第二章③ 協力者たち
宿舎の門を出たところで、一台の馬車が舗道に止まっていた。御者台近くにいた男がゆっくりと振り返る。
「では、いきましょうか」
リー・ウェンの一員、ヤン・ジュンジャーの言葉にイヴォンは頷く。
「……ああ。よろしく頼む」
二人は馬車に乗り込み、扉が閉まると車輪が回り始め、ブレストの街並みが後ろへ流れていった。馬車の中、揺れに身を任せながらヤンが口を開く。
「まず我々の拠点を案内しましょうか。中継地点として使っている場所があります」
「助かる」
ヤンは意味ありげに続けた。
「それにしても、あなたもMの謎を追っているんですね」
イヴォンは窓の外から視線を戻して答える。
「ああ。もしかしたら……俺の記憶と関係があるかもしれない」
ヤンは小さく笑った。
「でしたら、あなたも我々と利害が一致しますね」
「……利害?」
「ええ。それに、彼らにとってもです」
「彼ら……?」
イヴォンが問うとヤンは肩をすくめた。
「まあまあ。これから分かることですよ」
馬車はそのままブレストを離れていく。新たな思惑と謎を乗せて。やがて、情報屋組織の拠点に辿り着いた。足にハンデを残したイヴォンにとって、険しい地形ではないのがありがたかった。どうやら、この場所が今後の活動の中心になるらしい。少なくとも、しばらくは。ヤンに促され、拠点の奥にある一室へ案内される。扉を開けた瞬間、乾いた音が耳に届いた。薪を割る音だが、焚き火用ではない。室内にいた男の手にあるのは、明らかに戦闘用の斧だった。刃の重みを確かめるように、一定のリズムで振り下ろされている。イヴォンとヤンに背を向けたまま、その男は斧の精度を見ているようだった。その背に向かって、ヤンが声をかける。
「お客さんですよ。新しいお仲間です」
男は一度だけ斧を止め、ゆっくりと振り返った。肩に担がれた斧。日に焼けた肌。荒削りで、どこか野生的な顔立ち。イヴォンを値踏みするように凝視したあと、男は口角を吊り上げた。
「……マルク・ドイチュだ。よろしく」
軽い調子だが、目は笑っていない。イヴォンは一歩前に出る。
「イヴォン・ローラン。元フランス海軍士官だ」
イヴォンが名乗り終えると、マルクは一瞬だけ眉を上げてすぐ笑う。
「軍人。いいじゃねえか。面白え」
過去の立場も因縁もここでは関係ない。そんな素振りだった。この場所では肩書きは武器にならない。役に立つかどうか。こうして、沈んだことにされた海賊と壊された海軍士官は手を取り合った。
マルセイユに位置する、古い貴族の屋敷。石造りのバルコニーに華奢な立ち姿の男が立っていた。
海風に揺れる長い髪はきちんと結われ、歳を重ねた今も佇まいには美丈夫の面影が色濃く残っている。羽音、一羽のワタリガラスが手摺へと舞い降りた。男は小さく笑う。
「結局さ。一族の秘密を封じても人の足より、こいつらの方が早い」
男は手際よく餌を与え、カラスの体に巻かれたハーネスを外す。付属の矢筒から書簡を取り出し、その場で目を通した瞬間に男の動きが止まった。言葉が詰まる。そこに記されていたのは、大海賊フランソワの死亡を告げる知らせだった。
「……あいつが、死んだ」
握りしめた手紙がぐしゃりと音を立てる。ワタリガラスが首を傾げ、主人を見上げた。深い茶色の瞳。青白い肌。左中指に一族の証は嵌めていないが、かつて一族を率いた男の静かな威厳は失われていなかった。十四代目コルヴァン。今はセドリック・モンレザール。彼はカラスの頭を撫でながら低く呟く。
「いや……あいつが、そんな簡単にやられるわけがない」
セドリックはもう一度、手紙に目を落とす。
「ルキフェルの名前は……ないな。気になる」
セドリックの口角がわずかに上がった。
「どうにも裏がある。……我ながら、情報屋の勘ってやつは侮れん」
彼は大きく伸びをして、肩の力を抜いた。貴族然とした佇まいがふっと崩れた。
「あーあ……また解禁か、こりゃ」
すっかり、かつての船団の一員だった頃の顔だ。セドリックは手紙を畳み直し、独り言のように続ける。
「ええと……アランはこっちに向かってるんだったな。よし、お茶でも淹れて待とう。あいつ、堅苦しいの苦手だし」
セドリックの視線が自然とマルセイユ港へ向く。停泊する艦隊。その配置を、無意識のうちに読み取っていた。
「怪しい。王党派が極秘に集会を開いたって噂もある。今は……些細なことでも共有しておくべきだ」
艦隊をしばし眺めていたセドリックはふっと苦笑した。
「まさか、東洋人たちと手を組む日が来るとは。人生、分からんもんだ」
かつては商売仇。今は利害を同じくする協力者。ワタリガラスが羽を震わせる。 セドリックはカラスの背を一度だけ撫で、屋敷の中へ戻っていった。嵐の前のひとときの静寂。だが、彼の中ではすでに歯車は回り始めていた。
アラン・クロードを中心に、セドリック。マルク。エティエンヌ。そして、新たに加わったイヴォン。彼らはそれぞれ別の理由を抱えながら、同じ影を追うことになる。
真実を暴くために。復讐でも、忠誠でもなく。不自然なものを放置しないために。




