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報復の航路 【第二作 ルー・ブレス】3・4巻「覚醒編」  作者: セキユズル
第二章「ここから先は……俺の獲物だ。自分で探す」
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第二章① 五人組

 それから、サン・マロの入江では永遠に似た時間が流れていった。


 マテオは街をふらつき、あてもなく路地を歩き回っていた。酒場のざわめきも市場の喧騒もどこか遠い。

 ニールとコリンは変わらず仕事に出ていた。鍛冶屋の火、港の荷運び、繰り返される日常。身体を動かしていなければ心が壊れてしまいそうだったからだ。

 ジャスパーは入江に留まり、船の影に腰を下ろしたまま海を眺める。潮の匂い、波の音。かつて何度も聞いたはずのそれが今はひどく胸に刺さる。

 それぞれの脳裏に浮かぶのは、同じ男だった。荒っぽくて雑で誰よりも面倒見がよかった男。父のようであり、船長であり、帰る場所そのものだった存在。

 

 フランソワはもういない。


 その事実を皆が少しずつ、噛み砕くように受け入れ始めていた。哀悼は派手に泣くものではない。むしろ心を蝕んでいくものだった。だが、その中でただ一人、 フランソワの死に「意味」を与えようとする者がいた。


 ルキフェルは自室で一人、カットラスの手入れをしていた。布で刃を拭き砥石に当て、また拭く。その動作を黙々と執拗なほどに繰り返す。向かう先はまだ決めていない。何をするかもどこへ行くかも、具体的な計画は何一つなかった。それでも、このまま何もせずに時間が過ぎていくのだけは耐えられなかった。彼の脳裏に何度も蘇る光景がある。爆ぜる炎。砕ける木材。そして、爆音の隙間から聞こえてきた、あの絶叫。


「……殺してやる」


 自分の声なのか、誰かの声なのかも分からない。胸の奥に焼き付いて離れなかった。ルキフェルは刃を磨き続ける。今すぐにでも立ち上がって外へ出たい。衝動はあったが、今日は駄目だ。窓の外を見ると雲行きが怪しい。空気が重い。 遠くで風が唸り始めている。


「……明日だな」


 誰に聞かせるでもなく呟く。夜の帳が降りるのをただ待つように。


「明日の夜にでも……いこうか」


 刃に映る自分の目は静かだったが、その奥には熱が灯っている。


「……明日、晴れたら」


 その言葉は祈りのようでもあり、嵐を呼び込む合図のようでもあった。



 夕刻。空はいつの間にか鉛色に沈み、遠くで雷鳴が低く転がった。ほどなくして雨が落ちてくる。最初は細く、様子を探るように。すぐに本降りとなり、入江の水面を無数の波紋で覆い尽くした。岩肌を叩く音、帆柱を伝って落ちる水の音。世界がゆっくりと雨に包まれていく。仕事から戻ったニールとコリンは濡れた外套を脱ぎ、紙に包まれたパンを抱えて小型ガレオン船に戻ってきた。船内は薄暗く、油灯の光が揺れている。


「……ただいま」


 コリンが小さく言うと、船内に避難していたジャスパーがやってきた。三人は食堂の片隅に腰を下ろす。ジャスパーは黙ってパンを受け取り、ニールはそれを半分に割る。硬い音がやけに大きく響いた。しばらくは咀嚼の音と雨音だけが続き、やがてニールがぽつりと口を開いた。


「……マテオ、今日も遅いかな」


 誰に聞くというより独り言に近い。ジャスパーは一瞬だけ手を止め、それから肩をすくめた。


「まあ……そのうち帰ってくる」


 コリンは黙ったままパンを頬張り続けていた。小柄な身体が少しだけ丸まっている。

 それきり三人は言葉を交わさなかった。夕食はいつもより短く、味もよく分からないまま終わる。夜が深まる頃、船内は静まり返った。ニールもコリンも、ジャスパーもそれぞれの場所で眠りについていた。その後、船内の階段が静かに軋む。雨に濡れた足音。やや乱れた服装。甘い香りが微かに残る。

 マテオだった。何をしていたのかは言うまでもない。彼は誰にも声をかけず、暗い船内を慣れた足取りで進んでいく。油灯の影が長く伸びて揺れた。外では、雨が降り続いている。マテオは自分のハンモックに辿り着くと、身体を預けるように身を沈めた。深く息を吐き、目を閉じる。疲労が思考を追い越していく。こうしてまた一日が終わった。何も解決しないまま、何も動かないまま。雨音だけが夜を満たしていた。



 翌朝、三月四日。薄曇りの空の下、入江は妙に静かだった。


 コケコッコー!


 ニールとコリンが仕事へ向かう準備をしていると、不意に間の抜けた鶏の鳴き声に混じってギャレーの奥から、えずくような音が聞こえてきた。


「……?」


 お互い顔を見合わせてから、二人はそっとギャレーを覗く。そこにいたのはマテオだった。調理台に両手をつき、頭を抱えている。肩で息をして、苦悶に歪んだ表情で吐き気を必死に堪えているのが一目で分かった。しばらくしてマテオは二人の視線に気づいたらしく、口元を乱暴に拭いながら顔を上げた。


「……おう」


 コリンが一瞬ためらってからいつもの調子で聞く。


「二日酔い?」


 マテオは目を逸らし、少し間を置いてから答えた。


「まあ……そんなところだ」


 コリンは一瞬だけ彼の様子を見つめ、それから努めて明るく笑った。


「今日は早く帰ってきてね。この船、ちゃんと家畜を揃えたんだからさ」


 コリンは鶏と牛の方をちらっと見て続ける。


「またマテオの料理、食べたいんだ」


 コリンは深く考え込む前に階段を駆け上がって、外へ飛び出していった。ギャレーに残ったのはマテオとニールだけ。マテオは息を吐いた。吐息に疲労と後悔と、昨夜の名残が混じっている。ニールは何も言わずに近づき、マテオの着崩れた服の襟元、露出した肌に残る赤い痕に一瞬だけ目を留めた。


「……ほどほどにね」


 ニールは手短に告げるも、マテオは何も返さない。ニールはそれ以上踏み込まず、コリンの後を追ってギャレーを出ていった。残されたマテオは調理台に手をついたまま、しばらく動かなかった。朝の光が窓から差し込む。昨日の雨は上がっているが、胸の奥に残る重さだけはまだどこにも流れていかなかった。

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