第48話 祈祷庫に響く銃声
オスカーさんとナディアさんがようやく再会できた日の夕方、私はもう一度、第二受渡所の施療室へ戻った。
帰り際、ミーネさんに呼び止められたからだ。
「審問官様。これ、見ていただけませんか」
彼女は周囲を気にしながら、薄い綴じ帳を開いた。
「昨日の夜勤の記録です。患者さんをこちらでお預かりする前に、別の車へ移された方がいたみたいで」
欄には、私たちが追っていた便番号があった。その横に〈寝台一床、第三祈祷庫へ先行移送〉と記されている。
「この方は、どなたですか?」
「名前は分かりません。受け取った人が、人数だけ書き残したようです。ただ……」
ミーネさんは次の欄を指差した。
「第三祈祷庫から、今夜、資材を出す便があるそうです。でも、患者さんがあちらへ移されたという記録はあるのに、その後どうなったのか分からなくて……」
ミーネさんは不安そうに帳簿を見つめた。
「あの方は、今どこにいるんでしょうか」
「教えてくださってありがとうございます。この帳簿は、ここで保管しておいてください。私が内容を書き取ってもよろしいですか?」
「はい。主任にも話してあります」
ヴェッカーさんが部屋の奥で小さく頷いた。
私の照会で困ることになるかもしれない人たちが、自分の判断で記録を残し、知らせてくれた。
そのことが、ありがたかった。
筆を置くと、窓の外には夕暮れが迫っていた。
第三祈祷庫は、北回廊のさらに奥にある。
先行移送された人が、まだそこにいるとは限らない。それでも、何も確かめずに夜を越すことはできなかった。
◇
「今夜、動くのか?」
北回廊の門前で待っていたカルマさんが、控えを読んで眉を上げた。
「はい。これから向かおうと思います」
「俺も行く。夕方の荷車ってのは、明るいうちに出したくない荷が混じることもあるからな」
「それだけで怪しいと決めつけられませんよ」
「分かってるって。だから見に行くんだろ?」
隣のリズさんが、手袋の指先を整えた。
「移送先が変わった記録はありますのに、受け取った方のお名前だけがない。ずいぶん都合のよい帳簿ですこと」
「現場で受領した人が別の台帳を持っている可能性もあります」
「ええ。それを拝見できるなら、わたくしも助かりますわ」
カルマさんが通りの奥を見た。
「……おっと。出発するなら早い方がいいな。さっきから、北へ向かう荷車が増えてる」
私たちは歩き出した。
教会施設の敷地で銃を抜くつもりがないことは、カルマさんも承知している。けれど、私は彼の右腰にある《赤鐘》を見てしまった。
「何だよ、その目」
「……できれば、使わずに済ませたいです」
「俺だってそう思ってるさ。弾はタダじゃないんだぞ」
「そういう理由ですか?」
「ちゃんと他にもあるって」
リズさんが小さく笑った。
「その理由は、あとで聞かせていただきますわ」
「尋問する気かよ」
「必要でしたら」
普段通りのやり取りが続くうちに、石畳の道幅が狭くなっていった。
聖都の北側は、観光客が訪れる大聖堂前とはまるで違う。修繕用の石材を積んだ倉庫が並び、祈祷具を運ぶ職人の荷車が通る。建物の間には、日の当たらない細い通路がいくつも伸びていた。
第三祈祷庫は、その一番奥にあった。
高い石壁と、大きな鉄門。奥に二階建ての収蔵棟が見える。西側には荷を上げ下ろしするための木造の回廊があり、その下に幌付きの荷車が停まっていた。
「……あれか」
カルマさんが歩調を落とす。
「何か気になりますか?」
「荷車の後輪。泥がまだ濡れてる。外から来たばっかりだな。なのに馬は繋いでない。すぐ出るつもりなんだろ」
「搬送便かもしれませんね」
「かもな」
ここで推測を重ねても答えは出ない。
私は鉄門の前に立つ守衛へ審問官章を示した。
「聖盾審問官シュテル・シュトラールです。第二受渡所から、患者さんがこちらへ移送された記録を確認しました。受領記録と、ご本人の所在を確かめたいのですが」
守衛は徽章を見たあと、背後の建物を振り返った。
「少々お待ちください」
彼が門の脇にある小窓を開けると、中から灰色の上着を着た男性が出てきた。腰には長剣を提げている。胸元に教会の徽章はない。
「警備責任者のドミニクだ。ここは資材庫だと聞いているが」
「患者さんの受領記録を確認させてください。移送された方のご家族も、所在を確認できずに困っています」
「ここに病人はいない」
「受領した記録もありませんか?」
「ないな。用が済んだら帰ってくれ」
男は私の手元の控えを見ようともしなかった。
「でしたら、こちらの便番号について確認をお願いします。第二受渡所の原本と照合できます」
ドミニクはようやく紙を見た。
目が、便番号のところで止まった。
「……そいつを誰から聞いた?」
「第二受渡所の職員です。何か問題がありますか?」
「いや。確認してやる。そこにいろ」
男は守衛へ短く何か告げ、建物の奥へ戻っていった。
鉄門は開かなかった。
カルマさんが小さく舌を鳴らす。
「見たか、あいつの手」
「何をですか?」
「戻るとき、腰の剣を押さえてた。走れるようにな」
リズさんが門の格子越しに荷車を見た。
「中の方々が、随分慌ただしくなりましたわね」
荷台の上で布が揺れる。作業員が木箱を運び込み、二階の回廊では人影が急いで動いていた。
そのうちの一人が、窓から長いものを外へ突き出した。
石弓だ。
「伏せて!」
叫ぶと同時に、掌を前へ突き出した。
《ステラ・シールド》!
光の盾が広がった直後、鋭い衝撃が腕へ伝わった。
矢が青白い盾面に弾かれ、石畳の上を跳ねる。鏃は私の胸の高さに向けられていた。
「いきなりかよ!」
カルマさんが私の肩を引き、門柱の陰へ移動させた。
次の矢は門の外側に刺さった。リズさんが伏せたまま魔札を放ち、私たちの前に積まれていた空の石材箱を引き寄せる。
「シュテルさん、守衛さんを!」
門の前で、さっきの守衛が腰を抜かしていた。
「はい!」
小さな盾を足元に滑らせ、彼の身体を門柱の陰まで押し運ぶ。怯えた顔をした守衛に怪我はないようだった。
「あなたはここで伏せていてください。外へは出ないで」
「な、何が……うちの警備の者が……?」
「私にも分かりません。ただ、今の矢は人に向けて撃たれました」
私はもう一度審問官章を握り直した。
「これ以上、撃たせるわけにはいきません」
◇
石弓が再び軋んだ。
カルマさんが右腰の《赤鐘》を抜いた。
銃声。
二階の手摺に取りつけられた石弓の支え金具が弾けた。撃ち手は体勢を崩し、武器を取り落とす。
「次は手ごと持ってかれるぞ! 撃つな!」
返事の代わりに、門の内側から剣が振り下ろされた。
いつの間にか鉄門の小扉が開き、灰色の上着を着た男が二人、外へ出ようとしていた。剣を振り下ろしたのは、そのうちの一人だ。
その背後で、ドミニクが荷車の方へ駆けながら怒鳴る。
「帳簿を置いて消えろ!」
「先に撃ってきたのは、そちらです!」
盾を傾けて剣を受ける。硬い音がして、刃が横へ滑った。
押し返した光の盾が男の胸を打つ。相手が数歩後ずさったところで、私は門の内側へ踏み込んだ。
外で戦えば、通りを歩く人に被害が出る。
「リズさん、門を!」
「お任せくださいまし!」
門扉の内側に赤い魔札が貼りついた。そこから伸びた血糸が蝶番と閂へ回り、開いた小扉を固定する。閉じ込めるためではない。守衛が逃げるための出口を塞がせないためだ。
残る男が長柄の鉤で私の足を払おうとした。
盾を下げて柄を押さえる。脇腹へ回り込まれそうになったところで、カルマさんの銃把が鉤の先端を打った。
金具が歪み、鉤が床へ落ちる。
「こいつは俺が見てる。奥を頼む!」
「はい!」
男が折れた柄を振り回す。その一撃をカルマさんが手首でいなし、肘を打って武器を手放させた。
私はその脇を抜け、荷車の方へ走った。
背後では、リズさんの魔札が閃いた。
「剣を下ろしてくださる? これ以上は怪我をなさいますわよ」
それでも斬りかかった男の両腕が赤い糸に引かれ、壁際で止まる。盾で胴を押さえ、膝から崩れたところを地面へ座らせた。
まず一人。
二階から、別の矢が降ってきた。
盾を頭上へ展開する。石畳に突き刺さった矢を見て、背中が冷えた。
先ほどより近い。相手は中庭へ向けて撃っている。
その矢の先には、荷車があった。
「中に人がいたら危険です!」
「分かってる!」
カルマさんが石柱へ向けてワイヤーを射出した。鉤が二階回廊の梁に掛かる。
巻き取りに合わせて身体が跳ね上がり、彼は回廊の外側を振り子のように移動した。次の矢が地面を打つ前に、撃ち手の横へ足を掛ける。
短い悲鳴。
石弓が回廊から落ち、カルマさんが相手の腕を取って床へ押し伏せたのが見えた。
「リズ、下の奴らを頼めるか!」
「ええ。あなたこそ、落ちないでくださいまし!」
「心配してくれるなら先に言ってくれよ!」
カルマさんは梁に掛けた鉤を回収し、上の通路を走った。
その頃には中庭の奥から、さらに二人の武装した男が出てきていた。
一人は短槍。もう一人は、縁に金属を張った大型の盾を構えている。
ドミニクが怒鳴った。
「車を出せ! こいつらは足止めする!」
荷車の向こうで、御者が手綱を掴もうとした。
私は息を吸った。
「リズさん、車が!」
「見えておりますわ!」
赤い札が荷車の前輪へ滑り込み、車輪と石柱の間に血糸を張った。御者が馬を進めようとしても、車体は動かない。
「馬は驚かせたくありませんわ。すぐに降りていただけると助かります」
リズさんが声を掛けると、御者は手綱を離して両手を上げた。
武装した男とは違う。少なくとも、この人は命令に逆らってまで戦おうとはしていない。
だが短槍を持つ男が、動かない車へ腹を立てたように突進した。
「邪魔するな!」
穂先がこちらへ向く。
盾を前へ出すと、槍は盾面を擦って左へ流れた。穂先を弾いた反動で踏み込み、男の肩口へ小さな盾を当てる。
体勢を崩した男が膝をつく。私は槍を踏んで押さえ、握る手に力が入らない位置まで盾を差し込んだ。
「武器を離してください!」
男は歯を食いしばって引こうとしたが、抜けない。指を開いた瞬間、柄を蹴って遠ざけた。
もう一人が大盾を構えて突っ込んでくる。
正面から受け止めれば、体格差で押し切られる。私は一歩横へ出て、相手の盾の角へ光の盾を当てた。
角度を変えた金属盾が石柱へぶつかる。
男が身体を引こうとしたが、私の盾を重ねたせいで思うように動かせない。
そこへ、赤い糸が足元を走った。
「シュテルさん、今ですわ!」
糸が男の足首を絡め取る。倒れかけた身体を大きな光の盾で受け止め、背中を石畳へ打ちつけないように寝かせた。
まだ腕を振り回している。別の小盾で手首を押さえ、動けなくなったところで私は周囲を見回した。
リズさんは馬を落ち着かせながら、荷車の幌へ向かっていた。
「どなたか、いらっしゃいますか?」
返事はない。
代わりに、幌の内側からかすかな物音が聞こえた。
……何かが、板を叩いている。
「リズさん、私が見ます!」
私は短槍の男を盾で動けないようにしたまま、荷台へ近づいた。
幌を開くと、木箱の奥に一台の寝台が固定されていた。
毛布の下に、男性がいる。
両手首を革帯で留められ、口元には布が巻かれていた。
視線が合った。
男性の目が大きく見開かれる。
「大丈夫です。助けに来ました。今から口元の布を外してもよろしいですか?」
頷きが返った。
布を緩めると、男性は何度も息を吸った。
「……もう、どこにも連れて行かないでくれ」
「ここから先へは、あなたが望まない限り運ばせません。お名前を教えていただけますか?」
「マティアス……レンツ」
「マティアスさん。私はシュテル・シュトラールです。怪我はありますか?」
「熱が出て……歩けない。療養棟へ行くって聞いてたのに、いつの間にかここへ……」
右の手首に、革帯の跡が赤く残っていた。
私は革帯の金具を外し、身体を動かしてもいいか確かめる。彼が頷いたところで、光の盾を寝台の両側へ立てた。
まず、この人を守る。
そう決めた直後だった。
収蔵棟の窓から、甲高い音がした。
何かが割れる音。
続いて、焦げた匂いが流れてきた。
「……書庫!」
リズさんが顔を上げた。
窓の内側で、火が揺れている。
◇
「書類を燃やしてる!」
二階回廊からカルマさんの声が降ってきた。
どうやら上にいた男を押さえたあと、収蔵棟の様子に気づいたらしい。
「リズ、そっちから入れるか!」
「正面の扉は開いております!」
私は寝台を支える盾の位置を整えた。
「マティアスさん、ここで少し待っていてください。馬車は動かさせません。すぐ戻ります」
男性が私の袖を掴んだ。
「……置いていかないでくれ」
その手が震えていた。
私は扉の方へ向きかけた足を止めた。
この人は、何度も行き先を変えられてきたのだ。私が今ここを離れれば、また連れて行かれるのではないかと思うだろう。
「分かりました。私はここにいます。あの二人に任せましょう」
男性の指が、少しだけ緩んだ。
「リズさん! 私は患者さんを守ります。中をお願いできますか!」
「ええ! カルマ、聞こえました?」
「聞こえた!」
銃声が二階で響いた。
窓の外へ突き出された石弓が、金具ごと砕けて落ちる。
すぐにカルマさんが内側の回廊から飛び降りた。着地の衝撃を膝で逃がし、書庫の扉の前でドミニクと向き合う。
「悪いな。その中の紙、まだ燃やされちゃ困るんだ」
「邪魔をするな!」
ドミニクの剣が斜めに走った。
カルマさんは身体を半歩退き、剣の外側へ銃身を滑らせて切っ先を逸らした。そのまま銃把で男の手首を打つ。
剣が落ちる。
だが、ドミニクは空いた手でカルマさんの襟を掴んだ。
「捕まえたぞ!」
「……近すぎるっての」
カルマさんは相手の肘の内側へ腕を差し込み、腰を落とした。男の重心が前へ崩れ、石畳へ片膝をつく。
そこでカルマさんは銃口を向けず、背中側へ回って腕を捻った。
「もう終わりだ。大人しくしろ」
ドミニクはなお暴れようとしたが、リズさんの札が足元へ滑り、両足をまとめて拘束した。
「話し合いでしたら、落ち着いてからにいたしましょう」
「……ふざけるな!」
「こちらこそ。審問官に石弓を向けておいて、ずいぶんなご挨拶ですこと」
カルマさんがドミニクの剣を遠ざけ、書庫の扉を開けた。
中には大きな炉があり、帳簿の束が放り込まれていた。
「燃やすのを止めるぞ!」
リズさんの魔札が炉の前へ飛び、鉄の蓋を引き寄せた。
火の勢いはすぐには収まらない。けれど、新しい紙を投げ込むことはできなくなった。
私は盾を一枚、書庫の入口へ回した。煙がこちらへ流れてくるのを避けるためだ。
マティアスさんの寝台から離れないまま、盾を薄く広げて風の通り道を変える。
リズさんが帳簿の束を抱え、外へ出てきた。
「燃やされたものもありますけれど、こちらは残りましたわ」
灰に汚れた表紙には、〈祈祷資材・受入調整控〉とある。
カルマさんも咳き込みながら出てきた。
「……今夜は随分と物騒な見学会だったな」
「まったくです」
私はマティアスさんの容体を確かめた。
呼吸は落ち着いている。熱はまだあるけれど、今すぐ動かさなければ危険という状態ではなさそうだった。
守衛は門柱の陰から顔を出したまま、何が起きたのか分からないという顔をしている。
私は彼に声を掛けた。
「近くの守備騎士団と施療院へ知らせてください。ここで武装した警備員による襲撃と、書類の焼却がありました。患者さんの保護と、現場の封鎖が必要です」
「は、はい!」
彼が駆け出すのを見届けてから、私はカルマさんへ向き直った。
「お二人とも、怪我はありませんか?」
「俺は平気。ちょっと煙を吸ったくらいだ」
「わたくしも問題ありませんわ」
リズさんは書類の煤を払い、表紙を開いた。
「……ありました」
私は荷台から身を乗り出した。
紙には便番号が並んでいた。私たちが追っていたものも、その中にある。
横には人数と寝台の数。そこまでは、これまでの帳票と同じだった。
違うのは、その先だ。
〈患者受領〉の欄は空白になっている。
その隣に、〈資材移管済〉の印が押されていた。
そして、備考欄にはこう書かれている。
〈引渡先・聖都中央保全局 受領担当者欄、別紙管理〉。
「中央保全局……?」
私が呟くと、リズさんがもう一枚の紙をめくった。
「別紙はありませんわ。でも、少なくともこちらの施設では、人を受け取った記録と、資材を引き渡した記録が同じ便番号に繋がっています」
「じゃあ、患者を荷物として扱ってるってことか?」
カルマさんが眉をひそめる。
「まだ断定はできません。ただ……」
私は荷台のマティアスさんを見た。
彼は疲れた顔で、私たちのやり取りを聞いていた。
口元を塞がれ、行き先も告げられないまま、荷車へ乗せられていた人だ。
「この方が、きちんと説明を受けて移動していたとは思えません」
リズさんが帳簿を閉じる。
「ええ。それはもう、疑いではありませんわね」
◇
守備騎士団が到着した頃には、夜の鐘が鳴っていた。
拘束した警備員たちは騎士団へ引き渡し、石弓や剣はその場で確認してもらった。書庫の残った帳簿も、私の審問官章で封印した上で立会いのもと保管することになった。
ドミニクは最後まで、誰の命令で動いたのかを話そうとしなかった。
けれど、彼らが石弓を撃ったことも、帳簿を燃やそうとしたことも、私たちだけが見た出来事ではない。守衛と御者が証言を申し出てくれた。
マティアスさんは施療院の寝台へ移される直前、私の袖をもう一度掴んだ。
「……名前、ちゃんと書いてくれるか」
「はい。あなたのお名前で、受入記録を作ります」
「誰かの荷物じゃなくて?」
「もちろんです」
彼が少し笑ったのを見て、ようやく胸の奥の緊張が解けた。
カルマさんは銃を収め、伸びをした。
「これで、あの便の3人は揃ったな」
「はい。でも、同じ記録が他にも残っています」
「だろうな。あんな数の荷札を、たった一便のために作るわけがない」
リズさんは帳簿を封印した箱へ目を向けた。
「今夜の騒ぎで、向こうも黙ってはいられなくなるでしょうね」
「……ええ」
教義院への正式照会に続いて、今度は祈祷庫での武装襲撃が起きた。
もはや、記録の誤りだけの問題として片づけることはできない。
大聖堂の鐘が、遠くから聞こえる。
幼い頃、同じ音を聞きながら祈りを捧げていた。
今日、教会の名が掲げられた施設で、私は人へ向けられた矢を防いだ。
だからといって、ここで誰かを助けようとしている人々まで、疑うつもりはない。
私はただ、見たことを確かめる。
守るべき人が目の前にいるのなら、盾を構える。
それは、昔から変わらない。
夜風が、煤の匂いを運んでいった。
聖都の白い壁の向こうでは、まだ多くの人が眠っている。
その人たちが明日も無事に朝を迎えられるように。
私は、もう一度審問官章を握り直した。




