島を捨てる人
アジュテビさんを見送って、僕は転送局に向かう。連絡をすっかり忘れていたのだ。あちらが手紙を出したのは三週間も前のこと。こちらからの連絡が一切なく心配に思っていることだろう。それに港から家までは距離があるので、地元のいる使用人たちに連絡をしてあちらの港に迎えに来てもらわねばならない。先の例もあるので、念のため二通、その旨を書いた手紙を送る。
転送局を出たところにフィドルをひく少年がいた。雑踏のがやがやと言う無調和に対抗して三本の弦の上で小さな指が踊る。
彼の足もとに大きなパン籠があった。その中身を覗くと、銅貨が五六枚あるだけであり、どうも彼の素晴らしい演奏に見合っていないように思われた。彼へアジュテビさんからもらった四枚しかない財産の一部を投資するべきか否か逡巡していると、建物の中から怒声が聞こえてきた。振り返ると受付で局員と僕ぐらいの歳の女性が言い合っている。
背は小さく、白い肌、真っ直ぐな黒い髪。この民族を僕は知っていた。そして、見ていないが、分かる、彼女の瞳は黒い。
局員はうんざりしたように会話を切った。
「あーもうお引き取りを。次の方どうぞ!」
「ちょっと。なにそれひどいじゃない!」
彼女は噛みつくが受付の局員は取り合わない。周りの人々は黙って彼女を見つめている。嫌な沈黙だ。それは紛れもなく攻撃の意志を含んでいて、眉をひそめている者さえもいる。
彼女は初めのうちは腹を立てて、後ろに並んでいた人や自分を見ている人にも食ってかかっていたが、ぐるりと周囲を見渡し、ようやく気付いたようだった。
彼女に味方はいないのだ。彼女は周りの人々が「敵」と分かるとうなだれて、小包を脇に抱え、僕の目の前を通って出ていった。
僕はすぐさま話しかけたい衝動に襲われたが、ぐっと拳を握りこらえた。そして、彼女が転送局を出て数十メートルいき、先程の出来事を見たものがいないだろうというところまで来て、やっと彼女に声をかけた。
「すみません」
「はい?」
肩のあたりで髪を切りそろえ、すっきりとした印象を与える髪が揺れる。それは、どうやって情報を手に入れたか、ナガイ(そこでは女性はヴェールを被らない)で流行っているという髪型だった。
だが、眉毛が細すぎる。
知っている。この子の島では眉の細さは美しさの証なのだ。一方、大陸では美しさの基準となる独特の太さと言うものがある。それを維持し整えることができなければ、男ならともかく、若い女性ならば「野暮」の烙印を押されかねない。
何か、としばたいた目の奥には、やはり黒い瞳が浮かんでいた。
「よろしければ、その封筒を見せていただけませんか。おそらく、記述に不備があったのだと思うのですが」
「はあ、これですが」
彼女は訝しがりながらも、僕に小包と封筒を渡してくれた。
「ああ、住所が一つしか書かれていませんね。転送先と転送元の住所、そしてあなたの住所が三つ必要です。あと、クボに送るんなら国外転送扱いになりますから、これぐらいの荷物になりますと、税金がかかる可能性があります。中身を伝えて局員に調べてもらってください。それともし、簡易書留にしたいなら……」
「は、はあ。なるほど。すみません、でも、ちょっと覚えられないですね…」
無意識に髪をいじりながら彼女はそう答えた。顔には困惑の色が浮かんでいる
が、挙措の一つ一つには力強さが籠っている。自分の容姿に自信を持っているのが分かる。
「分かりました。貸してください。僕がやりましょう」
「え、そんな。いいんですか? で、でも……」
「かまいませんよ。どうぞ後ろから見ていてください」
僕たちは少し歩いて、先程とは違う転送局に入った。実際に転送する機関を持っていない、ただ荷物を集めるだけの支局ならばそこら中にある。おかしなことに、盛況だったあっちの支局とは違い、こちらに客は僕らを除いていなかったので、手続きはあっという間に終わった。局員は押し黙ったまま領収書をくれた。
「ありがとうございます。さっき言い合った局員は、説明もしてくれないし、文句言っても全く取り合ってくれませんでした。実家から出てきたばかりなのですが、どうもこの街の人は冷たいですね……いえ、すみません。でも、ヤシロにもあなたのような人もいらっしゃると分かって嬉しいです」
彼女はにっこりと笑った。可愛らしいえくぼが白い頬にできる。学校を出たばかりの跳ね返りのお嬢様と言ったところだろうか。
「こちらにお住みなんですか?」
「はい。とりあえず今は。でも、本当はナガイに行きたいんです。綺麗な街と聞きました。それと、織物が盛んで仕事がたくさんある土地だとも聞きました。そのために旅費を稼ごうと思っているのですが、なかなか仕事が……あはは」
「大変でしょう」
「はい。でも、故郷に比べたら、ずっとマシです。野暮ったい島で何もないし、ロクな服も売っていない。遊ぶところも無い。あの場所に住み続けるような男は話にならない馬鹿ですし、女は負け犬の奴隷です」
彼女は笑みで、だが吐き捨てるように言う。自嘲が癖になっている。
島。そうか、と思う。
「退屈な田舎ですよ……でもまあこちらにこれてよかった」
彼女の眼の奥を覗き込んでみる。そこには本物の憎悪があった。
ならば、僕も本物の忠告を与えねばならないだろう。
「行くとしたら、アゴタの方をお勧めします。この街も相当ですが、ナガイも同じように保守的で排他的です。また、いや、これ以上につらい目に逢うかも知れませんよ。あと、眉毛ももう少し太くした方がいいでしょう。片手落ちですね。クボの人間だった過去を完全に消したければ、そうしなければならない」
「はあ」
彼女の眉間にしわが寄る。
「ヤシロの男の人にどうしてそんなことが分かるんですか?」
彼女は少し不機嫌そうな声を上げた。世話になったとはいえ、見ず知らずの男に自分の将来を否定されたのだ。しかも身なりまで指摘されて、彼女としては鼻っ柱を圧し折られたようで気分が悪いだろう。当然と言えば当然だ。
僕は大きくお腹に息を溜め、そして、ゆっくりと吐いた。
「見てきたんです。いや、見なければならなかった」
「見なければならなかった?」
「いや、つまり、僕もクボの生まれなんですよ」
彼女を家の近くまで送り、僕たちは別れた。その際に僕は以下の点を忠告した。
一、大陸の流行を盲目的に受容し、常に身なりに気を付けること。
一、寡黙であること。ボロが出ないように。
一、卑屈にならないこと。無関心であること。
ほとんど歳の違わない彼女に大層な教訓を垂れるのは、偉ぶっているようでどう思われているか心配だった。彼女は片方の眉を少しだけ歪ませたが、特に反発もせず静かに聞いていた。
「肌の色が濃いし目も蒼いからてっきり大陸の人かと思ってしまったわ」
「母方がヤシロの出なんです。育ちはクボですし、今でも故郷はあそこのつもり
ですけどね。明日、船で帰るつもりです」
「そう。クボのために頑張ってね。私はごめんだけど」
――――――
「何故、お前は巌の堅固さを信じられるのか。アクツやオーサキでさえ風に嬲られ、脆く砕けていくものを……。何故、お前はあのお方の貸し付けを認めないのか。神は我々の地にいる。この大陸にいる。ああ、知っている。私はそれを確信できる」
僕は駅馬車の営業所がとってくれた宿に向かった。辻では説教師が粛々と説い
ていた。僕は彼女の事を考える。おそらく、彼女は僕の伝えたことを無視するだろう。カタヒの道を痩せこけたラクダに揺られ彼女は行く。閉鎖的なナガイには彼女がマトモに金を稼げる場などないし、物価は高く生活費はかさむ。
あの街は遠い、旅費は莫大だ。一度行ったら、二度と帰っては来られまい。
無関心であること。
負け犬の奴隷ならば気にする必要もないのだろう。
自分の言葉と彼女の言葉がグルグルと頭の中で混濁する。仰角八十度の太陽は短い影しか許さない。倦怠が湧き血管をつたって全身へ回る。僕の体を支配する。
そうだ。銀貨を渡し損ねたな。
急にフィドルをひく彼のことを思い出した僕は、最初の転送局に向かったが、そこにはもう彼の姿はなかった。




