第二章② 五人組
フランソワ海賊団は沿岸部への襲撃を控え、船団ごと北上していった。
いずれ自分たちの素性が露見するのも時間の問題。フランソワの読みと、ルキフェルの判断は一致していた。四隻の船は互いに距離を取り、まるで海上でばらけた影のように同じ方角へとゆるやかに進む。目指すはサン・マロ。海風は秋の色を含みはじめている。
真昼の甲板。陽光を受けたルキフェルがゆっくりと呼吸を整え、太極拳の套路を進めていた。腕の軌跡はしなやかで、波のように淀みがない。その少し離れた位置でニールとジャスパーが胡坐をかきながら見物している。ジャスパーは例のごとく、赤髪を隠すために深く帽子をかぶっていた。
「いつ見ても見事だね。まるで舞だよ」
ニールが感嘆の吐息を漏らす。
「君の師匠はどんな人だったの?」
動きを止めたルキフェルは軽く肩で息を整えると、振り返らずに答えた。
「そうだな……俺の師範はフランソワと、東洋人だった」
「えっ、二人も?」
「正確には、フランソワは型の名前しか覚えてなかったから。実質、東洋人の師範に叩き込まれたようなもんだが。その東洋人の師範が、まあ、とんでもなく強くてな。一度も勝てたことがない」
「へぇ、君でも勝てない人がいるんだ」
心底驚いたように、ニールが目を丸くする。
「で、その師範は太極拳以外に何を教えてくれたの?」
ルキフェルはほんの一瞬だけ懐かしさを噛み締めるような間を置き、ニヤッと口の端を吊り上げる。
「——そうだな」
言った瞬間にはもう彼は動いていた。足元で風が跳ね、身体がふわりと宙に浮く。ルキフェルは背面へ体を反らせ、甲板の上で鮮やかに弧を描いてストン、と着地した。
「っっっ!?」
ニールが声にならない悲鳴をあげ、ジャスパーが思わず帽子を落とした。ルキフェルは涼しい顔で、落ちた帽子を拾ってやり、ジャスパーへ向けて軽く放り投げた。
「アクロバットってやつだ。船の上は揺れるからな。ガキの頃はよくすっ転んでた」
ジャスパーは慌てて帽子を受け取り、深くかぶり直しながら眉をひそめる。
「……それ、意味あんのかよ。普通に躱せばいいだろ」
ルキフェルは肩をすくめ、海風に流れる黒髪をかき上げた。
「まあ、強いて言うなら威圧かな」
「威圧?」
「派手に動けば、相手も一瞬固まるだろう。あとはもう好きにできる」
にやりと笑うルキフェルに、ジャスパーは「怖ぇよ」とぼそっと呟き、ニールは「いや、でもちょっとわかる」と妙に納得していた。
「よし、模擬戦だ」
ルキフェルは軽く手を叩き、二人へ顎をしゃくった。
「試しに二人でかかってこい」
ニールとジャスパーは顔を見合わせ、小さく「え〜……」「やるのかよ……」と渋る素振りを見せる。——が、スイッチが入ったように目つきが鋭くなった。
「いっけぇぇぇぇ!!」
「容赦しねえぞ、ルキフェル!!」
所詮は海の荒くれ者。やると決まれば全力で突っ込むだけだ。ルキフェルは太極拳の構えから一気に跳躍した。目の前に迫るジャスパーの長い腕が、まるで鞭のように空気を切る。細身の長身から繰り出される一撃は、軽々と数歩分の距離を飛ばす威力があった。
「——来る!」
ルキフェルは片足で地面を蹴り、船の揺れを利用して軸をずらす。ジャスパーの拳は空を切り、甲板にこだまするだけだった。勢いを失ったジャスパーの体は横へ流れ、ルキフェルは彼の背をわずかに押して安全に転がすが、逃げる暇はない。低い姿勢から飛び込むニールの蹴りを、ルキフェルは太極拳の体捌きで受け流し、肩をかすめて跳ね上がる。海風が強く、甲板の上で舞う塩粒が二人の目に入りそうになったが、ルキフェルの集中は切れない。
「甘い」
ルキフェルは勢いを利用して、ジャスパーの腕を受け流すと同時に足を回転させ、船の揺れに合わせて背後から飛び込んだニールの膝をそっと払い、倒れかけた体を安全に支える。二人の攻撃を全て捌きながら、怪我させることなく制圧した。ジャスパーは息を荒くしながら床に膝をつく。
「……相変わらず、手加減なしだな……」
ニールも仰向けに倒れ込み、塩風に頬を撫でられながら呟く。
「攻撃の迫力が半端じゃない……これ、模擬戦だよね……」
ルキフェルは汗を拭い、二人を引き起こす。
「鍛錬だ。だが、船の上での動きはこれくらい派手にやらないと役に立たん」
甲板で三人が汗を拭きながら息を整えていると、階段の影からコリンの冷めた声が響いた。
「……遊んでるの?」
ルキフェルは振り返り、笑いをこらえつつ頭をかいた。ジャスパーとニールも、少し照れくさそうに肩をすくめる。コリンの無表情な視線が、甲板で派手に跳ね回っていた大人たちの様子をじっと見据えていた。
「お昼ご飯できたってさ。マテオが献立がちゃんと平等か、見てほしいって」
ルキフェルはため息をつきながら、コリンに向かって頷いた。
「了解。じゃあ、みんなで昼食にしよう」
ジャスパーは帽子を直しながらにやりと笑い、ニールも肩を竦めて軽く笑った。
四人がギャレーへ足を踏み入れた瞬間、むわりと温かな湯気と香ばしい匂いが鼻をくすぐった。その中心で腕を組んで立っていたのは、待ち構えていたかのようなマテオだった。義手の金具が微かに鳴る。
「ほらよ、クォーターマスターさん。確認してくれ」
わざとらしく尊称を強調して、マテオは大皿の並んだ調理台を顎で示す。ルキフェルはひとつひとつ視線を走らせた。焼き立ての黒パン、豆と塩豚の煮込み、少量ずつだが全員に行き渡るように均等に盛られた具材。船員全員の顔を思い浮かべながら分量をざっと計算し、「偏りはない」と判断する。
「よし、これでいい。配給していいぞ」
ルキフェルが許可を出すと、マテオは満足そうに鼻を鳴らし、台の上の鍋の蓋を勢いよく閉じた。
「おう、任せとけ!」
マテオはギャレーの出入り口に向かうと、腹の底から響く声で船内へ叫ぶ。
「昼飯できたぞーッ!! 並べ並べ、順番守れよー!」
彼の声は船腹の奥まで届き、たちまち足音がどっと響き始めた。戦闘続きの日々でも、この瞬間だけは船全体がほっと緩む。ルキフェルはそんな空気を胸の奥で味わいながら皆の列を見守った。船員たちへの配給が一巡すると、ようやく五人組の番が回ってくる。熱気と湯気がこもるギャレーには、煮込みの匂いと焦げたパンの香りが混ざり合い、鍋をかき回す音、皿が触れ合う軽い衝撃音が絶え間なく響いていた。マテオの後ろでニールとコリンが器を受け取るのを見て、ルキフェルは周囲の喧騒に負けない声で短く言った。
「二人は先に席を探してくれ。マテオの仕事が終わり次第、俺たちも行く」
「分かった」
ニールは汗をぬぐいながら返し、コリンは蒸気で曇った前髪を払って、無言でうなずいた。二人は器を抱え、足元の揺れに合わせて身を傾けながら、素早くギャレーを後にした。五人組はいつだって誰よりも最後に配給を受けるのが常だった。先に料理を手にした者は、まず船内で空いた席を探す。見つからなければ、自然と足はフランソワのいる場所へ向かう。後から来る者はフランソワの分の昼を手にし、皿を揺らさないよう気を配りながら先に出た仲間を探し、姿がなければそのまま船長室へ向かう。そうして今日もまた潮とスープの匂いが混ざる船の昼時に、五人組とフランソワの食卓が整いつつあった。
船内の通路は、ギャレーの熱気が流れ込んでねっとりしている。湿った空気が肌に張りつき、足元では船の揺れに合わせて床板がぎし、と鳴った。ニールとコリンは器を抱え、肩が触れ合うほど狭い動線を縫うようにして進んでいくが、どのテーブルも、すでに船員たちでいっぱいだった。背中と背中が押し合い、皿が行き交い、笑い声と怒鳴り声が混じる。二人は一通り見回しただけで、今日も自分たちの席が無いことを悟る。
「……やっぱりね」
ニールが小さくため息をついたその時だった。コリンが歩みを緩めた。通りかかったテーブルの一つから、ひそひそ声のような、だが悪意の匂いを隠しきれない会話が聞こえてきたからだ。
「しかしよ……うちのコックさん、よくやるよな」
「だよな。あの腕で料理なんて普通できねぇだろ。見てると気味が悪ぃぜ」
ひとりが肩をすくめると、別の船員が声をひそめるでもなく続けた。
「しかも妙に……整った顔してるだろ、あいつ。なんか裏がありそうでさ」
「わかる。ああいう美形ってだけで調子乗ってそうでムカつくんだよ。腕がアレなのに、妙に堂々としてるし」
「船長に気に入られてるって噂もあるしな」
「いや、俺は逆だと思うぜ? あの義手隠して、必死に普通に見せてる感じが薄気味悪いんだよ」
船員たちは勝手な想像と嫉妬を混ぜ、飽きもせずマテオの噂を続けていた。
「料理がうめぇのは認めるけどよ……あの外見だと信用できねぇよな」
「わかる。なんか隠してんじゃねぇかな、あの義手の下で」
「そもそも、なんで義手になったか知ってるか?」
「いや知らねぇ。でもきっとロクな理由じゃねぇだろ」
嗤うような声が湿った空気の中にいやに響いた。ニールは眉をひそめた。コリンは黙ったまま、指先が器を握りしめてわずかに震えている。ギャレーの温度とは違う、別の不快な熱が二人の胸の奥に広がっていった。船員たちはすぐ背後をニールとコリンが通っていることなど露ほども気づかず、悪意の熱を帯びた会話を続ける。
「まあまあ、お前ら。あんまり言ってっと、クォーターマスターに怒られるぞ?」
周囲の数人がぴたりと動きを止め、顔を見合わせる。
「……ああ、ルキフェルさんか」
「そうそう。あの美形コックと仲いいだろ、あの人。つーか、いつも一緒に飯食ってんじゃねぇか」
マテオへの嫉妬混じりの悪口から、話題はいつの間にかルキフェルへと滑っていく。
「でもよ……正直あの人、怖ぇよな」
「わかる。ほら、顔の傷。あれ、近くで見るとぞっとするんだよ。怒らせたら何されるか……」
「いや、傷だけじゃねぇって。あの人、頭は切れるし、フランソワ船長の右腕みたいな存在だろ? なのにさ。今日の甲板でのあれ、見たか?」
「見た見た。なんだよあの動き! 人間があんなふうに跳ねたり回ったりするか? 化け物みてぇだったぞ」
「フランソワ船長より怒らせちゃいけねぇタイプだよな。なんつーか……底が見えねぇ」
「しかも戦闘になると部屋に篭るんだろ? あれがまた怖ぇんだよ。弱いのか強いのか、わかんねぇからよ」
「そうだよな。あれで本気じゃないっていうのが……一番タチ悪い」
彼らの声はひそひそでもなく、はしゃぐでもなく、恐怖と不快さが溶け合った湿り気を帯びていた。ニールの横顔がわずかに強張る。コリンは表情こそ変えないものの、足が一歩分だけ止まりかけた。彼らには聞かれているなど想像もしていないのだろう。それがさらに、二人の胸の奥をひどくざらつかせた。コリンの胸の奥で、船員たちの言葉がじわじわと染みていく。
——自分が作った義手。
マテオの左腕。あれは、孤児だった彼がかつて一緒に暮らしていた老人が残した、未完成の設計図をもとにしたもの。錆びついた机の上で何度も描き直した線。工具の握り方ひとつも教えてくれた、あの皺だらけの手。コリンにとって義手は、お爺さんの形見であり、受け継ぐべきものであり……マテオを救うために差し出した、ごく自然な手段だった。
——なのに、自分のせいでマテオはあんな風に見られているのか。
あの嫉妬混じりの視線。魔物でも見るような、怯えた声。自分がしたことは救いじゃなく、重荷だったのかもしれない。そんな考えが、胸のどこか深いところにひっかき傷を残した。そして、もう一つ。船員たちの噂はすぐに別の人物に向けられていた。
「ルキフェルさん、怖ぇよな」
「怒らせたら終わりだ」
「本気じゃねぇのが一番怖ぇ」
まるで化け物でも語るような声色。コリンは思わず拳をきつく握った。
——違う。あの人はそんなのじゃない。
暗闇の中にいた自分へ差し伸べられた、あの手を思い出す。優しいという言葉では足りない。あれは、兄が弟を引き上げるような温かい手だった。
——なのに容姿だけで、立場だけで怯えるなんて。
ルキフェルの傷を見て、彼らは勝手に恐怖を貼り付ける。冷静で誰より仲間思いで、責任を背負いすぎるほどのあの人を。最近はつい素っ気ない態度を取ってしまう自分でさえ、傷の向こうにある人柄を知っているというのに。胸の奥で、静かに怒りが燃える。
「……なんで、何も知らないくせに」
コリンの怒りは叫びにはならない。氷のような沈黙となって小さな背中にまとわりついた。ニールは横目でちらりと彼を見たが、何も言わなかった。コリンも何も言わない。狭い船内の湿った空気だけが、二人の間を通り抜けていく。やがて、船員たちのざわめきを背にニールはふっと表情を切り替えた。さっきまで無言で聞き流していたくせに、今は春風みたいな柔らかな笑顔だ。
「行こうか。今日もフランソワのところだね」
コリンは知っている。ニールがこういう爽やかすぎる顔をする時、大体その胸の奥に黒い霧みたいな感情が渦を巻いていることを。そう察しながらもコリンは何も言わず、ただ頷いた。ニールは迷いなく歩き出し、狭い船内の通路をすいすいと進んでいくが、コリンには一つ気になることがあった。床板が、いつもより軋む。ギシ、ギシ……と、ニールの足音が妙に強い。普段は猫のように軽やかなのに、今はわざと音を立てているみたいだった。
「……機嫌悪い時の歩き方だ」
木の床に伝わる重みが、ニールの内心を代弁していた。ただし本人は、くまでにこやかに、爽やかなまま。その笑顔の裏に何を考えているのか、コリンはあえて探ろうとしなかった。ただ黙って、彼の背中を追い続ける。通路の先には、甲板へと続く静かな階段が見えてきた。今日もあの人の元で昼食をとることになるのだと、二人は言葉を交わさずとも理解して。
一方、ギャレーを出た残り三人はそれぞれ配膳を手にして船内の通路へ歩み出た。ルキフェルの腕には二人分の食器と木皿が重ねられ、マテオとジャスパーも同じく自分たちの分を抱えている。通路に出た瞬間、ざわめいていた船員たちの声がわずかに落ち着いた。喧噪は途切れないが、どこか気まずそうな間が生まれる。
……気にすんな。
ルキフェルは心の中でだけ吐き捨てると、視線だけを巡らせて人いきれの中を見渡した。ニールとコリンの姿は見えない。当然だ。あの二人なら、席が埋まっていると判断した時点でさっさとフランソワのもとに向かったはずだ。
「いねえな。先に行ったか」
ジャスパーが小声で言う。ルキフェルは無言で頷いた。三人は船員たちの間を縫うように歩き、甲板に続く梯子段に差し掛かる。昼の光が差し込む甲板へ出れば、潮風が湿った空気を吹き飛ばしてきた。そこからさらに船尾側へ。重厚な木造の扉、船長室の入口が見える。ルキフェルが歩みを緩めると、ジャスパーが気安い仕草で前に出た。
「開けるぞ」
ノックもそこそこに扉を押し開ける。潮の香りと紙の匂いが入り混じる静かな空間が広がった。奥の机ではフランソワが海図に身を乗り出し、独特の鋭い眼差しで航路を追っている。彼の傍ら、すでにニールとコリンは腰を下ろして食べ始めていた。ニールはちらりと扉口を見て、いつもの柔らかな笑みを浮かべる。コリンは食べる手を止めぬまま三人を一瞥した。三人は自然と息を整えながら、フランソワの机の近くへと歩を進めた。ルキフェルは自分の持つ二人分の配膳を丁寧に置き、近場にあった椅子を手繰り寄せて座る。マテオとジャスパーもそれぞれの席を用意して腰を下ろす。そのまま、五人は木製の皿に盛られた昼食を手元に食事をとっていた。ルキフェルはスプーンを置き、海図に目を落とすフランソワに向かって口を開いた。
「ニールによれば、俺たちは今ケルト海近辺にいるそうだ」
フランソワは軽く頷き、低い声で答える。
「だろうな。ここから先はブレスト停泊地に近くなる。これまで以上に慎重に行動しよう」
ジャスパーは椅子を少し揺らしながら、食べつつ話題を切り出す。
「気になるのは、やっぱり噂だよな。酒場じゃ、おれたちの話題で持ちきりだ」
フランソワやルキフェルの顔にはさほど動揺は見えないが、ジャスパーは続けた。
「おかしな話だよ。フランソワは茶髪。それも明るい色なのに、船乗りの間じゃ『赤髪の船長』だって言い出す奴がいるんだ。手配書も至る所にあるのに、どう間違えたらそんな噂になるんだよ」
ニールは微笑みながら答える。
「まあ、赤髪の方がインパクトあるからね」
ジャスパーはそれを聞くと、誇らしげに胸を張って言った。
「赤髪はおれのトレードマークだっての」
フランソワは思わず口元を緩め、微かな笑みを漏らした。
「お前たち、いつまでたっても子供だな」
ルキフェルは微かに口角を上げ、彼らの軽口を見守りつつも、心の奥底でこの穏やかな空気を楽しんでいる。一方、コリンの頭の中には先ほど船内で聞いた船員たちの会話が蘇っていた。
——あの義手のコック、美形だけど気味が悪い。
——ルキフェルさんの顔が怖すぎる。
——本気で怒らせたら、フランソワ以上にヤバいらしい。
耳の奥に残る言葉をコリンは無意識に反芻しながら、大人たちの様子を見渡した。ルキフェルは落ち着いた手つきでスプーンを動かし、ジャスパーは冗談を飛ばしてはフランソワとニールを笑わせる。マテオは肩の力を抜き、にこやかに配膳した昼食に手を伸ばす。自分たちが他の船員からどう見られているかなんて、気づかないはずないのにとコリンは心の中で呟いた。平然としている大人たちの姿がどうしても理解できなくて思わず口をついて出た。
「あのさ、悔しくないの?」
五人の視線が一斉にコリンに向く。大人たちは知っている。恐れられ、尊敬され、時に嫌われる自分たちの立場を。それでも、彼らは何事もないかのように平然と座っている。その理由を、コリンは今、初めて本気で知りたかった。ルキフェルはスプーンを置き、コリンの真剣な視線を受け止めながら問いかけた。
「急にどうした。なにか言われたか?」
コリンは小さく首を振り、口ごもるように答える。
「何も。でも、他の船員たちが会話してるのを聴いたんだ。マテオと、ルキフェルのこと」
マテオは腕を組み直して顔を顰めた。
「オレとルカ?」
ニールは軽く手を振り、穏やかに諭す。
「二人は気にしなくていいよ。所詮、弱者の戯言だ」
コリンは構わず続けた。
「あの人たち、気味悪いって言ってたんだ。二人のことを」
ルキフェルの顔はわずかに緊張を帯びるが、コリンはすぐに落ち着いた声でルキフェルに問いかけた。
「化け物って言われて、何も思わないの?」
ルキフェルはコリンをじっと見つめていたが、やがてゆっくりと口を開く。
「化け物か。まあ、言われて心地よいものではないな」
コリンは言いかけた。
「だったらなんで——」
ルキフェルはすぐに口を閉じず続けた。
「いちいち気にしても仕方ない。この顔があいつらには恐怖の対象として映るなら、俺は構わない」
ルキフェルの目は冷たくもあり、どこか守る者の決意を帯びていた。
「秩序のためだ。船の上の平穏を保つために、俺は影として存在してる」
コリンは眉を寄せ、理解しきれない様子で口を開いた。
「なんの解決にもならないよ。あの人たちは物事を表面でしか見てない。言われっぱなしでは、ルキフェルが壊れていくだけだ」
ルキフェルは肩の力を抜くことなくコリンを見つめた。内心で、仲間やコリンを守るために自分が影として存在していることを何度も反芻する。自分が影でいる限り、誰も傷つけさせはしない。
「それでも、俺はこうする」
コリンは眉をひそめ、両手を腰に当てて食い下がる。
「……逃げてるんじゃないの? 本当に守りたいなら、真正面から向き合えばいいじゃない」
ルキフェルの胸の中で火が燃え上がった。拳を軽く握り、指先に力を込めて踏みしめる。
「逃げてるだと? 俺は逃げてなんかいない! お前に何が分かるっていうんだ!」
コリンは手を開き、ルキフェルに向かって口調を強めた。
「ぼくは! 何も言わず影に徹するやり方が、正しいとは思えない!」
ルキフェルは眉間に深い皺を寄せ、歯を噛みしめながら声を張る。
「正しいとか間違ってるとかじゃない! お前に分かるわけがないだろう! 俺は……俺なりの方法で守るんだ!」
コリンは頬を赤らめ、声を震わせながらも目を逸らさない。
「……言われっぱなしじゃ、壊れちゃうって。みんな君を恐れてるだけで、誰も理解してないんだ」
ルキフェルの胸に鈍い痛みが走った。
「……俺を理解しろとは言わない。ただ俺のやり方を、俺の意思を否定するな!」
しばしの沈黙。互いに荒い呼吸を整える。ルキフェルの目には怒りの奥にほんのわずかの戸惑いが見え、コリンの表情にも困惑と憤りが入り混じる。二人は言葉の刃で殴り合ったが、その裏には、互いを想う気持ちが確かに存在していた。
「まあ、二人とも落ち着け」
フランソワの声はいつもより低く響いた。ルキフェルもコリンも、互いの呼吸を荒くしたまま固まる。
「飯が冷める。ひとまず休もう」
フランソワは簡潔に告げると、手元の海図にも目を落とさず、いつもより口数少なくその場を収めた。普段は饒舌で冗談を飛ばす、フランソワの珍しい沈黙。彼の目の奥に宿る微かな苛立ちが垣間見えた。ルキフェルもコリンも、言葉を発する気力を失い、ただ静かにその場に立ち尽くす。ジャスパーとマテオ、ニールも何も言わず黙々と食事を再開させ、船長室には一瞬、深い静寂が流れた。




