砂漠の街々、そして蛸
全長180キロメートル。幅30メートル。
石と木で舗装されたこの街道を、人はカタヒの道と呼ぶ。
その名は、戦乱末期、この街道を通って進軍した軍団が砂漠の真ん中で敵に包囲され全滅したという悲劇に由来する。
カタヒとは呪術的な宗教しかなかったアゴタで昔信仰を集めた冥府の番人を勤める死神のようなものを指す。現在のアゴタやタカシラ等を含む広大な領域を支配することになる巨大国家が、二百年も三百年も昔に何万人の捕虜と奴隷を使役して砂漠に創出させた遺構。現在でも道の脇を掘れば白い骨が出てくると言うが、本当かどうかは知らない。
初日の越昼街にはロクな便所がなかった。飯は水気が無く、ベッドは石に等しかった。
更に、アゴタから追いかけてきた私兵が、僕らの駅馬車を止め、皆の持ち物を点検し始めたからたまらない。彼らは一種のコミュニティを作っており、警察の補助的な役割を果たしている。アゴタの金持ちの家から何かが盗まれたと言っていたが、結局僕らの持ち物から見つかることはなかった。
お爺さんはびくびく怯え、女性たちはあらゆるところに不満をぶちまけ、そして僕の先輩はひたすらに黒かった。とにかく、足止めを食らったこの一日で僕の精神はかなり消耗してしまった。
三日目の街はタカシラであり、もちろん先進的で設備も行きとどいていた。だが、それがいけなかった。女性たちが柔らかなベッドの上で爆睡して出発ができなくなってしまったのだ。
馭者のお爺さんは起こしに行ったものの、ぼろ雑巾のようになって帰ってきた。彼の哀れさと言ったら。僕は同情しかできなかった。
五日目の集落は最悪と言うしかない。
そこは海の方面から渓谷を抜けてくると初めて見える、隊商が水と食料を補給するためだけにあるような小さな集落だった。以前通った時は、緑が砂漠の真ん中にこんもりと浮かんでいるように見えて、神秘的な美しさを感じたものだが、今回はまるで様子が変わっていた。どうやら、一か月前に飢えた盗賊の襲撃にあい、虐殺と略奪が行われたらしい。生き残った住民は皆親戚を頼ってどこかへ逃れた後だった。
服を剥がれ、猛禽に散々啄ばまれた死体がそこらに転がっていた。管理する者のいない人口オアシスは乾きかけた粘質の泥を残して死に絶えていた。
輪をかけて悪いことと言うものは重なるものだ。昼の間にお爺さんが逃亡してしまったのだ。僕ら四人は荷物のほとんどを失い、主人のいない荒れ果てた宿に取り残された。
僕の手元に残ったのは、胸元に入れたままにしていた本と首にかけていた蛍石のペンダントだけ。前者は長い旅路の友として先生が贈ってくださったもの、後者は母の形見で僕がアゴタへと出立する日に父がくれたものだった。
僕は途方に暮れて、ただ立ち竦んだ。女性二人は壮絶なヒステリーを起こし、手当たりしだいの壊せるものを破壊していたが、偶然にも通りがかった隊商に身に着けていた宝石を渡してさっさと先へ行ってしまった。
窮地の僕には不思議と思う余裕さえなかったが、これら僕らをめぐる一連の出来事に対して、先輩は泰然と驚くほどに無関心を決め込んでいた。
食料も水もない、連絡手段もない。孤立無援。衛生は最悪で、死肉を求める野生動物が徘徊しているときている。なのに、どうしてこんなにも落ち着いていられるのだろう?
とりあえず、無一文の僕を抱えても先に進める余裕のあるキャラバンを待つしかなかった。だが、この集落が無いとしたら、次の街までは五十キロある、通りかかったとて彼らもかなり厳しいだろう。
一日が過ぎる。また日は落ちる。この荒れ方だ、情報がいき渡っていて、ここが彼らの通行ルートから外れている可能性も高い。
体力を温存しようとベッドに入るものの、あまりに空腹なので眠ることができない。長い時間をベッドの上で転げ回る。苦い息が喉まで迫ってくる。僕は悶えながら壁を蹴る。唸る……。今年の夏は例年よりも暑い。僕の体は何日持つだろうか。
悲観的な未来を具体的な映像にして虚空に浮かべてみる。カラカラに乾いた僕の体が収縮している。僕の体は血の色の筋肉を露出させ、はらわたがあるべき場所には薔薇のような何が詰まっている。あまりグロテスクではなかった。そして砂に洗われ、さらさらとした白い骨が残り、散る。この街の住民と同じように。
その時、僕の妄想を蹴散らして、肉を炙る香ばしい匂いが頭に割って入ってきた。
この非現実的な感覚に対して、思考能力の低下しつつあった僕の頭はこう考えた。意外と速かったな、きっと空腹が生み出した新しい妄想に違いない、と。僕は布団を頭からかぶる。だがおかしい、いつまでたっても幻が消えないのだ。
まあ、幻でもいいだろう、つきあったところで、笑うものもいまい。
僕は布団をはねのけ、宿の外に出てみる。煉瓦積みの塀に沿ってぐるりと回り、砂にまみれた通りに出る。
夜の寒さと昼の暑さがまどろんで、ツンと気の張った空気が変質を始めようとしていた。風が無い砂漠でそれを伝えるのは僕の一歩で生み出されたうねりだけ。膠の強い墨で塗りたくったような大地。濃紺から赤へと曖昧な階層を持つ空。それを分つように地平線に沿って引かれる眩い金色の線。
夜明けだった。僕は嗅覚と聴覚に集中する。体が溶けだしそうになる砂漠の静寂のなかに、確かにぱちぱちと木が爆ぜる音が聞こえる。
音のする方へ足を向けると、路地の壁に凭れて焚火をする先輩の姿を見つけた。火に照らされた先輩の顔だけが壁の作る闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。
塵芥で曇った眼鏡を拭き、声をかけようとして、僕は声が詰まった。と言うのも、僕の頭の中で最悪の事態が想起されたからだ。この街には馬も羊もいなかった。ならば、彼が食べている肉は何なのだろう?
思い浮かんでくる答えは一つしかない。
僕は音をたてないように慎重に後退りをする。一歩、二歩、三歩……。
バシッ、爆竹音。
その音は塗り残された僕の存在を炙りだす。四歩目を置いたところには無慈悲にも乾いた小枝が砂で埋もれていた。
「おう、君か。そろそろ呼ぼうと思っていたんだ」
先輩は僕の姿を認め手で招いた。その様子はいたって普通だった。僕は一瞬だけ迷ったが、動揺をかみ殺し素直に従った。最悪の想定が正しいとしたら、なおさら逆らうのは命にかかわるような気がした。
「ほれ、肉だ。やっと届いたんだ。調味料は何もないが、それなりにいける。食べな」
先輩はそう言うと、よく焼けた大きな肉の塊を火でてらてらと光るナイフで削いだ。彼の様子には何ら不審な点が無かった。木の板に置かれた肉によって、僕の空腹は更に加速し、胃をまるで鷲掴みにされるような激痛が走る。
「どうした? 遠慮するな……あー」
先輩は鉄の串の柄を持って肉塊にそのままかぶりついた。
「安心しろ。ちゃんとした羊肉だぜ。本当だ。こいつにはちょっとした仕組みがあってな……おっ、第二陣がちょうどきた。ちょっと待ってな」
突然、先輩の体がぐらりと揺れると、ぐぐぐと宙へと持ち上がり始めた。尻に敷いていた麻の袋が風船のように膨張し始めたのだ。その袋は先輩の腰を持ち上げながら、ちょうど椅子ぐらいの高さにまでなると、その成長を止めた。
先輩は袋からのいて、袋の中に手を突っ込む。
「うわあ、くせえ。後で袋洗わんとなあ」
その手には活きの良い蛸が一匹、絡みついていた。




