第43章 白角騎士団の帰還
たどり着いたアルディアの外城は、黒殻騎に囲まれていました。けれど城の中に、忘れていなかった顔が。ガレス。そしてアヴァロン。再会の喜びもつかのま、黒冠魔導団は城そのものを、人々の記憶から消そうとします。
赤い荒野を、二日駆けた。
カイの鎧巨兵は、よく走った。けれど、半年がかりで直した機体だ。あちこちが軋んで、ときどき止まっては、カイが降りて、油を差し、ねじを締め直した。玄弥も、見よう見まねで手伝った。最初は邪魔だと怒られた。けれど三度目には、カイが何も言わずに、工具を放ってよこすようになった。
「お前、不器用だな」カイが言った。
「悪かったな」玄弥は笑った。「俺、剣しか能がないんだ」
「その剣も、半分くらい使えないんだろ」
「うるさい」
言い返しながら、玄弥は内心、ちょっと笑っていた。けんかみたいな口のききかたなのに、不思議と、とげがない。軽口を叩き合うようになっていた。いつのまにか。並んで機体の足もとにしゃがんで、油まみれの手を布でぬぐう。それだけの時間が、なんだか妙に、悪くなかった。
三日目の朝。
地平線の向こうに、城が見えた。
骨の城じゃない。白い城壁。巨大な樹に抱かれた城。けれど――その周りを、黒い群れが取り囲んでいた。黒殻騎。何十体も。城をぐるりと包囲して。
「アルディア王国の外城だ」カイが操縦槽から言った。「白角騎士団の城。――包囲されてる。長くはもたないな」
「白角騎士団」玄弥は、その名前に何かを感じた。胸の奥がざわついた。「その騎士団、知ってる、気がする。誰か。誰だっけ」
『玄弥』エクスがかすれた声で言った。声が、また少し戻っていた。『その城には――お前の知る者が、いるかもしれん。行け。だが、油断はするな』
カイの鎧巨兵が、城へ向かって駆けた。
包囲する黒殻騎の、後ろから。一体がこちらに気づいた。けれど、玄弥はもう、肩の上に立っていた。エクスカリバーを構えて。鎖だけを断って。道をこじ開ける。
城壁の上から、矢が降ってきた。黒殻騎へ。援護の矢が。誰かが城から玄弥たちを見て、味方だと判断したのだ。
「門を開けろ!」城壁の上で、声が響いた。「あの少年たちを、入れろ!」
その声を、玄弥は知っていた。聞いた瞬間、足の裏がぞわっとした。なつかしい、というのとも違う。もっと不器用な、なにか。
城門が、わずかに開いた。カイの鎧巨兵が、その隙間へ滑り込む。背後で門が閉じる。黒殻騎の腕が、門に激突した。けれど、白い門は持ちこたえた。
城内の広場に機体を止めて。カイが操縦槽を開けた。玄弥が肩から飛び降りた。
そこに、ひとりの騎士が立っていた。
白い甲冑。角の意匠をあしらった兜を、小脇に抱えて。武骨な顔。けれど、玄弥を見た、その目が、大きく見開かれた。
「玄弥どの……」騎士がつぶやいた。「玄弥どのか。生きて、おられたのか」
玄弥は、その顔をじっと見た。
知っている。知っている、はずだ。武骨で。最初は怖くて。でも、だんだん信じてくれた。三島で。雨傘の怪物のとき。一緒に戦った。名前は。名前は――。
「……ガレス」玄弥は絞り出した。「あんた、ガレス、だ」
その名前を口にした、とたん。
玄弥の目から、涙がこぼれた。なぜだか、自分でもわからないまま。覚えていた。忘れていなかった。ガレスのことだけは、ちゃんと、自分の中に残っていた。それが、無性に、うれしかった。情けないくらいに。
「玄弥どの」ガレスが駆け寄った。武骨な手が、玄弥の肩をつかんだ。思いのほか、その手は震えていた。「無事で。よかった。本当に。我々は日本から帰された後、すぐにこの城へ戻った。あなたが楔になって、こちらへ来たと聞いて。探していた。ずっと」
「ガレス」玄弥は笑った。涙をぬぐって。「俺さ、記憶、けっこうなくしてんだ。いろんなこと。でも、あんたのことは覚えてた。それが、なんか、すげえ、ほっとした」
その玄弥の言葉が終わらないうちに、広場の奥から、もうひとつの声が響いた。低くて、鋭くて。怒りを押し殺したような声。
「この、馬鹿者が」
玄弥は振り向いた。
長身の人影が、こちらへ歩いてくる。記録係の外套をまとって。手に古い巻物を抱えて。けれど、その顔は怒りでこわばっていた。
「アヴァロン」玄弥はつぶやいた。その名前も出てきた。「あんたも、こっちに」
「一族の記録を届けに、戻っていた」アヴァロンは玄弥の前に立った。見下ろすように。「そこへ知らせが来た。お前が――たった一人で楔になったと。誰にも相談せず。誰にも代わりを頼まず。自分一人でぜんぶ背負って、こちらへ来たと」
「……ごめん」玄弥は言った。「でも、あの時は、それしか」
「それしか、なかった、だと?」アヴァロンの声が震えた。「我々がいただろう。私が。ガレスが。澪どのが。窓を開く方法を探していた。皆でお前を支えようとしていた。なのにお前は、一人で決めて、一人で消えた。――お前は、いつもそうだ。誰も置いていかないと言いながら。自分自身を、いちばん軽く扱う」
玄弥は何も言えなかった。
アヴァロンの言葉が胸に刺さった。その通りだった。たぶん。覚えていないけれど。きっと自分は、また一人で決めたのだ。性分なのだろう。直りそうにない。
「……怒ってる、のは」玄弥は、アヴァロンの目を、まっすぐ見返した。「俺を心配してくれたから、だよな」
アヴァロンが口をつぐんだ。
「ありがとう」玄弥は言った。「ごめん。でも、ありがとう。怒ってくれて。心配してくれて。――俺、それ、忘れたくない」
アヴァロンは、しばらく玄弥をにらんでいた。
それから、ふっと肩の力を抜いて。深く息を吐いた。
「……お前は」アヴァロンは目をそらした。「本当に、調子が狂う。怒っているのに。怒り続けることが、できなくなる」
そのやり取りを、少し離れたところで、カイが見ていた。
不思議そうな顔で。人と人が、こんなふうにぶつかって、それでもつながっている、その光景を。信じることをやめた自分には、もう、ないもののように。
ちょうどそのとき、城壁のほうから、悲鳴が上がった。
「城が……城壁が、消える!」
玄弥たちは、城壁へ駆けた。
異変が起きていた。城壁の一部が薄れていた。霧のように。半透明になって。そこに確かにあったはずの白い石が、消えかけている。城壁の上にいた兵士たちが、混乱していた。
「ここに……城壁が、あったか?」一人の兵士が、ぼんやりとつぶやいた。「俺は、なぜ、こんな、何もない場所に、立っているんだ」
「しっかりしろ!」ガレスが叫んだ。「城壁は、ここにある! 目の前に!」
「いや……何も、ない」兵士が首を振った。「もとから、ここには、何もなかった、ような」
『黒冠魔導団だ』アヴァロンが唇を噛んだ。『記憶を消す禁術。城壁があるという認識そのものを、兵士から奪っている。――誰も城壁を城壁だと思わなくなれば。城壁は本当に消える。記憶鉱のこの世界では、人の認識が、現実をつなぎとめている。皆が忘れれば、物すら消える』
「そんな……」玄弥は薄れていく城壁を見た。「忘れられたら、消えるのか。物が」
『そうだ。だから城壁が消えれば、黒殻騎はなだれ込む。城は落ちる』
玄弥は考えた。
忘れられたら、消える。なら――思い出させれば、戻るのか。
「カイ」玄弥は振り向いた。「この城には、兵士だけじゃなく、住民もいるか」
「いるはずだ」カイが答えた。「外城は、難民の避難所にもなってる。けど、それがなんだ」
「住民を集めてくれ」玄弥は言った。「ガレス、アヴァロン、頼む。城の思い出を覚えてる人を。子どもでも、年寄りでも、いい。誰でも」
「何をする気だ」ガレスが聞いた。
「忘れられたら、消えるなら」玄弥は薄れる城壁へ手を伸ばした。「思い出させれば、いい。この城がここにあるって。一人一人に語ってもらうんだ。この城の思い出を。声に出して」
兵士は術で記憶を消された。けれど、避難してきた住民たちは、術の外にいた。彼らの記憶は、まだ残っている。
玄弥たちは、住民を城壁のふもとに集めた。怯える人々に、玄弥は言った。
「この城で、あんたたちは何を見た。何を覚えてる」玄弥は声を張った。「どんな小さなことでも、いい。声に出して、教えてくれ」
最初に口を開いたのは、老婆だった。
「わたしは……この、西の城壁の上から、毎朝、日の出を見た」老婆は震える声で言った。「孫と、二人で。城壁の石が、朝日で金色に光るのが、きれいで」
その瞬間。
西の城壁の一部が、すうっと輪郭を取り戻した。霧が晴れるように。白い石が、またはっきりと現れた。
「効いてる」玄弥は叫んだ。自分の声が、すこし上ずっていた。「もっと! みんな! 続けてくれ!」
住民たちが、たがいの顔を見合わせた。半信半疑だった。けれど、自分の語った思い出が、消えかけた城壁を戻したのを、目の前で見た。その、たった一つの奇跡が、人々の口をひらかせた。
次々と、声が上がった。
「この北門で、夫と出会った」「子どもが、城壁の影で、よくかくれんぼした」「市が立つ広場の石畳。あそこで、初めてパンを売った」「兵士の訓練を、城壁の上から見るのが、好きだった」
一人が語るたび。
城壁が、現実へ呼び戻された。薄れていた石が形を取り戻し、半透明だった塔が堅固になり、城がふたたび、人々の記憶の中に根を張った。黒冠魔導団の術が、押し返されていく。一人の術者の力よりも――何百人もの、生きた思い出のほうが、強かった。
城壁が、完全に戻った。
兵士たちもわれに返った。「城だ」「城が、ある」と、口々に叫んで。剣を構え直した。
「反撃だ!」ガレスが号令をかけた。
白角騎士団の鎧巨兵が、城壁から出撃した。記憶を取り戻した兵士たちの誓気が、機体を力づけた。黒殻騎の包囲が、崩れていく。玄弥も、カイの機体の肩の上で、鎖を断ち、捕虜を救い続けた。
包囲は、解けた。
夕暮れの赤い光の中で、白い城壁が、堂々とそびえていた。誰にも忘れられない、城として。
城壁の上で、玄弥は息をついた。隣に、カイが来た。
「お前」カイが、城壁の冷たい石に手のひらを当てたまま言った。「剣で、城壁を戻したわけじゃ、ないんだな」
「うん」玄弥は笑った。「思い出が、戻したんだ。みんなの。俺は、ちょっと声をかけただけ」
カイはしばらく黙っていた。
それから城壁に寄りかかって、つぶやいた。
「……記憶を消されても」カイは言った。「思い出は、残ってるのかもな。どこかに。語れば、戻る、ような」
「だと、いいな」玄弥は言った。「あんたの家族のことも。いつか、誰かが語ってくれるかもしれない。あんたが覚えてなくても。あんたを覚えてる、誰かが」
カイが玄弥を、ちらりと見た。
「……いるかよ、そんなやつ」カイはぼそりと言った。「家族は、ぜんぶいなくなった。村も焼けた。おれを覚えてるやつなんか、もう、どこにも」
「俺が、覚えとくよ」玄弥はあっさり言った。「カイ・フェルン。セレノアの難民。鎧巨兵の整備が得意で。固いパンを分けてくれる、いいやつ。――忘れたら、何度でも思い出させる。城壁みたいに」
カイは、ふい、と顔をそむけた。
「……勝手にしろ」カイは言った。けれど、その声は、いつもよりすこし、かすれていた。
玄弥は何も言わなかった。ただ、カイの横顔を見た。その目が、はるか遠くの、もう、ない森のほうを向いているのを。
骨の城で。
黒冠魔導団の術者が、城の奪還の失敗を悟った。記憶を消す術が、何百もの思い出に押し返された。前例のないことだった。
『あの継承者は』術者は苛立たしげにつぶやいた。『剣で斬るのではなく――人の記憶を、武器にする。厄介だ。実に、厄介だ』
白い城壁の上で。
玄弥は赤い空を見上げた。雲海の向こうに。誰かがいる気がした。自分を待っている、誰か。名前も顔も、ぼやけているのに。その人へ、心の中でつぶやいた。
「ガレスに、会えたよ」玄弥は言った。「アヴァロンにも。一人じゃ、なくなった。だから――もう少しだけ、待っててくれ」
誰に言ったのかは、思い出せなかった。
けれど、その想いだけは、夕暮れの空に、まっすぐ伸びていった。
読んでくださり、ありがとうございます。
玄弥がガレスの名前を、ちゃんと覚えていた。
それだけで涙がこぼれる――忘れていくことの怖さを背負った玄弥だからこそ、覚えていられたことが救いになる。
そんな再会にしたかったです。アヴァロンが玄弥を本気で怒るのは、心配の裏返し。
「お前は自分自身をいちばん軽く扱う」という叱責は、これから何度も玄弥に返ってくる言葉になります。
この章の戦いは、剣ではなく記憶でした。黒冠魔導団は「ここに城がある」という認識そのものを奪う。
認識が消えれば、記憶鉱の世界では物すら消える。ならば――思い出させれば戻る。住民一人一人が城の思い出を語り、消えかけた城壁を現実へ呼び戻す。一人の英雄の力ではなく、何百人もの小さな思い出が術を押し返す。
第三部で描きたい「みんなが少しずつ引き受ける」形を、城壁という目に見えるものでやってみました。
新しい仲間のカイが、その光景を見て何を思ったか。次章、四王国を結ぶ古道へ。
封鎖された境界獣の森が、待っています。




