第三話 四十七人の村
ラトナ村の広場に集まった人々は、誰も歓声を上げなかった。
俺の背後に荷車がないと分かると、期待が失望に変わるのが見えた。
「食料を持ってきたと言ったな」
白髪の村長エルガが、トトの肩を抱いた。
「はい。少量ですが、ここにあります」
保存倉庫から豆とパンの袋を出すと、人々が一斉に息を呑んだ。
「魔法か」
「食料と飲み水を保管できる能力です。先に村の人数と病人の数を教えてください」
「配らないのか!」
一人の男が叫んだ。
「子供が腹を空かせているんだぞ!」
「配ります。ただ、重症の人に硬いパンをそのまま渡したら危険です。火と鍋と安全な水が必要です」
男は拳を握ったが、隣の女に袖を引かれて黙った。
村長の家で数を確認した。
住民は四十七人。
幼い子供が九人。
病人が六人。
畑仕事に出られる大人は二十二人。
残りは老人と、長く食べられず体力を落とした人々だ。
「昨日まで何を食べていましたか」
「野草と、残った麦を少し」
「飲み水は」
「共同井戸だ。底が見えかけている」
井戸を見に行くと、水は濁っていた。
底に泥が溜まり、汲むたびに砂が舞う。
俺はまず鍋を洗い、濁りを布で取り除いた井戸水を十分に沸かすよう頼んだ。
水質そのものが安全かは分からないため、飲用には慎重になる必要があった。
燃料が乏しいため、村の人たちは倒れた枝を集めてくれた。
「今日の食事は、豆とパンを柔らかく煮たものにします。弱っている人には少量ずつ」
料理を始めると、匂いに誘われて子供が集まった。
一番小さな少女が、鍋を見つめていた。
「名前は?」
「ミリ」
「何歳?」
「六つ」
「お腹、空いたか」
ミリは頷いたあと、後ろを振り返った。
「おばあちゃんにも、ある?」
「あるよ。順番に運ぼう」
配給の準備を進めるうち、俺は一つ失敗しかけた。
広場に集まれる人だけを数え、家から動けない老人を配給の対象から落としかけたのだ。
「婆ちゃんの分は?」
ミリが器を差し出して初めて気づいた。
彼女の器は空だった。
自分の分を先に食べたのではない。
祖母の分を持って帰るため、ずっと鍋の前で待っていたのだ。
俺は慌てて帳面を見直した。
人数は四十七人。
広場に来たのは三十八人。
残りの九人は、寝込んでいるか、家族の介護をしている。
「ごめん。人数だけでなく、全員の居場所まで確かめるべきだった」
村長は首を振った。
「我々も気が回らなかった。飢えていると、目の前の鍋しか見えなくなる」
俺は村を四つの区画に分け、各区画の代表に人数を確認してもらった。
食事を届けたら印をつけ、重複と配り忘れを防ぐ。
「数字だけじゃ分からないこともある」
村で病人の世話をしているエナが言った。
「同じ一人でも、寝込んでいる人と畑で働く人では必要な食事が違う。小さな子は急にたくさん食べられないこともある」
「教えてください。俺は医者でも栄養士でもありません」
彼女は驚いたように俺を見た。
「勇者様じゃないのかい」
「勇者としては不合格でした」
「そうかい。なら、できることを持ち寄ろう」
エナは病人の世話を引き受け、村長は人数の確認、ハンスは薪集めを担当した。
トトは家ごとに器を運んだ。
食事のあと、空の器が戻ってきた。
誰が食べられたか、誰が残したかも記録する。
食べられない人には別の対応が必要だからだ。
そのとき、広場の端で一人の男が自分の分を袋に隠すのが見えた。
「何をしているんですか」
男は青ざめた。
「盗んでない! 俺の分だ!」
「分かっています。ただ、今食べなくて大丈夫ですか」
「明日、食べ物がなくなったらどうする」
俺は返す言葉を失った。
明日の保証がない人間に、今日の食事を全部食べろと言うのは酷だった。
「明日の配給予定を、全員に見える場所へ書きましょう」
俺は村長に提案した。
「確実にある分だけです。ないものは、あると書かない」
男は袋を握ったまま、しばらく立っていた。
やがて中のパンを少し取り出し、ゆっくり食べ始めた。
信頼は、食料を一度配っただけでは生まれない。
約束を守った回数で、少しずつ積み上がるのだ。
配給が一段落したころ、先ほど叫んだ男が鍋へ近づいた。
「うちの母親は歩けない。母親の分は届いたか」
「確認して、まだなら家まで運びます。名前を教えてください」
「……ハンスだ」
ハンスの母親は寝床から起き上がれなかった。
熱があり、口も乾いている。
俺は食事を急がせず、村で看病をしている女性に状態を確認してもらった。
医者ではない俺に、治療できるふりはできない。
食事を配り終えるころには、日が傾いていた。
一人分は決して多くない。
それでも、村のあちこちから匙が器に触れる音が聞こえてきた。
「明日も、食べられる?」
ミリが尋ねた。
俺は即答できなかった。
残った食料は少ない。
今の量では数日も持たない。
俺は村の家々を回り、鍋を持っていない家が二軒あることを知った。
食料を渡しても、調理する道具がなければ食べられない。
共同の鍋を使う順番を決め、食べる場所まで来られない人には器を運ぶ。
そんな小さな手間が、四十七人の食事を支えていた。
倉庫の能力だけでは、こうしたことに気づけなかっただろう。
「明日の分は、今ある食料を分ければ用意できる。だけど、その先はまだ約束できない」
少女は小さく頷いた。
「じゃあ、明日も生きられるね」
ミリは笑ったが、俺はその言葉を喜べなかった。
六歳の子に、明後日の命を心配させている。
その言葉を聞いて、俺は膝の上で拳を握った。
村長が隣に座った。
「若いの。お前さんが持ってきた食料で、何日しのげる」
「今の配り方なら二日ほどです。体力を戻すには、もっと必要です」
「そうか」
「村に残っているものを全部教えてください。種麦、道具、売れる品物。食料を買う方法を考えたい」
村長は少し驚いた。
「施しをして帰るのではないのか」
「帰ったら終わり、にはしたくありません」
村長はしばらく俺を見つめ、古い帳面を持ってきた。
そこには収穫量、井戸の水位、村人の名前が細かく記録されていた。
最後のページには、空白が続いている。
「記録する麦がなくなった」
俺は帳面を借りた。
その夜、広場で村人を集め、残りの食料と必要量を正直に説明した。
足りないという事実を隠せば、最後に信頼を失う。
「俺一人の金では足りません。ですが、この村にはまだ畑があります。手があります。街道も完全には消えていない。明日は何ができるか、一緒に考えてください」
誰も拍手はしなかった。
しかし、帰ろうとする人もいなかった。
トトが小さく手を挙げた。
「僕、道を覚えてる。次も案内できるよ」
ハンスが続いた。
「壊れた橋なら、俺は直せる。木工職人だったんだ」
村長が帳面を閉じた。
「なら、明日は仕事を分けよう」
広場の集まりが終わる前に、ハンスが橋の図を土に描いた。
「板が足りない。直すなら家の戸を外すしかない」
一人の女が反発した。
「冬に戸がなかったら子供が凍える」
俺は修理を急がせかけて、口を閉じた。
荷を運ぶために誰かの家を壊すのでは、別の飢えを作るだけだ。
村長が空き小屋の板を調べるよう提案し、女はその小屋の鍵を持ってきた。
橋はまだ直らない。
それでも、自分の家を守りながら道をつなぐ方法を、村人が選び始めていた。
村人が家へ戻ったあと、ミリの家から小さな歌が聞こえた。
久しぶりに夕食を食べた子供が、眠る前に歌っているのだという。
俺は広場に座り、倉庫の残量を確かめた。
翌朝、前夜に預かった鍵でハンスは村長と空き小屋を開け、板を一本ずつ日なたへ出した。
腐った板には赤い印を付け、使えるものだけを橋のたもとへ運ぶ。
家の戸を差し出しかけた女は、戸がそのまま残っているのを見て、古い箱から釘を持ってきた。
「これなら、夜も子供を寒がらせずに済むね」
ハンスは釘を手のひらに広げ、曲がったものを取り除いた。
トトが板を抱えようとしてよろけると、ミリが袖を引いた。
「重いのは大人に任せよう。私たちは釘を数えられる」
二人は使える釘を小さな山に分けた。
ハンスはその数を確かめてから、橋の最も傷んだ箇所に印をつけた。
板も釘も十分ではない。
今日は危険な部分を塞ぐだけにし、荷車を通せるかどうかは補強が済んでからハンスたちが確かめることになった。
俺の保存倉庫には、まだ四百キロ以上の空きがある。
なのに、その空間に橋板も釘も入れられない。
食料しか預けられない能力の限界を、今朝ほどはっきり感じたことはなかった。
それでも、村人は誰も俺の指示を待っていなかった。
戸を守った女が釘を出し、子供たちが数え、職人が安全を決める。
橋はまだ荷車を通せない。
ハンスは赤い印より先へ進まないよう皆に告げ、村長は翌朝の点検に立ち会う者の名を板に書いた。




