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エクスカリバーが交差点の真ん中にささってるんだが…  作者: 源三郎


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第38章 三島総攻撃

大社前、源兵衛川、学校、駅、商店街。

いつもの場所、ぜんぶに、亀裂が走ります。

澪は住民を逃がし、灯里は四城をつなぎ、凪人は見えない敵を描く。

そして玄弥は、黒殻騎の乗り手を救うたびに、いちばん大切な記憶を、ひとつずつ失っていきます。


 町じゅうの空が、いっせいに裂けた。


 三島大社前。源兵衛川のほとり。学校のグラウンドも、駅前も、商店街のアーケードも。いつもの、なんでもない場所のぜんぶに、同時に亀裂が走り、そこから黒殻騎が降りてきた。黒い甲殻に、王冠の頭。継ぎ目から赤い光が漏れている。ローブをまとった魔道士たちが、その後ろに続いた。


 町が、戦場になった。


「散開!」玄弥は叫んだ。「役割を、決めたとおりに、動く!」


 澪が商店街のほうへ走り出した。スニーカーの紐が、走りながらほどけかけて、それを結び直す間も惜しかった。


「住民の避難は、あたしがやる!」振り向きざまに叫ぶ。「あんたは、心配しなくていい! 町の人は、あたしがぜんぶ逃がす!」


 澪には、誰よりも土地勘があった。どの路地がどこへ抜けるか。どの家に誰が住んでいるか。宮下さんちのおばあちゃんは足が悪い。八百屋の店主は二階で寝ている。走りながら一軒ずつ戸を叩いて回った。「逃げて! 大社の裏へ! 早く!」


 商店街のアーケードで、宮下こよみが孫の咲良の手を引いて、立ちすくんでいた。目の前に黒殻騎。動けずにいる。


「こよみさん!」澪が駆け込んで、咲良を抱え上げた。「こっち! 走って!」


「澪ちゃん」こよみの声が震えた。「足が……」


「あたしが引っぱる!」澪はこよみの腕をつかんだ。「絶対、置いてかない! ほら、咲良ちゃんも、しっかりつかまって!」


 黒殻騎が腕を振り上げた。その腕が振り下ろされる前に、鋼壁の巨大な盾が割り込んだ。鈍い音。火花。盾が一撃を受け止める。


「行け!」鋼壁の兵士が叫んだ。「住民は下がらせろ! ここは、我らが守る!」


 澪は、こよみと咲良を抱えて走った。背中で、盾と黒殻騎のぶつかる音が鳴っている。守られている。背中を、誰かに預けて。今日は一人じゃない。こよみの腕は骨ばっていて、思っていたより軽かった。引けば、ついてくる。咲良がしゃくり上げながら、澪のシャツの裾をぎゅっと握っていた。指の爪が、布越しに脇腹に食い込む。その小さな手の力が、なぜだか澪を走らせた。ここで転んだら台無しだ、と自分に言い聞かせる。アスファルトの段差を、靴の裏が何度も拾った。大社の鳥居が見えてくる。あと少し。あと、少し。


 灯里は、社務所に残った。


「対応表を、維持します」タブレットと模造紙の前で言う。「四城同盟が崩れないように。どこかの城が突出したり、孤立したりしないように。記憶鉱のつながりを見張ります。ここが崩れたら、四城がまた、ばらばらになる」


 灯里の指が画面を走り続けた。模造紙には、四つの城をつなぐ線が、赤と青のペンで何重にも引かれている。汗が額から顎へ落ちて、紙の端を一滴、にじませた。それでも、手は止めない。


 凪人は、玄弥の隣にいた。


「見えない敵を、描く」スケッチブックを握り直す。「魔道士は、すぐ姿を消す。煙みたいに。でも、おれには見える。残ってる線が。どこに潜んでるか、教える」


 凪人の鉛筆が走った。「そこの、屋根の上!」「その、川の、橋げたの下!」叫ぶたびに、潜んでいた魔道士があぶり出された。見えない敵を、見える敵に変えていく。それが、凪人の戦い方だった。


 アヴァロンは、剣を抜いて空を見上げていた。


「七禍卿だ」低く言う。「魔王の護衛。あれは俺が引き受ける。お前たちには近づけさせない。玄弥、お前は王級鎧巨兵に集中しろ。七禍卿は俺の役目だ」


「アヴァロン」玄弥は振り向いた。


「行け」アヴァロンが、いつもの不器用な笑い方で言った。剣の柄を握り直して。「お前を守るのが、俺の責任だ。最初から。だが、それだけじゃ、ない。お前と過ごして、分かった。守りたいんだ。責任じゃ、なく。この町を。お前たちを。だから、行かせろ」


 玄弥はうなずいた。それ以上は言わなかった。言わなくても、伝わった。


 ガレスは、四つの軍団の現場指揮を執った。


「白角は、駅前! 鋼壁は、商店街の入り口を塞げ! 翡翠翼は、上空! 蒼帆は、川沿いから砲撃!」ガレスの声が町に響いた。かつて「危険なら、討つ」と玄弥に剣を向けた、あの騎士が。今は町を守るために、四つの軍団を動かしていた。「三島は、俺の町でも、ある。帰れない、俺たちの。守るに、決まってる」


 そして、窓の向こうから声が届いた。


 異世界側に取り残された、住民たち。大河をはじめ、向こうへ行ったきりの三島の人々が、窓ごしにこちらへ何かを送っていた。光の粒のような、ものを。


「記憶を、送ってくれてる」灯里が画面を見て叫んだ。「向こうのみんなが、自分たちの、三島の記憶を、こっちへ。それが、現代側の結界を、支えてる!」


 玄弥は窓の向こうを見た。


 大河がいた。星を数えていた、あの子。その隣に、ガレスの部下たち。向こうへ行った町の人々。みんなが手をつないで、自分たちの覚えている三島を――湧水の味。大社の鳩。源兵衛川のせせらぎ。それを、ぜんぶこちらへ送っていた。離れていても。帰れなくても。


「お兄ちゃん!」大河の声が聞こえた。「がんばれ! こっちも手伝うから! おれたち、三島のこと、ぜんぶ覚えてるから!」


 玄弥は、ぐっと奥歯を噛んだ。


「ありがとう」叫び返す。「もうすぐだ。もうすぐ迎えに行く。だから、もう少しだけ、待っててくれ!」


 戦いが、始まった。


 玄弥はエクスカリバーを握り、黒殻騎へ向かった。


 一体。光刃を伸ばす。鎖を断つ。乗り手を救出。剣を振るたび、手のひらが汗でぬめって、柄を握り直さなければならなかった。その瞬間、何かが玄弥の頭からこぼれ落ちた。母親の味噌汁のにおいが、思い出せなくなった。今朝、嗅いだはずなのに。どんなにおいだったか、もう分からない。だしの色も、椀の柄も、霧の向こうへ流れていく。


 二体。鎖を断つ。乗り手を救う。今度は、通学路の景色が薄れた。いつも通っているはずの道。曲がり角のブロック塀の、ひびの形。それがぼやけて、消えた。


 助け出した乗り手の一人が、玄弥の足元で目を覚ました。若い女の人だった。記憶を削られて、自分が誰かも分からない顔で。それでも玄弥を見上げて、つぶやいた。「ありがとう……あなた、誰……」玄弥は答えようとして、自分の名前が一瞬出てこないことに気づいた。うなじのあたりが、すうっと冷えた。それでも「いいから、逃げて。あっちに、安全な場所がある」と、なんとか言った。


 三体。四体。五体。


 黒殻騎の鎖は、断つたびに手応えがちがった。新しい個体ほど鎖が太く、古い個体ほどもろい。光刃を当てる角度を、玄弥は体で覚え始めていた。乗り手を地面に下ろし、次の一体へ向かう。靴底が、めくれたアスファルトに引っかかって、つまずきそうになる。それでも足は前へ出た。


 救うたびに、玄弥は何かを失った。大切な記憶ほど、先に持っていかれた。母親の笑い声。父親の背中。小学校の教室。初めて澪と会った日のこと。一つずつ抜けていく。それでも玄弥は剣を振り続けた。一人でも多く救うために。記憶と、引き換えに。


「玄弥!」誰かが叫んだ。


 女の子の声だった。聞き覚えのある声。なのに、誰の声か分からない。玄弥は振り向いた。そこに女の子が立っていた。腕に擦り傷。髪が乱れて。心配そうに玄弥を見ている。誰だっけ、この子。すごく大事な子だった気がする。なのに。


「……あんた」女の子が、唇の色を失くした。「あたしの、こと、分かる?」


 玄弥は、答えられなかった。


 名前が出てこなかった。喉まで出かかっているのに。この子の名前。いちばん忘れちゃいけない名前。なのに、つかめない。霧の向こうに行ってしまったみたいに。


「名前」玄弥は絞り出した。「ごめん。あんたの、名前が……出てこない」


 女の子の目が潤んだ。けれど、彼女は泣かなかった。歯を食いしばって、玄弥の両肩をつかんだ。まっすぐ目を見て。


「白石澪」彼女は言った。「あたしは、白石澪。あんたの幼なじみ。同じ横断歩道を、何百回も渡った。あんたが寝坊するたびに、置いてって。それでも、毎朝、待ってた。あたしだよ。澪だよ」


「……みお」玄弥は繰り返した。


 その名を口にしても、心のどこにも響かなかった。ただの音だった。三つの音。シ、ラ、イシ。ミ、オ。なんの絵も、においも、声も、ついてこない。さっきまで、いちばん近くにいたはずの人。この子と過ごした、何百日。それが、ぜんぶ、すっぽりと抜け落ちていた。玄弥は、自分が自分でなくなっていく感じに、足の裏がすくんだ。剣を振るほど、人を救うほど、玄弥が玄弥でなくなっていく。


「そう」澪はうなずいた。涙がこぼれた。「忘れても、いい。何回でも言う。あんたが忘れるたびに、あたしが言う。白石澪。あんたの隣にいる。ずっと、いる。だから――名前は忘れても、いいから。これだけは、忘れないで」


 澪は、玄弥の手を握った。


「あんたが、守りたいって、思う、その気持ちだけは。それだけは、ぜんぶ忘れても、残しといて。お願い」


 玄弥は、澪の手の温かさを感じた。


 名前は思い出せなかった。シラ、イシ。ミオ。耳では聞いた。けれど、心のいちばん奥にあるはずの、この子のすべては、もう霧の向こうだった。それでも、手の温かさだけは分かった。この手を、離したくない。この人を、守りたい。


「守りたい」玄弥は言った。「名前は、分からない。でも、あんたを守りたい。それは消えてない。ここに、ある」


 玄弥は、自分の胸を押さえた。汗で湿ったシャツの、心臓のあたり。そこだけが、まだ、ちゃんと熱かった。名前も、においも、景色も、ぼろぼろ抜けていくのに、ここだけはまだ、とくとく鳴っている。手のひらに、その鼓動が返ってくる。それが、不思議と心強かった。


 澪が、泣きながら笑った。涙と鼻水で、ぐちゃぐちゃの顔で。それでも笑った。


「それで、いい」澪は言った。「それさえあれば、いい。名前は、あたしが覚えてる。何回でも呼ぶ。だから、あんたは――守りたいって、気持ちだけ、握ってて。離さないで」


 玄弥はうなずいた。


 戦いは、続いていた。黒殻騎が、まだ町にあふれている。源兵衛川では蒼帆の砲撃が水しぶきを上げ、駅前では白角が舞うように斬り込み、商店街では鋼壁の盾が住民を守っていた。アヴァロンは空で七禍卿と斬り結び、凪人は見えない敵をあぶり出し、灯里は四城をつなぎ止め、澪は住民を逃がし続けた。


 源兵衛川の上空では、アヴァロンが七禍卿と斬り結んでいた。ローブの魔道士が放つ、呪詛の紫の光。アヴァロンの剣がそれを払う。火花が川面に散った。「お前たちの術は」アヴァロンが歯を食いしばって言った。「人の、いちばん大事なものを、燃やす。だが――燃やせないものも、ある。誓いだ。俺は、あの少年を守ると決めた。その誓いだけは、お前たちには奪えん」アヴァロンの剣が光った。一人の七禍卿を川へ叩き落とす。けれど、まだ影はいくつも残っていた。


 学校のグラウンドでは、凪人が走り回っていた。スケッチブックの角がよれて、汗で紙がふやけている。「そこ! 体育館の、屋根の裏!」叫ぶ。隠れていた魔道士が、翡翠翼の騎兵にはじき出される。「川の、橋げた!」また一人。凪人の鉛筆が、戦場の見えない部分を、ぜんぶめくり上げていく。汗だくになりながら。声をかれさせながら。鉛筆の芯が、何度も折れた。そのたびに新しいのをくわえて、削るのももどかしく、走り書きを続けた。「おれは、戦えない。けど、見える。だから――見えたものは、ぜんぶ教える。一人も、見逃さない」


 玄弥も、剣を握り直した。


 失っても、忘れても、守りたいという、その一点だけは、誰にも奪わせない。名前も、においも、景色も、ぜんぶ持っていかれて。けれど、この胸のまんなかにある、たった一つの想いだけは――。


 空が、また鳴った。


 町の、ずっと向こう。記憶鉱の樹の根元へ、巨大な黒い王冠が、一歩ずつ近づいてくる。王級鎧巨兵。魔王。一歩進むごとに、周りの人々から、「救えなかった誰か」の記憶を吸い上げて、その巨体をふくらませながら。


 玄弥は、空を見上げた。


「来い」玄弥はつぶやいた。手の中の剣を握りしめて。「終わらせよう。誰も、犠牲にしないで。あんたも、含めて」


 信号が、青に変わった。誰も渡らない、交差点で。


読んでくださり、ありがとうございます。

この章でいちばん書きたかったのは、玄弥が澪の名前を思い出せなくなる場面でした。剣を振るほど、人を救うほど、玄弥が玄弥でなくなっていく。味噌汁のにおい、通学路、初めて澪と会った日。大切な順に、抜けていきます。ついに、いちばん近くにいる人の名前まで。

それでも澪は泣きながら言います。「名前は忘れてもいい。何回でも呼ぶ。だから、守りたいって気持ちだけ、残しといて」。玄弥に残ったのは、白石澪という三つの音ではなく、この人を守りたい、というたった一つの感情でした。名前を失っても、想いは消えない。この物語の、いちばんやわらかい芯です。

向こう側の大河たちも、自分の記憶を送って、現代の結界を支えます。離れていても、帰れなくても、みんなで三島を守る。次章、王級鎧巨兵が交差点へ。玄弥と魔王が、ついに向き合います。

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ここまで読んでくださりありがとうございます!
玄弥たちが向き合うのは、倒すだけでは終わらない怪物たち。
少しでも「面白い」「続きが気になる」「この町を見届けたい」と思っていただけましたら、
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