第54話 止まらなかった祈り
翌朝、守備騎士団から第六保全棟への立入り許可が下りた。
許されたのは、事故の起きた調整室と、その周囲にある設備の検分。患者を使った試験はもちろん、銀環を接続しての再現実験も認められていない。施設の再稼働も禁止されたままだ。
それでも、ゼェレさんは許可書を見て満足そうに頷いた。
「十分。実際に動かさなくても、調べられることはあるから」
「昨夜は、分解できないなら面倒だって言ってたじゃないか」
「勝手に分解できないのと、何も調べられないのは別でしょ。あんた、本当に人の話を聞いてないねぇ」
「聞いてるよ。都合の悪いところ以外は」
「最悪だな、あんた」
カルマさんが笑っている。
昨日から二人の会話を聞いていると、ゼェレさんは言い返すのが早い。しかも、そのたびにカルマさんが楽しそうになるので、私はどちらを止めればよいのか迷ってしまう。
リゼリアは、銀環の鑑定報告書を丁寧に畳んでいた。
「では、調整室で何を確かめるおつもりですの?」
「銀環に仕込まれた術式の、続きだよ。輪っかだけじゃ、途中で切れてる。あれを使っていた設備を見れば、もっと先まで読めるはず」
「つまり、設備と銀環で一つの術式になっていた、と?」
「それを確かめに行くんでしょ」
ゼェレさんは鞄の肩紐を直した。
「行こうよ。私もずっとここで遊んでるわけじゃないんだから」
◇
第六保全棟の修繕区は、前に訪れたときと同じように忙しかった。
霊晶灯の修理をする職人。作業台へ部品を運ぶ人。まだ朝だというのに、奥から金槌の音が聞こえてくる。
けれど、調整棟へ続く通路だけは静まり返っていた。
扉の前には守備騎士が二人。事故調査中の札は、以前見た場所にそのまま掛かっている。
「立会人の到着を確認しました。これより調整室へご案内します」
騎士の一人が鍵を回した。
扉の蝶番が、重く軋む。
室内は片づけられていた。倒れた椅子も床に散らばっていた工具もない。それでも、壁の一角だけ石粉で白く塗り直されていて、あの日のことを思い出さずにはいられなかった。
ビアンカさんを支えたときの、冷たい肩。
話しかけても、返事をするのがやっとだった声。
「シュテルさん?」
リゼリアに呼ばれて、私は顔を上げた。
「……すみません。大丈夫です」
彼女は何も言わず、私の隣に立ってくれた。
ゼェレさんはすでに、壁の管を見上げていた。指で髪を巻くこともなく、鞄から細長い紙筒を取り出している。
「これ、銀環を載せてた台だよね」
「そうです。検査の際に補助具を接続していたそうです」
「で、あっちが主回路。事故のとき、外で遮断器を閉じたのは?」
「俺」
カルマさんが即答した。
「外の箱を開けて、固着した弁を戻した。技師にも止まったって確認してもらったよ」
「うん。じゃ、それは疑わなくていいね」
ゼェレさんはあっさり言い、壁際の配管を追って歩き始めた。
「止めたのに流れが残ったなら、止めなかった経路がある。まずはそこを探す」
思いのほか単純な言葉だった。
ただ、言われてみれば、その通りでもあった。
カルマさんが床へしゃがみ、配管の付け根を覗く。
「この太い方が外の遮断器へ行ってる。細いのは……向こうの壁へ潜ってるな」
「図面では、そちらも主回路の枝になっています」
私は騎士から渡された設備の外形図を見た。以前、修繕班の女性に見せてもらったものと、ほとんど同じだ。
「図面に描かれてる線だけ追っても仕方ないよ」
ゼェレさんが言った。
「隠したいものがあるなら、そりゃ描かないでしょ」
「その通りですわね」
リゼリアは小さく頷き、調整台の後ろへ回った。
私も後に続く。
そこには、使われなくなったらしい小さな点検口があった。蓋の表面に付いた埃だけ、周囲より薄い。
「開けても?」
カルマさんが騎士に尋ねる。
「設備を破損しない範囲であれば。こちらで開けます」
騎士が工具を受け取り、ねじを緩めた。蓋が外れると、その奥から細い銀色の管が現れた。
「ほら。こっちへ続いてる」
カルマさんが床に手をついて奥を覗く。
「主回路の管とは別だな。しかも、後から通したみたいに固定具が新しい」
今さら驚くことではない、と言いたげに、ゼェレさんはその脇へしゃがんだ。
「固定具より、こっち」
取り出したのは、薄い透明な板だった。内部に細かな銀色の粉が閉じ込められている。
「それは何ですか?」
「魔力の流れる向きを見る道具。粉が寄った方へ流れてる。私の仕事で使うやつだから、設備に触れさせなくても測れるよ」
ゼェレさんは騎士の許可を得て、板を管のすぐそばへかざした。
銀色の粉が、ゆっくりと右へ寄った。
「……動いていますね」
「うん。主回路は止まってるのにね」
板を離すと、粉は元の位置へ戻る。今度は主回路の管にかざしたが、ほとんど動かなかった。
同じ部屋、同じ道具。それなのに、反応するのは細い方だけだった。
「この管に、今も魔力が通っているんですか」
「そういうこと」
ゼェレさんは細い管の付け根に目を寄せた。
「……あった。ここだね」
管の外側ではなく、調整台と接する縁。真横から灯りを当てられて、ようやく私にも小さな刻印が見えた。
ゼェレさんは紙筒を開き、昨日写し取った銀環の術式を並べる。
リゼリアが紙の端を押さえた。
「同じ折り返しがございますわね」
「同じだよ。調整台のこっちにも、魔力を引き込むための術式がある。銀環を繋ぐと、その働きが輪の内側まで伸びる仕組みだね」
「銀環がなくても、動くんですか?」
「弱いけどね。今、板が反応したでしょ」
ゼェレさんの指は、迷わず線を辿っていった。
「しかも出口がある。輪に入った魔力を、ここへ戻すように作ってあるんだ」
「戻す……?」
「回収して、別の場所へ流すんだよ。測って終わりの祈祷具じゃない」
思わず息を呑んだ。
調整室では魔力の応答を検査していた、と説明されていた。けれど、検査した結果を見るだけなら、なぜ魔力を別の場所へ送る必要があるのだろう。
ゼェレさんは私の表情を見て、短く言った。
「まだ断定しないでよ。線が繋がるのと、実際に動くのは別だから。そこまで確かめる」
◇
問題は、どうやって確かめるかだった。
私は守備騎士に、追加の検査を申し出た。
「設備を再稼働させるつもりはありません。銀環も使いません。ただ、この管が周囲の魔力へどう作用するか、短時間だけ確かめたいんです」
「危険はありませんか」
「人体への装着はもちろん行いません。私が小さな照明祈祷を使い、異常があればすぐに止めます」
騎士はゼェレさんを見る。
「錬金魔術師として、どう判断しますか」
「管の手前に点検用の隔離弁がある。そこを閉じれば、この枝だけ切れるよ。まず閉じた状態で検査。問題がなければ、弁を開けて同じことをもう一回。変化があったらその場で終了。銀環は繋がない。患者にも触れない」
「……その条件を書面に残してください」
「はいはい。いくらでも書くよ」
言いながら、ゼェレさんはもう紙を取り出していた。
カルマさんが私の横で肩をすくめる。
「やる気になったら仕事早いな、あいつ」
「ええ。ありがたいことです」
「直接言ってくれれば?」
聞こえていたらしい。
ゼェレさんは振り向きもせずに言った。
「褒めると調子に乗るからやめとく」
「……あんたのことだろ」
今度はカルマさんが言い返されていた。
騎士は検査条件を読み合わせ、技師を呼んで隔離弁の操作を任せた。別の騎士が出口を開け、すぐに退避できるよう通路を空ける。
私は調整台から十分に離れた場所に立った。
目の前に人がいないことを確かめる。
以前、祈祷が突然引かれたときの感覚を思い出すと、指先が少し冷たくなった。
「無理はしないでね」
リゼリアが小声で言う。
「はい。少しでもおかしければ止めます」
ゼェレさんがこちらへ向き直った。
「まずは弁を閉じたまま。いつも通り、指先に小さな明かりを出してみて。強くする必要はないから」
「分かりました」
私は息を整え、祈祷で指先に淡い光を灯した。
大きさは豆粒ほど。
光は揺れず、いつも通りの明るさで留まった。
「うん。消して」
私は祈祷を解く。
ゼェレさんは透明な板を細い管へかざしている。粉はほとんど動かなかった。
「次。弁を開けてもらって」
技師が隔離弁を動かす。
かちり、と乾いた音がした。
「もう一回。同じくらいの明かりで」
私は先ほどと同じように魔力を整えた。
指先に光が生まれる。
次の瞬間、その縁がわずかに痩せた。
「……っ」
魔力の一部が、右手の外側へ引かれる。
あの日ほどの強さではない。それでも、普段の祈祷で起こるはずのない感覚だった。
「止めて」
ゼェレさんの声で、すぐに祈祷を解いた。
技師が弁を閉じる。
「シュテルさん、大丈夫ですか?」
「はい。ほんの一瞬でしたから」
私は自分の手を確かめた。痛みも、痺れもない。ただ、あのときと同じ方向へ魔力が引かれたのは確かだった。
ゼェレさんは板を私たちに見せた。
銀色の粉が、細い管の方へ一筋に寄っていた。
「こっちも同じ。明かりを出した瞬間だけ流れが増えた」
「もう一度、確認が必要ですか」
騎士が尋ねた。
「いらない。隔離したときは起きず、繋ぐと起きた。術式の形も銀環に仕込まれたものと一致してる。これで十分」
ゼェレさんは板を鞄に戻し、はっきりと言った。
「断定するよ。周囲の魔力を引き込んでいたのは、あの銀環に後から仕込まれた祈祷術式と、ここに繋がる導路だ。金属の材質が魔力を引いたんじゃない。祈祷術式が、そう動くように作られてたんだよ」
声に迷いはなかった。
私は昨日の鑑定書を思い出す。いくつも並んでいた可能性のうち、今、ひとつが確かめられた。
「では、事故のときに私たちの魔力が引かれたのも……」
「この仕組みで説明できる。主回路を切っても、細い方は繋がったままだったんでしょ。だから止まらなかったんだよ」
「銀環が光り続けた理由も、ですか?」
「少なくとも、主回路の遮断で全部が止まる設計じゃないことは分かった。残光の一部はこの補助経路から供給されてたんだね。輪に残った魔力までどれだけあったかは、別に調べないと分からないけど」
私は頷いた。
すべての謎が解けたわけではない。それでも、事故の起きた設備が、どうして停止命令に従わなかったのかは、ようやく分かった。
「ビアンカさんの身体にも、これが影響したのでしょうか」
「そこはまだ分からない。今の検査で確かめたのは魔力の流れだけだよ。身体の症状まで勝手に結びつけたら、鑑定じゃなくなる」
「……はい。分かりました」
ゼェレさんは私を見て、少しだけ表情を和らげた。
「でも、その疑問を持つのは当然でしょ。医師に渡す記録には、今分かったことを全部書くよ」
◇
「それで、引き込んだ魔力はどこへ行くんだ?」
カルマさんが、壁の向こうを顎で示した。
「こっちから入って、あっちへ出る。だったら、出口があるはずだよな」
「いいところに気づいたね」
「褒められると調子に乗るぞ、俺」
「もう十分乗ってるよ」
二人のやり取りを聞きながら、私も壁の管を追った。
細い管は点検口の奥へ消えている。図面では、そこで行き止まりのはずだった。
「図面にない先があるんでしょうか」
「少なくとも、こっちへ続いてる」
カルマさんが壁に沿って歩き、奥の床を指さした。
「点検口の中で右に曲がってる。外から見たとき、北の水路沿いに細い管が一本走ってたろ。あれと高さが同じだ」
リゼリアが、事故のあと受け取った施設の記録を開いた。
「調整室の外へ運び出されるものは、帳簿では『資材』にまとめられておりますのね。魔力の移送先まで記した資料は、こちらにはありませんわ」
「なら、設備の記録を出してもらうしかないね」
ゼェレさんはあっさり答えた。
「でも、まず見に行こうよ。管が外へ続いてるなら、追えるところまでは追えるでしょ」
守備騎士へ断り、私たちは調整棟の北側へ回った。
日差しの届きにくい通路に、細い水路が流れている。
カルマさんの言った通り、壁沿いには一本、ほかより細い管が延びていた。
「ここから先は、保全棟の敷地の外ですね」
騎士が立ち止まった。
「管の先は、どちらの管理ですか?」
「……中央保全局です。ですが、敷地外の設備まで私の権限では確認できません」
私は頷いた。
「分かりました。では、ここまでの状況を記録してください。調整室から延びる管の位置と、途中にある接続部の状態も」
カルマさんは屈み、管の継ぎ目を見つめている。
「この先、わざわざ壁の中へ隠してるんだな。見えないところに行き先があるってわけか」
「管を隠すこと自体は、珍しくないでしょう」
「まあな。でも今回は、図面にないんだから怪しいだろ」
「……確かに」
私はそこで初めて、彼の言葉に素直に頷いた。
リゼリアは管の方を見ながら、静かに言った。
「この施設で行われていたのは、魔力の測定だけではなかった。そこまでは、今の検証で示せましたわね」
「うん。魔力を集めて、外へ流す祈祷術式が組まれてた。これについては、もう疑いようがないよ」
ゼェレさんは強く言い切った。
その説明を聞きながら、私はビアンカさんの声を思い返していた。
検査を止めてほしいと訴えていたのに、すぐには止めてもらえなかった。そのとき誰かが耳を傾けていれば、あそこまで苦しまずに済んだのではないだろうか。
少なくとも、彼女が身につけた銀環は、説明された通りの検査具ではなかった。
「この設備は、事故調査が終わるまで使用停止を続けてください。隠された導路も封印をお願いします」
私は騎士に伝えた。
「正式な記録として残します。中央保全局にも通知を出します」
「それから、患者さんに関する記録も。あの調整室へ誰が入り、誰に銀環を装着させたのかを確認したいんです」
「……受入記録の照会ですね」
「はい。術式のことが分かっても、その責任までなくなるわけではありませんから」
騎士は頷き、持っていた書面に書き加えた。
◇
帰り道、ゼェレさんがしきりに時計を見ていた。
「どうかされましたか?」
「工房の薬。火を落としてきたけど、今日中に仕上げないといけないんだよねぇ」
「それなら、今日はここまでにしましょう。大変助かりました」
「当然でしょ。私がやるって言ったんだから」
カルマさんが横から口を挟む。
「さすがだな。昨日はまだ分からないって言ってたのに、今日は言い切った」
「昨日は証拠が足りなかった。今日は揃った。それだけの話」
「なるほどね。じゃあ、もう帰っていいぜ」
「は? あんたに許可される筋合いないんだけど」
「うん、知ってる」
ゼェレさんは口を尖らせたが、すぐに私へ向き直った。
「鑑定書の追記は、工房で書いて渡すよ。今日の検査記録が届いたらね」
「ありがとうございます。明日にでもお持ちします」
「できれば今日。あと、あの管の先が分かったら教えて。そこはちょっと気になるから」
「次の調査にも協力してくださるんですか?」
「内容次第。私、暇じゃないって言ったでしょ」
そこへカルマさんが笑いながら言った。
「分からないなら、別の奴に頼むけど?」
ゼェレさんの足が止まった。
「……あんた、またそれ?」
「効くのかと思って」
「効かないよ。次の資料、ちゃんと持ってきて。それを見てから決める」
そう言って、ゼェレさんはひとり先に歩き出した。
背中が遠ざかるのを見送っていると、リゼリアが小さく笑った。
「もう少し、あの方にお付き合いいただけそうですわね」
「……お忙しい方ですから、無理はお願いできませんけどね」
そう答えながら、私は手の中の許可書を見下ろした。
銀環の祈祷術式が、周囲の魔力を引き込む仕組みであることは確かめられた。
けれど、集められた魔力がその先で何に使われているのかは分からない。
私たちはまた、あの白い建物へ戻らなければならない。
今度は、術式ではなく、それを使わせていた人たちの話を聞くために。




