↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
役立たずと追放された俺の保存倉庫は、飢えた世界を救う最後の希望だった  作者: レモンティー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/110

第二十二話 値札のない小麦

北門の市場で、俺は小麦の値札を三度見た。

昨日まで銀貨二枚だった袋が、今日は銀貨五枚になっている。

「何かの間違いじゃありませんか」

店主は肩をすくめた。

「北門商会からの卸値が上がった。嫌なら買うな」

孤児院へ届ける分は少なくとも三百キロ。

今の値段では、谷の食糧便の運転資金を使い切ってしまう。

俺は店の前で帳面を開いた。

急ぎの分を購入するか、別の仕入れ先を探すか。

時間と金の両方が足りない。

「店主さん、値上がりはいつから?」

「今朝だよ。北の火事で運び屋が足りなくなったそうだ」

火事は孤児院一棟だ。

街道全体の運送費が急に倍になる理由にはならない。

市場を回ると、ほかの店も同じ値段だった。

しかも値札を外し、客によって価格を変える店まである。

「これは偶然じゃないな」

とハンス。

「そう思う。でも証拠がない」

俺たちは港側の倉庫へ向かった。

以前取引した北の農家から、共同倉庫の場所を聞いていたのだ。

そこには、麦を満載した荷車が何台も並んでいた。

売り手は困り果てている。

「商会が買い取らない?」

農家の一人が頷いた。

「契約はある。だが検査が終わるまで代金を出さないと言うんだ。麦を戻せば運賃はこっち持ちだ」

「検査の理由は?」

「湿気が多いとか、粒が小さいとか。先週までは同じ麦を買っていたのに」

農家が持っていた納品書を見せてもらう。

買い取り延期の印が押されていた。

俺はすぐには買うと言わなかった。

救援資金を守る必要があるし、他人の契約品を横から取れば揉める。

「契約の解除条件を確認できますか。解除できた分だけ、正当な代金で買いたい」

農家の長が眉を上げた。

「急いでるんだろう? 今すぐ持っていけばいいじゃないか」

「急いでいるからこそ、後から差し押さえられたら困るんです」


その日の午後、役所の商事係に農家と一緒に行った。

契約書には『検査の延期が二日を超えた場合、売り手は解除できる』とある。

「今日は三日目だ」

と農家。

役人は解除通知を受け付けた。

正式な控えを二通作り、一通を農家へ渡す。

これでようやく買える。

ただし、問題は金だった。

俺はエナと計算した。

孤児院へ三百キロ、ラトナとベルクの予備を残す。

買い付け費用は今の資金で賄えるが、次の輸送費がなくなる。

「倉庫を空にするのは危険よ」

とエナ。

「うん。全部は買わない」

農家に事情を話すと、長は考え込んだ。

「うちも現金が要る。種代を払わなきゃならん」

「現金で半分買います。残りは来週、代金を支払って引き取る契約にできませんか」

「来週、金がなければ?」

農家との契約を決める前、俺は荷車の横で麦を手に取った。

粒は乾いていて、指で潰しても嫌な匂いがしない。

だが俺は品質を判断できる専門家ではない。

「穀物の検査ができる人を呼べますか」

農家の長は、隣の製粉所の職人を呼んだ。

職人は麦を数か所から採り、虫食いと湿り気を調べた。

「全部が一等品じゃないが、食用にできる。乾かす分は分けておけ」

俺たちは検査した袋に印をつけた。

問題のある袋は買わない。

農家には理由を説明し、別の買い手を探せるようにした。

「救援なら何でも買ってくれると思った」

と若い農家が言った。

「食べる人に危険があれば、助けになりません」

彼は納得し、袋を積み直した。

買い付けの下見を終えた夜、町の宿でエナが小さな紙を渡してきた。

「これ、今回の輸送費。予定より門で待たされた分、馬の飼葉代が増えてる」

「次から遅延も見込もう」

「その分、届ける食料が減るわ」

「だからこそ、遅れを起こす原因を記録する」

エナは計算を続けた。

買い付け価格だけを見て安いと喜んでも、運賃が膨らめば続かない。

俺は日本で扱った配送表を思い出し、距離と時間を別々に書く欄を足した。

値上がりの理由を確かめるため、俺は市場の裏で荷下ろしをしていた御者に声を掛けた。

運賃は昨日と同じだという。

ならば値札を押し上げたのは道の危険ではなく、売り手の都合だ。

だが告発だけでは孤児院の夕食に間に合わない。

俺は農家へ直接払える分と、今日必要な分を分けて計算した。

エナは先に荷を運び、ハンスは代金の控えを農家へ届ける。

市場の店主は俺たちの背中を見て、初めて値札を裏返した。

値段を下げさせることより、子供の鍋を空にしないことが先だった。

正式な契約を結ぶため役所へ向かう翌朝、北門の前では、ほかの商人も検査待ちをしていた。

俺たちだけが狙われているのではない。

遅延のせいで魚を捨てたという男までいる。

「一緒に遅延記録を提出しませんか」

男は驚いたが、伝票を見せてくれた。

一件の苦情なら無視されるかもしれない。

しかし、別々の荷主が同じ時刻に同じ被害を受けたなら、役所も調べざるを得ない。

俺は記録を集めながら、時間もまた食料の一部なのだと痛感した。

「違約金を決めてください。それに、うちの帳簿を見せます」

エナが俺を見た。

甘い提案だと言いたいのだろう。

「契約は相手のためだけじゃない。俺たちが守れない約束はしない」

話し合いは夕方まで続いた。

結局、農家は一部の麦を現金で売り、残りは他の買い手にも売れる条件にした。

独占しない。

そのほうが互いに安全だった。

積み込みを終えたころ、黒い馬車が倉庫前に止まった。

降りてきたのは北門商会の使者、灰色の手袋をした男だ。

「またお前か。善人ごっこが好きだな」

「契約解除後の麦を買っただけです」

「その麦が北門を通れると思うなよ」

男は門番の方を顎で示した。

「運送許可が必要だ。誰が出すか、分かっているな?」

俺は谷の食糧便の認定証を取り出した。

「災害救援の登録団体です。通行の申請書もあります」

使者の笑みが消えた。

「それでも検査はできる」

「もちろん。立ち会いの記録を残してください」

俺は一拍置いて答えた。

ここで勝ったわけではない。

検査が長引けば、子供たちの夕食に間に合わない。

門へ向かうと、案の定、荷車は止められた。

「積み荷の再計量だ」

と門番。

「何時間かかりますか」

「分からん」

俺は深呼吸した。

「では、検査が始まるまでに、子供のための食料だけ先に運ぶ許可をください。登録証に書かれた緊急条項を確認してほしい」

門番は困った顔で書類を読んだ。

上官を呼び、上官が役所に使いを走らせる。

待つこと二時間。

夕陽が城壁に触れたころ、緊急救援分の通行が認められた。

残りの荷は翌朝の検査になる。

「全部持っていかないのか」

とハンス。

「今日必要なのは、明日の朝までの食事だ。残りは正しい手続きで運ぼう」

俺たちは保存倉庫に収めた食料を持ち、先に孤児院へ戻った。

到着したとき、リーネが門に立っていた。

「戻ってきた……」

門の奥では、鍋の底を木べらでこする音がした。

リーネが声を落とす。

「昼は薄い粥を分けたの。小さい子には、もう一杯って言われても出せなかった」

ハンスは荷袋を持ち直した。

俺は倉庫の残量を見た。

今夜の分はある。

だが明日も値段が五枚のままなら、谷の便を一つ止めるしかない。

「今日だけ食べられればいい、とは言えないな」

そのとき、荷を運んできた農家が門の外から声を掛けた。

「明日の分は、俺たちが運ぶ。商会が買わない麦なら、子供の口に入れたい」

彼らは慈善ではなく、正当な代金を受け取ると確かめてから頷いた。

値札を吊り上げた商会が予想しなかったのは、売り手が自分の麦の行き先を選び直すことだった。

「約束の時間より遅れた。ごめん」

「ハンスさんが先に知らせをくれたから、大丈夫」

彼女は俺の手ではなく、後ろの食料袋を見て笑った。


その夜、門に残された荷の御者から伝言が届いた。

商会が盗品の疑いを申し立て、検査を要求しているという。

「封を切るなら、売り主の農家にも立ち会ってもらう」

と御者は譲らなかった。

俺は役所に立会人を求め、エナは売買の控えを揃えた。

明朝の検査が終わるまで、荷車は門を越えられない。

御者は荷の封を切らず、検査を待つことにした。

その間にも孤児院の鍋は冷める。

農家は荷車の横で膝をつき、待機中の馬に残った飼葉を分けた。

「明日までここにいれば、俺の家の種代が減る」

俺は待機費用を記録し、検査の遅延を誰が負担するか役所へ確認することにした。

「麦を買えても、明日の便が止まるのね」

とリーネ。

「そうだ。だから農家の帰り道まで含めて、届ける仕組みを作らないといけない」

門番から使いが来た。

立会人が揃い、検査が始まるという。

農家の老人は門番に

「検査が長引くなら、馬だけ先に水を飲ませてくれ」

と頼んだ。

門番は一度断ったが、荷台で眠る子供の顔を見て、水場への通路だけを開けた。

老人が馬へ水を飲ませる間、門番は検査の順番を一つも飛ばさず、日陰で待てる場所だけを空けた。

老人は馬を引きながら、遅れた一刻を記録するよう俺に念を押した。

俺は帳面を閉じ、農家と御者を連れて門へ向かった。

門の向こうで待つリーネに、俺は検査が終わるまでの見通しを正直に伝えた。

彼女は一瞬だけ目を伏せたが、

「じゃあ今夜の鍋は薄くする。小さい子から配る」

と答えた。

俺は慌てて首を振った。

「病気の子の分は減らさない。代わりに大人の食事を調整して、医師にも相談しよう」

売買の勝ち負けより先に、今夜の命を守る相談が始まった。

麦の袋に値札がないと知った母親は、受け取ってよいのか何度も聞いた。

俺は配給の条件を声に出し、返済を求める者が来たら自分たちへ知らせるよう頼んだ。

次の勝負は、市場ではなく役所で始まることになった。

門の向こうでリーネが子供たちの椀を並べていた。

俺は今夜必要な量を聞き、次の便を手配した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。