第39章 王冠と聖剣
王級鎧巨兵が、ついに交差点へ。魔王は玄弥に迫ります。「全部を守りたければ、最後にお前一人を捨てろ」と。玄弥は魔王を斬りません。機体と人々の記憶を結ぶ鎖を断ち、二つの世界を無理やりつないだ等価交換そのものを、ほどきにかかります。
王級鎧巨兵が、交差点へ足をおろした。
三島大社前の交差点。いつも、玄弥が信号を待つ、場所。そこに、その巨体が立った。全高はビルを超えていた。黒い甲殻。歪んだ王冠。継ぎ目から、赤い光が漏れている。その甲殻は、一つの生き物ではなかった。よく見ると、無数の人の顔が、浮かんでは消えていた。継ぎ合わされた、誰かの記憶。誰かの願い。それが、この巨体を形づくっていた。
胸の玉座に、影が座っていた。
魔王だった。
『来たな』魔王の声が響いた。低く。静かに。憎しみも、怒りも、感じられない声で。『伊勢崎玄弥。お前を、消すために、来た』
玄弥は、エクスカリバーを握った。
「魔王」玄弥は空を見上げた。「あんたに、聞きたいことが、ある。あんた――最初から、こんなじゃ、なかったろ」
魔王の影が、わずかに揺れた。
巨体の甲殻に、浮かんでは消える、無数の顔。その一つ一つが、誰かの記憶であり、奪われた願いだった。玄弥は、それを見ているうちに、喉の奥がつかえた。倒すべき化け物の顔には、どうしても見えなかった。
「アヴァロンの一族の、記録を見た」玄弥は言った。「影の騎士が、遺した記憶も。あんた、かつて楔だったんだろ。二つの世界を、救うために。自分を、犠牲にして。なのに――誰にも、名前を忘れられた。誰も救えなかったって、記憶だけ、残された。それが、黒い王冠を、生んだ」
魔王は、答えなかった。けれど、否定も、しなかった。
「だから、分かる」玄弥は言った。「あんたが、なんで人の記憶を奪うのか。名前を、燃やすのか。あんたは、誰にも覚えてもらえなかった。だから――誰のつながりも、許せない。誰かが、誰かを覚えている。その温かさが、まぶしくて、憎い。ちがうか」
『黙れ』魔王の声が、初めて揺れた。
巨大な光の刃が、王級鎧巨兵の腕に生まれた。赤く、禍々しい光。それが、交差点へ振り下ろされる。
「玄弥!」澪が叫んだ。
玄弥は、エクスカリバーを掲げた。
「巨大化しろ」つぶやいた。「守るために」
光刃が、ふくれ上がった。これまでで、いちばん大きく。魔王の赤い刃を、受け止める。刃と刃がこすれて、耳をつんざく金属音が走った。火花が、町じゅうに散った。柄を握る手のひらが、熱でじりじりと焼ける。その瞬間、玄弥の頭から、また何かが抜けた。自分の誕生日。何歳になったのか。そんなことすら、もう分からなくなった。
二つの刃が、押し合った。
巨大な、光と光がぶつかって、交差点が昼のように明るくなった。アスファルトが、めくれ上がる。信号機が、軋む。あの、見慣れた青い信号が、ぐにゃりと傾いて、それでも、灯りだけは消えずにいた。玄弥は、両腕にぜんぶの力を込めて、踏ん張った。足が、地面にめり込む。歯の根が、合わないくらい、震えていた。それでも、退かなかった。後ろに、町がある。仲間がいる。退けば、ぜんぶ、潰される。退かない理由なら、後ろに、いくらでも並んでいた。
玄弥の視界が、ちらついた。記憶が、また、こぼれていく。今度は、自分の好きだったものが消えた。好物だった、はずの何か。揚げパンだったか、コロッケだったか、その輪郭すら、もう怪しい。よく聴いていた、はずの歌も、サビだけが、ふっと消えた。輪郭だけ残して、中身が空っぽになる。誰かの、何かの、抜け殻ばかりが増えていく。それでも玄弥は、剣を放さなかった。指が、勝手に、柄を握りしめていた。
『お前は』魔王が言った。『全部を、守ると言う。四城も、町も、向こうの者も。だが――できはしない。お前一人で、全部を背負えば、お前が潰れる。私が、そうだったように』
「潰れない」玄弥は、歯を食いしばった。「一人じゃ、ないからだ」
『一人だ』魔王の声が、冷たくなった。『最後には、誰もが、一人になる。聖剣の楔は、一人で、境界に縛られる。お前も、いずれ、そうなる。――ならば、玄弥。今、ここで、教えてやろう。全部を守りたければ。最後に、お前一人を、捨てろ。それが、楔の定めだ』
柄を握る玄弥の指が、一瞬、固まった。
知っていた。すでに。アヴァロンの記録で。聖剣は、最後に授かった一人を、楔として境界に縛る。玄弥が剣を使うほど、記憶を失うのは、向こうへ馴染んでいるからだ。それを、玄弥は仲間に隠していた。全員を帰すためなら、自分が楔になる。そう、決めていた。決めていたはずの覚悟が、魔王の声で突きつけられると、足の裏から崩れそうになった。
「玄弥!」澪の声が、聞こえた。
澪は、社務所のほうから走ってきた。後ろに、灯里と凪人。三人で、何かを運んでいた。記憶鉱の結晶。四城の脈を束ねる、装置。
「儀式を、始める!」澪が叫んだ。「等価交換を、ほどく、大儀式! 向こうのものと、こっちのものを、釣り合わせて、無理やりつないだ、結び目を、ぜんぶ、ほどく! 灯里の対応表があれば、計算できる!」
「四城の軍団が」灯里が、息を切らして言った。「七禍卿と、黒殻騎を、食い止めてます! その間に、ここで儀式を! 時間を、稼いでくれれば!」
町の、あちこちで。
四つの軍団が、踏ん張っていた。白角騎士団が、駅前で黒殻騎の波を斬り崩す。鋼壁重騎団が、商店街の入り口に盾を並べて、住民への道を塞ぐ。翡翠翼騎団が、空で七禍卿の転送を妨害する。蒼帆魔導艦隊が、源兵衛川の上空から、砲撃で敵の後方を断つ。アヴァロンが、玄弥の前へ躍り出て、近づこうとする魔道士を、ことごとく払いのけた。ガレスが、声を張り上げて、四軍団の現場をつないでいた。
「玄弥!」ガレスが叫んだ。「お前の後ろは、俺たちが守る! 好きなだけ、剣を振れ! 一歩も、通さん!」
その声を聞いて、玄弥は背筋に芯が戻るのを感じた。背中を、ぜんぶ預けられる。だから、前だけを見ていられた。
魔王と押し合いながら、玄弥は考えた。この、王級鎧巨兵を斬って、倒せば、終わるのか。ちがう。倒しても、魔王はまた生まれる。誰かを楔にして、忘れて、孤独にすれば、次の魔王が、生まれる。だから――斬っちゃ、駄目だ。斬るんじゃ、ない。
「エクス」玄弥は、剣に語りかけた。「見えるか。この巨体を、つないでる、鎖が」
『見える』エクスの声が、答えた。『無数の鎖だ。王級鎧巨兵と、人々の記憶を結ぶ、鎖。魔王が、奪い続けた、誰かの願い。それが、この巨体を、動かしている』
「それを、断つ」玄弥は言った。「機体も、魔王も、斬らない。鎖だけを、断つ。みんなの記憶を、解き放つ。そして――二つの世界を、無理やりつないだ、等価交換の結び目も。ぜんぶ、断つ」
『代償は、大きいぞ』エクスが言った。『これだけの鎖を断てば。お前は――おそらく、ほとんどの記憶を、失う』
「構わない」玄弥は言った。
迷いは、なかった。記憶を失っても、守りたいという想いだけ残れば、それでいい。澪が、名前は覚えてる、何回でも呼ぶ、と言ってくれた。だから玄弥は、忘れることが、もう怖くなかった。
「みんな!」玄弥は叫んだ。「儀式を、頼む! 俺は、鎖を断つ! 合わせろ!」
「分かった!」澪が答えた。
澪が、灯里が、凪人が、記憶鉱の装置を囲んだ。三人の手のひらが、結晶の三面にそれぞれ押し当てられる。光が、立ち上る。装置の脈動が、足の裏のアスファルトを震わせた。四城の脈が、三島へ集まってくる。向こう側の大河たちも、窓ごしに記憶を送り続けていた。すべてが、この交差点に集まった。等価交換をほどくための、力が。
玄弥は、エクスカリバーを振り上げた。
光刃が、これまでで、いちばん巨大にふくれ上がった。空を貫くほどに。その刃に、玄弥の残った記憶が、ぜんぶ吸い込まれていく。母親の顔。澪との思い出。大河の声。一つずつ。けれど、玄弥は、止めなかった。
「これで、終わりだ」玄弥は言った。「みんなを、自由にする。あんたも――魔王、あんたも、含めて」
『私を……?』魔王の声が、揺れた。
「あんたを、縛ってる鎖も、断つ」玄弥は言った。「誰にも、救えなかった、っていう、記憶の鎖。あんたを、ずっと楔に縛りつけてた、鎖。それも、断つ。あんたを、自由にする」
魔王の影が、初めて、大きく揺れた。
『やめろ』魔王が叫んだ。それは、怒りでは、なかった。おそれだった。『私を、自由になど、するな。私は、楔だ。誰にも、覚えられない、楔だ。それで、いい。今さら、自由になど――』
「自由になるのが、こわいんだろ」玄弥は言った。
魔王の影が、固まった。
「分かるよ」玄弥は続けた。「ずっと、一人で世界を支えてきた。誰にも覚えてもらえないまま。それでも、やめられなかった。やめたら、自分が何のために苦しんできたのか、分からなくなるから。だから、楔のままでいたほうが、楽だった。憎んでるほうが、楽だった。――でも、もう、いいんだ。あんたは、十分、頑張った。誰も、あんたを、責めない。俺が、覚えてる。あんたが、世界を支えてた、ってこと」
『……っ』魔王の声が、震えた。
「させない、なんて、言わせない」玄弥は、刃を振り下ろした。「もう、一人で、楔やってるの、終わりにしろ」
巨大な光刃が、交差点へ降りた。
斬る光では、なかった。あの夏の日に、町の後悔をほどいた、あの、あたたかい光。固まったものを、ゆっくりほどいていく、光だった。
無数の鎖が、断たれていく。
王級鎧巨兵をつないでいた、誰かの記憶。誰かの願い。それが、一つずつほどけて、光の中へ舞い上がる。継ぎ合わされていた人の顔が、解放されて、それぞれの持ち主のもとへ帰っていく。巨体が、ほどけていく。等価交換の、結び目も。二つの世界を無理やり縫い合わせていた、糸が、ぷつり、ぷつりと切れていった。
空が、震えた。
赤い雲海が、ゆっくりと剥がれ始めた。重なっていた、二つの世界が、離れていく。けれど――今度は、あのときとは、ちがった。あのときは、半分、入れ替わったまま、ほどけなかった。けれど、今、四城の力と、向こうの記憶と、玄弥のすべてが、そろっていた。等価交換は――完全に、ほどけ始めた。
窓の向こうで。
大河が、こちらへ引き寄せられていくのを、玄弥は見た。
「お兄ちゃん!」大河が叫んだ。「帰れる! おれ、帰れるんだ!」
「ああ!」玄弥は叫び返した。記憶が、ぼろぼろとこぼれ落ちていく中で。それでも。「帰ってこい! みんな! 誰一人、残すな!」
異世界の土地が、こちらから剥がれていく。向こうの城壁が、赤い森が、もとの場所へ帰っていく。転送された兵士たちも。取り残された住民たちも。すべてが、本来の場所へ。
黒殻騎の甲殻が、内側から割れた。継ぎ目を走っていた赤い光が、ひとつ、またひとつと、ろうそくの火を吹き消すように消えていく。中から、解き放たれた捕虜たちが、次々と目を覚ました。削られていた記憶が、戻ってくる。「ここは……」「俺は……そうだ、思い出した」あちこちで、声が上がる。家族の名前を。故郷のにおいを。一人ずつ、取り戻していく。あれだけ玄弥が、一体ずつ鎖を断ってきた、その積み重ねが、今、いっせいに花開いた。
ガレスの部下たちも、空を見上げていた。彼らも、帰れる。帰れない、はずだった兵士たちが。故郷の城へ。家族のもとへ。「団長」一人がガレスを呼んだ。「俺たち……帰れるんですか」「ああ」ガレスは、ぐっと奥歯を噛んだ。「帰れる。やっと、だ」
二つの世界が、ようやく、正しく離れようとしていた。
玄弥は、その光の中で、立っていた。
ほとんどの記憶が、消えていた。自分が誰なのかも、もう曖昧だった。けれど、胸のまんなかに、たった一つだけ、温かいものが残っていた。守りたい。みんなを。あの子を。名前は、もう分からない、けれど。隣にいた、あの子を。
「玄弥!」
誰かが、叫んだ。
玄弥は、その声のほうを見た。誰だっけ。すごく、大事な声だった。名前は、出てこない。けれど、その声を聞くと、胸のまんなかが、あたたかくなる。守りたい、と思う。この声の主を。
光が、いっそうまぶしくなった。
二つの世界が、離れていく。みんなが、帰っていく。誰一人、置き去りにせずに。玄弥がずっと願っていた、その景色が、今、目の前で、現実になろうとしていた。
読んでくださり、ありがとうございます。
この物語の答えを、書きました。倒して勝てば、また次の魔王が生まれる。誰かを楔にして、忘れて、孤独にすれば。だから玄弥は、斬りませんでした。鎖を断つ。王級鎧巨兵を形づくっていた、奪われた誰かの記憶を、ぜんぶ持ち主へ返す。そして魔王を縛っていた「誰も救えなかった」という記憶の鎖まで、断ち切ろうとします。
魔王は怯えます。自由になるのが、こわい。一人で楔をやっていたほうが、楽だった。憎んでいたほうが、楽だった。玄弥はそこへ「あんたは十分頑張った。俺が覚えてる」と言います。倒すのではなく、覚えていること。それが、この物語の刃でした。
等価交換がほどけ、大河たちが帰ってくる。けれど代償として、玄弥はほとんどの記憶を失います。残ったのは、守りたいという、たった一つの想いだけ。次章、最終章。剣が、交差点から消えます。




