第八十話 千の荷車が選んだ道
王都の広場に、新しい布告が貼り出された。
『食料輸送の安全確保のため、一定規模以上の民間配送団体は王国指定商会の保証を受けること』
指定商会の筆頭には、黒穂連合商会の名があった。
バルクは布告を握り潰しかけた。
「俺たちに、あいつらの許可を取れと言うのか」
「まだ成立していない。規制案だ」
ミラが冷静に言った。
「でも、このままなら通るわ」
俺は王都の議会へ向かった。
議員たちは『食料の安全』を口にした。
だが、保証を受ける費用は高く、小さな運送業者には払えない。
「大商会しか残らなくなる」
俺は議場の外で呟いた。
「それが狙いでしょうね」
オルムが隣に立った。
「ヴァルデンは、穀物を失っても道を支配したいんだ」
俺は議会へ請願書を出した。
規制の目的である安全管理は必要だ。
荷崩れや腐敗、配給先の不明な輸送を放置してよいわけではない。
しかし、特定の商会の保証だけを認める理由はない。
「代案を示そう」
ミラは各地の御者に連絡を取った。
バルクは荷車の整備記録を集めた。
サーラは橋と道路の点検表を作った。
リオは船の積み荷検査を引き受けた。
ハンナは農家の出荷記録を揃えた。
一週間後、王都の広場に荷車が集まり始めた。
最初は十台。
次に五十台。
昼過ぎには、通りの端まで車輪が並んだ。
「こんなに来るなんて」
ミラが息を呑んだ。
俺は首を振った。
「みんな、自分の仕事を守りに来たんだ」
荷車にはそれぞれ、行き先の村名と積み荷の種類が書かれていた。
誰が運び、誰が受け取り、何を確認するか。
それは谷の食糧便が何度も失敗しながら整えてきた記録の形だった。
その夜、仲間と事故記録を読み直した。
サーラは車輪点検の省略を防ぐ二人確認を、リオは船の検査員を複数にする案を出した。
俺たちは自分たちの事故も隠さず公開すると決めた。
翌朝、議会の公開審議で、黒穂の代理人は言った。
「小さな運送業者に安全を任せるのは危険です」
若い御者が立ち、事故記録を提出した。
「俺たちにも事故はありました。だから検査は必要です。ただ、検査する商会を一社だけに決めないでください」
黒穂の代理人は資格がないと反論したが、御者は修理費と運行停止日を記した帳面を開いた。
バルクが立ち上がった。
「うちの車輪は毎朝点検してる。記録もある。おたくの倉庫の空袋より、よほど信用できる」
傍聴席に笑いが起きた。
代理人は顔を赤くした。
「問題は規模だ。千台もの荷車を誰が管理する!」
「一社で管理しないことが大事なんです」
俺は少し考えてから答えた。
「地域ごとに検査し、受領書を共有し、問題があれば輸送を止めて調べる。特定の商会だけが保証人になる必要はありません」
議員の一人が尋ねた。
「不正が起きた場合、誰が責任を取る?」
「運送業者です。だから、記録を残し、賠償のための共同基金を作ります。責任を曖昧にするための仕組みではありません」
ミラが基金の試算を示した。
全員が少額ずつ積み立て、事故の際には調査と補償を行う。
監査には農家、商人、受取人の代表が加わる。
「自分たちで自分たちを監督するのか」
議員が疑わしそうに言った。
「だから外部の検査官も入れます。記録を公開し、誰でも異議を申し立てられるようにします」
議員たちは遅延を知らせる仕組みも検討項目に加えた。
御者は修理で荷を止めた日も記録していた。
傍聴席の農家が言った。
「遅れるなら知らせてくれ。そうすれば村で残りの食料を分けられる」
待つ側の声が議事録に残った。
審議の途中、検査の費用を誰が負担するかで議員たちが対立した。
小さな運送業者に一律の保証料を課せば、山間の村へ通う荷車から消えてしまう。
ミラは村ごとの配送距離と事故件数を示し、費用を運行実績に応じて分ける案を出した。
「それでも事故が起きたら?」
と議員。
若い御者は自分の帳面を開いた。
「止めた便も記録します。走らなかった日の理由を、荷主にも受取人にも知らせます」
議長は、遅延の連絡だけでなく、誰が連絡を受け取るかまで制度案に書き加えるよう記録官へ指示した。
村ごとに受取人を定め、連絡が届かなかった場合も調べられるようにするためだった。
審議は夕方まで続いた。
その途中、議場の外で騒ぎが起きた。
黒穂の倉庫で働いていた若者が、古い帳簿を持って現れたのだ。
「俺は、空袋を積むよう命じられました」
オルムが駆け寄った。
「……レオン?」
若者は顔を上げた。
「父さん」
消えたと思われていたオルムの息子だった。
レオンは震える手で帳簿を差し出した。
「倉庫の麦は、売れ残ったんじゃない。値上がりを待つため、わざと移されたんです。俺は証拠を持って逃げた」
俺は彼をすぐ議場へ連れていかなかった。
まず安全な場所へ移し、本人が証言する意思を確認した。
「怖いなら、今は休んでいい」
レオンは首を振った。
「俺が黙ったせいで、冬の食料を失った人がいる。話させてください」
翌日、公開審議は再開された。
レオンの証言と、銀行の検査記録、港の船荷証券が照合された。
議会は黒穂の保証人指定を保留し、独立した検査制度を検討することを決めた。
規制案は、そのままでは成立しなかった。
広場へ出ると、御者たちが待っていた。
「勝ったのか?」
バルクが尋ねた。
「全部じゃない。まだ審議は続く」
俺は答えた。
「でも、明日の配達は止められない」
御者たちは一斉に荷台へ戻った。
車輪が動き出す。
一台、また一台。
王都の通りを、食料を積んだ荷車が進んでいった。
オルムは息子の肩を抱き、何も言わずに見送った。
ミラが俺に尋ねた。
「これで黒穂との戦いは終わり?」
「まだだ。証券の不足分も、被害を受けた農家の補償も残っている」
「それに、次の飢饉も」
「うん」
俺は北の空を見た。
遠い山の向こうでは、今年の雨が異常に少ないという。
今度の危機は、一つの商会を止めても解決しないかもしれない。
そのとき、ラトナ村から来た小さな荷車が目の前を通った。
荷台には豆と乾燥野菜が積まれている。
御者は、かつて飢えて倒れた少年だった。
「タクトさん、次はどこへ届ければいい?」
俺は地図を広げた。
「まずは、食べ物が届いていない村へ」
少年は笑って手綱を握った。
千台の荷車が動き始めても、最後尾の一台は残っていた。
車輪の割れを見つけた若い御者が、自分の判断で出発を遅らせたのだ。
俺はその決断を支持した。
少年は最初の曲がり角で荷札を確かめ、北の道へ手綱を向けた。
後ろの荷車は、遅れた一台が追いつくまで速度を落とした。




