の脈の、いちばん浅いところから、声がせり上がってきた。
『……げんや』
「澪」玄弥は剣に耳を寄せた。「澪か」
『聞こえる?』澪の声が響いた。砂嵐の向こうから。けれど、確かに。『灯里が気づいたの。そっちで、おかしなことが起きてるって。脈が、めちゃくちゃに乱れてる、って』
「澪。黒冠魔導団が、最後の転送門を開こうとしてる。王国じゅうの記憶を、燃料にして」
『知ってる』澪の声が言った。『灯里に代わるね』
声が、変わった。落ち着いた後輩の声に。
『先輩。その転送門、こっちから見えてます。記憶鉱の脈の揺れで。――先輩、聞いてください。その門には、対応式があります。記憶を、こう流せば、こう開く、っていう、決まった計算式が。それを逆算すれば、門を止められる』
「逆算」玄弥はつぶやいた。
『私が、現代から計算します。脈の揺れを数字にして、門の対応式を割り出して、逆向きに解く。――でも、私だけじゃ無理。凪人くんが、魔力の流れを絵にしてくれてます。どこに力が集まってるか。澪さんが、先輩の位置を固定してくれてます。先輩が迷子にならないように』
玄弥は、剣を握る手に力をこめた。
三島で。四人が。あの交差点で、声を送り続けている。灯里が計算し、凪人が描き、澪が名前を呼んで、玄弥をつなぎ止めている。距離も。世界も。越えて。
「分かった。俺は、何をすればいい」
『記憶炉です。魔導塔のいちばん下に、記憶炉があります。そこへ、王国じゅうの記憶が流れ込んでます。それを止めてください。――でも、ただ壊しちゃ、だめです。中の記憶が、ばらばらになって、誰のものか分からなくなる。一人ずつ、名前を呼んで、本人へ返しながら、止めてください』
「名前を、呼ぶ」玄弥はつぶやいた。
『はい。先輩の、いちばん得意なやつです』
玄弥は笑った。笑ったつもりが、目のふちが、勝手に熱くなった。
「ありがとな」玄弥は言った。「みんな。そっちから、ずっと支えてくれて。――行ってくる。記憶炉、止めてくる」
*
魔導塔は、骨の城の外れにそびえていた。
黒い尖塔。その根もとへ、玄弥とカイが四ツ辻号で突入した。四ツ辻号が塔の扉をこじ開ける。中は暗かった。階段が、地下へらせんを描いて続いている。下へ行くほど、低い唸りが聞こえた。記憶炉の音だった。
「下だ」玄弥は駆け下りた。
いちばん下。
巨大な炉があった。黒い火が燃えている。けれど、それはふつうの火ではなかった。無数の声が混ざった、火だった。泣き声。笑い声。子守唄。叱る声。――王国じゅうから吸い上げられた記憶が、炉の中で燃えていた。その熱で、巨大な転送門が開きかけている。
炉のまわりに、七禍卿がいた。フードをかぶった七人。昨日、塔から退いた、あの七人が、今、ここに集まっていた。けれど、その様子はおかしかった。
「足りぬ」奪名卿が言った。「記憶が、足りぬ。門が、開かぬ」
「ならば」屍兵卿が言った。「お前の記憶を寄こせ。お前はもう、用済みだ」
屍兵卿が、奪名卿へ黒い光を放った。記憶を吸い取ろうとして。奪名卿が悲鳴を上げて、膝をついた。
「待て」奪名卿はあえいだ。「私は名を奪う者。なのに――誰かに名前を呼び返された、ような。あの声が、まだ耳に。ヘンリク。エルザ。トビアス。ニーナ。――くそ。やめろ。頭から、離れぬ」
「何を、たわごとを」屍兵卿が吐き捨てた。
けれど、その屍兵卿の手も、震えていた。
「同郷の将に、言われたのだ」屍兵卿はつぶやいた。「鎧の奥に人がいる、と。私は鎧匠だった。死者の骨を磨いて、遺族へ返していた。それを――私は燃やした。二度、殺した。あのロウェンを。あの戦友を。なのに今さら、なぜ、その顔が」
「弱気になるな」断界卿が苛立った。「我らはもう、後がない。記憶が足りぬなら、奪うしか――」
「お前こそ」呪森卿がかすれた声で笑った。「翡翠翼の隊長に言われたろう。お前が呪いたかったのは、自分だ、と。私は聞いていた。お前の術が緩んだのも、あのひと言からだ」
七禍卿が、互いを責め始めた。塔で、因縁の相手に突きつけられた言葉が、一人ひとりの心の底に刺さっていた。それをごまかすように、怒鳴り合い、奪い合い、罵り合う。
「忠誠なんて、最初から、なかったんだ」玄弥は、階段の途中からそれを見ていた。「あいつら。記憶を奪う力で、結びついてただけ。燃料が足りなくなったら、今度はお互いを食い合う。――でも」
「でも?」カイが、四ツ辻号の操縦槽から聞いた。
「揺れてる。昨日、突きつけた言葉が、効いてる。あいつら、自分の踏み外したところを思い出して、それを消そうとして、余計に崩れてる」
「気色悪い」カイが顔をしかめた。
「うん。でも、好都合だ。あいつら、お互いに夢中で、炉を守ってない。――行くぞ。記憶炉を止める」
玄弥は炉へ近づいた。
炉の中で燃える記憶が、玄弥の頭へ流れ込んできた。何万もの声。何万もの暮らし。そのひとつひとつを、玄弥は聞き取ろうとした。
『先輩』灯里の声が、剣を通して響いた。『右から三番目の脈。そこから止めてください。流れの、いちばん上流です』
「分かった」玄弥は、炉の右から三番目の脈に手を当てた。
そこに燃える記憶を、玄弥は読み取った。
「ミレナ。あんたの名前は、ミレナだ。パン屋の。毎朝、いちばん早く窯に火を入れてた。息子が二人。下の子が、よくつまみ食いをした。――帰れ。あんたのところへ」
炉から、一筋の記憶がほどけて、上へ昇って、消えた。遠く、王国のどこかへ。眠ったまま歩いていた、ミレナという女の人のもとへ。記憶が戻っていく。彼女は立ち止まった。われに返った。家へ引き返した。
「次。カイ。手伝ってくれ。お前も名前を呼べ」
「おれが」カイが戸惑った。「おれは、人の名前なんて」
「炉が教えてくれる。触れば分かる。その人が誰か。何を覚えてたか。――それを、本人に返すんだ。一人ずつ」
カイは四ツ辻号から降りて、炉に手を当てた。
最初はおそるおそる。けれど、やがて記憶が流れ込んできた。カイの目が、見開かれた。
「……ヨナ。あんた、ヨナだ。羊飼いの。冬に子羊をぜんぶ、毛布でくるんで。自分は震えてた。――帰れ。羊が、待ってる」
記憶がほどけて、昇って、消えた。
「できた」カイが、自分の手のひらを見た。「おれにも、できた」
「だろ」玄弥は笑った。「お前、機体だけじゃない。人の記憶も、ちゃんと扱える。――続けるぞ」
二人は炉のまわりを回った。
一人ずつ。名前を呼んで、記憶を返す。ミレナ。ヨナ。トーマ。リサ。エルク。――何万もの記憶の中から、一つずつ、本人へ返していった。地味で、遅くて、気の遠くなる作業だった。けれど、それしかなかった。記憶をばらばらにしないために。誰のものか、分からなくしないために。
*
そのとき。
炉の向こう側から、黒錆がせり上がってきた。
蝕鎧卿の機体。けれど、その装甲は、昨日よりひどくひび割れていた。汚染が、自分自身を蝕み始めている。誓気を腐らせる術が、今度は術者の機体を腐らせていた。
「カイ」黒錆の奥から、声がした。あの懐かしい声。けれど、もう、ほとんど機械のように軋んでいた。「お前か。やはり、来たな」
「師匠」カイは立ち上がった。
「他の卿は、もう終わりだ」蝕鎧卿は軋んだ。「互いを食い合って、崩れていく。私も同じだ。黒錆が、私を内側から腐らせている。――だが、その前に。お前をこちらへ連れていく。お前の四ツ辻号ごと。私の、最後の燃料に」
黒錆の汚染が、四ツ辻号へ伸びてきた。黒い錆が、装甲を這い上がる。
「玄弥」カイは言った。低く。けれど、まっすぐに。「炉は、頼む。これは、おれの決着だ。昨日、約束した。次に会ったら、止めるって。――今、やる」
「分かった。行け、カイ。俺はここで名前を呼び続ける。お前の背中、見えてるから」
カイは四ツ辻号に駆け戻った。
操縦槽に入って、整備腕を伸ばす。けれど斬らなかった。殴らなかった。黒錆の装甲を組み伏せて、その継ぎ目に、もう一度、指を差し込んだ。汚染を断つために。直すために。
「師匠。あんた、昨日、言ったよな。戻る場所など、ない、って。――嘘だ。あるよ」
「ない」蝕鎧卿がうめいた。「私はお前を裏切った。お前の機体を奪った。お前の家族の記憶を――いや。それも、私が奪わせたのかもしれぬ。もう、覚えていない。私は汚れすぎた。今さら、戻れぬ」
「家族の、記憶」カイの手が、一瞬、止まった。
けれど、すぐにまた動かした。今度は、もっと丁寧に。
「もし、それが本当でも」カイは言った。声が震えた。「おれは、あんたを斬らない。――おれ、ずっと恨んでた。あんたを。家族を奪われて。機体を奪われて。難民になって。なのに。それでも、おれが今、機体を組めるのは、あんたが最初に工具を握らせてくれたからだ。その手の温かさだけは。奪われても、覚えてた」
黒錆の装甲が、軋んだ。
「だから」カイは続けた。整備腕を、奥へ、奥へと進めながら。「あんたの誓気の回路、組み替える。腐ったとこ、ぜんぶ。元に戻す。――あんたが、人を汚染する側じゃなくて。鎧巨兵を誰よりも知ってた、整備長に。戻れるように」
「やめろ」蝕鎧卿が叫んだ。「やめろ。私を許すな。私は」
「許してない。ただ、止めるだけだ。あんたが、これ以上、自分を腐らせるのを。――それだけだ」
カイの指が、黒錆のいちばん奥の回路に届いた。
誓気を腐らせる術の中心。そこを、カイは、教わった手つきで組み替えた。逆につながれていた回路を、正しい向きに。一本、また一本。腐った誓気がほどけて、流れを変えていった。
黒錆の装甲から、黒い錆が、剥がれ落ち始めた。
「これは」蝕鎧卿の声が、揺れた。「お前。私の機体を、直しているのか。汚染を、解いて」
「ああ。斬るより難しい。でも、おれの本業だ。整備士だからな。――師匠に、教わった」
黒錆の汚染が、止まった。
完全には戻らなかった。蝕鎧卿の心まで救えたわけでもなかった。けれど、機体を腐らせ、他者を汚染する、その連鎖だけは、カイの手で断たれた。黒錆はもう、誰も汚染できなかった。
「カイ」蝕鎧卿がつぶやいた。最後に。機械の軋みが消えて、ただの人間の声になって。「お前は。私より、ずっと、いい整備士だ。――組んだな。あんな機体を。四つの国の部品で。私には、できなかった」
黒錆が、ゆっくりと崩れ落ちた。汚染を断たれて。けれど、化け物としてではなく。ただの古い機体として。その操縦槽の中で、蝕鎧卿が目を閉じた。最後まで、許しは求めなかった。ただ、カイの組んだ機体を見つめて、静かに、力を失った。
カイは操縦槽の中で、声を押し殺して泣いた。油の手のひらで、何度も顔をこすった。
「終わった。玄弥。終わったよ。おれ、斬らなかった。直した。――それで、よかったのかな」
「よかった」玄弥は炉のそばから言った。自分も、目をこすって。「それが、お前の決着だ。誰にも、文句、言わせない」
*
炉の火が、だんだん小さくなっていく。
玄弥は呼び続けた。一人ずつ。名前を返して。
『先輩。その調子です。炉の火が、弱まってます。逆算式、合ってます。あと、半分』
「灯里。そっちは、大丈夫か」
『大丈夫じゃ、ないです』灯里の声が笑った。『手が、つりそう。澪さん、ずっと先輩の名前、呼びっぱなしで、声、かれてます。凪人くん、絵、描きすぎて、指、真っ黒。――でも、やめません。最後まで』
玄弥の喉の奥が、ぎゅっとなった。
「ありがとな」玄弥はつぶやいた。「みんな。ほんと、ありがとな」
二人は呼び続けた。
炉の火が、消えていく。転送門が開くのをやめて、少しずつ閉じていく。何万もの記憶が、本人のもとへ帰っていく。眠ったまま歩いていた人々が、次々と立ち止まり、われに返り、家へ引き返していく。
そして、最後の一人の記憶を返したとき。
炉の火が、消えた。ふっと。
巨大な転送門が、力を失って、崩れ落ちた。
「止まった。止まったぞ、玄弥」カイが、深く息を吐いた。
「ああ。みんなを燃料にするの。止めた」
炉のまわりで、七禍卿が倒れていた。お互いを食い合って、最後には、ほとんど誰も残らなかった。けれど――それぞれの最期に、昨日、因縁の相手に突きつけられた言葉が、確かに刻まれていた。奪名卿は、呼び返された名をつぶやきながら。屍兵卿は、二度殺した戦友を悔いながら。断界卿は、守る術を思い出しかけて。呪森卿は、最後まで嗤いながら、けれどその嗤いの底に、何かを残して。転跳卿は、航路を間違えた漕ぎ手のように。視淵卿は、初めて今を見つめて。蝕鎧卿は、弟子の手で汚染を解かれて。
守るものを持たなかった者たちの、末路だった。
けれど、誰一人、無名のまま消えたのではなかった。最後に、それぞれの因縁の相手が、一人ずつ、決着の手を置いていった。だから、彼らは、ただの化け物としてではなく、踏み外した人間として、崩れていった。
「黒冠魔導団は、崩壊した」アヴァロンが、後から塔へ入ってきて、つぶやいた。「――けれど。玄弥どの。これで、終わりではない」
「ああ」玄弥は立ち上がった。
嫌な予感が、背中を這い上がってきた。炉の火は消えた。でも――吸い上げられた記憶のぜんぶが、本人に戻ったわけではなかった。一部の記憶が、炉から別のほうへ流れていく。地下の脈を通って、魔王城のいちばん奥へ。
「これ。どこへ、流れてる」玄弥はつぶやいた。
『先輩』灯里の声が、ふるえた。『まずいです。炉が止まる前に、吸い上げた記憶の一部が、もう流れ出てます。魔王城の中心へ。――王級鎧巨兵へ』
「王級鎧巨兵」玄弥は剣を握る手に力をこめた。
『はい。黒冠魔導団が最後に奪った記憶が、ぜんぶ、魔王の王級鎧巨兵に注ぎ込まれてます。あれが――何か、とんでもないものになろうとしてます』
地響きが、した。
魔導塔が揺れた。骨の城のいちばん奥で、何かが膨れ上がっていく気配がした。玄弥は塔の窓から、外を見た。
魔王城が、動いていた。
黒い骨の城壁が、ぐにゃりとねじれて、生き物のように膨らんで、せり上がって、空へ伸びていく。何万もの記憶を飲み込んで、城そのものが、巨大な何かに変わろうとしていた。
「カイ。逃げるぞ。ここにいたら、巻き込まれる」
二人は四ツ辻号に乗って、塔を駆け上がった。
外へ飛び出したとき、空が暗くなった。
見上げると――魔王城が、空を覆うほどの巨体になって、そびえていた。何本もの腕。骨の翼。胸には無数の操縦槽。そして、そのいちばん上に。黒い王冠をいただいた頭部が、四王国の空をぜんぶ覆い隠すほどの影になって。
「あれが」玄弥はつぶやいた。声が震えた。「王級鎧巨兵。――世界を、呑む気だ」
『玄弥』エクスが唸った。『黒冠魔導団は崩れた。だが――その骸の上に、もっと大きな化け物が立ち上がった。あれが最後の敵だ。名を忘れた、楔の。いちばん深い絶望が、形になったものだ』
玄弥はエクスカリバーを握りしめた。
空を覆う巨大な影を見上げて。その奥に、たった一人の、名もない人間がいることを、思いながら。
読んでくださり、ありがとうございます。
黒冠魔導団の最期を描きました。この軍団がいちばん恐ろしいのは、武力ではなく、人を材料として扱うところです。だから最後も、互いを食い合って自滅する。忠誠でなく欲望だけで結ばれた者たちの、当然の結末として書きました。守るものを持たない強さは、いちばんもろい。それが言いたかったことです。
ただ、自滅させて終わり、では敵役の決算が弱い――そう思い直して、今回は、七人それぞれの最期に「因縁の相手がつけた決着の一手」を先に置きました。前章で突きつけた言葉が、一人ずつの心の底に刺さって、それを消そうとして余計に崩れていく。奪名卿は呼び返された名を、屍兵卿は二度殺した戦友を、断界卿は守る術を、思い出しながら倒れる。無名のまま消える者を、一人も出したくなかったのです。
中でも厚く書いたのは、蝕鎧卿とカイの決着でした。師に裏切られ、機体も家族の記憶も奪われた少年が、その師を斬らずに「直す」。整備の腕で、黒錆の汚染を内側から組み替えて止める。許しは求めず、ただ連鎖を断つ。この物語の戦い方の、いちばん難しい形を、カイに託しました。
対して、三島の四人と玄弥の戦い方も、変わりません。記憶炉を、ただ壊さない。一人ずつ名前を呼んで、本人へ返しながら止める。ミレナ、ヨナ……名前を一つずつ書いたのは、数字ではなく一人ひとりの暮らしなのだと、忘れたくなかったからです。
けれど、奪われた記憶の一部は、本人に戻りきらず、魔王の王級鎧巨兵へ流れ込んでしまう。次章、空を覆うほどの異形が立ち上がります。




