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エクスカリバーが交差点の真ん中にささってるんだが…  作者: 源三郎


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第52章 楔だった王

アヴァロンの一族に伝わる最古の記録と、境界獣の森の壁画。二つが、ひとつの真実を語り始めます。魔王は、はじめから魔王だったのではない。かつて二つの世界を救うため、自ら楔になった、ひとりの名もない人間だった。その名を、人々は忘れました。


 アルディアの外城は、落ちた。


 けれど玄弥は、生きて仲間のもとへ戻った。澪の声が、剣の光を取り戻させた。それだけが、敗北の中の、たった一つの灯りだった。


 退いた先の岩窟に、玄弥たちは身を寄せ合っていた。傷ついた白角騎士団の生き残り。修理しきれない鎧巨兵。岩肌からは水が一滴ずつ滴っていて、その音だけが、やけに大きく響いていた。カイは機体の足もとで、油まみれになってねじを締めている。さっきから同じねじを何度も締め直しているのは、たぶん、手を止めると、いろんなことを考えてしまうからだ。ガレスは剣を研いでいた。アヴァロンは――一族の巻物を広げて、さっきからずっと、何かを読みふけっている。


「アヴァロン」玄弥は声をかけた。「ずっとそれ、読んでるな。何が書いてあるんだ」


 アヴァロンは、すぐには答えなかった。


 長い沈黙のあとで、やっと顔を上げる。その顔は、いつもの冷静な記録係の顔ではなかった。何か、信じられないものを見てしまったような。青ざめた顔だった。


「我が一族の、最古の記録だ」アヴァロンは言った。声が、低い。「アヴァロンの名は、代々、聖剣の記録係として受け継がれてきた。そのいちばん古い記録に――書いてあった。最初の楔のことが」


「最初の、楔」玄弥は身を乗り出した。「あの壁画の。境界獣の森の。両手を広げて、二つの世界を支えてた、人」


「そうだ」アヴァロンはうなずいた。「あの壁画と、この記録は、同じことを語っている。聞いてくれ、玄弥。これは、お前が知らねばならぬことだ。たぶん――いちばん、つらいことだが」


 玄弥は巻物を覗き込んだ。


 古い文字が、びっしりと並んでいる。玄弥には読めない。みみずがのたくったような、と思いかけて、こんなときに何を考えてるんだ、と自分で打ち消した。けれどアヴァロンが、それを声に出して語り始めた。岩窟の火明かりの中で。みんなが手を止めて、聞き入った。


 むかし、むかし。


 二つの世界が近づきすぎて、ぶつかりかけたときがあった。今と、同じだ。境界が薄れ、記憶鉱の脈が暴れ、二つの世界が互いを飲み込もうとしていた。両方の世界で、何百万もの命が消えかけていた。


 そのとき、ひとりの人間が立ち上がった。


 名もない、ふつうの男だった。英雄でも王でもない。ただ、目の前で苦しむ人々を見ていられなかった、それだけの男。彼は聖剣を手に取り、二つの世界の境目へ行った。そして自ら――楔になった。


「楔になるって」玄弥はつぶやいた。喉が、からからだった。「俺と、同じ」


「お前と同じだ」アヴァロンは静かに言った。「彼は二つの世界のあいだに、たった一人で立ち続けた。両手を広げて。世界がぶつからないように。自分の体で支え続けた。何年も。何十年も。――やがて二つの世界は安定し、離れていった。人々は救われた。彼のおかげで」


「じゃあ」カイが、ねじを回す手を止めた。「その人は英雄じゃないか。世界を救った」


「そうだ」アヴァロンは目を伏せた。「だが――人々は、彼を忘れた」


 岩窟が、しんと静まった。


「世界が救われたあと」アヴァロンは続けた。「人々は、日々の暮らしに戻った。畑を耕し、子を育て、市を開いた。笑い、泣き、生きていった。――楔になった男のことなど、誰も思い出さなかった。彼がいるおかげで、二つの世界がぶつからずにすんでいることを。誰も覚えていなかった。彼の名前すら、次第に、誰も口にしなくなった」


 玄弥は、こぶしを握った。


「彼は」アヴァロンの声が震えた。「境界のあいだで、たった一人で立ち続けた。何百年も。誰にも覚えられないまま。誰にも礼を言われないまま。最初は、人々を守れたことが、うれしかっただろう。けれど――誰も覚えていない。自分が何をしたのか。自分が誰なのか。やがて、彼自身も自分の名前を忘れた。なぜここに立っているのかも。覚えているのは、ただ孤独と――」


「誰も救えなかった、っていう、記憶だけ」玄弥がつぶやいた。


「なんで、分かる」アヴァロンが、ゆっくりと玄弥を見た。


「分かるよ」玄弥は苦く笑った。「俺も楔だから。守れたはずなのに。みんなを帰せたはずなのに。それでも、置いてきた一人のことが、忘れられない。大河のことが。守れた何百人より、守れなかった一人のほうが、ずっと重いんだ。胸に。――きっとその人も、そうだったんだ。何百万人救っても。たった一人、救えなかった人のことだけが、残った」


 アヴァロンは、巻物の最後の一行を指さした。


「その孤独と」アヴァロンは言った。「『誰も救えなかった』という、ねじれた記憶だけが。何百年も積み重なって。彼の心を塗りつぶした。あたたかい記憶は、ぜんぶ忘れた。残ったのは、苦しみだけ。そして――それが固まって、黒い王冠になった。彼は、楔である自分を憎み始めた。守った人々を、恨み始めた。なぜ誰も覚えてくれないのか、と。なぜ自分だけが、と」


「それが」玄弥は、口の中が乾くのを感じた。「魔王」


「そうだ」アヴァロンは静かにうなずいた。「魔王は、もとは人間だった。世界を救うために楔になった、ひとりの人間。名を忘れられ、孤独に塗りつぶされた。それが――黒い王冠と、魔王軍を生んだ」


 火が、ぱちりと爆ぜた。火の粉が一つ、ふわっと舞って、すぐ消えた。


 誰も、しばらく口をきかなかった。研ぎ石をすべる音も、ねじを締める音も、いつのまにか止まっていた。みんな、聞いていたのだ。


 玄弥は思い出した。ずっと前。三島の交差点で境界が閉じるとき、魔王が叫んだ言葉を。自由になどなりたくない。私は楔のままでいたいのだ、と。あのとき、玄弥にはその意味が分からなかった。なぜ、好きこのんで、孤独な楔のままでいたいのか。


 今なら、分かる。


 楔をやめれば、彼を覚えている人は、本当に誰もいなくなる。楔であることだけが、たった一つ、彼が何者かでいられるよすがだった。孤独でも。憎しみに満ちていても。それだけが、彼に残された、自分だった。


「魔王が」玄弥はぽつりと言った。「あの時。エクスカリバーは、かつて自分を選んだ剣だ、って言ってた。あれ、本当だったんだ。最初に聖剣を握って、楔になったのが、あいつだったから」


『……そうだ』


 エクスが、初めて口を開いた。かすれた声で。けれど、何かを思い出すように。


『すまない、玄弥。私も――忘れていた。私を最初に握った者のことを。あれは、いい男だった。やさしくて。臆病で。それでも、誰かのためなら、自分を投げ出せる男だった。お前に似ている。私はあの男を楔にした。そして、人々といっしょに――私も、あの男を忘れた。私すら、彼を覚えていてやれなかった』


 エクスの声が、ふるえた。


『私は問い続けてきた。汝、何を守る、と。歴代の継承者に。だが、私自身がいちばん、守れなかった。最初の継承者を。彼が楔になって立ち続けるあいだ。私は別の誰かの手に、渡っていった。彼を置き去りにして。――そのことを、私は長いあいだ、忘れていた』


 玄弥はエクスカリバーを、両手で握った。なぐさめるように。


「お前のせいじゃ、ないよ」玄弥は言った。「お前も覚えてられなかった。それも、つらかったろ」


 そのとき、岩窟の入り口で、兵士のひとりが立ち上がった。白角騎士団の、若い兵士。腕に包帯を巻いている。外城で家族を亡くした兵士だった。


「待ってくれ」兵士は声を震わせた。「あんたたちの話を、聞いていた。魔王は、もとは人間で。孤独で。気の毒な楔だった、と。――だから、なんだ。だから、俺たちはどうすればいい」


「それは」玄弥は言葉に詰まった。


「俺の弟は」兵士は目を真っ赤にして言った。「外城で死んだ。黒殻騎に。まだ十二だった。母も術で記憶を消されて、自分の息子の顔も分からなくなった。――それをやったのは、魔王軍だ。魔王の命令だ。それが、もとは気の毒な人間だったから、なんだ。だから許せって、言うのか。あんたは」


 玄弥は、何も言えなかった。何か言わなきゃ、と口を開きかけて、けれど、何を言っても薄っぺらくなる気がして、また閉じた。


 兵士の言葉は、正しかった。魔王がどれほど孤独だったとしても、今、現実に苦しんでいる人がいる。死んだ人がいる。気の毒だ、ですまされない痛みが。


「許せとは」アヴァロンが静かに言った。「言っていない。ただ、知っておかねばならぬのだ。敵が何者なのかを。何があれを生んだのかを」


「同じことだ」兵士は首を振った。「気の毒だと知ったら、剣が鈍る。俺は弟の仇を討ちたい。それの何が悪い」


 兵士は岩窟の奥へ、消えていった。


 カイが、油まみれの手を止めたまま、玄弥を見ていた。


「玄弥」カイは工具を握り直した。「おまえ。あの話を聞いて。魔王を――救おうとか、思ってるんじゃ、ないだろうな」


 玄弥は、答えなかった。


 けれど、その沈黙が、答えだった。


「やめろ」カイの声が固くなった。「おれの家族の記憶を奪ったのも、あいつだ。あいつの軍だ。おれは顔も思い出せない。母さんの歌が一節だけ。それしか残ってない。――それを奪ったやつを、おまえは救うって、言うのか」


「カイ」玄弥は顔を上げた。「俺は」


「言うなよ」カイは立ち上がった。工具を握りしめて。「言うな。聞きたくない。おまえはいつも、そうだ。怪物の奥に人がいる、とか。敵にも理由がある、とか。――それで、おれたちは何度も救われた。分かってる。でも、今度は別だ。魔王は別だ。あいつだけは、人を苦しめすぎた。救う価値なんか、ない」


 カイは、機体のほうへ歩いていった。


 玄弥は、その背中を見送った。呼び止めようとして、伸ばしかけた手を、結局、引っ込めた。


 言いたいことは、山ほどあった。けれど、言えなかった。カイの痛みも。あの兵士の痛みも。本物だったから。玄弥が魔王を救いたいと思うのと、同じくらい。彼らが魔王を憎むのも、本物だった。


「むずかしいな」玄弥は火を見つめた。腹の奥が、しくしくと痛んだ。緊張すると、いつもこうだ。三島にいたころ、テストの前も、こうなった。――こんなときに、なんでテストのことなんか。玄弥は小さく頭を振った。


「玄弥」アヴァロンが隣に座った。「お前は、どう思っている。正直に」


「分かんない」玄弥は正直に言った。「ただ。倒すだけじゃ、たぶん終わらないって、気がする。あいつを倒しても。また誰かが忘れられて。孤独になって。次の魔王になる。楔はずっと必要なんだろ。なら、いつか、また誰かが忘れられる。――それを止めないと。倒すだけじゃ、ぐるぐる回るだけだ」


「だが、犠牲者は許せぬ、と言う」


「うん」玄弥はうなずいた。「それも、分かる。すげえ、分かる。俺だって。大河を奪われたら。たぶん許せない。――だから、答えが出ないんだ。魔王を救いたいけど。みんなの痛みも無視できない。両方、本当だから」


 火が、ゆらいだ。誰かが、薪を一本、足した。ガレスだった。何も言わずに、また自分の場所へ戻っていく。


 玄弥は、膝を抱えた。子どもみたいに。膝小僧に、あごをのせる。こういう座り方を、母さんは行儀が悪いと言った。――母さんの顔は、まだ、ちゃんと思い出せる。それが、今は、ありがたかった。


「でも」玄弥はぽつりと言った。「ひとつだけ、決めた。あいつのこと。魔王、って呼ぶの、やめる」


「なぜ」


「だって」玄弥は言った。「名前が、あったはずだろ。楔になった人間の。みんなが忘れた名前が。誰も覚えてないなら。せめて俺だけでも、あいつをただの魔王じゃなくて、名前のあるひとりの人間として、見たい。――まだ名前は分からないけど。いつか、思い出してやる。城壁みたいに。みんなで語って」


 アヴァロンは、玄弥をじっと見た。


 それから、ふっと目を伏せて。


「お前は」アヴァロンは言った。「本当に、調子が狂う。誰もが剣を研いでいるときに。お前だけが、敵の名前を思い出そうとしている」


 岩窟の外では、赤い雲海が流れていた。そのどこか、いちばん奥に。名を忘れられた楔が、今もひとりきりで立っている。


 玄弥は、その楔の名前を、まだ知らない。けれど、心のどこかで感じていた。あの孤独を。あの痛みを。自分がいちばんよく知っている、ということを。


読んでくださり、ありがとうございます。

この物語のいちばん深い真実を、ようやく書く回でした。倒すべき敵が、実は自分とまったく同じ立場の人間だった――しかも、世界を救った英雄が、忘れられた末に魔王になった。玄弥がそれを「分かる」と言えるのは、彼自身が今、楔だからです。守れた何百人より、守れなかった一人が重い。その痛みを知っているからこそ、魔王の孤独が他人事ではない。

ただ、ここで安易に「だから許そう」とは書きませんでした。弟を亡くした兵士の怒り、家族の記憶を奪われたカイの拒絶――その痛みも、まったく同じだけ本物です。玄弥は答えを出せない。出せないまま、それでも「魔王と呼ぶのをやめる」と決める。名前を取り戻すことが、彼にとっての戦い方です。

黒冠魔導団が魔王を崇拝しているのではなく、魔王に集まる記憶を利用しているだけ、という構図も、ここで明かしました。次章、玄弥たちは魔王城への道で罠にかかります。そして――エクスカリバーを失う日が、来ます。

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ここまで読んでくださりありがとうございます!
玄弥たちが向き合うのは、倒すだけでは終わらない怪物たち。
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