第14話 二度目の落下
高い所で鳴った音は、一度では終わらなかった。
梁から錆と木屑が降り、作業床にいた者たちが腕で顔を覆う。倉庫側の責任者は、吹き抜けに立つ大きな枠を見上げた。
「壁側だ。上で待たせていた空の荷台が傾いてる。戸の外まで下がれ!」
その枠は中央で二つに分かれ、川側と壁側の荷台が並んで上下する。川側の荷台には木箱が五つ残り、その下では一箱が割れていた。荷台は床の手前で止まっている。壁側の荷台に荷はなく、二階より上で片側を下げたまま傾いていた。
下からは何が支えているか分からない。上階はすでに無人だった。
壁側の荷台からは、乾いた錆が筋になって落ちていた。床まで届く前に川風へ流され、朝の光の中へ薄く広がる。作業員の一人が上へ戻ろうとしたが、倉庫側の責任者が胸を押して止めた。
「見に行くな。上には誰も残っていない。そのまま外へ出ろ」
「そこも危険です。全員、戸の外へ。操作担当と見張りも、操作腕に触れずそのまま下がって」
ハドリーは作業員を入口へ向けながら、操作部に残っていた二人も下がらせた。二人は互いの位置を確かめ、誰も操作腕へ触れていないと答える。
ダリスは壁から背を離せなかった。若い作業員が右腕を取ろうとすると、ハドリーが止めた。
「肩を引かないでください。背中と脚を支えて」
近くにいたもう一人が反対側へ回り、二人でダリスを持ち上げた。ダリスは自分でも立とうとしたが、右腕は脇腹へ押しつけたままだった。
「大げさだ。歩ける」
「さっき試しました」
若者は声を詰まらせながら、ダリスの足を床から浮かせた。
エマがそちらへ踏み出す。
「足元、縄があります。先にどけます」
「エマ、入口まで行け」
カルドは退路を空ける位置に立ち、床を指した。エマは一度だけダリスを見てから縄を蹴らずに脇へ寄せ、そのまま戸口へ下がった。
カルドも後ろへ進みながら、川側の荷台と木箱が動いていないことを確かめた。壁側では、傾いた空の荷台がわずかに揺れている。ダリスは二人の作業員に支えられ、落下する物のない戸外へ運ばれていった。
入口へ向かう者の靴で、木屑と割れた箱の破片が押し広げられていく。カルドは人の通った場所も帳面の端へ描いた。新しい靴跡が重なり、床の古い傷はほとんど見えなくなっていた。
戸口まであと数歩というところで、小さな金具が上から落ちた。
床に当たって跳ね、記録係の靴の前へ転がる。記録係は避けようとして後ろへ足を出したが、踵が敷居に掛かった。
「危ない」
戸外から伸びた腕が、倒れかけた身体を受け止めた。それでも記録係は肩から敷居へぶつかり、右手を床についた。斜め掛けの鞄も木枠へ強く当たり、留め具が外れる。
記録係を支えたのは、小柄な男だった。短く刈った白混じりの髪に、柔らかな砂色の上着を着ている。
「補償院長のアーベル・サルガンさんです」
受付の男が、戸外から声を上げた。
門のそばには、補償院の紋章を付けた小型の馬車が止まっていた。御者は手綱を持ったまま立ち、受付の指示どおり外で待っている。事故を見て集まりかけた荷車の御者たちを、受付の男が門の外へ下がらせていた。
「設備確認で来ましたが、今日は中止にします。まず、この方を外へ出しましょう」
アーベルは記録係の背へ腕を回したまま、ハドリーの指示を待った。現場の奥へ入ろうとはしない。
「中へは来ないでください。その位置から支えてもらえますか。肩を動かさないように」
「分かりました」
エマが戸口からアーベルの名を呼びかけた。アーベルは一度だけそちらを見る。
「エマも外へ。話は人が出てからにしよう」
いつも補償院で話す時と変わらない声だった。エマはうなずき、記録係を座らせる場所から荷札の束をどけた。
ハドリーが内側から記録係の肘を支え、アーベルが戸外へ引き寄せる。記録係は顔をしかめ、胸へ食い込んだ鞄の紐を左手で押さえた。
「右肩を見ます。鞄を外しましょう」
「中に、今朝の預かり物が」
「床には置きません」
アーベルは紐を記録係の頭から抜き、外れた蓋を押さえて鞄を受け取った。座らせる場所を空けようと立ち上がる時、右手を戸口脇の太い支柱につく。その手の下に、掌ほどの小さな蓋があった。
アーベルはすぐに鞄を倉庫側の責任者へ差し出した。
「お願いします。留め具が外れています」
「受け取った」
責任者は鞄を胸へ抱え、肩紐を自分の身体へ掛けた。受付の男も、二人の間で鞄が渡ったところを見ていた。
「肩から外さず持っていてください。全員を外へ出したら、記録係の立会いで中を確かめます」
ハドリーが言うと、責任者は肩紐を引いて短くうなずいた。
ハドリーは記録係の手首と指が動くかを確かめたあと、全員が入口より外へ出たことを数え直した。上階にも作業床にも人は残っていない。ダリスは戸口から離れた外壁のそばへ運ばれ、若い作業員が隣に膝をついていた。
倉庫の中に人影がないことを確かめた直後、壁側の高い所から金属が擦れる音がした。
壁側の空の荷台が、傾いたまま落ち始めた。途中で外枠へ一度ぶつかり、そのまま作業床へ叩きつけられて止まる。荷箱の割れる音はなく、錆と埃が入口まで押し寄せた。
戸外の者たちは身を伏せた。川側の荷台は途中で止まり、上の五箱も床の一箱も動いていない。壁側の空荷台だけが床まで落ち、下に人はいなかった。
衝撃で大戸が震え、天井から積もっていた埃が落ちてきた。若い作業員はダリスへ覆いかぶさり、責任者は入口へ近づこうとする者を腕で止める。音が収まっても、誰もすぐには立ち上がらなかった。
ハドリーが戸外の者を一人ずつ見て回った。新しく傷を負った者はいない。ダリスにも、二度目の荷台や破片は当たっていなかった。記録係も左手で返事をし、右肩を動かさないまま壁へ背を預けた。
「操作腕は?」
ハドリーが聞くと、操作担当が首を振った。
「触っていません。退く時には手を離しました」
「俺も見ていました。誰も戻っていません」
見張りをしていた作業員が続ける。ハドリーは二人の名前と、退避前に立っていた場所を記録係へ伝えた。記録係は痛めていない左手で紙を押さえ、ゆっくり書き始める。
カルドは帳面の見開きに二台を別々に描いた。川側には荷台の五箱と床の一箱、壁側には荷なしと記す。落下時刻の下には、操作部が無人だったことと、ダリスへの新しい接触がなかったことも添えた。
「中へ戻るのは待ってください」
ハドリーは入口へ縄を渡させた。
「川側の荷台、壁側の荷台、操作部、それから戸口の支柱には、誰も触れないでください」
倉庫側の責任者は、作業員を縄の外へ並ばせた。事故前なら鎖と掛け声に満ちていた建物から、細かな錆が床へ落ちる音だけが聞こえる。
責任者は川側の荷台を指し、荷台に残る五箱と床へ落ちた一箱の位置を動かさないよう見張りへ言い直した。次に壁側を示し、空の荷台へ近づくなと命じる。
その音の中で、ダリスの呼吸が速くなった。
若い作業員が名を呼ぶと、ダリスは目を開けた。返事をしようとして、先に息を吸い直す。
「お前は……無事か」
「無事です。ここにいます」
若者は数取り板を置き、冷たい手を両手で包んだ。ダリスはうなずいたが、次の言葉が出てこない。
呼びに走った作業員が、医療官を連れて戻ってきた。医療官はダリスの胸元を緩め、呼吸と意識を確かめる。右肩から脇腹へ目を移すと、すぐに担架代わりになる板と毛布を求めた。
「呼吸が乱れています。すぐ医療施設へ運びます。横にできる車はありますか」
荷車は何台も並んでいたが、どれも荷を積み、床板には縄や泥が残っている。
「私の馬車が門の前にあります。座席を倒せば、横にできます」
アーベルが御者を呼び、客室を空けるよう頼んだ。医療官が車内を見て使えると答えると、アーベルは馬車へ戻り、折り畳んだ厚い毛布を抱えてきた。
「これは下へ敷いてください。もう一枚あります」
「十分です。頭側を急に上げないで」
医療官の指示で、作業員たちは板へ毛布を敷いた。ダリスを移す時、若い作業員は震える手を握り直し、足元を支えた。
アーベルは医療官が必要とした物だけを馬車から運び、担架を持つ作業員の間には入らなかった。御者には馬車を入口ぎりぎりまで寄せ、車輪を止めたら動かさないよう伝える。小柄な身体で大声を出すことはなかったが、荷車の御者たちは進路を空けた。
エマは通路を空けたまま、ダリスの顔を見ていた。
「ダリスさん。聞こえますか」
すぐには返事がなかった。担架が戸口を通る前に、ダリスの瞼が動く。
「聞こえてる」
前のような声量はなかったが、エマにも届いた。エマはそれ以上話しかけず、担架が馬車へ入るまで道を空けていた。
医療官は御者へ行き先を伝え、搬送中に身体を支える者をもう一人求めた。
「私が乗ります。馬車の中も分かっています」
アーベルが言うと、若い作業員も立ち上がった。
「俺も行かせてください」
「あなたは御者台へ。サルガン院長は、車内では医療官の指示に従ってください」
ハドリーは時計を見た。補償院の公用馬車であること、医療官とアーベルが客室へ乗り、若い作業員が御者台へ乗ることを記録する。行き先は倉庫街から最も近い川岸の医療施設で、医療官にも復唱してもらった。
馬車が動き出すと、エマは追わずにその場へ残った。車輪が石畳の角を曲がって見えなくなるまで、束ねた髪の端を握っている。
倉庫側の責任者は、馬車の後ろへ走ろうとした作業員を呼び戻した。誰かが持ち場を離れるたびに、事故を見ていた者が減る。責任者自身も門を出ず、医療施設には若い作業員を付き添わせた。
カルドは隣へ立ったが、助かるとも、もう遅いとも言わなかった。
馬車を見送る頃、第一落下の通報を受けた応援の保安吏が二人、門へ着いた。ハドリーは一人を受付へ置き、もう一人と倉庫側の見張りで、二つの荷台、操作部、戸口の支柱を分けて見張らせた。
四か所に人がつき、倉庫へ戻る者がいないことを確かめると、ハドリーは倉庫側の責任者へ手を出した。
「預けた鞄を戻してください。今、記録係と中を確認します」
責任者は肩から鞄を外した。
「サルガン院長から受け取ってから、俺が持っていた。床へは置いていない」
「受け渡しを見ました」
受付の男が答える。
記録係は痛む肩を動かさないよう座ったまま、鞄を膝へ置いた。外れた留め具を見てから、ハドリーの立会いで蓋を開ける。
予定板を写した記録、四七番の保安局用受領書、筆記具、印は残っていた。記録係は仕切りへ順に指を入れ、もう一度、最初から確かめる。
受領書に書かれた番号を指で追い、封緘袋の表へ同じ番号を書いたことを確かめた。番号の書き間違いでも、別の袋との取り違えでもない。
「封をした袋がありません」
ハドリーが鞄の底まで見た。今朝、受領番号を書き、四七番を入れて封蝋を押した厚紙の袋だけがない。
「門を閉めてください。今いる人は、確認が終わるまで外へ出さないで」
倉庫側の責任者が走り、門の横木を下ろした。ハドリーは記録係から紙を一枚受け取り、公用馬車の印、御者、同乗者、行き先を書いた。その下へ、所持品を動かさず、車内への出入りを止めるよう指示を添える。
書面へ署名すると、受付に置いた応援の保安吏へ渡した。
「川岸の医療施設へ届けてください。サルガン院長と御者、同行した作業員には、その場で待ってもらう。あなたが着いてから、誰が出入りしたかも記録してください」
保安吏が書面を上着へ収め、門の脇から走り出す。ハドリーは続けて、記録係が転んだ敷居から戸外の石畳までを区切った。
割れた木片の下を調べる者、敷居の溝を見る者、戸外の石畳を見る者を分ける。探した範囲には紐を置き、同じ場所を何度も踏ませなかった。
カルドは記録係、アーベル、倉庫側の責任者の名を、鞄が渡った時刻順に縦へ書いた。その横へ、鞄は床に置かれておらず、転倒後は留め具が外れたままだったと書き添える。
「最初の荷台が落ちたあと、留め具を確かめました」
記録係が左手で肩紐をなぞった。
「それから戸口で転ぶまで、鞄は肩から外していません。中身を出した人もいません」
「転んだあとは?」
「院長が外して、責任者へ渡しました。私は肩を見てもらっていました」
入口周辺を調べていた作業員が戻り、首を振った。敷居の下にも、石畳の隙間にも、封蝋の付いた袋は落ちていない。
馬車が出てから二十分ほどたったところで、医療施設の印が入った腕章をつけた使いが門へ走り込んできた。倉庫街から最も近い施設だったが、使いは息を切らし、ハドリーへ折り畳んだ通知を両手で渡した。
ダリスは到着後すぐ処置を受けたが、その最中に呼吸が止まり、死亡が確認された。通知には時刻があり、死因は検案後とだけ書かれていた。
若い作業員は医療施設に残っているという。アーベルも、医療官から求められて待機していた。先ほどの保安吏はすでに到着し、馬車のそばで出入りを記録している。
エマは通知を読ませてほしいとは言わなかった。両手を下ろし、先ほど返ってきたかすれ声を確かめるように、何度か浅く息をした。
カルドは搬送の出発時刻と死亡確認の時刻を別の行へ移した。死因を書く場所は空けた。
閉じた門の向こうで、荷車の御者たちが事情を尋ねている。記録係は痛む右手を胸へ寄せ、左手だけで新しい紙を押さえた。
ハドリーが時刻を告げると、記録係は鞄が肩を離れたところから、そこにいた者の名を一人ずつ書き始めた。




