Ⅲ-EP.13 犠牲と報酬
厚みのある扉が、鈍く軋んで開く。
中央に長卓が据えられ、高い天井から落ちる灯りが、磨かれた天板に静かに光を返していた。
その奥、長卓の最奥に男がひとり、長い脚を無造作に組み座っている。
椅子に深く腰を沈め、片手で杯を弄びながら、気だるげにこちらを見ていた。金糸のような髪が肩に流れ、頭上にはゆるやかに弧を描く二本の角。
クラヴィオは杯を揺らし、喉を鳴らして酒を流し込んだ。
「面白い顔ぶれだな」
わずかに口元を緩める。
「立ってないで座れ。目障りだ」
いつの間にか控えていた側仕えたちが、無言のまま椅子を引いた。
ゼルは一度だけクラヴィオを見てから、静かに腰を下ろす。
「長居するつもりはない。用件は分かっているな」
「そう急ぐな」
クラヴィオは杯を傾け、ゆっくりと酒を喉へ流し込んだ。
「四神座の宴以来だな」
「覚えている必要があるのか」
「まあいい」
リフの方で、わずかに空気が止まる。
「せっかく面白いものを連れてきたんだ。ゆっくりしていけ」
給仕たちが静かに入り、長卓に料理を並べていく。
肉料理、香辛料の効いた煮込み、艶のある果実。
手の込んだ皿が、次々と卓を埋めていった。
「いいじゃねぇか」
ルシアーナが身を乗り出し、指先で肉の並んだ皿を軽く引き寄せる。
「どうした、人間、遠慮はいらない。お前も食べろ」
長卓に並んだ料理を前にして、リフは膝の上で指先をきつく握り込む。並べられた料理から立ちのぼる、生々しい肉の匂いに、思わず顔を背けたくなる。
「見たこともないものに、臆しているのか」
「やめろ」
ゼルは怒気を滲ませ、クラヴィオを睨みつけた。
「神獣のもてなしを断るのか」
「ふざけるなよ、クラヴィオ」
「なにがだ。人間の立場で、神獣のもてなしを受けないつもりか。それが何を意味するか、分かっているだろう」
「リフ、こんな茶番に付き合う必要はない」
リフは膝の上で指を握り込んだまま、わずかに肩を強張らせた。
「は?クラヴィオ、お前、知らないのか」
ルシアーナが肉を頬張ったまま口を開く。
脂のついた指でリフの前の皿を奥へ押しやり、焼けた肉を掴んでかじる。
「人間はコアレットってやつしか食えねえんだよ。なぁ、リフ」
「……うん」
「麒麟ってのは無知だな、無知。並べても意味ねぇんだよ」
クラヴィオは喉の奥で笑った。
ルシアーナは果実を口に放り込み、噛みながら別の皿へ手を伸ばす。
「もらうぞ、無駄にならなくていいだろ」
「悪趣味な遊びは終わりだ」
ゼルが切り出す。
「さっさとルーメンを寄越せ、クラヴィオ」
「そうだな。同じ神獣のよしみだ」
クラヴィオは杯を傾け、縁に残った酒を指でなぞり、舌先で舐め取る。
「分けてやる」
指先を軽く振り、笑みを含んだまま続ける。
「また対価を差し出せば、いくらでもな」
指先が、そのままリフを示した。
「随分と楽しませてもらった。手慣れているな」
杯を揺らし、続ける。
「人間も、悪くない」
ゼルは椅子を軋ませて、クラヴィオへ向き直った。
「何を言っている」
「獣人に取り入って糧を得ていたと聞く。……なかなかよく躾けられていた」
ルシアーナは口の中のものを噛み潰しながら、リフとクラヴィオを順に見た。
「お前から麒麟野郎の匂いがしてるのって……」
違和感を確かめるように眉を寄せる。
「そういうことか?」
「……」
「リフ、お前こいつに、体で払ったのか?」
リフは表情を殺したまま、卓の向こうを見据えている。
「本当か」
場の空気が張り詰める中、ゼルはリフの横顔から目を外さないまま、低く押し出すように続けた。
「リフ、答えろ」
「何を躊躇う。恥じることでもないだろう」
クラヴィオは空いた杯に酒を注ぎ足す。
「神獣の相手をしたんだ。光栄だろう」
「……」
細く注がれた酒が、縁ぎりぎりで止まる。
「今更、穢れるような身体でもあるまい」
リフは視線を動かさず答えた。
「……ああ」
「どうして、そんなことをした」
ゼルの内側で、抑え込まれた怒りが軋んでいた。ひとつ間違えば、そのまま噴き出しそうなほどに。
「必要、だったから」
「……頼んでない。お前の犠牲なんて求めてない」
「もともと、大した価値もないから」
リフは前を向いたまま、わずかに息を吐いた。
「気にするほどのことじゃないよ」
「ふざけるな!」
ゼルは長卓の皿を掴み、そのまま壁へ叩きつけた。
割れた破片が弾け、リフの頬を掠める。赤い筋がひとすじ、静かに伝った。
「そういう問題じゃないだろ!」
椅子を弾き飛ばし、リフへ踏み出す。
ゼルの手がリフの胸ぐらを乱暴に掴み、引き寄せた距離で視線がぶつかる。
息がかかるほど近い。
その奥に、かすかに残る気配に気づく。クラヴィオの残り香と、肌に残る熱がまだ消えていない。
「何考えてるんだ」
リフは目を逸らさない。
ただ静かにゼルを見返していた。
「おい、いい加減にしろ」
ルシアーナはグラスの水をゼルの顔へぶちまける。
「頭冷やせ」
空になったグラスを床へ叩きつけ、乾いた音が鋭く弾けた。
「怒る相手、間違えてんぞ」
リフの腕を掴む。
「大丈夫か。行くぞ」
半ば引きずる形で、部屋の外へ連れ出した。
廊下へ出た途端、ルシアーナが声を張る。
「おい!手当てできるやつ、持ってこい」
返事も待たず、リフの腕を引いて近くの部屋へ入り、ソファに押し込む。
「血、出てんだろ。痛むか」
「いや」
「強がんな」
ルシアーナはリフの隣へ体を投げるように、どさりと座り込む。
「ルーメンが要るからって、ああいうやり方選ぶか、普通」
「必要だった」
扉が叩かれ、側仕えが清潔な布と薬液を差し出す。
ルシアーナはそれを受け取り、リフの顎に指をかけて顔を上げさせる。
「ほら、見せろ」
「……平気だよ」
「お前が平気でもな」
ルシアーナは、指先で傷の縁を確かめるように触れ、布に薬液を含ませて頬へ押し当てる。
「周りが平気とは限らねぇんだよ」
「……」
「あいつ、気にするぞ」
「気にするとこじゃない。……そうやって、生き延びてきた」
「あのな。それ、正しいと思ってるなら間違いだ」
「でも。それで、済むなら」
「自己犠牲で全部片付けんな」
「そんなつもりは……」
「見ただろ。あんな顔するやつじゃねぇ」
頬に残った赤を親指で拭い取られ、リフの呼吸がわずかに詰まる。
「あれ見て、分からねぇなら、どうしようもねぇぞ」
リフは唇をわずかに開き、何も言えないまま閉じた。




