Ⅲ-EP.FINAL 王を選ぶ獣
市場の喧騒を抜ける頃、リフは小さな包みをひとつ抱えていた。中には、簡素な水筒が入っている。
隣では、ルシアーナが揚げ菓子を齧りながら、興味なさそうにそれを覗き込んだ。
「せっかくなんだから、そんな地味なもんじゃなくて、もっと欲しいもん買えばよかったのに」
「いや、欲しかったものだよ」
「何も食えねぇし、物欲もねぇのか。つまんねぇな」
「露店を見るだけでも、結構楽しいよ」
「ならいいけどよ」
呆れたように笑いながら、ルシアーナは揚げ菓子の欠片を指先で払う。
少し前を歩いていたゼルが、通行ゲートの先へ視線を向けた。
「この先は、シャンロウの元へ向かう」
「シャンロウ……?」
聞き慣れない名前に、リフはふと表情を曇らせた。
「俺たちの古い友人だ」
「友人っつーか、幼馴染みたいなもんだけどな。ガキの頃から知ってる」
「勝手に幼馴染にするな」
ゼルが短く返すと、ルシアーナは鼻で笑った。
「子供の頃は、いつも顔合わせてたろ」
「逃げ場がなかっただけだ」
「他に友達いなかったくせに。実質、あいつしかいなかったんじゃないのか」
「決めつけるな」
二人のやり取りを聞きながら、リフは何も言わずに歩いた。
「……」
ゼルは横目でリフを見る。
「心配するな」
「えっ……」
「シャンロウは信用できる。俺やルシアーナとは少し系統が違うが、同じ種族だ」
「それに、悪いやつじゃねぇ。ゼルファルドの頼みなら、面倒くさがりながらでも力貸すだろ」
「……そうなんだ」
「ああ」
シャンロウ──
二人と同じ種族。けれどゼルたち神獣とは異なる、龍族と呼ばれる古い血筋。ゼルとルシアーナの知る相手。
それだけで、胸の奥に小さく硬いものが沈む。
ゼルはリフの肩にそっと手を置いた。
「お前を雑に扱うような奴じゃない」
「うん」
リフは包みを抱え直し、小さく頷いた。
賑わっていた通りを離れると、街の外へ通じる通行ゲートが見えてきた。
ここを抜ければ、マーケットゼロは過ぎ去った景色となる。
ゲートへ向かって、街を後にする人々の長い列が出来ている。その中に、よく知った気配が混ざっていた。
数人の従者を従えた男が、人波の向こうからこちらを見ていた。陽光を受けた黄金の髪と、過剰なほどに装飾の施された衣装が、人混みの中でも嫌でも目に入った。
ルシアーナが包み紙を丸めながら、小さく顎で前を示す。
「なぁ、あれ……もしかして」
ゼルは足を止めることもなく、気配だけを確かめるようにして、わずかに目を細めた。
「擬態しているつもりなんだろう」
「バレバレなんだよ」
三人はそのまま歩調を緩めず、男の脇を通り過ぎようとする。すれ違いざま、背後で、小さく笑う気配。
「どうだ、俺だとは分からなかっただろう」
誰も答えないまま通り過ぎる。
「おい、待て」
ルシアーナが肩越しに振り返った。
「なんだ、構ってほしいのか、クラヴィオ」
「もう気づいたか」
「当たり前だろ。お前以外に誰がいるんだよ」
リフは、クラヴィオの後ろに控えていた獣人の一人に見覚えがあった。奴隷市場で鎖を外したあと、深く頭を下げていた獣人。
どうして、ここに──
「ドグールに資金を出したのって……」
言葉を遮るように、クラヴィオがぐいと顔を寄せてきた。逃げる間もなく、リフの視界いっぱいにクラヴィオの顔が入る。
「ああ、俺だ。感謝するなら、もう少しそれらしい顔をしろ」
「う、うん……ありがとう、でいいのかな」
「世界を見るのも、なかなか悪くない」
「……少しは、見えた?」
「お前は思ったより悪くなかった。また必要になったら、買ってやってもいい」
「もう、あんなことはしない」
ゼルが一歩踏み出し、リフを背に庇うようにして、クラヴィオとの間に割って入った。
「近づくな」
「無関心が服を着て歩いているようなお前が、ずいぶんと大事にしているらしい」
「放っておけ」
クラヴィオは意に介した様子もなく、口元を歪めた。その視線はゼルを越え、背後のリフへと向けられている。
「何を背負うことになるか……」
低くこぼされた言葉に、ゼルの表情がわずかに強張った。
クラヴィオの目には、ゼルの知らない何かが見えているようだった。
「何を見ている」
「その時が来たら、いずれ分かる」
かすかな笑みだけを残し、クラヴィオは踵を返した。控えていた従者たちが一斉に動き、その後ろ姿を囲むように従っていく。やがて、ひどく目立つ一団の姿も遠ざかっていった。
リフを背に庇ったまま、ゼルはクラヴィオが消えた先を睨み、目を細める。
「……王を選ぶ神獣、麒麟か」
「なんだそれ」
「気にするな」
三人はマーケットゼロの通行ゲートを抜ける。
喧騒はゆっくりと遠ざかり、乾いた風が頬を撫でた。
*
三人の姿が門の外へ消えていく。
その様子を、遥か高みから見下ろす影があった。
「竜が二体」
アーヴェントは、どこか慈しむように目を向けた。
夕光を受けて、外套の金糸が淡く揺れ、赤の長い髪がなびく。
「……想定より、手が掛かりそうですね」
指先で弾いた金の焔が、風にほどけて消えた。




