↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
役立たずと追放された俺の保存倉庫は、飢えた世界を救う最後の希望だった  作者: レモンティー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/110

第六十一話 国境の向こうで泣く子供

国境から届いた軍の通達には、たった二行しかなかった。

『帝国領内に大規模な飢餓。

民間人の越境を禁止する』

俺が紙を裏返すと、余白に小さな字があった。

『川沿いの集落で、子供が木の皮を煮ている』

その文字の脇には、乾いた指で擦ったような汚れが残っていた。

報告を書いた兵士は、見たことをなかったことにできなかったのだろう。

書いたのは国境警備隊の下士官らしい。

「命令書にこんなことを書いたら、処罰されるんじゃない?」

ミラの問いに俺はその場で答えを決めず、相手の話を聞き続けた。

王都の金庫は空に近く、北の九村への便も続いている。

余剰の食料などない。

まして敵国へ運べば、軍に兵糧を渡したと疑われる。


翌朝、俺は国境の関所へ向かった。

隊長のバルクは通達を机に叩きつけた。

「敵国へ一粒でも麦を渡せば、反逆とみなす。帰れ」

「民間人がどこにいるかだけ教えてください」

「軍の情報を渡せると思うか」

「では、こちらで確かめます」

俺は関所の外に座り、往来する人々の話を聞いた。

渡し守は、対岸で夜ごと小さな火が三つ灯ると言った。

洗濯女は、川を流れてきた子供用の靴を拾っていた。

関所の食堂では、兵士の夕食に麦粥が出た。

俺は器の量を見て、国内の補給にも余裕がないことを知った。

バルクは

「この兵の飯を減らして敵へ渡せと言われたら断る」

と言う。

俺は

「減らしません。調達先を分けます」

と約束した。

約束を守るため、王都の寄付台帳と近隣農家の余剰を一件ずつ確かめる必要があった。

「見に行けば撃たれるよ」

と渡し守。

「見ないで帰れば、今夜も誰かが飢える」

だが俺は舟を盗んだりしなかった。

対岸へ無断で渡れば、食糧便そのものが潰される。

彼は対岸が見える高台に登り、望遠鏡を借りた。

煙はあった。

畑は雪に埋まり、家々の屋根が崩れている。

関所へ戻ると、俺は一枚の申請書を差し出した。

『停戦線上における非軍事救援の実態調査』


昼過ぎ、俺はレムに村の道を描いてもらった。

少年は川と大きな柳を描き、最後に小さな丸を三つ置いた。

「これが家?」

と聞くと、レムは首を振った。

「ここは畑。お父さんが戻ったら、一緒に豆を蒔くところ」

その言葉に、俺は食料を運ぶだけでなく種を守る意味を思い出した。

七粒の豆を食べずに残した母親は、今日だけでなく春を見ていたのだ。

王都への申請を送る前、バルクは紙の末尾を指した。

「軍の印がある以上、私も責任を問われる」

俺は

「取り消しても構いません」

と答えた。

隊長は怒ったように眉を寄せた。

「簡単に言うな。お前の言う子供の姿を、私も見た」

印を押す手は重かった。

俺はその重さを忘れないと決めた。


翌朝の風は冷たかった。

対岸の煙は昨日と同じ場所から上がっている。

俺は望遠鏡を下ろし、持参した麦の量を確認した。

今はまだ渡せない。

けれど、誰に何を頼むか、何を証明するかは決まった。

彼は空の荷車を押す御者に声をかけた。

「次にここへ来るときは、食料を積んで来たい」

御者は短く頷き、車輪の泥を落とした。

バルクは鼻で笑った。

「誰が許可する」

「許可する人の名前を書いてください。そこへ持っていきます」

俺は関所の地図に、赤い線を一本引いた。

そこは軍が守る境界であり、彼が越えようとしている場所でもあった。

線の向こうの人を知らなければ、必要な食料の種類も量も決められない。

まず話を聞く。

それは日本で配送計画を立てていた頃から変わらない順番だった。

調査を続けるうち、国境の古い渡船場に使われなくなった秤があると分かった。

俺は渡し守と一緒に錆びた錘を磨いた。

もし許可が下りても、渡す量を双方が確かめられなければ疑いが生まれる。

「秤は嘘をつかんが、秤を読む人間は嘘をつく」

と老人が言う。

俺は笑えなかった。

王国の商会との争いで、何度も経験したことだからだ。

そこで秤の目盛りを紙に写し、反対岸からも見える大きな板を作った。

関所の厨房では、余った野菜の切れ端を煮込んでいた。

料理番の女性が

「兵士の飯にさえ苦労しているのに、敵の村まで助けるのか」

と聞いた。

俺は

「ここから食料を持ち出すつもりはありません」

と答え、寄付のために別の農家を探していることを話した。

女性は黙って聞いたあと、厨房の裏に積まれた空の樽を指さした。

「水を運ぶなら、洗って使いな。食べ物だけ運んでも、あっちは困るだろう」

その助言で必要物資の一覧に清潔な水の容器が加わった。

夜明け、レムは夢の中で妹の名前を呼んだ。

俺は寝台の脇で聞いていた。

自分がこの子を助けたと言い切ることはできない。

母親はまだ川の向こうで、今日の食事も分からない。

少年の七粒の豆は封筒の中でかすかな音を立てた。

これを返すことができなければ、食糧便という名前も空虚になる。

俺は申請書の控えをもう一度開き、誰に会えば許可を早められるか書き出した。

「王都の軍務院だ。返事に十日はかかる」

俺は唇を噛んだ。

十日。

その間に食べ物が尽きるかもしれない。

夜、関所の厩舎で小さな騒ぎが起きた。

対岸から流れ着いた筏に、六歳ほどの少年がしがみついていたのだ。

隊員が引き上げると、少年は濡れた布袋を離さなかった。

中には、土にまみれた乾いた豆が七粒。

「お母さんに、種だから食べるなって」

少年はそう言って気を失った。

俺は医師を呼び、体を温める湯と、薄い粥を用意した。

急に大量に食べさせないよう、医師の指示を受けた。

バルクはその一部始終を見ていた。

レムが眠った後、医師は少年の手を診た。

爪の周囲に土が入り、指先はひび割れていた。

「川を渡る前に、何日も歩いたはずだ」


翌朝、少年レムは目を覚まし、対岸に母と妹がいると告げた。

父は徴兵されたまま戻らない。

「豆を七粒、持ってきたんだ。春に植える分だって、お母さんが」

俺は掌に載せられた豆を見つめた。

救援に使える食料は限られ、国境警備隊の許可も

「調査のみ」

俺たちが勝手に越えれば、次の便は永久に止められるかもしれない。

「向こうへ戻って、村の人の名前を聞いてくる」

とレムが言った。

「それは駄目だ。君を危険な場所へ戻すための調査じゃない」

代わりに通訳を呼び、レムの記憶を一人ずつ聞き取った。

妹の名前を書いたとき、少年の声が詰まった。


夕刻、俺は名簿と食料の用途を書いた申請書を、警備隊長バルクに差し出した。

「軍への補給ではありません。子供と病人への配給を、両国の立会人が確認する形にしてください」

「もし帝国軍が奪えば、お前の名前で責任を問われる」

「だから記録を残します。危険を知らないふりはしません」

バルクは長く沈黙し、申請書に調査印を押した。

「まだ越境許可ではない。明日、対岸と話す時間だけ与える」

レムは七粒の豆を握り直した。

「明日なら、お母さんに近づける?」

国境の兵はレムに渡す豆を数えながら、自分の弟の食事を思い出していた。

「敵の子だ」

と口にしたあと、誰の空腹にも国境線は引けないと気づいて黙った。

「近づくための一歩だ」

橋の向こうの兵はまだ銃を下ろさなかった。

それでも書類には、敵国の子供の名が初めて記された。

俺はその紙を、川風で飛ばされないよう押さえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。