第53話 銀環の裏側
ゼェレさんが保管室へ来たのは、約束の時刻より少し前だった。
昨日と同じ黒と青の衣装に、道具の詰まった細長い鞄。短い白銀の髪を指で弄びながら、入口で待っていた騎士に書類を差し出している。
「外部鑑定人のゼェレ。許可は出てるよね」
「確認しています。立会いのもと、外観と材質の検分までは認められています。分解と魔力を通す試験は禁止です」
「分かってる。心配しなくても勝手に動かしたりもしないよ」
言い方は相変わらず気怠そうだった。でも、鞄から取り出した道具は布に包まれ、種類ごとにきちんと分けられている。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「はいはい。手早く終わらせたいから、挨拶はそれくらいでいい?」
「朝から機嫌悪いな」
カルマさんが笑う。
「昨日、誰かに余計なことを言われたからねぇ」
「それは気の毒に」
「……あんたのことだよ」
リゼリアは笑いをこらえているようだった。私は二人の間に割って入る。
「ゼェレさん。必要なことがありましたら、担当の方に伝えます。よろしくお願いします」
「うん。じゃ、さっそく見ようか」
◇
騎士が封印の番号を読み上げた。昨日の検分記録と照合し、立会人の署名を終えてから、木箱の蓋が開けられる。
白い布の上に、あの銀環があった。
ビアンカさんの腕から外されたときには弱い光を残していたが、今は何も光っていない。
私は、輪を着けられた彼女の顔を思い出した。話しかけても返事をするのが苦しそうで、私の手を握る力も弱かった。
ゼェレさんは昨日までの検分記録に目を通し、拡大鏡と小さな灯具を取り出した。
髪を弄んでいた指が離れる。道具を並べる手に迷いはなかった。
「魔力が残ってたのか、外から入り続けてたのか……そっちは後で考えよう。まず、何で作ってるか」
銀環へ灯具の光を斜めから当て、少しずつ位置を変える。私には、磨かれた銀の表面が明るくなったり暗くなったりするようにしか見えなかった。
「何か分かりそうですか?」
「まだ。さすがに腕が良くても一目じゃ分からないよ」
そう答えたあと、彼女は角度を変えて縁を覗き込んだ。
「古い方は銀……純銀か。さすが教会の祈祷具だ、贅沢なことするねぇ。で、足した方は……」
ゼェレさんは口を止め、角度を変えた。
「……灰触銀? いや、それにしては出来が悪いな……」
リゼリアの目が、わずかに動いた。
私は思わず彼女を見る。灰触、という言葉は知っている。王国の外縁を脅かすあの現象と、何か関係があるのだろうか。
「今、灰触とおっしゃいました?」
リゼリアが尋ねる。
「灰触じゃなくて、灰触銀ね。……いや、待って」
ゼェレさんは拡大鏡をもう少し近づけた。灯具の向きが変わり、銀環の一部に細かな影が走る。
「あぁ……違う。今回のはそれじゃない。よく見たら別物だった」
「では、こちらは?」
「ニッケルを含む銀色の合金、かな。断定するには成分を調べないと駄目だけどね。外見を合わせることはできても、混ぜ方まで上手くいかなかったみたい」
ゼェレさんは図の余白に短い印をつけ、もう一度銀環へ目を戻した。
灰触銀。
私はその名前を聞いたことがなかった。灰触についての研究は、まだ分かっていないことが多いはずだ。なのに、ゼェレさんは別の金属と見分けられるほど、それを知っているらしい。
気にはなった。でも、彼女はもう別の場所を調べ始めていた。
「……あれ?」
小さな声だった。
「どうかなさいましたか?」
「これ、表に見えてる刻印と、下の線の刻み方が違うんだよね」
ゼェレさんは灯具を置き、細い柄のついた鏡を取り出した。
「裏側を見たい。手袋をして持ち上げてもいい?」
「許可します。ただし、部品は外さないでください」
「分かってるって」
騎士の返事を受け、彼女は薄い手袋を嵌めた。
銀環の縁を支え、鏡を当てる。小さな鏡の角度を変えるたび、表面の線とは違う方向へ走る細い影が現れた。
「なるほど……そういうことか」
「何が見えるんですか?」
私が尋ねると、ゼェレさんは覗いていた鏡を少しだけ退けた。
「ここ。上から被せた銀の端が、ほんの少し浮いてるでしょ。隙間の奥を見てみて」
位置を教えられて、私も鏡を覗いた。
銀の下に、さらに細かな線が並んでいる。飾り模様にしては間隔が揃いすぎていて、しかも、外から見えていた線とは別の向きへ続いていた。
「……刻印、ですか?」
「うん。でも、これはただの装飾じゃない」
ゼェレさんは鏡を引き戻すと、紙の上に見えた部分を描き写した。
短い線をつないでいくうちに、見慣れた形が浮かぶ。
「この折り返し方、祈祷の導路に似ていませんか?」
私が言うと、ゼェレさんは頷いた。
「似てるんじゃなくて、祈祷術式の一部だよ。元の銀環に刻まれたものとは別に、合金の内側へ仕込んである。上から銀を被せて、表から分からないようにしてるんだね」
私はもう一度、描き写された線を見た。
通常の祈祷具なら、魔力がどこから入り、どこへ流れるかを確かめるための導路がある。ここに見えているのはその一部分だけだったが、ゼェレさんが印をつけた折り返しは、外周にある元の術式へ繋がるように並んでいた。
「これ……元の祈祷具へ、別の術式を後から組み込んでいるのですね」
「そういうこと。で、重要なのは金属の種類じゃない。魔力に余計な働きかけをしてるのは、こっちの祈祷術式だよ」
リゼリアが一歩近づいた。
「それなら、わたくしたちの魔力が引かれたことにも説明がつきますわね」
「うん。あんたたちの話と合わせるなら、この術式が周りの魔力の流れへ干渉してたと考えるのが筋だね。だけど、何を目的に仕込んだかは、まだ読めない。隠れた部分が多すぎるから」
ゼェレさんは鉛筆の先で、紙の空白を軽く叩いた。
「ここから先は、蓄える仕掛けかもしれない。外へ送るためかもしれない。元の導路を横取りするつもりだったのかもしれない。どれかひとつに決めるには、まだ足りない」
先ほどまで一つずつ確かめていた言葉が、途端に速くなった。
私は思わず聞き入った。ゼェレさんは考えついたことを次々と口にしているのに、どこまでが確認できた事実なのかを見失っていない。
「金属だけ見てたら、いつまで経っても答えが出なかっただろうね。そっちは、術式を隠すための細工でもあるんだから」
「では、ビアンカさんが苦しまれたのも、その術式が原因でしょうか」
「可能性はあるよ。人に着けて使う道具だし、魔力の流れに干渉するなら、身体へ影響が出たっておかしくない。でも、あの人の症状が全部これによるものだったかは、今の鑑定じゃ分からない」
ゼェレさんは、そこで少しだけ口調を落とした。
「そこは医師の話も聞いて。勝手に決めたら駄目だから」
「はい」
彼女は鉛筆を置き、銀環を指さした。
「あと、供給を切ったあとに光ってた理由も、まだ別の話。輪の中に残ってたのか、設備側から来てたのか。そこは今の状態じゃ確かめられない」
「なら、どこを調べればいい?」
カルマさんが、作業台に並べられた道具を見ながら尋ねた。
「その輪が繋がってた場所。配管でも術式でも、入口と出口が分からないと、この続きは読めないよ」
「第六保全棟の調整室ですね」
「そう。まだ残ってるんでしょ?」
「事故のあと、使用停止になっています」
「だったら、設備を動かさないまま見せてもらいたい。銀環だけだと、途中から先が欠けた図面を見てるようなもんだからね」
ゼェレさんはそう言うと、記録用紙へ向き直った。
◇
鑑定が終わったのは、昼前だった。
ゼェレさんは写し取った刻印に番号を振り、確認したことと未確認のことを分けて書いた。
元からある部分は純銀製の祈祷具。後付けの部分はニッケル含有合金の疑いがあるが、成分の確定には至らない。そして、後付けの金属の内側には、元の術式とは別の祈祷術式が隠されている。
魔力への干渉を説明する手掛かりは、その祈祷術式にある。人体への影響や供給停止後の残光については、追加の調査が必要――。
報告書は簡潔だった。ゼェレさんは言葉を飾らず、分からない部分を空欄にせずに、何が足りないのかを記していた。
担当騎士が書類と現物の状態を確認し、受領印を押した。
「鑑定へのご協力、感謝します」
「どうも。写しはもらえるんだよね?」
「お渡しできます」
「じゃ、お願い。あとから『その話もう一回』って言われるの、嫌だから」
騎士は苦笑しながら、写しを用意してくれた。
保管室を出ると、カルマさんがゼェレさんの隣へ並んだ。
「昨日はできないかもって言ってたのに、よく分かったな」
「できないかもなんて言ってない。現物を見ないと決められないって言ったの」
「そうだっけ?」
「そうだよ。人の話くらいちゃんと聞きなよ」
「悪い悪い。で、次は設備の方か」
「そう。あっちに何があるか見ないと、まだ終わらないからね」
ゼェレさんは歩きながら、書類の角を揃えた。
「私が調べるのは術式と器具。誰が何のために患者をあそこへ連れてきたのかは、あんたたちの仕事でしょ。そこは任せるから」
「もちろんです」
私は答えた。
リゼリアも静かに頷く。
「術式を組み込んだ意図は、教会の記録から追ってみますわ。現物で何ができるかは、ゼェレさんにお願いすることになりそうですわね」
「なら話は早いじゃん」
ゼェレさんは小さく肩をすくめた。
「それで、調整室はいつ見せてくれるの? 私、聖都でやることがほかにもあるんだけど」
「立会いをお願いして、早めに日程を調整します」
「はぁ……また手続きか」
「今度は俺たちがやるから、あんたは道具でも磨いててくれよ」
「言われなくてもやるよ。あんたたちがまた変なもの触って、面倒を増やさなければね」
その返事に、カルマさんが笑った。
私はつい、こちらも口元を緩めてしまった。
でも、今度はすぐに気持ちを引き締めた。
あの銀環は、人の腕に着けて使われていた。隠された術式が何をするために組み込まれたのか、まだ誰も説明していない。
祈祷具を調べるだけでは終わらない。
ビアンカさんがどうしてあの検査を受けることになったのか。その記録を誰が管理しているのか。そこにも、私たちは答えを求めなければならない。
そのためにも、まずは第六保全棟へ戻ろう。
私は騎士団へ出す立会い申請書を受け取り、3人の少し後ろを歩いた。




