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報復の航路 【第二作 ルー・ブレス】3・4巻「覚醒編」  作者: セキユズル
第一章「……我ながら、極めて簡単な作戦だったな」
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第一章② マクシム隊

 マクシムは宿舎前の石畳に足を踏み入れると、宿舎の玄関前で剣を手にしながら一休みしている二人の姿があった。


「メリッサとペネロペか……」


 元気印のメリッサは腕に汗を光らせ、こちらに気づくとにこやかに駆け寄った。


「あ、隊長! お疲れ様です!」


 片手を高く挙げ、元気に敬礼する彼女にマクシムは思わず微笑んだ。小柄なペネロペは玄関前の小さな段差に腰を下ろしたまま、片手だけを挙げて応える。疲れた様子も見せず、訓練用の剣を脇に置いた姿は、どこか慎ましくも凛とした雰囲気を漂わせていた。マクシムは深呼吸をひとつして、二人の側に歩み寄る。


「お疲れ様です、二人とも。随分熱心に鍛錬してたようですね」


 メリッサがぱっと顔を輝かせ、両手を腰にあてながら言った。


「そうだ、隊長。このあと食料の買い出しに行きたくて……お肉が枯渇してるんです! 外出してもいいですか?」


 マクシムは軽く笑い、深く頷く。


「もちろんです。大喰らいの隊員が多くて、いつも枯渇させて申し訳ありません」


 メリッサは笑顔を崩さず、元気よく返す。


「いいんです! みんな食欲旺盛で何より。特に男性陣!」


 ペネロペが頷きながら言った。


「鶏肉、たくさん買ってきて」


 メリッサは思わず手を広げて笑う。


「あ、そんなおねだりするんだったら、買い溜めの手伝いしてよー!」


 マクシムは二人のやり取りを微笑ましく眺めながら、少し肩の力が抜けた気分になった。

 

 二人と別れたマクシムは、足取りを軽くしながら自分の執務室へ向かった。廊下を歩く途中、ドアが半開きの医務室を通りかかると、マルセロの姿が目に入った。彼は真剣な顔で床を掃き、雑巾で丁寧に拭き掃除をしている。士官学校時代から、皮肉屋で何かと突っかかってくる男。彼がこうして自らの責務に真面目に取り組む姿を見て、マクシムは思わず足を止めた。


 ——なんだかんだ言っても、憎めないやつに変わりないよな。


 マクシムは心の中で呟き、微かに苦笑を浮かべながら再び歩を進めた。廊下の先には、自分を待つ書類と次の判断を求める報告書の山が控えている。執務室に入ると、何故か自分の執務机にシャルルの姿があった。


「えっと、何か用ですか?」


 マクシムが声をかけると、シャルルは睨んでいた紙の束からゆっくり顔を上げた。その紙の束は、リラがリー・ウェンの報告書を写したもの。


「ライラックから聞きましたよ」


 シャルルは淡々と告げる。


「参謀部の方に行ったそうで。その様子だと……大して相手にされなかったらしい」


 マクシムは舌打ちを一つして、肩をすくめた。


「いつも通りと言えば、いつも通りでした。ほんと、無能なんだから」


 シャルルは少し微笑むように目を細め、紙の束を整えた。


「まあ、そんな彼らの司令がなければ動けない我々も、民衆からすれば同じように思われてるんでしょう」


 シャルルの皮肉混じりの言葉を聞いたあとも、マクシムはしばらく黙ったまま、執務机の端を指で叩いていた。やがて深く息を吐き、声にはいつになく苛立ちが滲む。


「今は時間が惜しいんです。せっかくリーさんが情報をくれたのに、参謀部が動かないのなら意味がない。海軍がこんなのでは、いつまで経ってもフランソワを仕留められませんよ」


 マクシムの淡々とした口調の裏で、噛み殺した怒りが震えていた。


「仕留められないどころか……この国はいつか終わります」


 シャルルはページをめくる指を止め、ゆっくりと顔を上げた。隼のように鋭い双眸は薄い微笑を湛えているのに、どこか残酷だった。


「でも、それはあなたの望みでしょう?」


 マクシムの動きが止まった。空気が凍りつくが、マクシムはすぐにかぶりを振った。


「いいえ。海軍への復讐は、僕の手で完遂するから意味があるんですよ」


 マクシムの目は鋭く、どこか澄んでいた。ただの憤怒ではない。長年積み上げてきた信念の光。マクシムが机に身を乗り出す。


「シャルルさん。今こそあなたの奇策が必要とされる瞬間です。なんとかなりませんか?」


 シャルルはマクシムの様子をひとしきり観察し、口端を上げた。


「参謀部が動かないなら、動かざるを得ない状況を作ればいい」


 マクシムは瞬きをした。


「……状況?」


 「ええ。彼らが世論を無視できないようにする。放置すれば自分たちが吊るされる、と実感するような」


 シャルルの笑みは妙に澄んでいるのに底知れなかった。


「つまり——民衆煽動作戦です、隊長」


 マクシムは一瞬息を呑んだ後、ゆっくりと頷いた。次に放たれるシャルルの言葉に、執務室の空気が少しだけ重く沈でいく。


「この部隊の皆で街へ赴いて、民衆たちに『海軍が動かない』ことを言いふらすんです。場所も、言い方もなんでもいい。とにかく、脅威が迫っているのに守護者が全く動かない。その事実を伝えていけば、噂は必ず伝播します。内容が陰湿であればあるほど、彼らは怒るでしょう」


 マクシムは途方もない作戦に顔を顰めて天井を見上げるが、きゅっと表情を締め直す。


「……やるしかない」


 マクシムが呟くように言うと、シャルルはどこか確信めいた声音で続けた。


「一日は二十四時間もあるんです。一分一秒でも注ぎ込めば、世論は大きく変えられます」


 シャルルの言葉に、マクシムの瞳がわずかに光を帯びる。


「——それなら、今すぐにでも始めましょう」


 マクシムは背筋を伸ばして踵を返し、去り際、扉に片手をかけたところで振り向いた。


「シャルルさん、ありがとうございます。僕は皆に伝えてきます」


 言い終えるが早いか、マクシムは執務室を飛び出していく。残されたシャルルは大きく息を吐いた。


「まったく……隊長も猪突猛進だな」


 シャルルは苦笑しつつ、椅子に深く座り直した。机の上の報告書、リー・ウェンが遺した情報を、リラが写し取った紙束へ視線を落とした。


「それにしても……あの海賊船長が部下の情報までも絞るなんて、用心深いにもほどがある。三年経っても各船団のリーダーしか判明してないなんて、彼についていく海賊は一体どんな奴らか」


 ぽつりと零したシャルルの声は、執務室の静けさに沈んでいった。



 執務室を飛び出したマクシムは、勢いのまま玄関先へ向かった。まさに買い出しに向かおうとする、メリッサとペネロペ。二人が外套を羽織っているところだった。


「二人とも、ちょっと待って!」


 呼び止められた二人が同時に振り返る。息を切らしながら駆け寄ったマクシムは周囲を一度見回し、声を潜めつつ二人を手招きした。


「これ、着てください。今日はこの格好で買い出しに行くんです」


 彼が差し出したのは、どこにでもいそうな庶民の着衣。自分の私服だ。女子二人が顔を見合わせる。


「え、えぇ……?」


 メリッサが眉を寄せるが、マクシムは説明を待たず手短にシャルルの民衆煽動作戦の概要を語り始めた。聞き終えるや否や、メリッサが素っ頓狂な声を上げる。


「そんなの無茶ですよ! だいたい、参謀部に知られたらどうするんですか!」

「知られないようにするんです」


 マクシムはぴしゃりと言い切った。


「いいですか。あくまで君たち二人は普通の人を演じるんです。軍の気配は絶対に出さないでいただきたい」

「普通の人ねぇ……」


 ペネロペが腕を組み、妙に誇らしげに笑った。


「あ、じゃあ……あたしは手ぐせ悪いから、うってつけだ」


 マクシムは沈黙で返した。突っ込んだら負けだ、という顔。一方のメリッサは大きく息を吐き、やや投げやりに肩を回した。


「……わかりました! 時間ないんですよね。私たち、やりますから!」

「ありがとうございます。頼りにしてます」


 マクシムが深く頭を下げると、二人は庶民服を抱えて踵を返した。


「行くよペネロペ!」

「はーい。あ、ついでに本当に何かスらないように気をつけるね~」

「やめなさい!」


 メリッサの金切り声が廊下に響き、メリッサとペネロペはそのまま宿舎を勢いよく出ていく。二人が出ていった後の廊下に、しばし静寂が落ちた。マクシムはぽつんと立ち尽くして「二人大丈夫かな」と嘆息する。そんな彼の姿を、廊下の奥から見ていた影があった。


「ごきげんよう、隊長。なんだか楽しそうですね」


 軽やかな足取りでサミュエルが近づいてくる。声音はいつも通り落ち着いていて、どこか海のような朗らかさについ肩の荷が降りる。


「ああ、サミュエルですか。実は——」


 マクシムはリー・ウェンから得た情報、参謀部の相変わらずの怠慢、そしてシャルルの立案した作戦を包み隠さず打ち明けた。サミュエルは途中から顎に手を添え、興味深げに目を細める。


「なるほどねえ……」


 彼はひとつ呟いたあと、くいっと口角を上げた。


「よし、それなら僕も乗った」

「本当ですか!?」


 思わず声が裏返ったマクシムに、サミュエルは愉快そうに肩をすくめた。


「味方は多い方が捗るだろう? ——そうだ、僕はグウェナエルを連れて酒場に行こう」


 二人のやり取りの間、ちょうど中庭へ向かおうとしていたグウェナエルが訓練用の剣を抱えたままピタリと動きを止めた。


「……なんで俺を巻き込むんですか」


 心底嫌そうな声。それをまったく気にした様子もなく、サミュエルは柔らかく笑う。


「グウェナエル、たまには飲もうじゃないか」


 グウェナエルがわずかに眉をひそめる。酒好きとしての弱みを的確に突かれた。サミュエルはさらに続ける。


「僕とグウェナエルは軍服で行きますよ。そうすれば、『なんで軍人さんがここへ?』と誰かしらが聞いてくる。そこで僕がこう返す。『いやあ、上の者が動かないので、仕事がなくて仕方なく飲みにきたんだ』とね」


 サミュエルの口調はどこまでも自然で、どこまでも悪意がなかったが、情報が広まったときの破壊力は計り知れない。マクシムは思わず目を見開き、サミュエルはひらりと手を振る。


「噂ってものはね、隊長。ほんの小さな火種が、一晩で大火になるんですよ」


 グウェナエルは訓練用の剣を片手に、重い溜息をひとつこぼした。それからサミュエルをじとりと見やり、ぽつりと言う。


「……それ、今からやるんですか」

「逆に今じゃないとダメらしい」


 即答するサミュエル。その声音に一切の迷いがない。グウェナエルはさらに眉間の皺を深くした。


「……何軒まわるんですか」


 サミュエルは少しだけ考えるふりをしてから、さらりと答えた。


「最低でも五軒かな」


 沈黙。マクシムとグウェナエルが、同時にサミュエルをまじまじと見つめた。その目には、純粋な恐怖が宿っている。


「…………」

「…………」


 酒豪という言葉では足りない。地獄へ誘う案内人そのものだ。グウェナエルは耐えきれなくなったのか、マクシムの方へ向き直る。


「……マクシム。代わってくれ」


 彼の声は、この世で最も哀れな戦士の響きをしていた。だが、マクシムはものすごく申し訳なさそうに首を横に振る。


「サミュエルはあなたを指名してますよ」


 逃げ道はない。グウェナエルの肩が音を立てて落ちた。


「…………終わった」


 絶望に満ちた彼の呟きに、サミュエルは慈悲深い友人のような笑顔を浮かべ、ぽんとグウェナエルの肩に手を置いた。


「さあ、行こうか。僕たちの“任務”はこれからだ」


笑みは優しい。優しいが、確実に人を潰す。グウェナエルは天を仰ぎ、マクシムは内心で手を合わせた。廊下の奥へと消えていくサミュエルとグウェナエルの背中を見送り、マクシムは一息ついた。休んでいる暇はない。次の協力者を探すべく、再び廊下を歩き出す。

 医務室の前に差し掛かった時、ちょうど扉が開いてマルセロが出てきたところを鉢合わせた。危うく肩がぶつかりそうになり、二人は同時に「すみません」と言葉を交わしたが、二人の声色にはどうしようもない気まずさが滲んでいる。


「……これからどこへ?」


 マクシムが問いかけるとマルセロは息を吐き、手元の医療鞄を軽く揺らした。


「医務局。他部隊の負傷兵を看病しに。人手が足りないので、手伝いに行く」

「負傷兵、か……」


 マクシムがぼそりと呟くと、マルセロが眉を寄せた。


「どうかしたか?」


 一瞬、マクシムの胸が縮こまる。


 ——今夜も遅くなるのかな。


 マクシムは息を整え、覚悟を決めた。


「……マルセロ。お願いがあるんだ」


 彼の声音の真剣さに、マルセロは少し目を見開いた。マクシムはシャルルの作戦を短く説明した。聞き終えたマルセロは、頭痛を覚えたようにこめかみを押さえる。


「またシャルルさんの奇策か……はあ……」


 呆れを隠さず漏らしたあと、彼は表情を整えた。


「……わかった。協力しよう」

「本当か? 助かるよ」


 マクシムが安堵の息を漏らすと、マルセロは少しだけ声音を変えた。


「勘違いしないでくれたまえ。僕は国のために動く。もっと言えば、王党への忠義のため」


 まるで釘を刺すようだった。すれ違いざま、マルセロはほんの一瞬、マクシムの耳元に顔を寄せた。


「……なるべく早く戻る」


 心臓を掴んでくるような声。マクシムが反応する前にはもう、マルセロの姿は廊下の向こうへ遠ざかっていった。マクシムはその場に立ち尽くし、苦々しく笑った。


「ほんと、そういうところ」


 同時に、その恐ろしさが今は頼もしくもあった。マクシムは深く息をつき、次の隊員を求めて歩き出した。まず見つけたのは、荷物を肩にかけていたダヴィット。


「これから港に行くのですか?」

「積載管理で水夫たちと話があるんだ」


 マクシムは迷わず切り出した。


「頼みがあります。港の水夫たちに、『フランソワ海賊団が近々来るのに、参謀部が動かない』って言いふらしてほしいです」


 ダヴィットは目を瞬かせたが、すぐに眉を上げた。


「……またシャルルの奇策か」


 完全に事情を悟った表情だ。ダヴィットは口角を上げる。


「任せとけ」


 それだけ言い残し、彼は足早にブレスト港の方角へ消えていった。次に出会ったのはリラ。彼女は眉間に皺を寄せ、困ったように腕を組んでいる。


「……私、芝居じみたのは苦手なんです。絶対向いてません」

「まあ、ライラックは真面目ですからね」


 マクシムが苦笑した時、ロザリーがすっと割り込んできた。


「それなら軍服のままお茶でもしましょう。ね? さ、行きましょ」


 ロザリーがどこか嬉しそうにリラの腕を取る。


「え、ロザリー、ちょっと——」


 ロザリーは聞く耳を持たず、軽い足取りでリラを連れ去っていった。アニータに協力を求めると、彼女は声を上げて笑った。


「さすがシャルル、ほんと呆れるわね。でもまあ、面白そうじゃない」


 それからアニータが中庭の方へ視線を向けた。


「行ってもいいけど、お喋り相手がいなきゃ。……ほら、ちょうどいいところに」


 二人の視線の先、中庭のベンチで本を読んでいたスザンヌの姿があった。スザンヌは本から顔を上げ、マクシムの説明を静かに聞いていた。話が終わるとスザンヌは「……煽動、ですか」と小さく呟き、ぱたんと本を閉じた。マクシムの隣ではアニータが肘で彼をつつきながら言う。


「スザンヌ。たまには街を散歩しましょうよ。ほら、隊長も一緒だし。三人で、ね?」

「……僕は街の様子を見たいだけですから」


 マクシムが照れ隠しのように言うと、アニータは「はいはい」と笑って肩をすくめた。スザンヌは少しだけ思案し、それから静かに頷いた。


「……分かりました。行きましょう」


 中庭の風が吹き抜け、三人は宿舎の門に向かって歩き出した。

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