しみったれた考え
事態突破の一端となるパトロンは何もシモクボにのみいるわけではない。街頭販売は望み薄だと割り切っていたし、他の策は既に打っていた。
一つ目はアゴタで発行される新聞へ目論見書を掲載すること。どこぞの馬の骨の書きなぐりを官営系が取り上げてくれるとは思わないが、有象無象の民間新聞社のうち、一社ぐらいは取り上げてくれるだろう(おおよそにして、野心的な投資家はそういうものを好む傾向にある)。
クボにおいても、かなり早い段階から小さな民間新聞社に何度も投稿してきたが、意外とあっさり採用をされてきている。大陸においても同様に掲載してもらえるのではないかというそれなりの自信はあった
――その掲載が、僕たちの計画に有効に左右するかは、また別の問題だったが。
もう一つは、これこそが重要だったのだが、アゴタの喫茶店、トゥバーディロで年間百本限定販売されている蝋燭の購入に手付金を払ったことである。
トゥバーディロはアゴタにおいて最も規模の大きな喫茶店であるが、舞台を中心に百二十人を収容する円形という、初めからブローカー同士の「お喋り」を念頭に置かれた設計となっている。
そしてまた、ここでは蝋燭を買ったものは、毎月、七日と二十一日、その灯が続く限り、舞台に上がり、「お喋り」の中心となることができる。
「今回の騒動でやっちまったのは馬鹿な地主とか有閑の奥方たちだから。僕には関係ないよ。今申請して通知が来る頃には市場も落ち着いているさ」
新聞社やトゥバーディロに手紙を送った後、僕は使用人たちにそんなことを言った。
今思えば、僕はそう思いたかったからそう言ったのだろう。
―――――
「どうなすったのです? ううむ。私のいない間に何があったのか……」
帰路。よぼよぼの馬をうまく操って僕の馬の脇に付け、ジージは多くの慰め目言葉をくれた。
僕の心は重かった。切り替えられない自分が嫌だった。
僕は調子良いだけの大法螺を吹いてしまったのだろうか。皆までを巻き込んで。
「Dさま。元気出しましょう。この世とは、思いのほかどうにでもなるものですよ」
上手く慰められたふりさえもできなかった。億劫だった。
甘さを指摘されただけで自尊心が傷つき、このざまだ。僕はこんなやつなのだ。
茅に含まれた朝露が、十三時過ぎの日差しに責められ、水蒸気になる。白煙が空へ空へと昇っていく。魔法で燃やしてみろよ。数式が複雑だから紙とペンが無ければ無理だ。いや、計算器を使えば簡単なんだろう。
お前はそう言った。
お前は確かにそう言ったぞ。僕は顔を伏せる。
「あれ、あいつ、なんであんなところに?」
ジージの怪訝な声を聞き馬の鬣から目線を上げると、木々の間、にょきりと立った石灰岩の陰に、一人、背の低い人間が見えた。岩の反射するきらきらとした白い輝きの中で、すらりと、水辺の鷺のように立っている。
馬を寄せる。その人物の正体は、今僕が一番会いたくない人物、ニコだった。
「ナカクボで買い物よ。もうすぐ帰ってくるだろうと思って待ってたの」
彼女は右腕に掛けていた布袋をジージに放り投げると、僕の馬の鐙に手をかけた。
「あら、お暗い顔。この島に住むにはそうでなくては」
なあ、ニコ。今の僕には余裕が無いんだ。無視を決め込んでもいいだろう? 強引に馬に乗りこんできた彼女の皮肉気味な言葉にも、憮然としたその面に対しても。
いずれ僕はこいつにも謝罪をしなければならないかもしれない。僕はお前に夢を提示したのかもしれない。悪かった。
ニコは珍しく機嫌が良いように見えた。むしろ、ハイになった中毒者の挙動に似ていた。ぺちゃくちゃと会話を周囲に投げ撒いて――僕は耐えた方だと思う。
「 」
「 」
腹にじわりとくる重みを伴って、軽口が次々と飛んでくる。
普段ならば、何でもない会話。変わってしまったのは僕の方。
家までまだ一キロはあった。苛立ちは怒りに変わろうとしていた。限界だった。
「すまない。少し黙ってくれないか」
ニコの言葉はピタリと止まる。木製のからくり人形のように首がねじれ、彼女の仏頂面が僕を捉える。僕の顔はどのように見えたのだろう。良くはなかったはずだ。
「困ったわね。何に苛立っているの?」
「僕にも分からないよ」
彼女は眼を閉じ、溜息をつく。
「物事は思い通りにいかないものよ。この島のようにね。降りましょう」
僕には彼女の言葉が捨て台詞のように聞こえたものだから。
「ああ。難しいよ。何もかも、何もかもだ!」
彼女はバランスを崩しながら、一生懸命地上に降りようとしていたところだった。
降り立った彼女は五歩ばかり離れ、馬上の僕を見上げた。二本足でしっかりと、大樹のように。彼女は大地と、島と繋がっているように見えた。僕は竦んだ。
「あきらめちゃえば? 私はいいと思うけど。人間自分の幸せが一番なんだから。余計なことをする必要はない」
返せる言葉などあるだろうか。
彼女は岩のように動かなかった。僕は彼女をおいてできるだけゆっくりとその場を去った。ジージは黙ってついてくる。馬蹄の音でそれが分かった。
僕の背後で彼女は潤み、点になり、消える。道は消費され、家は近付く。
口の中が苦かった。夜中に飲んだ酒が澱になってしまった時のようだった。良く考えてみろよ。頭を使えよ。あのアジュデビさんができないと言っているんだ。
ずっと潜むように静かにしていたジージが、ううんと咳払いをした。馬の腹を蹴る短い音が聞こえた後、歩を速めた彼は僕の前に出た。
「いやあ、相変わらず口の減らぬ餓鬼でしたなあ。なに気にすることはありません。腹が減ったらすぐに帰ってくるでしょう」
でなければ、気も軽いんだけど。
僕は誰にも聞えない程小さな舌打ちをする。
「お疲れなんでしょう。精の付くものを作るよう、先に帰って言っておきます」
彼は馬を進める。
誰もいなくなる。僕は一人になる。彼は僕を一人にしてくれた?
駄目だ。しみったれた考えを繰り返しても。考えろ。揺さぶれ。限界まで。
ここにいない誰の彼の顔も浮かんだ。うちの工場の元経理、裁縫係、島を出たあの娘や、港にいた詐欺師。もちろん先生と奥さん、ウノや老婆、そしてフェルまで。
森はしっとりとした空気を抱えていた。昼の賑わいや匂いを落とし、夕闇どころか、次の朝をばかりを考えているようだった。大きな猛禽が一羽、木々が埋めきれぬ空を横切った。枯れた葉が何枚か散り落ちた。
初めから知っていたくせに。
突然、こんな言葉が浮かんだ。何が分かっているのか、何故こんな言葉が思い浮かんだのか、見当もつかない。こう問い返す……。もし、なら、どうすればいい。僕はどうすればいい。
その時だった。血相を変えたジージが戻ってきた。あまりに馬を急かすため、今にもバランスを崩し転げ落ちそうだった。
「大変です! 屋敷が大勢の人間に囲まれています!」




