第六十三話 白旗の下で奪われた小麦
最初の十人への配給から三日目、許可された追加便の受け渡しを始めた朝、食料袋が消えた。
二十袋を載せた小舟が岸へ着いた直後、帝国兵が現れて積み荷を徴発したのだ。
受領書には村長代理エルザの印がなく、代わりに軍の赤い刻印が押されていた。
「やっぱりこうなった」
とバルクが言った。
「これ以上は認められん」
俺は反論できなかった。
食料が兵士へ渡れば、村の子供たちには届かない。
それだけでなく、王国側の警備隊も責任を問われる。
「奪った部隊の指揮官と話したい」
「撃たれるぞ」
「なら話せる距離まで来てもらう」
俺は対岸へ手紙を出した。
『食料の用途を確認したい。
兵糧にするなら以後の便は停止する』
返事は意外にも早かった。
帝国軍の若い副官、ケインが中州へ来た。
彼は泥だらけの軍靴で、こちらの食料を侮蔑するように見た。
「我が軍の管轄で配られる物は軍が管理する」
「それでは村へ届きません」
「軍が飢えれば村も守れん」
「兵士の食事と民間人の救援は別に調べるべきです」
副官は笑った。
「敵国の男が帝国の配給に口を出すな」
そのときエルザが中州へ駆け込んだ。
彼女は受領書の写しを掲げた。
「昨日の夜、うちの村には一袋も届かなかった。徴発した二十袋はどこへ行ったの」
ケインは視線をそらした。
「後方の倉庫だ」
「場所は?」
答えはなかった。
ケインは夜、関所の外で俺を待っていた。
「お前は私を告発するつもりか」
俺は
「あなたが関わったなら記録に残ります」
と答えた。
「しかし、協力したことも同じように残す」
副官は顔を背けた。
敵か味方かの二択では、人は間違いを認めにくいのかもしれない。
だからといって責任を曖昧にするつもりもなかった。
俺は軍の赤い刻印を写し取った。
兵站を扱う人間なら、印と番号で輸送経路が追えるかもしれない。
ミラは関所の古い荷受け台帳を調べ、同じ番号の物資が二日前にも通過していることを見つけた。
しかも送り先は軍営ではなく、国境沿いの民間倉庫だった。
「徴発じゃない。誰かが売ってる?」
「まだ決めつけない。倉庫を確かめよう」
渡し守の紹介で、帝国側の塩商人が中州に現れた。
商人は袋の印を見るなり顔を曇らせた。
「その刻印の穀物なら、昨日市場に出た。普段の四倍の値だ」
塩商人は名前を明かすのをためらった。
帝国軍の不正を証言すれば、商売ができなくなる。
俺は
「あなたの名前は公開記録に載せません。ただし、証言の内容は別の帳簿で裏付けます」
と説明した。
商人はようやく倉庫の位置を地図に記した。
横流しが明らかになった晩、救援所には疑心暗鬼が広がった。
エルザの村人の一人は
「王国の人間が最初から仕組んだ」
と言い、王国側の兵士は
「帝国の村長が嘘をついている」
と言い返した。
俺はどちらにも同意しなかった。
積み込みの記録と受け取りの記録を机に並べ、確認できた事実だけを黒い線で結んだ。
最後の線が民間倉庫で途切れている。
そこを埋める証言が必要だった。
ミラは紐の色だけで袋を見分けるのをやめようと提案した。
同じ色の糸なら誰でも用意できる。
そこで袋の縫い目に小さな数字を入れ、積み込み時の記録と照合することにした。
面倒な仕事だが、奪われた食料を追うには必要だった。
エルザも村の若者へ数字の読み方を教え始めた。
翌日、塩商人の案内で倉庫の外へ行ったエルザは、裏口に捨てられた穀物袋の紐を見つけた。
袋には食糧便が使う青い糸が混じっていた。
紐だけでは証拠にならないが、商人の伝票には同じ日に二十袋の買い取りが記されている。
エルザはその控えを持ち帰った。
俺は彼女の働きを記録の最初に書いた。
王国の人間が救ったという物語にするつもりはなかった。
エルザが息を呑んだ。
「私たちの食べ物を売ったの?」
ケインは剣に手をかけたが、バルクの兵が一歩前へ出た。
俺は間に立った。
「今ここで争えば、川は閉じます。売った人物を特定し、村へ返す方法を決めましょう」
「お前に何ができる」
と副官。
「食料を止めることはできます。でもそれをすれば村人が死ぬ。だから、止めずに守る方法を探します」
俺は次便から一袋ずつ番号を付け、受け渡しの場で村の代表者へ直接渡す案を示した。
軍には数量を公開し、武器を持つ者は配給列から離れる。
村側も記録係を二人置く。
ケインは一度拒否した。
しかし軍が食料を売り払った疑惑を上官へ報告すると言われ、渋々立会いを認めた。
翌日、盗まれた二十袋のうち十二袋が戻った。
戻った十二袋はすぐには配れなかった。
保管状態が不明だったからだ。
医師と村の炊事係が袋を開け、湿りや異臭を調べた。
回収した十二袋のうち二袋は水を吸っており、食用に回さず処分した。
使えるのは十袋。
残る八袋は、まだ戻っていない。
俺は未回収八袋と、回収後に廃棄した二袋を別々の欄に記した。
回収したという数字だけでは、食べられる量は分からない。
回収した十袋は、エルザと村の炊事係が立ち会う共同炊事に回した。
二百五十四人の未救援名簿から、まず衰弱の激しい十八人を選び、一人ずつ食事を渡した。
エルザは十八人の受領を確認し、初回の十人と重ならないことを名簿で照合した。
これで実際に食事を受け取ったのは計二十八人、なお二百三十六人が待つ。
十袋を回収したことと、十八人が食べられたことは別々に記録した。
次便の補充十袋も、まだ届いたことにはしなかった。
回収後の配給では、子供が一人、食事を受け取ろうとしなかった。
「また兵隊に取られるから、持って帰りたくない」
エルザはその子を共同炊事場へ連れて行き、目の前で豆を鍋に入れた。
煮えるまでの間、子供は何度も入口を見た。
湯気が立ち、最初の一杯を渡されてようやく肩の力を抜いた。
俺は対岸からその様子を見ていた。
帳簿に戻った十二袋と書けても、失われた安心は数えられない。
受け取りに来た母親が
「残りの八袋は誰のものだったの」
と尋ねた。
エルザは名簿を開き、まだ食事が届かない二百三十六人の欄を指でなぞった。
俺は不足する十袋分を次便の調達枠で補う案を出したが、エルザは首を振った。
「先に配る理由を、ほかの家にも説明させて」
村の集会で、軍に奪われた分を補うことと、ほかの家の配給を減らさないことを確認した。
回収の責任と、今夜の食事を守る責任は別々に残る。
だから二つとも帳簿に書いた。
未回収の八袋は転売先を追跡中だった。
エルザは戻った袋に触れた。
「全部は戻らないんだね」
「そうだ。でも次の袋は守る」
俺が答えると、彼女は受領書の新しい欄に印を押した。
そこには『未回収八袋』と、消せない文字が残った。
夕暮れ、白旗を縫った老女が受領所へ来た。
「あの布を見れば、兵も子供には手を出さないと思った」
エルザは老女の手を取り、
「あなたのせいじゃない」
と答えた。
老女は新しい白旗を縫うと言ったが、俺たちは先に受渡場所を双方の警備兵が見える位置へ移し、袋を数える村人を増やした。
布の色だけに命を預ける救援は、もう繰り返さない。
老女は白旗を畳み、次便の受け渡しに立ち会うと申し出た。
「信じるだけじゃなく、数える手にもなるよ」
エルザはその手を受領所へ案内した。




