第二話 最後の銀貨で買った食料
翌朝、宿の主人から兄弟が無事に合流したと聞いた。
門番が南門の外で弟を見つけてくれたという。
二人がパンを分けて食べ、今は安全な場所にいると確かめて胸をなで下ろした。
俺はトトと市場へ向かった。
開店準備の荷車が石畳を鳴らしていた。
俺はトトと一緒に穀物商を回った。
小麦は高い。
干し肉はもっと高い。
保存倉庫の容量が五百キロあっても、金がなければ空箱と同じだった。
「お兄ちゃん、もう帰ろう。無理だよ」
「まだ調べ終わってない」
売れ残りのパンを買った店の裏で、親父が袋を積んでいた。
袋には焦げたパンや形の崩れたパンが詰まっている。
「それ、どうするんですか」
「家畜の餌にする。今は飼料も高いからな」
「食べられますか」
「人が食うには硬い。焦げを落とせば腹は壊さねえだろうが」
俺は袋を開け、匂いを確かめた。
カビはない。
傷んだものは別にしているという。
「水で煮て粥にします。買わせてください」
「昨日も買ったろう。よほどパンが好きなのか」
「飢えた村へ運びます」
親父の顔から笑いが消えた。
「ラトナか」
「知っているんですか」
「息子があそこの娘を嫁にもらった。去年までは麦を買いに来た。今は……」
親父は袋を二つ追加した。
「銅貨二十枚でいい。だが傷みは自分で確認しろ。俺の名前で腹を壊されちゃ困る」
俺は礼を言い、硬いパンを分別した。
カビの疑いがあるものは受け取らない。
食料支援だからこそ、安全を値切ってはいけない。
次は豆屋へ向かった。
割れて商品にならない乾燥豆を、普通の半値で譲ってもらう。
乾燥野菜の端切れと塩も買った。
残しておいた銀貨一枚を見て、足が止まった。
これを全部使えば帰りの費用がなくなる。
「全部使えば、帰るための金までなくなる」
そう呟くと、トトが俯いた。
「僕のせいで、ごめん」
「違う。今のは俺の計算だ」
荷物が軽くなったわけではない。
倉庫の中で見えなくなっただけだ。
一袋ごとに誰の命へつながるのか、考えるほど責任が重くなった。
一度の善意で共倒れしたら、次の配達ができない。
俺は銀貨を崩し、半分を帰路と緊急時の予備費に残した。
使える金はこれで尽きる。
トトは豆の袋を見つめていたが、
「それも買って」
とは言わなかった。
その我慢が、俺には残った銀貨より重かった。
残りで豆と塩を追加した。
荷物はおよそ七十キロ。
俺が担いで長い街道を歩ける量ではない。
しかし、倉庫なら重さを感じない。
トトには水筒と歩きやすい靴を買った。
「靴なんて、いらないのに」
「行き道で足を傷めたら、村に着けないだろ」
出発前、俺はトトに地面へ簡単な地図を描いてもらった。
「ここが街。ここが川。村はどっち?」
「こっち。大きな木が三本ある」
「水を汲める場所は?」
「川と、途中の農家」
俺は道筋を紙へ写した。
地図としては粗末でも、何も知らずに歩くよりはましだ。
市場で買った豆は、そのままでは食べられない。
煮るための水と薪がいる。
パンは硬い。
塩は少ない。
持ち込んだ食料が実際に何食になるのか、俺は帳面に書いた。
「食べ物って、重さだけじゃ決まらないんだね」
トトが不思議そうに言った。
「そう。腹がいっぱいになるか、体が持つか、料理できるか。全部違う」
「僕、昨日パンを食べたから、今日は元気だよ」
「よかった。でも、歩きすぎたら疲れる。無理はするな」
トトは元気よく頷いた。
だが、歩き始めて二時間もすると、口数が減った。
「休もう」
「まだ歩ける」
「俺が休みたいんだ」
そう言って木陰に座ると、少年もようやく腰を下ろした。
靴を脱がせると、踵が赤くなっていた。
出発前に買った靴が、まだ足に馴染んでいない。
俺は布を挟んで擦れを防ぎ、歩幅を落とした。
急いで到着しても、案内役が倒れたら意味がない。
途中で見かけた畑は、土がひび割れていた。
農夫が鍬を振るっていたが、土埃ばかりが舞う。
「今年は雨が少なかったんですか」
「少ないなんてもんじゃない。井戸の底をさらっても、泥しか出ん」
「ラトナ村も同じですか」
「もっとひどいだろう。あそこは水路が細い」
農夫は村へ向かうと聞き、乾いた顔で笑った。
「食料を持っていくなら、村長に言っとけ。種だけは食い尽くすなって」
街道は思ったより荒れていた。
雨の流れでえぐれた轍に、乾いた草が伸びている。
昼前、トトが立ち止まった。
「いつもは、この先に荷車がいるんだ」
「今日は?」
「いない」
道の脇には壊れた車軸が捨てられていた。
近くの農夫に尋ねると、橋の通行料が上がり、商人が迂回するようになったという。
道の途中でトトが転び、膝を擦りむいた。
俺は布で汚れを拭き、歩く速度をさらに落とした。
「ごめん、遅くなる」
「謝るな。君が無事に帰ることも、今回の仕事だ」
少年はしばらく黙ってから、小さく
「うん」
と答えた。
荷物の重量は数字で測れる。
けれど、人が歩ける距離は、体調や不安によって変わる。
「ラトナへ行くなら、北の渡しだ。だが水が減って船が出ない」
「歩いて渡れますか」
「浅瀬はある。流れに足を取られるな」
出発前に写した道筋と農夫の話を照らし合わせ、北の渡しへ向かった。
夕方、二人は川岸へ着いた。
水は少ないが、中央だけ深く流れている。
トトは靴を脱いで渡ろうとした。
「待て。まず深さを見る」
長い枝を拾って探ると、中央の窪みは胸ほどもあった。
子供なら流される。
少し上流に倒木があり、その近くに石の列が続いていた。
慎重に足場を選んで渡ったが、俺の靴は水を吸って重くなった。
対岸に着いたとき、トトは笑った。
「荷物がないって、すごいね」
「荷物はないように見えるだけだ。食べ物はちゃんとある」
俺は倉庫から小さなパンを出して見せた。
トトは目を輝かせたが、すぐに首を振った。
「村のみんなの分だから」
「君も村の一人だ。歩いた分は食べないと」
二人でパンを分け、川の水ではなく持参した飲み水で喉を潤した。
夜は農家の納屋を借りた。
礼として豆を少し渡すと、農家の女主人はラトナ村の話をしてくれた。
女主人は翌朝のために温かい湯を用意してくれると言った。
礼を言うと、「次に困った旅人がいたら助けてやりな」と笑った。
俺はその言葉を胸に刻んだ。
金のない旅でも、人の親切だけを当てにしてはいけない。
だからこそ、受けた親切を次につなげたいと思った。
食料不足は今日の問題であり、同時に来年の問題でもある。
「この前の春に種を食べた家もあるって噂だよ。次の収穫はどうするつもりだろうね」
種を食べる。
飢饉が来年にまで続く合図だ。
その夜、納屋の暗闇で、俺は村の子供たちが明日まで待てるのかを考えた。
トトは寝返りを打ちながら、母親の名を呼んだ。
翌朝、丘を越えると、痩せた畑の向こうに小さな村が見えた。
煙の上がらない家々。
人の声もしない。
トトが駆け出した。
「母ちゃん! 食べ物を持って帰ったよ!」
その声に、閉じていた戸が一つ、また一つと開いた。
痩せた母親が壁を伝って現れ、トトを抱きしめた。
「母ちゃん、ちゃんと帰ってきたよ」
俺は袋を取り出しかけたが、まだ鍋も水も、村にいる病人の数も分からない。
「必ず配ります。ただし、全員に届くように、まず村長さんに会わせてください」
空腹の人々の視線を受けながら、俺はトトの後について広場へ向かった。
腰の袋は軽かった。
七十キロ近い食料は、保存倉庫の中にある。
買い物を終えたとき、今回の食料購入に回せる金は残っていなかった。
帰路と緊急時のための予備費だけは残した。
母親がトトの頬に触れたまま、俺を見た。
「この子を帰してくれただけで……」
「まだです。食べられるようにするところまでが、今日の仕事です」
母親は笑おうとして、声を詰まらせた。
トトはその手を両手で包んだ。
村の炊き出しには水と鍋が必要だ。
まず村長に相談し、全員に届く配り方を決めよう。




