野良の詩人
「知っているとは思うが、現在の転送システムにおいては、荷物は一旦各街にある転送局に集積され、局員により転送先別に分別される。その一塊を転送演算士がそれぞれの局に転送する。そこからは郵便局、人力だな。速達なら馬に乗って、それ以外なら足で彼らはその届け主まで荷物を運んでいくわけだ」
僕はアゴタの街の中央、官庁が立ち並ぶ中にあった、あの厳めしい転送局本庁を思い出していた。先生の知人が勤めているという縁で見学しに行ったのだが、一日に何千人もの人が出入りするというその流れを見ているだけで楽しいものだった。
先輩は蛸に鉄の串をさして炙りながら、再び袋の中に手を突っ込んで葡萄酒を取りだす。
「飲め。故郷の味だ。脱水で死んでしまうぞ……まあ、つまりな。この麻袋はその転送局そのものの機能を持っているんだ」
にわかには信じられなかった。あの巨大な建物と目の前の麻袋をどうやれば同じものと見なすことができるだろうか。――しかし、彼の言うことが正しいとしたら、要はつまり、先輩は二十四時間どこにいても他人と連絡が取れることになる。渡された葡萄酒の瓶を受け取って、僕は尋ねてみる。
「そんなことができるんですか?」
「できたよ。権利を買ったのさ。国からね。本当のことだぞ」
蛸にかぶりつき、彼は事もなさげに言う。
「安くはありませんよね……もしかして、大変な資産家だとか」
「確かに羽振りがいい時期はあったなあ」
先輩は懐かしそうに目を細めた。
「カルナップ教授は金儲けに関心をお持ちだった。それは全て神という存在の下で意味づけられた行為だったけどね。俺はあの人ほど寄進をしていた人を知らないよ。寄進するにも金がいるだろう。だが、あくどいやり方じゃあ、ただの背徳行為だ。つまり、教授はマトモでキレイな金が必要だった。そのため、何がどこでどういう風に売れるか。人が求めるものは何か、値段はどういうふうにつくか、そういうものも研究していたのさ。教授のおっしゃった通りにしたり、応用したら、みるみる金がたまった。本当のことだ。まあその後、やらかして仲買人に尻を蹴りあげられたけどね」
袋の中には何でもあった。水、肉、寝具――これは生臭くてとても使えそうもなかったが――本に至るまで。僕はお礼を言うことさえ忘れて食料にかぶりついた。
「駅馬車の事業所にも文句言っといたから代わりやつが来るだろう。あの爺は怪しかったからなあ。おそらくアゴタの私兵が言っていた窃盗犯だ。物を盗んだ後はあんなふうに落ち着かないもんだ。ババア達が進行を妨げるから焦ったんだろうな」
葡萄酒を飲んで息をついた。ようやく心が落ち着き、余裕が出てきた。とりあえず命だけは助かるみたいだ。そんな確信が持てた。
「あなたは命の恩人です。何とお礼を言ったらよいか」
「まあ、気にするな。困った時はお互い様だ。そういや、お前名前は?」
「こっちではBCという名前で通っています」
「こっちでは? ……ああ、なるほどね。あっちの生まれか。そうは見えんが……まあどうでもいいさ。BCか。俺の名前はアジュテビ。これも何かの縁だ。ほら」
先輩は袋から取り出したノートの切れ端に二行の数列を書きつけて僕に渡した。
「この値を転送局で代入してもらえばこの麻袋に物が届く。何か良いお礼があったらここに送ってくれ。期待して待っているから」
カラカラと先輩は気持ちの良い笑い声をあげた。
僕はその声が遠くなっていくのを感じた。瞼が重かった。橙色の朝日のような膜が僕を包んでいた。死に対する緊張の糸が切れ、空腹の満たされた僕に、急に強烈な睡魔が襲ってきたのだ。
目を覚ますと僕は馬車の中に乗っていた。きっとこれが先輩の言っていた代車なのだ。体には一枚の毛布がかけられていた。寒い。また夜だ。目の前にはアジュテビさんが腕を組んで眠っている。眠った僕を運んでくれたのもきっと先輩だろう。
外を見ると僕たちの駅馬車はシズヤ渓谷の切り立った崖の上をゆっくりと走っているようだった。砂から岩へ。水の気配は相変わらず皆無で、乾いた空気は冷え込んでいた。
目の前には悠久の時が自然に刻んだ渓谷があるはずなのだが、月明かりが届かないのでカンテラが照らす半径五十メートルしか視界はなく、見えない。一歩足を滑らせば渓谷の底へ真っ逆さまなのだろう。
路面は荒く、馬車は揺れる。輪車が街と街をつなぐ輸送手段となれないのはこうした理由からである。
推定すべきパラメータが多く攪乱項の分布が見えないこういう場所では、余りに計算量が膨大になり過ぎて実用性を失うのだ。輪車が活躍できるのは道がきちんと人為的に整備された大都市に限られる。
――「星がきれいだった。デネブが天の川で溺れている」――
「ん、着いたか?」
大きな欠伸をしながらアジュテビさんは伸び放題の髪の毛を左右に振った。
「まだシズヤ渓谷です。すみません。起こしてしまいましたか?」
「シズヤ渓谷……ああ、忘れていた! 俺はこのために駅馬車に乗ったんだ」
アジュテビさんは窓にかかっている荒布を手の甲で跳ね上げ、頭を外に突き出した。
「ひゃーすげえ景色だな。何もかもぶちまけたって感じだ」
長い時間、先輩は空を眺めていた。そして、暗闇の中体を車内に戻すとともに興奮した様子で僕に語り始めた。カンテラの灯で紅潮した彼の頬が映った。
「危ない。危うく見逃すところだったぜ。俺は今詩人をやっているもんでね。こいつを言葉で書きとめなきゃならん」
「詩人! それはすごい! どこかの名家と御懇意だとか」
詩人だとすれば、どこかの名家の庇護を受けて詩作に励むのが普通である。王族、新興の大商人、地主、用水権保有者……。大陸の大金持ちにのみ許された華やかで、上品な世界。彼らに認められるには、それ相当の才能と努力、そして運が必要であろう。
「まだ野良だよ。まあ誰かがそのうち拾ってくれるさ。出だしは、そうだな。『デネブがまさに身を沈める、シズヤの川の奔流に』ってか」
僕の華やかな世界はそれこそ奔流に泡と消える。つまりは「自称」と言うことだ。
「野良……ですか」
僕の心象を察したのか、先輩は言葉を付け加えた。
「BC君は詩を読んだことがあるかい?」
「はい。ちょっぴりですが。担当の教授が何度か授業で取り上げたもので」
「数学の先生なのに詩の授業をするのか」
「ええ、根本にあるのは同じだとおっしゃっていました。ラティウスを一冊」
芸術や文学に対する造詣が深いブラウワー教授は、時折、本来の講義をやめにしてこういったものを輪読させることがあった。格調高いテンゲンダ語――これは昔滅んだ帝国の公用語であるが――で書かれた原著を読むのはなかなかに大変だった。
重厚で壮麗な言葉の運び、リズム。背景の思想や修辞法等、難しいことはあまりわからなかったが、教室に独特な高低、うねりが生まれていくのを感じた。宗教家の息子だという同級生が妙味を噛みしめるように音読する様が印象深かった。
「だいぶ古い詩人だ。アゴタでは四百年前の詩人が未だに闊歩ずる。いや、非難しているんじゃない。本当のことだ。俺だって彼らの詩を読んできた。ただ……」
「ただ?」
先輩はしばし逡巡した後、再び窓から空に体を突き出す。
「今のアゴタの詩人は詩人じゃないんだよ。要するに、彼らは四百年前のテキストの解釈者でしかない。格調高く、長尺で、勇ましい。そして……固い。俺はあの街を出て、世界を巡り、世界中で新しい芸術の芽が出ようとしているのを見た。俺はもっと気を衒って平易な言葉で簡単に世界を表現したいんだ」
「しかし、気を衒うとは難しいものではないでしょうか。常道と言うものは確実にあります。どこからどこまでが有効でどこからが戯れになるのか分からない」
先輩は体を馬車の中に戻し、肩越しに僕を見た。
「BC君は難しいことを考えるなあ。いいことを教えてやろう。実はそこら辺はどうでもいいんだよ。俺が詩だと思えばそうなんだ。駄目だとしたらそれは才能がないだけなんだ。問題はそこじゃない。それらの事に厳然として動かない過程があると思いこむことが危ないんだ。本当のことだ。ほら見てみな」
促されて僕は先輩と同じように窓から頭を突き出した。シズヤの奈落から湧昇してきた闇。僕らの息、車輪が小石をはねる音、馬の躍動に、軋む馬車。黒。
僕は仰ぐ。空には星が出ている。
――「空はまるで切りだされた藍銅鉱の母岩だった」――
「君ならどう表現する?」
「……僕には分かりません。才能がありません。言葉が思いつかないんです」
「どうも俺の言ったことをよく理解していないようだな。適当でいいんだ。気を衒え。皆がテンゲンダ語起源の固い語彙を使いたいならそうさせときゃいいんだ」
僕は胸の中に投げいれられていた言葉を吟味する。馬車が粉ふるいのように僕の頭を揺らす。
「……星がきれいだった。デネブが天の川で溺れている……うーん…空はまるで切りだされた藍銅鉱の母岩だった」
言ったそばから恥ずかしくて顔から火が出そうになる。
「いいぞ! 柔い語だ! 君も詩人だったんだな」
先輩は笑いながら僕の肩を叩いた。




