Ⅲ-EP.14 終身奴隷
「随分と楽しそうだったな」
抑えきれないように漏れた笑い声に、ゼルは振り返る。
「何が言いたい」
「座れよ、ゼルファルド」
ゼルは睨み据えたまま、荒く腰を下ろす。
「お前、あの人間が何か知っているのか」
「関係ない」
短く切り捨てる声に、クラヴィオの口元がわずかに歪む。
「関係ない、か」
指先を軽く弾くと、紙の束が卓を滑ってゼルの前で止まる。
「見ろ」
ゼルは一枚を掴んで目を落とす。
「……なんだ、これ」
いくつもの実験台に人間が固定され、並んだその身体に見慣れない器具が差し込まれていた。
淡く光る液体が流し込まれ、皮膚の下で何かが蠢く異様さに眉をひそめる。
「気持ち悪いな」
骨を抉る器具。切り開かれた背。
皮膚を剥ぎ、縫合もされず放置され、無機質な記録が延々と続く。
嫌悪が喉の奥にこびりつく。
「どうだ、興味深いだろう」
「不愉快極まりない」
資料を卓に投げ戻し、視線を上げてクラヴィオを射抜く。
「こんなものを見せて、何が言いたい」
クラヴィオは杯を傾け残った酒を飲み下し、その余韻を楽しむように口元を緩める。
「分からないか」
言葉を区切り、逃げ場を与えないように続ける。
「それが、あいつだ」
「……くだらない。付き合っていられるか」
卓に無造作に広がった資料の中に、妙に気になる一枚が目に入る。ゼルは立ち上がりかけたまま、反射的にそれを掴む。
並ぶ背中の左肩に刻まれた、漆黒の焼印。
どの個体にも同じ場所に、同じ印が刻まれている。
「……これは」
紙を握る手に力が入る。
『触られたくない』
リフの左肩に触れた瞬間、弾かれるように振り払われた。
距離を取るように後ずさり、怯えを隠しきれない表情が脳裏に蘇る。
「あの人間にも、あった。その焼印と同じものがな」
「そんなはずがない」
リフと初めて会った日、袖の隙間から見えた古い傷。
繰り返し刻まれた傷が、幾筋も肌に残っていた。
資料の中の実験体たちと、重なる。
息が詰まる。否定しようとする思考と、繋がってしまった認識がぶつかる。
「知らないんだろう、お前も。この世界で何が起きているのか」
クラヴィオは資料を押し返し、指先で卓を軽く叩く。
「そう言われた、あの人間にな」
ゼルは何も言えず、頭の中で噛み合ってしまったものに押し潰されるように、その場に立ち尽くす。
「随分とご執心のようだから、ついでに教えておいてやる。お前のお気に入りは、鳳凰属の持ち物だ」
「……っ」
「アーヴェント・フォル=フェニストラのな」
押し戻された資料を見たまま、理解が追いつかない。
「まさか、お前のそんな顔が見られるとはな」
クラヴィオは杯を手にしたまま立ち上がる。
「思っていたより、楽しめた」
*
外へ出ると、ひやりとした空気が頬を撫でる。
門の脇に控えていた側仕えが、リフとルシアーナの二人に静かに一礼した。
「お連れ様は、すでにお帰りになられました」
「……先に帰った?あいつ何考えてんだ」
ルシアーナは舌打ち混じりに声を荒げる。
側仕えは表情を変えず、白い手袋に包まれた手で、小さな瓶を差し出す。
「こちらを。クラヴィオ様より、お預かりしております」
透明な瓶の中で、淡く光るルーメンが静かに揺れていた。
「竜属のものはご用意できかねますので、こちらで代用を」
「……代用品かよ。薄いんだよ、こういうのは」
ルシアーナは差し出された瓶を乱暴に掴み取る。
「それで、足りる?」
「まぁな」
瓶を手にし、二人は歩き出した。
門を出ていく二人の背を、屋根の上から見送ったあと、ゼルはその場を離れた。
気づけば、街の外縁にある高い城壁の上に立っていた。夜の空気が肌に触れ、見上げた先には、雲ひとつない星空が広がっている。
同じ空を、並んで見たことがある。
リフは足を止めて空を見上げていた。何を言うでもなく、ただ静かに眺めていたが、その横顔はどこか儚げに見えた。
今は、その空を一人で見上げている。
手の中で、何度も開き直された資料がくしゃりと音を立てる。クラヴィオから渡されたルーメンの実験資料を、ゼルはもう一度開く。
*終身奴隷に関わりしすべての個体は、抹消とす。逃亡せし者は速やかに回収し、関与せし者もまた、例外なく処断とす。
「……獣族の理か」
なぜ逃げているのかと咆哮窟で尋ねたとき、間を置かず返ってきた。
──言えない。
その一言が、離れない。
「……言えるわけがない」
低く押し出した声が、夜に沈む。
頁をめくる。
並んでいるのは、ルーメン生成過程の実験記録。
拘束された無数の人間たち。焼かれ切り開かれた皮膚。
骨にまで及ぶ深い切開部に、流し込まれる色の違う無数のルーメン。
拒絶反応で肉が裂け、内側から光が滲み出す。崩れた組織が再構成されるまでの過程が、何枚もの図と記述で繰り返されている。
脳裏に浮かぶ身体中の傷痕。
初めて会った日、目を背けた自分。
「……あれが、そうか」
喉の奥で言葉が引っかかる。
鳳凰属、アーヴェント・フォル=フェニストラ。
四神座の宴で、一度だけ顔を合わせたことがある。
燃えるような赤の長い髪と、金と真紅の外套。
その程度の記憶だった。
「……何も、知ろうとしてこなかった」
手の中の資料を、力を失ったように膝の上へ落とす。
リフに向けて叩きつけた皿の砕ける音が、耳の奥に残っている。
静かに見上げてきた顔。何も言わず、ただ受け止めるように。あの沈黙の意味を、今になって理解する。
──大したことじゃない。
何度も繰り返してきたように、同じ調子で、口にした言葉。
「リフ……」
ゼルは空を見上げた。
あのときと同じ星が、変わらず頭上に広がっている。




