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第57話 返らない魔力



 地上へ出た途端、夜風が頬を撫でた。


 大聖堂の裏手にある荷運び口は、巡礼者で賑わう表通りから離れている。白い石壁の向こうには、鐘の音も祈りの声も聞こえなかった。


「もう少しですわ、フリーダさん」


 わたくしが台車の脇を歩くと、フリーダさんは毛布の下で小さく頷いた。隣の台車には、まだ目を覚まさない男性が寝かされている。


「カルマ、施療院への連絡は?」


「さっき上の通路で伝令を走らせた。裏門に向かってるはずだ」


 言い終わる前に、石塀の角から二人の守備騎士が姿を見せた。後ろには白い診療衣を羽織った女性と、担架を持つ若い男性が続いている。


 シュテルさんが彼らのもとへ駆け寄った。


「地下から患者さんを二人保護しました。お一人は意識がありますが、もう一人は呼びかけに反応しません。銀環を外したあと、呼吸と脈は確認しています」


 医師はすぐに男性の脈を取り、瞼を確かめた。質問を受けたシュテルさんが、銀環を外した順序と、その後に起きた変化を簡潔に伝える。


 先ほどまで審問官章を強く握りしめていた手が、今は男性の寝台を支えていた。医師が担架への移動を頼むと、シュテルさんは余計な説明をせず肩の下へ腕を入れた。


「……私、戻されませんよね」


 フリーダさんがわたくしの袖を掴んだ。


「ええ。こちらの騎士の方々に、あなたのお名前と搬送先を記録していただきます。わたくしたちも確認いたしますわ」


 彼女は騎士の顔を見上げた。


「フリーダ・ベックです。もう、番号で呼ばないでください」


「承知しました。フリーダ・ベックさんですね」


 騎士が名前を書き、医師がその紙を受け取った。


 それだけのやり取りに、フリーダさんの肩から少し力が抜けた。


 わたくしは抱えていた帳簿を、外套の内側へ押し込んだ。


 地下には、彼女の名前がなかった。代わりに寝台の番号と、送り出した魔力の量だけが残されていた。


「リズさん」


 シュテルさんが振り返った。


「患者さんの搬送には騎士団が付き添ってくださいます。地下で拘束した職員についても、別の隊に連絡していただけるそうです」


「それなら安心ですわ。こちらの記録についても、先に控えを残していただけますか」


 わたくしは帳簿を開き、炉の前で回収した経緯と、〈白冠・補完導路〉の記載がある頁を示した。騎士はその場で内容と原本の所在を別紙へ書き留め、署名を添えて控えをわたくしにも渡してくれた。


 王国と教会の照合欄にあった印が正規のものかは、まだ分からない。だからこそ、この先は誰がいつ書類を扱ったかを残す必要がある。


「あなた方は、どうされますか」


 騎士が尋ねた。


「まだ地下の設備が動いています」


 シュテルさんが答える。


「患者さんを運び出せたからといって、ここで終わりにはできません」


 騎士は難しい顔をしたが、無理に引き留めはしなかった。


「こちらは負傷者の保護と連行を優先します。地下へ向かう増援が確保できるまでは、あなた方の後を追えません」


「分かっています。ありがとうございます」


 シュテルさんは一礼した。


 その横で、ゼェレが測定板を灯りにかざしていた。板の中の銀色の粒は、地下へ続く石壁の方へ偏っている。


「まだ流れてるねぇ。あの部屋を止めた分、少しは弱くなったけど」


「ほかにも回収する場所があるということ?」


「少なくとも、この先で流れは途切れてないよ。ここからじゃ、何台繋がってるかまでは分からないけど」


 彼女は板を鞄に戻した。


「行くなら、あの部屋の奥からだね。さっきの係員が逃げようとした通路、覚えてる?」


「ええ。わたくしが塞いだところですわ」


「そこ。途中から床下の線が太くなってた」


 ゼェレはそれだけ言うと、靴の紐を結び直した。


 わたくしは思わず、その手元へ目を向けた。


 地下であれほどの錬金術を使ったあとでも、動きは変わらない。疲れている様子がないのではなく、そもそも力を使ったことさえ意識していないように見えた。


「行こうぜ。向こうも、のんびり待ってちゃくれねえだろ」


 カルマが扉の方を顎で示した。


 わたくしは頷き、三人の後を追った。


     ◇


 地下の回廊へ戻ると、低い鐘のような音が先ほどより大きく聞こえた。


 救助した部屋の扉は開けたままになっている。寝台は空になり、銀環も取り外してある。それでも、壁に埋め込まれた細線は淡く明滅していた。


 カルマが炉の蓋を確かめる。


「火は消えたままだ。奥にいた連中も、まだ縄を抜けちゃいねえ」


 資材室の戸口から、拘束した職員たちの姿が見えた。わたくしが《ブラッドアルカナ》の拘束を確かめると、一人が目を逸らした。


 逃がすつもりはないが、このまま長く置いておくわけにもいかない。騎士団へ位置を知らせる印を戸口に残し、奥へ進んだ。


 細い通路は、途中で緩やかに曲がっていた。


 床の中央に銀線が走り、左右の壁には使われていない燭台が並ぶ。灯りがあるのは奥だけだ。


「止まって」


 カルマが片手を上げた。


 向こうから、紙を破るような音が聞こえる。


 わたくしたちは壁際へ寄り、石柱の陰から広間を覗いた。


 中央には、人の背丈ほどもある円い調整盤が据えられている。そこから何本もの細い導路が壁へ延び、天井の一箇所で太い銀管に合流していた。


 盤の前には灰色の執務服を着た男と、二人の警備兵。奥の卓では、別の職員が書類を大きな袋へ詰めている。


「回収記録を先に。個人票は残すな」


 執務服の男が言った。


「ですが、まだ停止報告の署名が――」


「後で帳尻を合わせればいい。今夜の搬送便が動いたことまで残す必要はない」


 職員の手が止まる。


「地下の患者については……」


「もう運び出された。だったら、ここにいた記録も要らん」


 わたくしは、指先に力が入るのを感じた。


 つい先ほど、フリーダさんが自分の名前を書いてもらったときの顔が浮かんだ。あの方が受けた苦しみを、男は帳簿の一行と同じように消せると思っているらしい。


 カルマがわたくしを見た。小さく頷き、銃の留め具を外す。


 ここから先は、話し合いだけでは済まないだろう。


「……もう少し聞きたかったですけれど」


 シュテルさんが呟いた。


 彼女は審問官章を胸元へ戻し、石柱の陰から一歩踏み出した。


「その書類を置いてください。これ以上の隠滅は認められません」


 執務服の男が振り返った。


「シュトラール審問官……! なぜここまで来られた」


「地下で保護した方々の記録を調べています。そちらの袋も確認させてください」


「ここは中央保全局の管理区域だ。あなたには立ち入る権限がない」


「その話は、入口でも伺いました」


 シュテルさんは落ち着いて答えた。


「ですが、あちらでは患者さんが銀環を付けられ、実際に魔力を奪われていました。今、あなた方が個人票を処分しようとしていたことも聞いています」


 男の視線が彼女の背後を滑った。カルマの銃、わたくしの手、最後にゼェレの道具鞄。


「その帳簿を渡せ。回収した資料はすべて中央へ戻すことになっている」


「理由を先にお聞かせくださいまし」


 わたくしが答えると、男は苛立たしげに顔を歪めた。


「部外者は黙っていろ」


「わたくしたちが何を見たかも、ご存じないのに?」


 職員が袋を抱えて裏口へ走った。


「カルマ!」


「見えてる!」


 《赤鐘》から細いワイヤーが伸び、裏口の扉の取っ手に巻きついた。カルマが腕を引くと、逃げる職員の目の前で扉が閉まる。


 男は袋を抱えたまま急停止し、慌てて壁に手をついた。


 同時に、警備兵の一人が石弓を持ち上げた。


 シュテルさんの祈祷が灯る。小さく構えられた《ステラ・シールド》に矢が当たり、硬い音を立てて弾けた。


 もう一人の警備兵は剣を抜き、こちらへ駆けてくる。


 わたくしは二枚の魔札を呼び出した。一枚を男の足首へ回し、もう一枚を剣の柄へ飛ばす。赤い糸が絡み、振り上げられた剣が途中で止まった。


 男が体勢を戻そうとしたとき、足元の石がわずかに沈んだ。


 ゼェレが、床を指先で叩いたのだ。


 男の靴は石の窪みにすっぽり収まり、踵の後ろが持ち上がって抜けなくなる。転倒しない程度に身体を支えられたまま、剣だけが床へ落ちた。


「それ以上動くと、足首ひねるよ」


 ゼェレは彼を見もせず、中央の調整盤へ歩き出した。


「待て! その盤に触るな!」


 執務服の男が叫ぶ。


「それじゃ、触らない方がいい理由を教えてくれる?」


「機密だ! 中央の承認なしに操作すれば――」


「ああ、操作はしないよ。見るだけ」


 ゼェレは測定板を盤の横へかざした。


 石弓兵が彼女へ向けて二本目を番える。


「そっちはよそ見しすぎだ!」


 カルマが一歩前へ出た。銃口がわずかに下がり、発砲音が響く。石弓の弦を留める金具が弾け、射手は武器を取り落とした。


 シュテルさんが距離を詰め、《星盾》の縁で兵士の腕を押さえる。男は膝をつき、抵抗をやめた。


 袋を抱えた職員も、すでにわたくしの三枚目の魔札に外套を壁へ留められている。


 広間は、短い時間で静かになった。


「ずいぶん騒がしい見学になったねぇ」


 ゼェレが小さく鼻を鳴らす。


「あなたが平然と歩いていらっしゃるからでしょう」


「だって、あれを壊されたら困るし」


 彼女は調整盤を指さした。


 そこには、先ほどまで気づかなかった細い亀裂が走っていた。執務服の男が盤の下で握っていた、小さな打撃具の跡らしい。


 証拠を運び出せなければ、装置の方を壊すつもりだったのか。


 ゼェレは男の手元から打撃具を取り上げ、卓へ置いた。


「これ、叩く場所を間違えたら、隣の部屋まで巻き込むよ。分かって使ってた?」


 男は何も答えなかった。


「……ふうん」


 ゼェレの声から笑みが消えた。


     ◇


 職員たちを拘束すると、わたくしたちは中央の調整盤を調べた。


 円い盤の表には、流量を示す針と、小さな窓が幾つも並んでいる。いくつかの窓には数字が浮かんでいたが、どこにも人の名前はない。


「これ、さっきの部屋と繋がってるな」


 カルマが左側の管を指す。


「壁の向こうで曲がってたやつだ。ここへ来て、ほかの線と合流してる」


 ゼェレが頷いた。


「ここで一度まとめてる。……へえ、面白い。古い回路と、新しい回路で刻み方が違う」


「新しい方が、銀環に繋がるものですの?」


「そう。こっちは人から引いた魔力を送るための線。古い方は……ちょっと待って」


 彼女は膝をつき、透明な板を盤の下へ滑り込ませた。


 銀色の粒が一度左へ寄り、次に上の細い管へ集まる。


「うん。こっちは入力の量が増えすぎないようにするための制御線だね。ちゃんと動いてる。でも、新しい方はその制御に繋がってない」


 わたくしは盤の縁へ目を寄せた。


 古い回路の刻印には見覚えがあった。緩やかな二重線を、一定の間隔で短い横線が結んでいる。


 ノワールヴェイン家の術式図面で、何度も見た形だった。


 父は回路の調子を調べるとき、必ず供給と停止の条件を並べて考えていた。魔力をどれだけ送れるかだけでなく、どの状態になったら止めなければならないか。幼いわたくしが図面の余白へ勝手に書き込んで、叱られたこともある。


 ここにある古い線が、父の手によるものだと断言はできない。けれど、その考え方はよく知っていた。


 今、目の前にある継ぎ足しは、そこを避けるように作られている。


「……安全側の制御を、通さないようにしているのですわね」


「そう。元の設備が止まっても、こっちの入力は流し続けられる」


 ゼェレは盤の刻印を指した。


「意図して分けてるよ。配管を間違えたって形じゃない」


 胸の奥が、静かに冷えていく。


 設計の誤りなら、原因を調べて直すこともできる。けれど、止まる仕組みを知っていて、わざわざ避けたのだとしたら。


「白冠の補完というのは、こういうことだったんだな」


 カルマが呟いた。


「元の仕組みに、別の入口を増やしたってわけか」


「入口だけじゃないよ。止まり方も変えてる」


 ゼェレは顔を上げた。


「今ここで線を切ったら、別の部屋に繋がってる人がいた場合、向こうへ負荷が戻るかもしれない。だから、先に入力側を確かめたい」


 彼女の声には、これまでになかった慎重さがあった。


「どこまで調べれば、安全に止められますの?」


「この盤から分かれる枝を、一つずつ。動いてるところと、もう止まってるところを分ける。全部まとめて切るのは駄目」


 カルマが壁沿いの管を追い、奥の扉を見た。


「じゃあ、そっちの小部屋からだな。鍵は……あいつが持ってるか」


 彼は拘束した執務服の男へ近づいた。


「開けてくれるか? こっちは中にいる人を助けたいんだ」


「勝手にしろ。どうせ今夜の送出は止められん」


「どういう意味ですの?」


 わたくしが尋ねると、男は口をつぐんだ。


 代わりに、ゼェレが測定板を持ち上げた。


「……ああ。そういうこと」


「何か分かったの?」


「今、流れが増えた。こっちで動かしてないのに」


 盤の上に並んだ針のうち、ひとつだけがゆっくり上がっていく。


 壁の向こうから、ごく低い鐘の音が響いた。


     ◇


 扉を開けると、その先には小さな観測室があった。


 中に人はいない。


 壁際の三つの寝台は空で、銀環も外されている。寝台の足元に置かれた記録板には、最後の使用時刻だけが残っていた。


「ここは空だな」


 カルマが奥を確かめる。


「隣も見てくる。リズ、扉の前を頼む」


「ええ、気をつけて」


 もう一方の小部屋にも寝台はあったが、人の気配はなかった。洗い立てたような布と、床に残る新しい車輪の跡。


 つい先ほどまで誰かがいたのか、これから使うために用意したのか。そこまでは分からない。


 シュテルさんが二つの部屋の記録板を集めた。


「この区画で今動いていたのは、救出したお二人の分だけのようです。ほかの寝台には、現在使用中の印がありません」


「印だけじゃ足りない。管も見よう」


 ゼェレは両方の部屋を回り、床下の細線へ測定板をかざしていった。


 帰ってきたとき、その表情はいつもの気の抜けたものに戻っていた。


「この区画は空。今引かれてる魔力は、もっと奥から来てる。ここを止めても、別の区画には触らずに済みそうだね」


「では、止められますのね」


「うん。ただし私ひとりで勝手にやらないよ。まず、盤の状態を記録して」


 わたくしは帳簿を開き、針の位置と窓の数字を写した。


 カルマが調整盤の周囲を一回りし、ほかに隠された扉やレバーがないか確かめる。シュテルさんは空の寝台の前へ立ち、記録板に名前が記されていないことを確認していた。


 やがて、ゼェレが盤の下部にある小さな弁へ指を掛けた。


「これを閉じれば、この部屋からの入力だけ止まる。ほかの線はそのまま。……いくよ」


 金属の擦れる音がした。


 盤の左端にあった針が、ゆっくりとゼロへ戻る。


 しばらく待ったが、ほかの針は動かなかった。


 ゼェレは測定板をかざし、頷く。


「よし。ここの回収は止まった。ほかへ押し付けてもいない」


 その言葉で、ようやく呼吸が深くなった。


 地下の施設すべてを止められたわけではない。それでも、フリーダさんたちを苦しめていた区画の導路は閉じた。少なくとも、知らぬ間に再開されることがないよう、封印と記録を残すことはできる。


 ゼェレが鞄から封印用の金具を取り出すと、カルマが弁へ取りつけた。シュテルさんは騎士団へ引き継ぐため、操作の時刻と立会人を記録した。


「……ねえ、これ見て」


 ゼェレが盤の下から薄い紙片を引き出した。


 破れた書類の一部ではない。点検用の溝へ差し込まれていた、小さな交換票だった。


 そこには、古い設備を調整した日と、その後に追加した部品の番号が記されている。


 末尾の欄を読んで、わたくしは目を細めた。


 〈中央教義院 保全担当へ写し送付〉。


 さらに、その下には王国の物資照合番号があった。


 偶然、二つの書式が並んだだけではない。少なくとも、この追加工事については、教義院へ送るための記録と王国側の照合番号が、同じ交換票に記されていた。


「どなたが、この改造を承認したのでしょうね」


 わたくしが呟くと、シュテルさんが紙片を見た。


「中央教義院へ確認する必要があります。でも、今ここで相手に渡すだけでは、また記録が消えるかもしれません」


 彼女は少し考えてから続けた。


「まず騎士団に原本を預けましょう。私が照会するのは、その後です」


「ええ。それがよろしいですわ」


 カルマが周囲の様子を確かめ、入口側へ顔を向けた。


「誰か来るぞ。足音が多い。騎士団かもしれねえが、確かめるまでは油断するな」


 シュテルさんは審問官章を握り直した。


「回収を止められたのは、この区画だけなんですよね」


「うん。ほかはまだ動いてる」


 ゼェレが測定板を持ち上げた。銀色の粒は、盤の後方へ延びる管に引き寄せられている。


「それに、向こうは今も供給量が増えてる。誰かが操作したのか、定時の切り替えなのかは分からないけど」


 わたくしは交換票を帳簿へ挟んだ。


 父の設計思想を知っているだけでは、誰が何を改造したのかは証明できない。けれど、安全のために止まるはずだった回路を避け、人から魔力を集めている現場を、この目で見た。


 その事実だけは、消させるわけにはいかない。


「リズ、どうする?」


「帳簿はわたくしが持ちますわ。まだ奥に人がいるかもしれませんもの。ここで戻るわけにはまいりません」


「私も同じ気持ちです」


 シュテルさんが答えた。空の寝台を見つめていたときより、声がはっきりしている。


 ゼェレは盤の裏の導路を確かめながら、短く言った。


「じゃ、こっち。動いてる線を追えば迷わないよ」


 彼女が一歩先へ出たところで、わたくしは呼び止めた。


「ゼェレ。先ほども助けていただき、ありがとうございます」


「ん? どういたしまして」


 振り返った彼女の顔には、どこか拍子抜けしたような色があった。


 わたくしは彼女が知る《灰触銀》のことを思い出した。石壁を紙のように変え、複数の術式を平然と読み解く、正体の知れない錬金魔術師。


 頼もしい。けれど、彼女に何ができるのか、わたくしにはまだ測り切れない。


 通路の奥から、低い鐘の音に混じって、かすかな物音がした。


 誰かが扉を叩いている。


「……誰か、そこにいるの?」


 シュテルさんが声を張る。


 一拍遅れて、扉の向こうから返事があった。


「お願いです、開けて……!」


 わたくしはカルマと目を合わせた。


 背後の足音が近づいてくる。


 それでも、わたくしたちの向かう先は決まっていた。


「参りましょう。今度は、間に合いますように」


 魔札を一枚、指の間に呼び出した。

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