アヘン窟、嘯く自尊心
漠々としたとめどない思考が僕を混乱させていた。使用人の彼らには短い切れ切れの説明しかできなかった。それで精一杯だった。
彼らは詳しく聞き返さなかった。僕を信頼してくれているのだ。
ありがとう。でも、期待に応えられないかもしれないぜ。
僕たちは帰路についた。夜はいよいよ寒さを伴い始めていた。大陸ほどではないが、この島も昼と夜の温度差は激しい。
「ニコの奴は帰ってきているかな。拗ねているかもしれない」
「さあ。しかし、お土産も買いました。あいつに文句は言わせませんよ」
と、ジージは意地の悪いことを平気で言う。フェルもあきれ顔で笑っている。
「まあ、本祭は明日だ。明日街に連れて行こう。ものは食べられないけれど、愉しむことはできる。残った辻楽士をひやかしてもいい。演劇をだらだら観てもいい。ただ街を歩いたって、楽しいだろう」
ガス灯が柔らかな明かりを投げかけている。斜面がきつくなっていき、足が疲れてくる。僕は以前堤防からシモクボの夜景を、「家から漏れる明かりが山を穿ち、山全体を一つの城のようにしている」と例えたことを思い出す。明かりの下で振り返る。
堤防の向こうに、静かで、黒い、海。今では僕らもパノラマの一つ一つ。
宿の営業はひとまず終わったようだった。
節約のためか絞られ細くなったランプの明かりが警備の詰め所と正面玄関を照らしており、客はおらず、中はひっそりとしている。祭りの騒ぎもここまでは届かない。無人の受付に巣食う暗闇を見ながら歩いていると、その向こうから突然声をかけられた。
「こんばんは。ディーコンさんですね」
誰もいないだろうと思っていたので、飛びあがって驚いてしまう。
目を凝らせば、その低く落ちついた声の主が受付の机に両肘をもたれ立っているのが見えた。彼は細身の体に似あわぬゆったりした服の襟を直すと、体を起こし、胸元から一枚の小さなカードを取り出した。
「夜分失礼します。警察の方からやってきました、私、259、という者です。もし、確認をご希望する場合は、こちらの名刺を、当局の総務課人事担当へ提出し、照会してみてください。無機質ですが、ちゃんとした警察名です」
名刺には、確かに259という数字が書かれ、捺印がされてある。
「はあ……ご用件は?」
「今朝、スリの被害がありましてね。その件で少々お話を聞かせていただこうと思いまして」
刑事さんは手帳を取り出し、鉛筆を舐めた。意志の強そうな眼。ふさふさとした白い眉毛が上下に揺れ、柔らかな印象を受けるものの、どこか超然としたところがある。
「被害者は宝石の買い付けに来ていたヤシロのご婦人。彼女は自分のカバンをまさぐる少女の手に気付いた。だが、時既に遅し。流刑地の糞餓鬼にかなうわけもなく、まんまと財布を盗られ逃げられてしまった。まあ、これが事件の概要です」
少し過剰気味な身振り手振りを付けくわえながら、刑事さんは説明を先に進める。その動きは芝居がかっていると言ってもいい程のもの。
僕は何が起こったかを理解した。
もちろん、それがどう僕たちに関わっているのかも。
「幸運なことに、彼女は犯人の顔も服装もちゃんと見ていました。曰く、中性的な顔立ちの十二、三の少女、服装は少年もののチュニックに使用人らしきエプロン」
「なるほど。着ようと思えば人間、どんな服でも着ることができますが」
どこかの誰かさんのように、僕の顔は実に白々しかっただろう。
「その通り。もし犯人が森の中で暮らしているような子供だったら、我々も見つられません。そんな時は諦めます。我々は我々ができることをするだけです」
「できることとは?」
「宿泊台帳を調べました。あと、聞きこみですか。十二三の少女、チュニック、エプロン。奇抜な捜査などしなくとも意外と絞れるものなのですよ。挙がった他の候補は全て裏をとりました。そして、最後に残ったのが貴方の家の使用人であるシェナンドゥさん、そうなるわけです」
「シェナンドゥ? ニコのことでしょうか? 私はそんな名前を知りませんよ」
「ディーコンさん、シェナンドゥさんと……ああ、ニコさんでしたっけ? 父親の登記を参考にするにシェナンドゥと言うそうです。ご存知でしたか? とにかく、貴方、彼女と一緒にナカクボの労働監督官のもとへ児童労働許可の申請をしにいかれましたよね。実はあまり大きな声では言えないのですが、その際、かなり細かい情報まで、例えば人相なんかも記録させてもらっているのです。問い合わせて融通させました。転送させた資料を被害者のご婦人に見せたところ、ほぼ間違いなく彼女だと」
再び、彼の眼が僕を捉える。何とか僕はその拘束を振りきり、後ろを見た。ジージもフェルもまた、僕を見ていた。これだよ。
僕が決断しなければならなかった。
「ジージ、あいつが行きそうなところって分かるかい?」
「考えられるとすれば、前のように森の中。でもあいつのことだから、さあ」
「それじゃあ、どうしようもない」
「シモクボの家族の元はどうでしょうか」
「ああ、家族でしたら……」
刑事さんが話に入って来た。
「確か、母が一人。かなり肺が悪いそうです」
「かなり悪い? なら、アヘン窟の下層に居ますよ」
と、刑事さんの言葉を受けジージは即答する。そして、悪びれもせず言葉を続ける。
「救貧院とも言いますがね。連中に薬代が出せるはずがありませんから」
ジージに悪気があったのかどうかは分からないが、ともかくこれは、官吏である259さんへ嫌みとして響いたに違いない。259さんは苦笑をかみ殺して言う。
「直接あそこに関わっているわけでもありませんが、まあ考え方はさまざまあるでしょう」
「まあまあ」
二人をなだめて僕は話を元に戻す。
「行ってくるよ。ジージとフェルは寝ていてくれてかまわない。259さんもお引き取りを。明日、署の方へ伺わせていただきます」
玄関に向かって歩き始める僕の背中に向かい、
「もしいなければ?」
と、刑事さんは問う。僕は振り返り、答える。
「その時はどうしようもないでしょう。彼女を見つけることはもう不可能ということですから。ご自由にしていただくしかない」
刑事さんは口を閉じ黙りこんだ。寄りかかった机を人差し指で叩きながら、何かを考えているようだった。対する僕らも同じように黙る。
しばらくすると、突然、彼は懐から何かを取り出した。マッチ箱。しゅっ、という摩擦音が聞こえた後、薄呆けた闇の中に一本の光が広がる。そして、ここまで来るのに使ったものか、傍にあった竹ひごでできた筒状の携帯照明用具の中に光は吸い込まれていく。
「私は……他人の罪で貴方を責めるつもりはありませんよ。高慢で差別主義者の女の機嫌をとりながら半日も一緒に過ごしたんだ。少しは私の身にもなってもらいたいものですな」
刑事さんはそう言いながら明かりを掲げ、僕の顔を闇の中に浮かびあがらせる。そしてまた同時に、僕の目の前には六十近い齢を重ねた男の顔も浮かんでくる。
僕は使用人たちの影に向き直った。ジージは固く口を閉ざし、目を伏せている。フェルの顔は彼女が二歩も三歩も後ろに下がっていたこともあり、暗く見えない。
これは、疲れるな。
この必至な未来にうんざりしながらも、奇妙なことに僕は心の底で興奮していた。家父長的な態度は意図した演技だったが、何故そうしようとしたのか論理的な説明はできなかった。
刑事さんから明かりをもらった僕はともあれ、建物を出る。砂利が片栗粉のような音を出した。遠くで、本祭の開催を知らしめる十二時の鐘が鳴り、花火が上がった。僕の影が一瞬、ピンで留められた虫のように砂利に映った。
それで僕は詰め所に押し入り、鐙と鞍、馬を借りると、欠伸を隠しもしない警備員の不満を背中に浴びながら、滲み始める寒さの中へと手綱をとるのである。
―――――
岩岩の隅々には柔らかな月明かりが満ち、神秘的な雰囲気が漂っていた。
カミクボとナカクボを結ぶ幹線が漆黒の森に飲まれる前まで、耕作不可能の土地が二キロ程続く。この荒涼とした岩石地帯には名前すら与えられていない。
昨日、あの娘が花を摘んでいた時と同じ景色のはずなのに、そうは思えなかった。灌木の下に潜む野鼠も、音なく飛びゆく青鷺も、あらかじめ静止を命令された空気の中で密やかな生を紡いでいる。薄荷のような匂いが、遠くから来る。
馬に踏まれた枯木がかしいで、きっ、と音を立てて折れる。
僕はどうしたいのだろう。
静謐さが僕を丸裸にする。僕の思考は内へ向かっていく。
感情は無くなっていった。忌々しさも、怒りも、主人としての義務を果たすのだという意図せざる高揚感も。主人としてどう思うかではない。クボの人間としてどう思うかではない。僕としてどう思うか。だが、そいつは一体何なのだ?
ニコを捜索すること、それにはどういう意味があるのだろう。それは明らかに重層的で不可避な意味合いをはらんでいた。
考えているうちに倦んでしまったのか、一枚の絵が妄想のように脳裏に浮かび、笑ってしまう。それはつまりこういう構図の絵だ。クボという国がある。さらわれたお姫様を助けに行くことになる。彼女は可愛いが酷い仏頂面をしている。僕は救国の騎士。馬上にありて剣を振う。
クボを救う?
滑稽な想像はすぐにかき消え、やってくるのは羞恥心。
なんて僭越な言い方だろう。英雄にでもなったつもりなのだろうか。この島では僕がいようといまいと、それなりの生活が営まれ続けるのだ。蔑まれても、貧しくても、それなりの幸せをともなって。
皆、緩やかに諦観してきた。迫りくる穏やかな酸欠の中で誰が悲しもう、足掻こう。僕の思惑など余計なお世話。
世界とはそういうものだ。そこに主観的な意味が与えられる必要はない。
しかし、僕はこう唸ってしまう。
そんなのは嫌だ。
笑えない冗談だ。所詮、僕もあの子と同じ。矮小な自尊心に急かされて、できないことをできると嘯いているだけなのかもしれない。
突然、馬がバランスを崩し、僕の体も揺さぶられた。転がりでてきた岩石に足を引っ掛けたのだ。立ち止まった馬の腹を蹴り、再発進を促す。視界を戻せば、一本道の果てに元はうち捨てられた修道院だったという救貧院がぽつりと佇んでいる。建物は遮られることのない月明かりに優しく包まれている。




