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第13話 最初の荷

 三号棟の朝は、前日より広く感じられた。


 荷揚げ用の鎖が止まっているせいだった。作業床では箒が木屑を集め、川に面した大戸から冷たい風が入ってくる。最初に上げる木箱は荷台へ積まれていたが、縄を掛けた作業員たちは開始の合図を待っていた。


 カルドとエマが戸口へ着くと、灰色の上着を着たハドリーが時計を確かめた。


「時間どおりです。品物を扱うのは、倉庫側の責任者と記録係だけです。ほかの方は、見るだけにしてください。荷役が始まったあとは、白線の外から出ないでください」


「分かりました」


 エマはすぐに答えた。仕事用に束ねた栗色の髪が風で揺れたが、直そうとはせず、奥の階段を見ている。


「分かった。記録だけにする」


 カルドは外套の内側から帳面を出した。


 ハドリーは火のついていない細巻き煙草を上着の内側へ戻し、立会人がそろっているかを見回した。


 昨日、腰に鍵束を下げていた倉庫側の責任者が、保安局の記録係を連れてきた。太い鍵束は今朝も同じ革紐で腰へ結ばれている。


「封をしてから、戸へ近づいた者は?」


 ハドリーが尋ねた。


「いません。夜番にも前へ物を置かせなかった。鍵は作業が終わってから私が持ち帰り、今朝もまだ使っていません」


 責任者は壁の予定板も示した。荷の種類と時刻が並ぶ一番下に、昼前の来訪予定が書かれている。


「補償院の設備確認が入っています。古い荷揚げ機の修理に補助金を使っているので、現物と帳面を見に来るそうです」


「事故調査とは別の予定ですね」


「五日前に連絡を受けました。今日の作業を止める話ではなかったので、そのままにしています」


 記録係が予定板の時刻を控えた。ハドリーは来訪者を断るようには言わず、到着したら中へ通す前に知らせるよう求めた。


 ダリスが若い作業員を連れて、作業床の奥から来た。若者が荷の方へ戻ろうとすると、数取り板を胸へ押しつける。


「今日はこれだ。昨日と同じ持ち場にいろ」


「手は動きます」


「口も動くな。数を間違えたら、その時に使え」


 若者は不満そうに口を閉じた。それでも板を受け取ると、いつもより大きな声で「分かりました」と返した。


 立会人がそろい、一行は上階の保守区画へ向かった。作業の止まった床を横切り、狭い階段を上がる。通路の先の戸には、昨日見た紙帯が渡されていた。


 紙帯には倉庫と保安局、二つの印がある。記録係は端から端まで目を動かし、破れも貼り直した跡もないことを確かめた。倉庫側の責任者も自分の印を見て、間違いないと答える。


「切ります」


 全員の返事を待ってから、記録係が紙帯へ刃を入れた。


 鍵を開けたのは倉庫側の責任者だった。戸の向こうには、替えの縄や油差し、使わなくなった鉄具が棚ごとに収められている。朝の光は小さな窓から入っていたが、奥の棚までは届かない。責任者が壁の灯りをつけると、木箱の金具が鈍く光った。


「あれだ」


 ダリスが指したのは、床に近い棚へ置かれた平たい箱だった。


 記録係は箱の位置と外側の傷を先に書いた。倉庫側の責任者が箱を棚から下ろし、敷いた布の上へ置く。留め金を外す時も、ダリスは横から見ているだけだった。


 蓋が開くと、油の染みた革袋や、縁の欠けた測り道具が見えた。


「上から順に出す。勝手に混ぜるな」


 ダリスは責任者へ品名を伝え、一つずつ布の上へ移させた。三つ目の革袋の下から、細い鎖のついた真鍮札が出てくる。煤なのか古い油なのか、表面は黒ずんでいた。


 ダリスが腰を落とし、札へ顔を近づけた。


「四七だ」


 責任者が布ごと向きを変えた。真鍮の中央に、四と七が並んで刻まれている。細い鎖の輪には古い油が固まり、札の裏まで黒く汚れていた。


 記録係が番号を読み上げ、ハドリーが眼鏡越しに確かめた。エマは離れた位置に立ったまま、少しだけ身を乗り出した。


「あれが、父の調べていた札ですか」


「番号は一致しています」


 ハドリーは札から目を離さずに答えた。


「今分かるのはそこまでです。何に使ったかは、別の記録と照らします」


 エマはうなずいた。近づこうとはしなかったが、記録係が番号を書き終えるまで札を見ていた。


 札には細かな傷があり、片側に薄いへこみも見えた。カルドは位置だけを帳面へ写した。傷の古さも、何が当たった跡かも、ここでは分からない。


 記録係が新しい用紙を出した。


「ダリス・フェルクさん。この札を、調査のため保安局へ任意に渡しますか」


「札を渡せば、あいつの名まで話したことになるのか」


「なりません。氏名の質問には答えなかったと、昨日の記録に残っています。今日は札を預かるだけです」


 ダリスは床へ片膝をついたまま、古い道具と札を見比べた。


「なら、渡す。昨日話したとおり、箱に入れたのは俺だ」


 記録係が受領内容を読み上げた。ダリスと倉庫側の責任者が確認し、責任者が倉庫の印を押す。記録係は札を一枚だけ厚い紙袋へ入れ、口を閉じた上から封蝋を押した。袋の表には受領番号と時刻、立会人の名が書かれる。


 ハドリーは封が乾いたのを確かめ、記録係へ渡した。


「鞄へ入れてください。今日の記録と一緒に持っていてください」


 記録係は肩掛けの書類鞄へ封緘袋を収めた。留め具を掛け、鞄を斜めに掛け直す。


 受領書は、保安局用と倉庫用の二通を作った。一方を書き終えると、もう一方も同じ文面になっているか、記録係が最初から読み直す。ダリスは急がせなかった。下から作業員の足音が聞こえるたびに戸口を見たが、呼びに来る者はいなかった。


 最後に、箱へ残した物の数も確かめられた。倉庫側の責任者が古い道具を元の順に収め、四七番を預けたと書かれた倉庫用の受領控えを蓋の内側へ挟む。ダリスは留め金が掛かるところまで見届けてから、自分で立ち上がった。


「これで、荷を動かせるな」


「通路に誰も残っていないのを確かめてからです」


「分かっている」


 ダリスは先に歩き出したが、階段の手前で全員が来るのを待った。


 


 下へ戻ると、朝の冷気より木と縄の匂いが強くなっていた。待っていた作業員たちが持ち場につき、上階からも準備ができたという声が返ってくる。


 壁の時計は、集合から一刻近く進んでいた。荷車の御者たちは戸外で待たされていたが、倉庫側の責任者は順番を崩さず、荷札を受け付けた時刻のまま並ばせていた。


 倉庫側の責任者は、保守区画の戸が閉じたことを確認してから操作担当の横へ立った。


「上に四人、下に六人。通路は空いた。最初の荷を始める」


 数取り台の若者が、板を持つ手を上げた。


「荷札、木箱六。行き先は二階奥です」


「そこから動くなよ」


 ダリスが念を押す。


「分かっています」


「昨日も聞いた」


 若者は言い返しかけたが、板を抱え直して白線の外へ下がった。


 カルドとエマは入口寄りの見学位置に立った。少し離れた所では、ハドリーと記録係が受領用紙の控えを見比べている。鞄は記録係の肩に掛かったままだ。


 作業員が合図を返し、操作担当が腕を動かした。


 止まっていた鎖が張り、荷台が床から離れる。六つの木箱は縄でまとめられ、揺れも小さい。ダリスは荷台の下に誰もいないことを見てから、二階へ手を上げた。


 荷台が人の背丈を越えたところで、鎖の音に別の音が混じった。


 硬い物を小さく叩いたような、短い音だった。


「止めろ!」


 ダリスの声と同時に、荷台が下へ落ちた。


 操作担当が腕を引く。荷台は床へ着く前に強く止まり、六つの木箱が縄の中で跳ねた。一本の縄がずれ、端の箱が鉄枠へぶつかる。枠ごと大きく横へ振れた。


 数取り台の若者は、板を抱えたまま動けずにいた。


 ダリスが走った。若者の胸を腕で押し、太い柱の陰へ投げ込む。次の瞬間、振り戻った枠がダリスの右肩へ当たった。身体が横を向き、積み荷の角に脇腹を押される。


 木箱が床へ落ち、板が割れた。中から布包みが転がり出る。


「全員、その場から離れろ。上も動くな!」


 倉庫側の責任者が操作部の前へ入り、両腕を広げた。


 ハドリーは記録係を入口側へ下げると、カルドとエマへ白線から離れるよう手で示した。


「医療官を呼んでください。上階の者は階段から下ろす。操作部と荷には触れないよう見張りを一人ずつ置いて」


 近くの作業員たちが、別々の方向へ走った。カルドは壁際へ移り、時計を見てから帳面を開いた。音がした時刻、荷が六箱載っていたこと、若者とダリスがいた位置を書き込む。


 記録係は走らず、書類鞄を胸の前へ回して入口近くまで下がった。留め具を指で確かめてから、事故後の時刻とハドリーの指示を記録用紙へ書き足す。


 ダリスは自分で積み荷の横から出てきた。柱の陰でしゃがむ若者の腕をつかみ、立たせる。


「どこか当たったか」


「俺は平気です。ダリスさん、肩が」


「腕を上げろ。足も動かせ」


 若者は言われたとおりに動かしたあと、ダリスを支えようとした。触れた手首から、驚いたように手を離す。


「冷たい。すごく冷たいです」


「朝だからだ。それより人数を数えろ」


 ダリスは若者の背を数取り台の方へ押した。いつもの強さはなく、途中で一度息を継ぐ。


「上に残った者にも……返事をさせろ。名前で呼べ」


 若者の手は震えていた。それでも板を拾い、書かれた名を上から読み始める。上階から一人ずつ返事が降りてきた。


 二人目の返事を聞き損ね、若者は同じ名をもう一度呼んだ。今度は二階の奥から大きな声が返る。若者は板へ印をつけ、次の名を読んだ。震えは止まらなかったが、声だけは少しずつ戻っていった。


 ハドリーがダリスの前へ立った。


「座ってください。医療官が来るまで動かないで」


「若いのを先に見ろ。俺は歩ける」


 ダリスは右腕を腹の前へ寄せたまま、二歩進んだ。三歩目で足が止まり、左肩を壁へ預ける。額には汗が浮いているのに、頬の色は薄かった。


「歩けることは確認しました。もう十分です」


 ハドリーは近くの作業員に、ダリスを無理に動かさず、呼吸と返事を見ているよう命じた。本人が断っても医療官は呼ぶと伝え、次に倉庫側の責任者へ向く。


「作業は?」


「今日は再開しない」


 責任者は作業員たちへ声を張った。


「上にいる者も階段から下ろせ。荷と操作部には触るな。誰も近づけるな」


 責任者は操作部へ縄を張らせ、見張りの立つ位置を決めた。上階から下りてきた者にも、勝手に荷台へ近づかないよう声をかける。


 エマが白線の外からダリスを見ていた。踏み出しかけた右足を戻し、カルドの外套の袖をつかむ。


「自分で歩いていました。返事だって、ちゃんとできています」


「ああ。二歩進んだあと、壁にもたれた。今は医療官を待とう」


 エマは口を閉じた。袖から手を離しても、ダリスの顔から目をそらさない。


 若い作業員が最後の名を呼んだ。返事を聞くたびに印をつけ、もう一度、上と下の人数を数える。


「全員います。怪我をしたのは、ダリスさんだけです」


 その声を聞いたダリスが、壁から背を離そうとした。


「なら、入口を――」


 言葉の途中で息が詰まり、脇腹を押さえる。ハドリーが肩へ手を添え、元の位置へ戻した。


 ダリスは抵抗せず、記録係の方へ顔を向けた。その目が、記録係の肩掛け鞄で止まった。


「四七番は、もう受け取ったな」


「受領記録まで済んでいます。袋の封も確認しました」


 ハドリーが答えると、ダリスは短く息を吐いた。安心したのか、ただ苦しかったのかは、顔を見ても分からなかった。


 戸口から受付の男が駆け込んできた。


「補償院の方が門に着きました。設備確認の予定だと言っています」


「外で待ってもらってください。中は事故で閉鎖します」


 倉庫側の責任者が答えた、その直後だった。


 二階の受け取り床より上、梁のあたりで、金属が引っかかり、強く滑る音がした。


 作業床にいた者が一斉に顔を上げる。上階の手すりの向こうで、何かが揺れた。


「全員、入口まで下がってください!」


 ハドリーが叫んだ。責任者も上階へ退避を命じる。


 ダリスは壁から離れようとしたが、脇腹へ当てた手が動かない。エマは呼びかけず、彼がもう一度返事をするのを待つように見つめた。


 高い所から、二度目の音が落ちてきた。


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