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エクスカリバーが交差点の真ん中にささってるんだが…  作者: 源三郎


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第51章 三島からの声

空っぽになった交差点で、澪たちは、まだ声を送り続けています。灯里の対応表、凪人の絵、大河が数えた星、そして澪の「呼ぶ」力。四つが重なったとき、二つの世界に、細い細い通信路が開きます。戦場で名前すら忘れかけた玄弥に、その声は届くでしょうか。


 六月の、三島大社前の交差点。


 澪はその日も、白いチョークを握っていた。


 交差点のまんなか。エクスカリバーが刺さっていた跡。今ではただの、アスファルトの傷だ。剣は玄弥といっしょに、向こうへ行ってしまった。それでも、その跡だけは消えずに残っている。雨に打たれても。車に踏まれても、薄くならない。まるで、戻ってくる誰かを待っているみたいに、そこにあった。


 澪はしゃがんで、跡のまわりにぐるりと丸を描いた。チョークの粉が、指の腹についた。


「灯里」澪は振り向いた。「位置、合ってる?」


「ええと」灯里がタブレットを覗き込む。後輩だった彼女も、もう中学生になっていた。あれから背がずいぶん伸びて、声も少し低くなった。「合ってます。地下の記憶鉱の脈が、いちばん太いところ。凪人くんの描いた樹の、ちょうど根もとです」


「分かりにくいたとえ」澪は笑った。


「でも、当たってるんですよ」灯里はまじめな顔だった。「ここが、二つの世界のいちばん近い場所。三島が、唯一の中継点なんです。声を届けるなら、ここしかない」


 澪は立ち上がった。膝の裏が、しゃがみすぎて少し痛い。


 もう、何度目だろう。声を送る実験。玄弥が向こうへ行って、半年がたつ。連絡は一度も取れていない。ただ、ときどき夜中に、この跡がぼんやりと白く光ることがあった。地下の脈が、脈打つみたいに。それを見つけたのが灯里だった。だから四人は、ここに通い続けている。


「凪人」澪は呼んだ。「今日のは?」


 黒瀬凪人が、スケッチブックを広げて見せた。


 そこに描かれていたのは横断歩道だった。白いしま模様。けれど、ふつうの絵じゃない。白線の一本一本から、細い光の糸が地面へもぐり込んでいる。その糸が地下で束になって、どこか遠くへ、赤い空の下へ伸びていく。


「見えるんだ」凪人が鉛筆を止めて言った。「最近。ここに立つと、地面の下に光の道が。前より、はっきり」


「それ、向こうにつながってるってこと?」


「分からない」凪人は余白を見つめた。「でも、糸の先っぽがときどき引っぱられる。誰かが向こうから、たぐってるみたいに」


 澪はその絵を、じっと見た。


 胸がざわついた。たぐっている誰か。それがもし玄弥だったら。向こうで糸のこっち側を必死に探しているのが、あの寝坊助だったら。――そう思ったら、なんだか急に、駅前のたい焼きの匂いが鼻の奥に浮かんだ。なんでよりによって今、と自分でもおかしくなる。空腹のせいだ、たぶん。


「澪お姉ちゃん」


 交差点の向こうから、声がした。


 ランドセルを背負った小学生が、横断歩道を駆けてくる。石崎大河だった。半年前、玄弥たちが帰り際に開いた、ほんの短い「窓」。その隙間から、向こうへ落ちていたこの子が、転がるように戻ってきた。そのときの一度きりの綻びで、戻れたのは、大河だけだった。あとは、まだ向こうにいる。


「おそいよ、お姉ちゃん」大河は息を切らして、頬をふくらませた。「もう始めてると思った。ぼく、また星、数えてきたのに」


「あんたが遅刻でしょ」澪は大河の頭を、くしゃっと撫でた。「学校、終わってから来なさいって言ったの、誰よ」


「終わったもん」大河は唇をとがらせて、それから、得意げに胸を張った。「ねえ、今日のぶん。聞いて。きのうの夜、向こうの空、すっごくきれいで。お兄ちゃんと、見たやつと、おんなじ並び方だったんだ」


 大河は、夢の中で見るのだと言った。眠ると、向こうの赤い空が、まぶたの裏に広がる。そこで星を数えて、こちらで朝、その数を澪たちに伝える。半年のあいだ、ずっとそうしてきた。本人は、ただの夢だと笑う。けれど灯里は、それを夢で片づけなかった。大河は一度、向こうへ落ちた子だ。だから、向こうの脈と、まだ細い糸でつながっている――そう言って、大河の数える星を、合言葉に組み込んだのだった。


 澪はポケットから、一枚の紙を取り出した。皺だらけの、ノートの切れ端。大河の字で、数字がずらりと並んでいる。


「いーち、にー、さーん」澪はその数字を小声で読み上げた。「……これが、合言葉なんだよね」


「ええ」灯里がうなずく。「同じ星を、同じ数だけ数える。向こうとこちらで。それがぴたりと合えば、二つの世界のリズムがそろう。脈がつながる。理屈は、そうです。あとは――やってみるだけ」


「ぼくが数えてきた星だぞ」大河が、つま先立ちで胸を張った。「役に立つって、お姉ちゃんが言った」


「言ったよ。あんたの星が、いちばん大事」澪は笑った。


 大河は、満足そうに、跡のそばにしゃがんだ。チョークの丸を、指でなぞる。お兄ちゃんが刺してた剣の跡だよね、と小さくつぶやいて。その横顔が、半年前、向こうへ呼びかけたときと同じ目をしていて、澪は、何も言えなくなった。


 澪は深く息を吸った。


 夕暮れだった。交差点に、人通りはない。信号だけが、青から赤、赤から青へと、律儀に変わっていく。誰も渡らない横断歩道の上で。


「始めよう」澪は言った。


 四人は、跡を囲んで立った。


 灯里が対応表を開く。向こうの言葉とこちらの言葉。記憶鉱の脈の揺れ方と、星の数え方。半年がかりで作った、ぶ厚い表だ。凪人がスケッチブックを跡のまんなかに置いた。光の糸が地下へもぐる、あの絵を。大河が、自分の数えた星を、澪の肩越しにのぞき込む。そして――。


「あたしが」澪は言った。「呼ぶ」


 澪の役目は、それだった。


 ただ、名前を呼ぶこと。ずっと、そうだった。玄弥が記憶をなくしかけたとき、澪が名前を呼んで、つなぎ止めた。澪は玄弥にとっての定点だった。動かない、ひとつの点。そこに戻れば、玄弥は玄弥でいられる。澪はよほど深く三島に根を張っている、とアヴァロンが言っていた。根を張っている、なんて言われても、自分ではよく分からないのだけれど。


 澪は目を閉じた。


 跡に手のひらを当てる。アスファルトは、夕方のぬくもりをまだ残していた。地下の、ずっと深く。脈が流れている。記憶が川になって。その川のどこかに、玄弥がいる。


「玄弥」澪は呼んだ。「聞こえる? あたしだよ。澪だよ」


 返事はない。


 澪はもう一度、呼んだ。


「玄弥。伊勢崎玄弥。寝坊ばっかりの、馬鹿。――帰ってこいよ」


 灯里が対応表をめくる。凪人が絵に手を添える。大河が、星の数を、澪の声に重ねる。いーち、にー、さーん。声の高い、子どもの数え方で。四つの力が、ひとつの点で重なった。


 跡が、白く光り始めた。


 はじめは淡く。それから、だんだん強く。地下から脈がせり上がってくる。光の糸が束になって、跡のまんなかから立ち上る。ほんの細い糸。けれど確かに、こちらと向こうをつなぐ糸だった。


「つながってる」凪人が消しゴムのかすを払って、つぶやいた。「澪さん、その先。糸の向こうに、誰か、いる」


「お兄ちゃんだ」大河が、跡を覗き込んで、声をはずませた。「ぼく、分かる。向こうのにおいがする。お兄ちゃんだよ」


 澪は目を閉じたまま。ありったけの声で、呼んだ。


「玄弥――!」


      *


 同じころ。赤い荒野の戦場で。


 玄弥は、追い詰められていた。


 アルディアの外城が落ちた。七つの禍がいっせいに襲ってきて、四王国は初めて、はっきりと負けた。玄弥たちは境界獣の空路を使って、戦場から戦場へ駆け回った。けれど、すべては救えなかった。一つを守れば、もう一つが落ちる。手が足りなかった。それだけのことが、どうしようもなく、こたえた。


 今、玄弥は崩れた城壁の陰に、身を隠している。


 まわりを黒殻騎の群れが取り囲んでいた。十体。いや、もっといる。退路はない。カイの鎧巨兵は遠い。ガレスも、アヴァロンも、別の戦場だ。玄弥は、一人だった。


「エクス」玄弥は剣を握り直した。「いるか」


『……いる』エクスの声は、ひどくかすれていた。『だが玄弥、もう刃を保てるか分からん。私もお前も――限界だ』


「だよな」玄弥は笑おうとして、失敗した。口の端が引きつっただけだった。「俺さ、なんでここまで来たんだっけ。誰かを迎えに行くって言ったような気がするんだ。でも、もう、誰だったか。顔も。名前も」


 また、忘れていた。


 いつのまにか。剣を振るうたびに、記憶がこぼれ落ちていく。あの、星を数える子の声。あの女の子の名前。み、で始まる名前。それすら、もう出てこなかった。胸のまんなかに、ぽっかり穴が空いている。カイが言っていたのと、同じ穴だ。


 黒殻騎が、一歩、踏み込んできた。


 地面が揺れる。赤く光る継ぎ目。王冠に似た頭部。玄弥を嗅ぎつけて、命令のままに、記憶のひとかけらも残さず消すために。


「俺の名前は」玄弥はつぶやいた。「……伊勢崎玄弥。それだけは。それだけは覚えてる。でも、それも、いつまで」


 風が、変わった。


 玄弥の握るエクスカリバーの刃が、ほんのわずかに震えた。地面のずっと下。記憶鉱の脈の奥から。何か細い、糸のようなものがせり上がってくる。玄弥にしか感じられない揺れだった。


『これは』エクスの声が引き絞られた。『……声だ。誰かが――呼んでいる』


「声?」


 玄弥は刃に耳を寄せた。


 聞こえた。とても遠くから。途切れ途切れに。砂嵐の向こうから届くみたいに。けれど、確かに。誰かの声だった。


『……げん……や。……こ……える……?』


「……これ、誰だ」玄弥は、無意識に剣を抱え込んでいた。


『げん、や。……いせ、ざき、げんや。……ねぼう、ばっかりの、ばか』


 その言葉に、玄弥の胸の奥で、何かがぐらりと揺れた。


 寝坊ばっかりの、馬鹿。その言い方。叱るような、けれどあたたかい。何度も、何度も聞いた。耳にこびりついている。誰かが必ず、そう呼んだ。朝、玄弥が起きてこないとき。学校に遅れそうなとき。交差点で。信号待ちで。


 信号待ち。通学路。六月の曇り空。横断歩道の白いしま模様。隣に立つ、誰か。腕に擦り傷。乱れた髪。泣きながら叫んでいた。あんたの名前は伊勢崎玄弥、って。


 白く塗りつぶされていたその顔が、ゆっくりと色を取り戻していく。


「澪」玄弥はつぶやいた。「……澪、だ」


 その名前を口にした瞬間。胸の穴に、あたたかいものが流れ込んできた。失っていたはずの記憶が、一枚ずつ、雨上がりの紫陽花の花びらみたいに、舞い戻ってくる。三島。通学路。源兵衛川のせせらぎ。コンビニの白い光。そして、白石澪。幼なじみ。現実的で、すぐ怒って、それでもいつも、玄弥を玄弥のままつなぎ止めてくれた、定点。


『……げんや!』


 声が、はっきりと聞こえた。


『聞こえてる、よね! あたしだよ! 澪だよ! 帰ってこいよ、馬鹿!』


「澪」玄弥は剣を握りしめた。涙がこぼれた。ぬぐう間も惜しくて、そのままにした。「聞こえてる。聞こえてるよ。俺、お前の名前、忘れかけてた。ごめん。でも、思い出した。お前が呼んでくれたから」


 澪の声に、もうひとつ、小さな声が重なっていた。いーち、にー、さーん、と数える、子どもの声。聞き覚えのある、舌っ足らずの数え方。玄弥の胸の奥で、ふたつめの灯りがともった。


「大河」玄弥は震える声で言った。「……大河の、声だ。星、数えてる。あいつ、向こうから戻ったのか。澪のとこに、いるのか」


 エクスカリバーの刃が、白く光り始めた。


 半年ぶりだった。消えかけていた光が、戻ってくる。玄弥の思い出した記憶を燃料にして。澪の声を、芯にして。刃が力を取り戻していく。


『玄弥』エクスの声も、張りを取り戻していた。『お前の芯に、いちばん近い記憶が戻った。私は言ったな。匂い、音、光。それが、お前を連れ戻すと。澪どのの声が、それだったのだ』


「ああ」玄弥は立ち上がった。光る剣を構えて。「もう、忘れない。澪。みんな。大河。――そうだ、俺、大河を迎えに行くんだった。あいつは戻れた。けど、まだ向こうに、たくさん残ってる。星を数えて、待ってる。約束した」


 黒殻騎が、いっせいに襲いかかってきた。


 けれど、もう玄弥は怯えなかった。光るエクスカリバーを振るって、鎖だけを断つ。一体。また一体。黒い甲殻が割れて、中から記憶を削られた捕虜が転がり出てくる。玄弥はその誓気の縛りだけを斬って、解放していった。


 道が、開けた。


 玄弥は走った。崩れた城壁を抜けて、仲間のいるほうへ。


      *


 交差点で。澪が、目を開けた。


 跡の光が、すうっと収まっていく。けれど四人とも、感じていた。何かがつながった。確かに。ほんの一瞬。でも、声が届いた。


「届いた」凪人がスケッチブックを見て、鉛筆を置いた。「糸の向こうの誰かが、たぐり返してきた。――笑ってた。泣きながら」


「お兄ちゃん、聞こえたんだ」大河が、両手を跡について、顔を輝かせた。「ぼくの星も。数えたの、ちゃんと届いた。ね、お姉ちゃん」


「届いたよ。あんたのおかげ」澪は言った。確信を持って。「玄弥に届いたんだ」


 灯里が対応表に、何かを書き込んだ。手が震えていた。


「澪さん」灯里は顔を上げた。「この通信路、声を送るだけじゃありません。脈の揺れ方を見てください。これ、道です。細いけど、向こうへ続く道。たぶん、この道をたどれば、魔王城のいちばん奥まで行けます」


「魔王城」澪はつぶやいた。


「ええ」灯里はうなずいた。「玄弥さんが、いちばん行かなきゃならない場所へ。この声の道がつながってます。声が届くってことは、その先まで道があるってことだから」


 澪は、跡を見た。


 もう光っていない、ただの傷を。けれど、その向こうに。赤い空の下を走っている玄弥が、見える気がした。


「玄弥」澪はつぶやいた。「あたしたち、毎日ここにいるからね。声、送り続けるから。だから――迷ったら、こっち向いて。あたしがいるほうを。忘れたら、何度でも、呼ぶから」


「ぼくも、星、数えるから」大河が、跡に向かって、こっそり付け足した。「おそいよ、お兄ちゃん。早く、帰ってきてよ」


 夕暮れの交差点で。信号が、青に変わった。


 誰も渡らない横断歩道の白い線が、淡く光って見えた。地下を流れる記憶の川の、いちばん浅いところで。二つの世界が、確かに手をつないでいた。


 声が、届いた。


 それは剣より、ずっと細い糸だった。けれど、その糸をたどれば。きっと、いちばん奥まで行ける。名前を忘れた勇者を連れ戻す、ところまで。


読んでくださり、ありがとうございます。

今回は、ずっと現代に残っていた四人に、光を当てたかった回です。玄弥が向こうで戦っているあいだ、こちら側の澪たちは、何もできずに待っていたわけではありません。半年がかりで対応表を作り、絵を描き、星の数を合わせ、毎日、交差点に通っていた。派手な力ではない。地味で、遅くて、確かなもの。それが、剣の光を取り戻させます。

玄弥が思い出すのが「通学路」と「澪の名前」だというのが、この作品の芯です。最強の武器でも、必殺技でもなく、なんでもない信号待ちの記憶が、彼を彼に戻す。澪が定点であること、名前を呼んでつなぎ止めること――第一部からのモチーフを、今度は二つの世界をまたいで回収しました。

そして、声の道は同時に、魔王城へ続く唯一の入り口でもある。届いた声が、いちばん奥への道になる。次章、ついに魔王の正体――「楔だった王」の真実が明かされます。

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ここまで読んでくださりありがとうございます!
玄弥たちが向き合うのは、倒すだけでは終わらない怪物たち。
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