第68話 焼け残った受領印
審問棟の階段を下りたところで、私は一度だけ立ち止まった。
背中にまだ、あの部屋の熱が残っている気がする。石卓の上で弾けた白い火。砕けた手すり。呻きながら運ばれていった兵士たち。
昼食を食べ損ねたとぼやいていたカルマも、通りの角にある屋台を見つけると足を止めた。
「四つでいいか?」
「僕は二つ」
「おまえの分は一つだ。足りなきゃ自分で買え」
「けち」
ゼェレが口を尖らせる。リゼリアはそんな二人を見て小さく笑い、財布から硬貨を取り出した。
「では、わたくしが一つ追加いたしましょう。シュテルも何か召し上がって」
「ありがとうございます。でも、私は……」
空腹ではない、と言いかけて腹が鳴った。
カルマがこちらを振り返る。
「身体は正直だな」
「……一つ、お願いします」
温かい肉入りの平焼きパンを受け取ると、指先がじんわりと熱くなった。ひと口食べて、ようやく朝からずっと肩に力を入れていたのだと気づく。
今日、私は処分を免れたわけではない。
セヴラン大司教は、真相が分かるまで処分を保留すると言った。そして、その真相を私が調べるよう命じた。
少し前まで私は、ここで何を聞かれても答えようと決めていただけだった。今は自分から調べに行かなければならない。それも、私が生まれ育った教会の内側へ。
「考え込んでるな」
カルマが言った。
「顔に出ていましたか」
「パン、ひと口目から進んでねえぞ」
「……食べます」
私は慌てて二口目をかじった。
リゼリアが隣に並ぶ。
「調査の順番は、もうお決まりですの?」
「まず、捕まえた方たちの所持品を確認したいです。審問室で証拠箱を開けようとした人もいましたし」
「俺は白鳥の逃げ道が気になるな。騎士たちが外を調べてるはずだ」
「それも確認しましょう。ゼェレは?」
「僕は焼けた瓶。持ってきた人間が分からなくても、作った場所くらい見当がつくかもしれないし」
それぞれの答えは早かった。
大司教から調査を命じられたのは私一人なのに、三人はもう次の仕事を考えている。頼もしくもあり、少し申し訳なくもあった。
「ありがとうございます。ですが、危険な場所へ入るときは私から騎士団に話を通します。皆さんまで勝手に連れていくわけにはいきません」
「分かってますわ。あなたの仕事ですもの」
リゼリアはあっさり頷く。
「そのうえで、必要でしたら遠慮なくお使いくださいませ」
「そうするさ。俺たちで決めて勝手に動くより、よほど早い」
カルマまで真面目な顔で言うので、少しおかしくなった。
「では、まず詰所へ。パンは歩きながら食べます」
「こぼすなよ、審問官殿」
「カルマこそ。外套にソースがついています」
「……どこだ?」
彼が慌てて胸元を見下ろす。ゼェレが声を立てて笑った。
◇
守備騎士団の詰所には、審問会襲撃で押収した品が運び込まれていた。
割れた硝子瓶の破片、襲撃者が掲げていた王国保全令の写し、押収した武器。品ごとに番号札が添えられ、誰がいつ受け取ったかを騎士が記録している。
白鳥本人はまだ見つかっていなかった。審問棟の外壁に沿って下りた痕跡までは確認されたが、路地へ出たところで足取りが途絶えたという。
「追跡は続けています」
担当の騎士が言う。
「ただ、あの仮面の人物を捕まえたという報告はありません」
「分かりました。そちらはお願いします」
私が頷くと、騎士は押収品の一覧を開いた。
「審問官を名乗る男が持っていた鍵と、移送票です。本人は『保管担当から預かった』と話しています」
机に置かれたのは、細い鍵が二本と、折り畳まれた一枚の紙だった。
鍵の片方には審問室の証拠箱を示す刻印。もう一方には〈南側文書庫〉の小さな札がついている。
「南側文書庫……」
聞き覚えがあった。中央教義院の受領管理室が使っている保管庫だ。地下施設から届く送達文書も、いったんそこを通る。
私は移送票を開いた。
〈審問資料 一箱〉。
〈保全上の理由により、受領管理室へ移管〉。
移送先と日付は記されている。しかし、肝心の移管を認めた者の署名がない。代わりに、部署の印だけが押されていた。
「これ、今日の審問会が始まる前に作られたんでしょうか」
「時刻欄は空白です。男は、襲撃があったので保全のため移そうとした、と言っています」
それなら、鍵を差し込む前にセヴラン大司教か記録官へ確認すれば済む。わざわざ混乱の中で箱を開けようとした理由が分からない。
「この移送票の原本は、どなたが作ったんですか」
「今、受領管理室へ照会しています」
「回答を待つ間に、現場の保管記録を確認させてください。騎士団の立ち会いが必要なら、その手続きをお願いします」
騎士は頷いた。
カルマは紙に顔を寄せ、欄の端を指した。
「ここ。日付の横、薄い線があるだろ」
光に透かすと、紙の下地に押し跡が残っていた。何かを一度書いてから、表面を擦ったようにも見える。
「元の字までは読めませんね」
「そうだな。無理に削ったら証拠を壊す」
「なら、僕が見てもいい?」
ゼェレが顔を出した。
「触らないなら、ここからでも分かるよ。紙の繊維が一部だけ寝てる。擦ったのは間違いなさそう。でも、何を書いてたかまでは知らない」
担当騎士がその特徴を目録に追記した。私は、移送票を勝手に広げたままにせず、元の封筒へ戻してもらう。
そこへ、廊下から足音が近づいてきた。
「南側文書庫から返事です!」
若い騎士が息を弾ませて入ってくる。
「保管担当者は移送票を発行していないそうです。ただし、受領管理室から、今日の夕刻に古い書類を搬出するよう指示が出ている、と」
「搬出先は?」
「北の浄火庫。不要な帳簿の処分だそうです」
ゼェレが私を見た。
「浄火庫って、書類を燃やす所?」
「そうです。古くなった祭具や、保存期限の切れた紙を焼却する施設です」
私は騎士へ向き直る。
「廃棄の許可は出ていますか」
「いま照会中です。処分する書類の一覧は、まだ届いていません」
嫌な予感がした。
白鳥たちが証拠を燃やそうとした数時間後に、同じ受領管理室から古い帳簿が運び出される。偶然の可能性もある。けれど、確かめないまま放っておく理由はない。
「南側文書庫へ行きます。搬出を止める必要があるか、現物と書類を確認したいです」
騎士が腰の剣に目を落とした。
「強制立ち入りになりますか」
「まずは管理者に協力を求めます。拒まれたら、その時点で騎士団の立ち会いのもと、今回の調査命令に基づいて判断します」
私は胸元の審問印を確かめた。
いつも身につけてきたものなのに、今日は重さが違って感じられる。
◇
南側文書庫へ着いたとき、裏庭では荷車が一台、出発の支度をしていた。
石造りの建物から紙束を積んだ木箱が運び出されている。荷車を引く馬は落ち着かない様子で蹄を鳴らし、御者がしきりに首を撫でていた。
騎士団の二人が先に門の左右へ立つ。
「中央審問会の調査です。搬出責任者はいますか」
私が声を掛けると、書類を抱えた若い女性が振り返った。
「私が今日の当番ですが……何かございましたか」
紺色の事務服に教義院の記録係章。胸の札には〈ヘレネ・クラウス〉とあった。
「シュテル・シュトラールです。今日、受領管理室から処分するよう指示された書類を確認したいんです」
「処分する書類、ですか?」
女性は手元の帳面をめくった。
「私が受けたのは、書庫の奥から箱を三つ運ぶようにという連絡だけです。処分するかどうかは、浄火庫の方で確認すると聞いています」
「箱の中身は?」
「封印されていました。私には開けられません」
彼女が指したのは、荷車の中央に積まれた三つの箱だった。赤茶色の封蝋が、蓋を押さえる紐の上に落とされている。
私は目を凝らした。
封蝋には、教義院の受領管理室の環状印。地下施設から回収した書類や、名録院の送達記録で何度も見た印だった。
「搬出を認めた方の署名を見せてもらえますか」
「それが……」
ヘレネは困ったように帳面を閉じた。
「口頭で急ぐように言われたんです。書類はあとから届くから、と」
「誰に言われましたか」
「受領管理室の副責任者です。フェリクス・ノイマン様」
見知らぬ名前だった。
「その方は今、どちらに?」
「会議に出ているはずです。ただ、もう一人の方が早く運べと……」
彼女が振り向いた先で、荷車の御者台にいた男が急に手綱を引いた。
「待ってください!」
呼びかけるより先に、馬が前へ跳ねた。
箱ががたんと揺れる。ヘレネが慌てて荷車へ手を伸ばしたが、男は彼女を突き飛ばした。
「危ない!」
私は《星盾》を呼び出し、倒れる彼女の前へ踏み込んだ。光の盾の縁が荷車の角を受け、木と金具が鳴る。肩に衝撃が走った。
ヘレネは地面に尻餅をついたものの、荷車には巻き込まれずに済んだ。
「大丈夫ですか!」
「は、はい……!」
「門を閉めて!」
騎士が声を張った。
だが、荷車はすでに門のすぐ手前にいた。外に出れば、北へ向かう坂道が続いている。
カルマが短く舌打ちする。
「俺が追う。シュテル、そっちは任せた!」
駆け出した彼の隣を、リゼリアの赤い魔札が追い越した。荷車の前輪へ血糸が伸びる。車輪そのものを絡め取るのではなく、軸の外側へ巻きつけ、進行方向を石壁へ寄せる。
馬が嘶いた。
「力をかけすぎると馬が転びます!」
「分かっていますわ!」
リゼリアは血糸を緩め、荷車の速度だけを落とした。御者の男が振り返り、鞭の柄から小さな刃を引き抜く。
カルマは男の脇へ回った。
「そいつを捨てろ!」
男は刃を振り下ろす。カルマが肩を引いてかわし、手綱を持たない腕を掴んだ。二人の身体が御者台の上でぶつかり、荷車が大きく揺れた。
私は《星盾》を畳まずに走った。石畳が靴底を打つ。倒れたヘレネへは騎士の一人が駆け寄り、もう一人が門の外側を押さえている。
御者が肘を振り上げるのが見えた。
「カルマ!」
「見えてる!」
彼は相手の肘を受け、手首をひねって刃を落とさせた。そのまま襟を引き、男を御者台から石畳へ引きずり下ろす。身体の向きを変えた拍子に、カルマの外套が車輪へ触れそうになった。
私は盾を二人と車輪の間へ差し込んだ。
硬い木の擦れる音とともに、車輪が盾の表面を滑る。馬は驚いて前へ出たが、荷車が動く方向は壁に沿っていた。ほどなく、リゼリアの札が荷台の軸を完全に止めた。
「御者を拘束してください!」
駆けつけた騎士に男を引き渡す。カルマは乱れた息を吐き、膝へ手をついた。
「……馬まで巻き込まずに済んだな」
「危ないところでした」
「お互い様だ。盾、助かったぜ」
私は頷き、振り返った。
そこで、別の匂いに気づいた。
焦げた油。
荷台の上で、三つの木箱のうち一つから白い煙が上がっていた。
「煙が!」
ゼェレが真っ先に荷車へ飛びついた。石畳に片手をつくと、荷台の下から平たい石板がせり上がり、煙を上げる箱の底を支える。
「リゼリア、蓋の紐!」
「ええ!」
魔札が木箱の蓋へ伸び、紐だけを切った。蓋が少し浮いた途端、内側から白い火が噴き出す。
「下がって!」
私は《星盾》を広げた。熱い空気が顔を叩く。火の粉が盾の縁で散り、荷車の布に燃え移りかけた。
ゼェレが石板の端を持ち上げ、箱を斜めに起こした。炎の出る向きを壁際へ変える。その間にカルマが荷台の横へ回り、布を引き剥がして地面へ投げた。
「中の紙、まだ残ってるか!」
「分からない! 蓋を開けたらもっと燃えるよ!」
私は後ろの騎士へ叫んだ。
「水を! それと砂を持ってきてください!」
門番が水桶を運んできた。直接箱の中へ注げば帳簿まで駄目にしてしまう。まず布の火を消し、荷車と箱の外側を冷やす。ゼェレは床の石粉を寄せ、箱の隙間を薄く塞いだ。
炎が一度強く噴いたあと、音を立てて弱まる。
「いまなら開けられるかな」
ゼェレが私の顔を見た。
「やってください。ただし、周りに人がいないことを確認してから」
ゼェレは頷き、石の細い突起で蓋を持ち上げた。私が盾を傾けて熱を受け、リゼリアが魔札で中の紙束を端から引き寄せる。
半分ほど黒くなった帳簿が一冊、箱の底から現れた。
その下には、割れた硝子の小瓶。
審問室で白鳥が投げたものに、よく似ていた。
「……同じ火だ」
カルマが低く言った。
私は答えず、まだ熱の残る箱を見つめた。
これが偶然の廃棄作業だったとは、もう考えにくい。
◇
裏庭は騒然としていた。
荷車の御者は騎士に拘束され、馬は別の職員が落ち着かせている。ヘレネは肘を擦りむいていたので、私は水で土を洗い流し、薄く祈祷をかけた。
「すみません、私がもっと早く止めていれば……」
「あなたが悪いわけではありません。箱の中身を知らされていなかったんでしょう」
「はい。いつもは廃棄品の一覧と、確認した人の署名があるんです。今日は急ぐからと……」
「そのことを、騎士団に話していただけますか」
ヘレネは不安そうに建物を見た。
「受領管理室の方の名前を出すことになりますね」
「そうなります。でも、今すぐ誰かが犯人だと決めるためではありません。何を指示されたのか、確かめたいんです」
彼女は唇を結び、やがて頷いた。
「……分かりました。私が聞いたことは、全部お話しします」
私は彼女と一緒に騎士のところへ戻った。
箱の検分は、書庫から運び出した担当者を立ち会わせて進めた。無事な二箱には、保存期限の過ぎた祭具の台帳や、古い会計記録が入っている。焼けた一箱だけが、受領管理室の代行承認記録だった。
紙束の上部は焦げていたが、裏表紙と、綴じ紐に挟まれた数枚は読める。
ゼェレは離れたところから、硝子瓶の破片を見ていた。
「中に遅れて割れる仕掛けがあったみたい。瓶が箱の中で倒れて、時間差で火がつくようにしてる。詳しいことは、ちゃんと調べないと分からないけど」
「審問室の瓶と同じものですか」
「似てる。でも、同じ製造元だって言い切るにはまだ早いかな。破片を比べさせてもらえれば、もう少し分かるよ」
「お願いします。騎士団の許可を取ってからにしましょう」
ゼェレは手を振って了承した。
リゼリアは、焼け残った帳簿を見て息を呑んでいた。
「どうかなさいました?」
「この印……見覚えがございますわ」
私は彼女の隣へ寄った。
焦げた頁の右下に、潰れかけた小さな円があった。王国の紋章でも、教義院の大きな印でもない。数字と短い線を組み合わせた、事務用の刻印だ。
「〈第三代行印〉……ですのね」
「読めますか」
「ええ。昨日、名録院で照合した記録にも、似た分類番号がございました」
騎士が濡れた紙をそっとめくる。
〈代行印第三号・使用記録〉。
その見出しだけは、はっきり残っていた。
私は騎士に頁を開いたままにしてもらい、読める行を声に出して確認した。
「三年前……封緘更新、異議申立て停止に関する受領処理。番号は、先ほどの記録と同じですね」
さらに下に、今年の欄があった。
〈白冠補完導路・受領継続通知〉。
ここにも第三号の印が使われたことが記されていた。
同じ人が押したのだろうか。
しかし、代行印は引き継いで使うことがある。番号が同じでも、三年前と現在の担当者が同一だとは限らない。
「この印を誰が預かっていたか、その記録はありますか」
「奥に別の簿冊があるはずです」
ヘレネが答えた。
「印章の持ち出しは、受領管理室の責任者が記録します。私は触れられません」
「なら、その記録も保全しましょう」
私は騎士へ向き直る。
「今日の襲撃と、ここで起きた焼却未遂に関係する可能性があります。印章の保管簿と、三箱の搬出命令の原本について保全を求めます」
「書面を作ります。受領管理室へ立ち会いを求めますか」
「はい。拒否された場合は、私の調査命令と今回の現場記録を添えて、必要な範囲で立ち入りを申請します」
騎士が頷き、記録を取り始める。
私は焼けた紙の端を見つめた。
アルベルト公爵の異議を止めた三年前の処理と、地下施設への送出を続けた今回の通知。その二つが、同じ印章の使用記録に並んでいた。
だからといって、セヴラン大司教が指示した証拠にはならない。あの方の名前が残っていたのは、三年前の停止処理を教義院側で受領した記録だった。
けれど、少なくとも教義院の内部で、この二つの手続きが扱われていたことは確認できた。
私は、胸元の審問印に触れた。
セヴラン大司教から受けた命令を思い出す。誰かを疑うだけなら簡単だ。今は、目の前に残されたものを一つずつ確かめるしかなかった。
◇
受領管理室の副責任者フェリクス・ノイマンは、夕暮れの鐘が鳴る頃に姿を見せた。
四十代ほどの、痩せた男性だった。整えられた法衣には皺がなく、焼けた荷車と、周囲の騎士を見て眉をひそめる。
「何があったのです」
「搬出中の箱から火が出ました。御者が制止を振り切って走り出したので、拘束しています」
私は説明し、騎士の作った記録を示した。
「あなたが搬出を急がせたと聞きました」
「期限の過ぎた書類の整理を指示しました。それだけです。火のことは知りません」
「処分品の一覧がなかったそうです」
「後から出す予定でした」
「なぜ先に運ばせたんですか」
フェリクスは口を閉ざした。
私は急かさず、返事を待った。
「……審問棟で事件が起きたでしょう。保管庫を整理する必要があると思ったのです」
「襲撃のあとに?」
「はい」
「その判断を記した書類はありますか」
「まだ作っていません」
彼はそこで、初めて声を荒らげた。
「そもそも、なぜ私がここで尋問されなければならないのです。私は教義院の職員です」
「私も教義院の審問官です。今日、今回の事件を調べるよう命じられました」
胸元の印を見せる。
「荷車から、受領管理室の代行印使用簿が出てきました。どうして処分しようとしたのか、確認したいんです」
「……使用簿?」
彼の視線が、焦げた箱へ移った。
驚いたようにも、困ったようにも見えた。どちらなのか、表情だけでは分からない。
「私は、そんなものを出せとは言っていません」
「でしたら、誰が箱を選んだのか調べましょう。運び出した職員と、命令を出した方の記録が必要です」
フェリクスはしばらく黙っていたが、やがて騎士たちへ向き直った。
「……分かりました。保管簿は見せます。ただし、私にも立ち会わせてください」
「もちろんです」
私は答えた。
彼が本当に何も知らなかったとしても、その証言は重要だ。隠していることがあるなら、なおさら記録と照らし合わせなければならない。
書庫の扉が開かれると、乾いた紙の匂いが流れてきた。
◇
その夜、保管簿の原本は騎士団立ち会いで封印された。
確認できたのは、第三号の代行印が受領管理室で長く使用されていたこと、三年前と今回の通知で使用されたこと、そして今日、その使用簿が正式な廃棄手続きを経ずに運び出されたことだった。
誰が硝子瓶を箱に入れたかは、まだ分からない。御者は拘束されているが、誰の指示で逃げたのかについては口を閉ざしている。副責任者のフェリクスも、箱の中身を知らなかったと主張した。
白鳥の逃げ道も、今は見つかっていない。
ただ、燃え残った帳簿がある。
詰所へ戻り、今日の出来事を報告書にまとめていると、セヴラン大司教から使者が来た。私の調査命令に基づく保全措置を受理したことと、翌朝、受領管理室の責任者から正式に事情を聞くことが記されていた。
私はその書面を読み、封筒へ戻した。
リゼリアは向かいで、押収された記録の写しを確認している。カルマは窓際の椅子に腰を下ろし、縫い直した外套の袖を見ていた。ゼェレは借りた小さな器具で、硝子瓶の破片の厚みを測っている。
「もう遅いですよ。皆さん、休んでください」
「あなたは?」
リゼリアが顔を上げる。
「報告書を仕上げたら戻ります」
「でしたら、わたくしも最後までおりますわ」
「そういうと思った」
カルマが笑う。
「俺ももう少し付き合う。夜道でまた襲われたら面倒だ」
「僕はこれ測り終わったら帰るよ。明日、工房で比べてみる」
ゼェレは硝子の破片を小さな箱に戻した。証拠そのものは騎士団に預けたまま、ゼェレの手元には許可された測定値だけが残る。
「シュテル」
リゼリアが、静かに呼んだ。
「はい」
「今日、よく頑張りましたわね」
私は少し困ってしまった。
「皆さんがいたからです。一人だったら、あの荷車も止められませんでした」
「それでいいのですわ。あなた一人で全部する必要はありませんもの」
カルマも、珍しく茶化さずに頷いた。
「命令を受けたのはおまえだ。でも、俺たちまで離れろって話じゃねえ」
ゼェレは器具の入った鞄を肩に掛ける。
「僕も、まだ気になることがあるしね。次は何を見に行く?」
「……明日は保管簿の記録を確かめます。受領管理室で誰が印を扱ったのか、そこをはっきりさせたいです」
「了解。じゃあ、明日は早めに呼んでよ」
ゼェレが手を振って扉へ向かう。リゼリアはその背中を見送ったあと、私の机に温かいお茶を置いてくれた。
湯気の向こうで、リゼリアの胸元の赤い宝石が小さく光った。カルマは窓際で、いつの間にか私の分の夜食まで買ってきている。
「……それ、私のですか」
「報告書が終わったらな。冷める前に食えよ」
「はい。ありがとうございます」
私はペンを取り直した。焼けた帳簿の原本は騎士団の保管庫にある。明日の朝には、印章を預かった職員の記録を確認する。やることは、まだ残っていた。
私は報告書の最後の頁に、今夜確かめた事実を書き添えた。
〈第三代行印の使用簿、焼却未遂。原本を保全〉。
乾いた墨が紙に染み込む。
窓の外では、聖都の夜鐘が鳴っていた。




