第55章 四つの旗の下
玄弥が生きて戻った。その報せが、退きかけた四王国軍を押しとどめます。中立都市の広場に、ついに四人の王が、自分たちの足で集まります。敗北をくぐって、彼らがようやくたどり着いた答え。そして、玄弥はもう一度、総大将の座を断ります。
玄弥が、生きて戻った。
その報せが、退きかけていた四王国軍を、押しとどめた。剣がよみがえった。継承者が魔王城から生還した。――そのたった一つの事実が、ばらばらにほどけかけた糸を、もう一度、結び始めた。
中立都市の広場に、四王が集まった。使者ではなく。今度は、王たち自身が。アルディアの王。グランヴェルの王。セレノアの王――いや、もう国を失った、難民の長。レイグラスの王。四つの旗が、風にはためいていた。白角。鋼壁。翡翠翼。蒼帆。
けれど、その表情は、どれも重かった。
敗北のあとだった。アルディアの外城は落ちた。グランヴェルの炉は止まった。セレノアの湖は黒く染まった。レイグラスの主力船は沈んだ。四王国とも、もう後がなかった。
玄弥は、広場の隅に立っていた。
まだ、本調子ではない。記憶は半分も戻っていない。それでもエクスカリバーは、玄弥の手にあった。光を取り戻して。ガレスが、アヴァロンが、カイが、そばにいた。
最初に口を開いたのは、グランヴェルの王だった。岩のような体格の、老王。
「我は」王は言った。声が低かった。「自国を守ることだけを、考えていた。鋼壁重騎団を、国境から動かさなかった。他国が攻められても、連合に加わらなかった。――それが賢いと思っていた。だが」
王は、玄弥のほうを見た。
「それが、間違いだった」王は続けた。「我が動かなかったから、アルディアの外城が落ちた。アルディアが落ちたから、次は我が国の番だ。一つずつ、各個に滅ぼされていく。四つに分かれた心では――一つの王冠に勝てない。魔王の言ったとおりだった。認めるのは、悔しいが」
ほかの王たちが、うつむいた。
誰も、言い返せなかった。みんな、同じことをしていた。自国だけを守ろうとして、隣国を見捨てて。その結果、全部の王国が、危険にさらされた。
「我も」レイグラスの王が、扇を握りしめた。「艦隊の半分が寝返ったのは、我が孤立を選んだからだ。連合に加わらず、交易だけを守ろうとした。――民は、見ていた。王が、誰とも手を組まないのを。だから提督は思ったのだ。この国はいずれ、ひとりで滅ぶ、と。寝返りは、提督の罪ではない。我の孤立が、生んだものだ」
「セレノアは」難民の長が、静かに言った。「もう、失うものがないと思っていた。土地も、森も、ぜんぶ焼かれた。だから連合に加わっても、得るものはない、と。――だが、ちがった。失うものがないからこそ、我らはいちばん自由に、誰かのために動ける。守るべき土地がないなら、守るべきは、人だ。それに気づくのが、遅すぎた」
玄弥は、その言葉を聞いていた。喉の奥が、つまった。誰かに責められたからじゃない。王たちは、自分で気づいて、自分の言葉で、過ちを口にしていた。命令されてつながるより、ずっと強いものが、そこにあった。
「指揮権を」アルディアの王が、ぽつりと言った。「我が国の指揮権を、共同の評議会へ預ける。白角騎士団を、誰かの下に置くのではない。みんなの評議会の下に、置く。――それなら、誰も、誰かの下につくことには、ならぬ」
「グランヴェルも」老王がうなずいた。「鋼壁重騎団を、評議会へ預ける」
「セレノアも」難民の長が言った。「翡翠翼騎団を。我らはもう、土地を持たぬ。だが――まだ、翼は残っている。それを、みんなのために使おう」
「レイグラスも」最後に、王が言った。扇をたたんで。「蒼帆魔導艦隊を、預ける。一度、半分を失った艦隊だ。けれど、残った半分で、できることがあるなら」
四つの旗が、ひとつの作戦図のまわりに集まった。
「玄弥どの」アルディアの王が、玄弥を呼んだ。
「きみに、頼みがある」王は言った。「この連合の、総大将になってくれないか。聖剣の継承者として。魔王城から生還した英雄として。きみが上に立てば、誰も文句は言うまい」
広場の視線が、玄弥に集まった。
玄弥は、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと首を振った。
「ありがとう」玄弥は言った。「でも、断ります」
王たちが、目を見開いた。
「また、それか」グランヴェルの王が苦笑した。「会議で、使者が頼んだときも、断ったと聞いた。なぜだ。きみが率いれば、すべてまとまるのに」
「まとまらないからです」玄弥は言った。「俺が上に立ったら。それは連合じゃない。俺の軍です。俺が決めて、俺が号令をかけて、みんなはついてくるだけ。――それ、前と同じだ。一人にぜんぶ背負わせる。誰か一人を、楔にする。俺、それを止めたいんです」
玄弥は、四つの旗を見回した。
「この連合は」玄弥は続けた。「みんなが、自分で選んだものだ。グランヴェルの王様が。アルディアの王様が。セレノアの長が。レイグラスの王様が。それぞれ、自分で決めた。指揮権を預けるって。誰かに命令されたんじゃない。自分で選んだ。――だから、これは本物の連合だ。俺が頭にいなくても、みんなが自分の意志で、肩を貸し合ってる。それが、いちばん強い」
「だが、誰かがまとめねば」レイグラスの王が言った。
「まとめるんじゃなくて」玄弥は言った。「みんなで決めるんです。評議会で。意見が割れたら、とことん話す。時間がかかっても。地味でも。――俺はただ、みんなの隣に立つ。剣で、鎖を断つ。捕虜を助ける。それが、俺の役目だ。総大将じゃ、ない」
王たちは、しばらく玄弥を見ていた。
それから、ひとり、また、ひとり、と。深くうなずいた。子どもの言葉に。けれど、その奥にある、確かな芯に。
「いいだろう」アルディアの王が言った。「評議会で決める。誰も頭に立たぬ、連合だ。――歴史上、初めてかもしれぬ。だが、やってみよう」
そのころ。広場の隅で。
カイが、何かを組み立てていた。
四つの王国の鎧巨兵の部品を、集めて。アルディアの白い装甲。グランヴェルの重い盾。セレノアの軽い翼。レイグラスの魔導の砲。バラバラの規格を、カイが慣れた手つきでつなぎ合わせていた。何日も、寝ずに。目の下には、くまができていた。
「カイ」玄弥が近づいた。「それ、何だ」
「見て分からないのか」カイが、油まみれの顔で言った。「鎧巨兵だ。四つの王国の部品で、作った」
「四つの部品で」玄弥は組み上がりかけた機体を見上げた。「規格、ぜんぶちがうだろ。よく、つながったな」
「苦労した」カイはぶっきらぼうに言った。けれど、その目は、どこか誇らしげだった。「アルディアの関節に、グランヴェルの盾をつけたら、重すぎて動かなくなる。だから、セレノアの軽い骨組みを、間に入れた。レイグラスの砲は反動がでかいから、グランヴェルの土台で支えた。――一つの国の部品じゃ、できない。四つ、ぜんぶ、いる」
カイは立ち上がって、完成した機体を見上げた。
白く。重く。軽やかで。遠くまで届く。四つの王国のいいところを、ぜんぶ集めた機体。けれど――どの国の紋章も、ついていなかった。
「どこの国の機体でも、ない」カイは言った。「白角でも、鋼壁でも、翡翠翼でも、蒼帆でも、ない。ぜんぶでできてるけど、どこにも属してない。――おまえみたいな、機体だ」
「俺みたい?」玄弥は笑った。
「ああ」カイは、ふい、と顔をそむけた。「どこの国の勇者でもない。誰の下にもつかない。でも、みんなの隣に立つ。――そういう機体が、いるって思ったんだ。連合には」
玄弥は、その機体を見上げた。指先で、白い装甲に触れる。四つの王国の部品をつないで、どこにも属さない機体を、カイが作った。それは、形になった連合そのものに見えた。
「すげえよ、カイ」玄弥は言った。「お前、すげえ」
「うるさい」カイはぼそりと言った。「整備しか能がないんだ。剣しか能がない、お前と同じだ。――だから、組んだ。お前の剣と、おれの機体で。連合の先頭を、行く」
玄弥は、笑った。
それから、ふと、その機体をもう一度、見上げて言った。
「名前、つけようぜ。こいつに」
「名前?」カイが眉を寄せた。「機体に名前なんか。アルディアじゃ、番号で呼ぶ」
「番号じゃ、寂しいだろ」玄弥は、白い装甲に手を当てた。冷たくて、けれど、どこか生きているみたいに、脈打っている気がした。「四つの国の部品が、ここで出会って、一つになった。……俺の町に、交差点があるんだ。四つの道が出会う、ど真ん中に。剣が刺さってた、場所。そこを――四ツ辻、って呼ぶ」
「よつつじ」カイが、たどたどしく繰り返した。
「四つの辻。四つの道。四つの国」玄弥は笑った。「ぴったりだろ。こいつ、四ツ辻号、だ。どこにも属さないで、ぜんぶの真ん中に立つ。――俺たちが、いちばん帰りたい場所の、名前だ」
カイは、しばらく黙っていた。それから、油まみれの手の甲で、鼻をこすって。
「……悪く、ない」ぼそりと言った。耳が、赤かった。「四ツ辻。覚えとく」
そして玄弥は、エクスへ、心の中でつぶやいた。聞こえたか、と。エクスが、かすれた声で答えた。『ああ。聞こえている。――いい相棒を持ったな、玄弥。剣と、機体と。二つ、揃った』
「言っとくけど」カイが、四ツ辻号の操縦槽を、ぽんと叩いた。「こいつ、一人じゃ動かないからな。おれが中に入って、内から誓気を流す。お前が外で、剣を振る。二つの想いが揃って、初めて動く。――おれは、これを、二人乗りの誓気、って呼んでる」
「一人で背負わない、機体か」玄弥はつぶやいた。
「そういうことだ」カイはぶっきらぼうに言った。「お前の口癖、借りただけだ」
玄弥は、笑った。それから、なんだか目の奥がじんとして、あわてて空を見上げた。泣くような場面じゃない。整備の話をしているだけなのに。一人を、楔にしない。それを、機体のかたちで言い返された気がした。
四つの旗の下で。
白角騎士団が。鋼壁重騎団が。翡翠翼騎団が。蒼帆魔導艦隊が。一つの作戦図を囲んだ。
「最終作戦だ」アヴァロンが地図を指した。「七禍卿の、七つの禁術拠点。転送。呪詛。記憶改変。死者の兵士化。鎧巨兵の汚染。未来視。結界破壊。――これを、同時に落とす。一つでも残れば、また術が再生する。だから、七つ、いっぺんに」
「同時に、七つ」ガレスがうなずいた。「四王国、すべての力がいる。一つの軍では、できぬ」
「無茶だ」鋼壁の将が唸った。「七つ同時など。兵を七つに割れば、どこも薄くなる」
「割るんじゃない」アヴァロンが首を振った。「混ぜるのだ。白角の速さと。鋼壁の堅さと。翡翠翼の翼と。蒼帆の砲を。一つの隊に混ぜて、七つ作る。どの隊も、四つの王国の力を持つ。――それなら、薄くは、ならぬ」
「ガレスが、一つ」玄弥は言った。「アヴァロンが、一つ。カイが、一つ。混成の隊を率いる。国じゃなくて、人が率いるんだ。――やろう。みんなで。一人も楔にしないで。一つも見捨てないで。七つ、ぜんぶ、落とす」
風が、四つの旗をはためかせた。
白角。鋼壁。翡翠翼。蒼帆。
四つの色が、同じ空の下で、初めて、ひとつの方向を向いていた。
その夜。玄弥は、ひとり丘に登った。
赤い雲海の隙間から、青白い星がこぼれて見えた。三島では見たことのない星。けれど玄弥は、ふと、思い出した。星を数える子のことを。大河。あの子は今、三島に戻っている。けれど、向こうにはまだ、たくさんの人が残されたままだ。大河は今夜も、こちらで眠りながら、向こうの星を数えているだろうか。
「大河」玄弥はつぶやいた。「お前は戻れた。けど、迎えに行くって約束は、まだ半分しか果たせてない。向こうに残ってるみんなのこと。ごめんな。でも――もうすぐだ。連合ができた。みんなで戦える。七つの禍を落とせば、きっと等価交換もほどける。みんなを戻せる。だから――もう少しだけ、待っててくれ」
風が、丘を渡った。
玄弥はエクスカリバーを地面に立てて、その柄に額を預けた。
「エクス」玄弥は言った。「俺、記憶、まだ半分しか戻ってない。澪の顔も、ぼんやりしてる。なのに。なんで、こんなに前に進めるんだろうな」
『お前が』エクスが答えた。『芯をなくしていないからだ。記憶は欠けても、誰かの隣に立つという選択は、お前のいちばん深いところにある。それは消えない。だから、お前は歩ける』
「そっか」玄弥は笑った。「なら、いいや。記憶は、また戻る。城壁みたいに。みんなが、語ってくれれば」
玄弥は、立ち上がった。
赤い雲海のずっと向こう。三島の交差点で。澪が、灯里が、凪人が、大河が、声を送り続けている。その、みんなの隣に立つために。
「行こう」玄弥はエクスカリバーを握った。「最後の、戦いだ」
四つの旗の下で。
名前を思い出した勇者と、どこにも属さない機体と、四つの軍団が、同時に動き出した。七つの禍を、断つために。
読んでくださり、ありがとうございます。
第三部「転」の、締めくくりの回です。第45章では言葉だけでは届かなかった連合が、ここでようやく形になります。ただし、玄弥が口説き落としたからではありません。四人の王が、自分の過ちを、自分の言葉で認めたから。命令されてつながるより、自分で選んでつながるほうが、ずっと強い――この物語がずっと言いたかったことを、王たちの口から語ってもらいました。
玄弥が三度目の総大将を断るのも、ぶれません。彼が頭に立てば、それは連合ではなく彼の軍になる。一人を楔にしないために、みんなが少しずつ責任を引き受ける。それが芯です。
そしてカイ。人を信じることをやめた少年が、四つの王国の部品をつないで、どこにも属さない鎧巨兵を作る。これは連合そのものが形になったものであり、玄弥自身の姿でもあります。「おまえみたいな機体だ」――カイのこの一言が、私はいちばん書きたかった台詞かもしれません。
四つの旗が、同じ空の下でひとつの方向を向く。次の第四部「結」、いよいよ七禍卿との最終決戦が始まります。そして物語は、はじまりの交差点へ、ゆっくりと帰っていきます。




