第二十一話 煙の向こうに三十七人の子供
北の丘に上がる煙は、火事の色ではなかった。
黒い筋が三本、風に流されずに立っている。
ヨルンが顔をしかめた。
「狼煙だ。北の孤児院が助けを呼んでいる」
俺たちは荷車の向きを変えた。
谷の食糧便として最初の仕事が、予定外の救援になるとは思わなかった。
山道はぬかるみ、車輪が石に引っかかった。
ハンスが馬の鼻先を撫で、エナが積み荷を数える。
「麦が百八十キロ、豆が九十、乾燥野菜が四十。倉庫の中と合わせても余裕はないわ」
「まず状況を見よう。足りない分は、数字を出してから考える」
丘の向こうに見えたのは、屋根の半分が焼けた建物だった。
庭には子供が並び、濡れた毛布を抱えている。
大鍋の底を、ひとりの少女が木べらでこすっていた。
「食べ物を持ってきました!」
俺が叫ぶと、子供たちの顔が一斉に上がった。
だが誰も駆け寄ってこない。
列の先頭に立つ背の高い少女が、両腕を広げていた。
「知らない人から物をもらっちゃ駄目。先生がそう言った」
「その先生は?」
「町へ薬を買いに行った。三日前に」
少女はリーネと名乗った。
十四歳。
年長者として三十七人をまとめていた。
最年少は三歳で、熱を出して眠っている。
火事の原因は調理場の煙突だった。
貯蔵室まで燃え、冬越しの豆と粉を失った。
助けを求めて街道へ出た職員は、まだ戻っていない。
「ここにいるのは三十七人。大人は?」
「私たちだけ」
リーネは震える声を隠すように言った。
俺は荷車から麦の袋を降ろそうとした。
しかしエナが腕をつかむ。
「タクト、まず水。あの子たち、飲み水も足りてない」
井戸は灰で汚れ、釣瓶も焼けていた。
俺の倉庫にある飲み水は二十リットル。
全員に十分とは言えない。
「ハンス、沢の水を汲める場所を探して。セヴには鍋と薪を。エナは人数と体調を確認して」
「お前は?」
「ここで子供たちと話す」
俺はリーネの前にしゃがんだ。
「いきなり全部を任せてくれとは言わない。今日の食事を作るのを手伝ってくれるか」
「……変なものを入れない?」
「君が横で見ていていい」
リーネはしばらく俺を睨み、それから小さく頷いた。
火を起こすと、豆を煮る匂いが庭に広がった。
子供たちが鍋を囲みかけたが、リーネが整列させた。
「先に小さい子。いつもどおり」
彼女の手は火傷で赤く腫れていた。
誰にも見せないよう袖を引っ張っている。
「その手、診てもらおう」
「私が抜けたら列が崩れる」
「じゃあ俺が列を見ている。交代しよう」
救援の合間に、俺は建物の安全を確かめた。
焼けた梁の下には誰も入れない。
雨が降れば、無事だった寝室まで濡れる。
セヴは木材の量を測り、ハンスは町の大工へ伝令を送った。
「食べ物だけじゃ駄目なんだね」
とリーネが言った。
「眠る場所も、水も、火もいる。俺一人じゃ分からないことだらけだ」
「大人なのに?」
「大人でも知らないことはあるよ」
彼女は少し驚き、それから笑った。
笑うと十四歳らしい顔になった。
夜の配給で、八歳の少年が二つ目の器を隠した。
リーネが叱ろうとしたので、俺は止めた。
「誰の分?」
「妹の。寝てるから」
少年は叱られると思ったのか、器を強く抱えた。
俺は紙に妹の分を記し、蓋のある器に移した。
「持っていっていい。でも、あとで食べるなら傷まないようにしておこう」
少年は何度も振り返りながら寝室へ走った。
リーネがぽつりと言う。
「私、みんなを並ばせることばっかり考えてた」
「それも大事だよ。君が守ってくれたから、みんなここにいる」
彼女は唇を噛んだ。
「でも、怖かった。誰かが死んだら、私のせいだと思った」
「君のせいじゃない。これからは大人にも仕事を分けて」
リーネは初めて俺の前で泣いた。
声を殺さなくてもいいように、俺は少し離れて待った。
孤児院の裏手で、俺は焼けた食料庫を確認した。
先ほど見つかった幼い子は、煙を吸って声を出せず、今も寝室で横になっている。
俺は手元の配給表を閉じ、サラに医師を呼べる道を尋ねた。
麦を運ぶ馬車を一台減らせば、今夜の食事は薄くなる。
それでも医師を迎える便を先に出すと決めた。
リーネは自分の毛布をその子に掛け、
「明日は一緒に並ぼう」
と囁いた。
食料の数だけでは、救えた命を数えられない。
翌朝、サラが戻るまでの当番表を作った。
年長の子が幼い子を世話する時間を短くし、残りは休息と遊びに充てる。
俺は当番表の一番上に、大人の名前を書いた。
リーネは初めて、泣きそうな顔をした。
鍋の豆を薄い粥にして、少量ずつ配る。
長く食べていない子には急に大量を食べさせないよう、エナが体調を見ながら進めた。
一番小さな男の子が匙を落とした。
「おかわり、ある?」
俺は答える前に鍋を見た。
ある。
今日の分は。
「あるよ。でも少し待とう。お腹がびっくりしないように」
男の子は頷き、空の器を両手で抱いた。
夕方、建物を調べると、奥の物置に湿った麦袋が積まれていた。
焦げ臭いが、すべてが焼けたわけではない。
「これは食べられる?」
とリーネ。
「濡れた麦は傷みやすい。今夜は使わない。乾燥状態を確かめてからだ」
子供の命がかかっている。
惜しいからという理由で危ない食料を出せない。
その夜、俺は帳面を開き、聞いた数字をその場で記した。
三十七人の子供と職員二人、食事の回数、使える水、修理に必要な資材。
救援の最初の計算で分かったのは、手持ちの食料だけでは次の七日を支えきれないという事実だった。
「町へ戻れば買えるんじゃないの?」
リーネの問いに、ハンスが苦い顔をした。
「この道の先は、北門商会の縄張りだ」
商会の名前を聞いた瞬間、エナの筆が止まった。
以前、俺たちの仕入れを妨害した連中だ。
「明日、俺が買いに行く」
「危険よ」
とエナ。
「だから一人では行かない。買える場所を二つ探す」
リーネが俺の袖を引いた。
「お兄さん、約束して。戻ってくるって」
俺は軽々しく大丈夫とは言えなかった。
道が塞がれれば帰れない可能性もある。
「明日の夕方までに戻れなかったら、ハンスがここへ食料を運ぶ。そう決めてから出発する」
リーネはそれを聞いて、やっと袖を離した。
夜更け、焼け残った廊下で小さな歌が聞こえた。
リーネが眠れない子に子守歌を歌っている。
俺は屋根の穴から星を見た。
最初に助けた村には大人がいた。
畑があり、仕事があった。
ここには、守る側に立たされた十四歳の少女しかいない。
窓の向こうで、熱のある子が浅く息をしていた。
リーネが小さな声で言う。
「みんなと同じ粥を、あの子は飲み込めない」
俺は買い付け帳の予備を、病人用の柔らかい食事と医師の往復に振り替えた。
食料を増やしただけでは、届かない命がある。
翌朝、出発しようとすると、リーネが焼け残った菓子を二つ差し出した。
「道で食べて。私たちは昨日、食べられたから」
俺は一つを受け取り、もう一つを彼女の手に戻した。
「半分こだ。帰ったらみんなの分を持ってくる」
「帰れなかったら?」
俺はハンスを呼び、別便の食料と医師の手配を彼女の前で頼んだ。
「俺が戻らなくても、あの子の食事は届くようにする」
リーネは年長の子と相談し、病気の子の寝床まで運ぶ当番を決めた。
名前を外に貼らず、届け先だけを確かめた。
寝室から小さな咳が聞こえた。
リーネは戸口へ走ったが、年長の子が先に水差しを持っていた。
「当番は私だよ」
とその子が言う。
リーネは立ち止まり、初めて誰かに任せて頷いた。
守られるだけだった三十七人の中に、互いを守る手が一つ増えていた。
馬車が動き出したとき、三十七人が門の前に並んだ。
リーネだけが手を上げた。
「約束したからね。あの子も、明日は一緒に食べるんだよ」
俺は振り返って頷いた。
次の危機は商会の妨害だけではない。
今夜、あの子の熱が下がらなければならない。
丘を下りかけたとき、年長の子が追いかけてきた。
「熱のある子が水を吐いた」
俺たちは引き返し、医師が到着するまで飲ませる量を勝手に増やさず、寝床の周りを片づけた。
リーネは鍋の前を離れたくないと泣いたが、別の子が匙を引き受けた。
「あなたはあの子の手を握って」
三十七人の食事と一人の命を、同じ一人が守る必要はなかった。
医師が到着すると、リーネは震える手で病状を伝えた。
医師は治るとは約束しなかったが、診察を始めた。
俺は鍋の前へ戻り、まだ温かい三十七人分の椀を数え直した。




