幕間Ⅳ 三人で休日を決めよう
今日こそ、何も起こらない日にしたかった。
港での問題が一段落し、次の調査先へ向かう準備も整った。装備は補充済み。宿の支払いも済ませた。明日からは、また教会の手掛かりを追う旅が始まる。
だから今日は、3人で自由に過ごそうと決めていた。
……決めていた、はずだった。
◇
「ところで、今日は何をしましょうか?」
朝8時。宿屋の食堂。
私が尋ねると、カルマさんは珈琲を飲みながら肩をすくめた。
「俺は何でもいいよ」
「ではリゼリアさんは?」
「わたくしも、お2人の行きたいところに合わせますわ」
「そうですか。私も、お2人が楽しめるところがよいと思っていたのですが……」
「…………」
誰も次の言葉を出さなかった。
紅茶の湯気が少しずつ細くなる。
「……なあ、結局どこに行く?」
カルマさんがもう一度聞いた。
「カルマさんのお好きな場所で構いませんよ」
「俺は何でもいいって」
「では、シュテルさんが決めてくださいませ」
「私ですか? リゼリアさんが行きたいところはありませんか?」
「もちろんございますけれど、まずはお2人の希望を――」
そのあたりで、宿の主人が空いた皿を下げに来た。
「朝から何の会議だい?」
「休日の予定を相談しています」
「そうかい。じゃあ楽しんでおいで」
「……まだ決まっていないんです」
主人は壁の時計を見た。
8時22分。
「……そうかい。頑張って」
応援されるようなことなのだろうか。
◇
「では候補を出しましょう。決められない理由が分かれば、きっと解決できますわ」
リゼリアさんが紙を1枚取り出した。
カルマさんが身を乗り出す。
「待て。今日は何枚ある?」
「1枚ですわ」
「よし。そこは信用しよう」
候補はすぐに集まった。
リゼリアさんは本屋と市場散策。私は喫茶店と郊外の散歩。カルマさんは射撃場と昼寝。
「では、優先順位を決めましょうか」
リゼリアさんが筆を構えた。
「俺は2人の好きなのでいいぞ」
「わたくしも」
「私も……」
書くところがなくなってしまった。
「多数決にしてみます?」
「自分の希望に投票する奴がいなさそうだな」
カルマさんが言う。
確かに、私はリゼリアさんの案を選ぶつもりだったし、リゼリアさんはカルマさんの案を優先しそうだった。
「なら、抽選にしましょう。公平です」
提案すると、2人とも賛成した。
紙を折って袋へ入れ、カルマさんが引いた。
「……昼寝」
「おめでとうございます」
「いや待て。俺の案だろ、これ」
「ええ、公平に当選しました」
「お前ら、俺の昼寝に付き合うのか?」
「私は構いませんよ」
「わたくしもですわ」
「……もう1回引こう」
「公平な抽選の意味がなくなりますよ」
「分かってる。だが気が引けるんだよ」
2回目は喫茶店。リゼリアさんの希望だった。
けれど、リゼリアさんは私が甘いものを食べたいかどうかを先に尋ねた。3回目は射撃場。今度はカルマさんが「今日は別に撃たなくてもいい」と言い出した。
抽選すら、決め手にならなかった。
◇
9時半。
宿の主人が、ついに笑いながら言った。
「天気もいいんだし、まず散歩に出たらどうだい。行き先なんて、歩きながら決めればいい」
それはよい考えだった。
私たちは上着を取り、外へ出た。
海から吹く風が気持ちいい。
「で、どっちに行く?」
カルマさんが尋ねた。
「お2人の行きたい方で」
「わたくしもお任せしますわ」
「……外に出ても同じじゃねえか」
カルマさんが、その場にしゃがみ込んだ。
「よし。ルールを変えよう」
「ルール、ですか?」
「相手に譲るのは禁止。1人ずつ、自分が何をしたいか言う。いいな?」
少し強い言い方だったけれど、怒っているわけではなさそうだ。
「リゼリアから」
「わたくし……ですか」
リゼリアさんは通りの先にある書店を見た。
「それなら、新刊の魔術史が気になりますわ。少し覗いてみたいです」
「よし。シュテルは?」
「……私は、甘いものが食べたいです」
口に出してみると、思っていた以上に気持ちが軽かった。
「いいじゃねえか。じゃあ本屋と喫茶店な」
「カルマさんはどうします?」
「俺か……」
彼はしばらく考えていた。
「やっぱ昼寝だな」
「またですか?」
「好きなんだよ、寝るのが」
リゼリアさんが小さく笑った。
「では、全部叶えましょう。順番に行けばよろしいですもの」
ようやく決まった。
◇
最初は本屋。
リゼリアさんは目的の本を見つけると、迷わず棚から取り出した。
『北方結界史・改訂第三版』。
相当分厚い。
「……これ、休日に読む量か?」
「今日は読むとは申し上げておりませんわ。買うだけです」
「じゃあ何で買うんだ?」
「読みたい本を手元に置いておきたいからです」
カルマさんは何か言いかけ、納得したように頷いた。
私は隣の棚で、初心者向けの祈祷の本を見つけた。
ぱらりと開く。
「……この説明は、誤解を招くと思います」
「どうした?」
「盾を広げる角度が一律だと書かれていて。でも、実際は攻撃の方向や守る人数によって変えるものです」
「初学者向けだから簡単にしてるんじゃないか?」
「簡単にすることと、間違った理解を広めることは違います」
出版元へ訂正を伝えたい。
そう思ったところで、リゼリアさんに肩を叩かれた。
「シュテルさん。今日は休日ですわ」
「……そうでした」
「気になることだけ控えておいて、明日になさっては?」
「はい。そうします」
私は手帳に要点を書いた。
「……11行あるぞ」
「これでも短くしたんです」
「俺の知ってる要点と違うな」
◇
次は喫茶店。
店員さんがケーキの載った皿を見せてくださった。
苺、チョコレート、林檎、蜂蜜。
全部おいしそうだった。
「どれにする?」
カルマさんが尋ねる。
「……少し迷っています」
「4つ頼めばいいんじゃないか。3人で分ければ食えるだろ」
それは、思いつかなかった。
「よろしいのですか?」
「いいよ。俺も食べる」
リゼリアさんが微笑んだ。
「せっかくの休日ですもの。そういたしましょうか」
運ばれてきたケーキを3人で少しずつ分ける。
私は苺のものが特に好きだった。カルマさんは林檎、リゼリアさんは蜂蜜を気に入ったらしい。
「……また来たいです」
口に出すと、2人が顔を上げた。
「おう。次はお前が一番好きなの頼めよ」
「ええ、喜んでお付き合いしますわ」
ほっとした。
自分の希望を言っても、誰かに迷惑を掛けるわけではないのだ。
◇
午後は公園へ向かった。
木陰のベンチへ腰を下ろし、カルマさんは外套を丸める。
「20分だけ寝るからな。今度こそ邪魔するなよ」
「はい。私も静かにしています」
「わたくしは買った本を読んでいますわ」
「仕事の資料じゃないよな?」
「魔術史です。仕事ではございませんわ」
「……そうか。ならいい」
カルマさんが目を閉じる。
私も横に座り、通りかかった猫を眺めながら時間を過ごした。灰色の猫だったけれど、耳の形が少し違う。
20分後、カルマさんは自分で目を覚ました。
「今日は起こさなかったな」
「お約束しましたから」
「……ありがとな」
リゼリアさんが本から顔を上げる。
「まあ、カルマが素直にお礼を」
「俺だって言う時は言う」
「ええ。よいことですわね」
「子供扱いするなよ」
私たちは声を立てずに笑った。
◇
夕方、宿へ戻ると主人が尋ねた。
「今日は何してきたんだい?」
「本屋ですわ」
「喫茶店に行きました」
「昼寝」
主人は頷いた。
「なんだ、普通の休日じゃないか。よかったねえ」
普通の休日。
そう言われて、3人とも少しだけ黙った。
誰も追ってこなかった。誰かを助けるために走る必要もなかった。証拠も集めず、剣も銃も抜かなかった。
ただ、本を買い、お菓子を食べ、昼寝をした。
「……そうですね。楽しかったです」
私が言うと、リゼリアさんが頷いた。
「ええ。こういう日も悪くありませんわ」
「じゃあ、次はもう少し早く決めようぜ」
カルマさんも笑った。
◇
夕食の後、私は思いついたことを口にした。
「次のお休みは、何をしましょうか?」
「今から決めるな。また朝から会議する羽目になるぞ」
「だからこそ、今のうちに決めておけばよいのでは?」
リゼリアさんも考え込む。
「次回の候補だけ挙げておくのはよろしいかもしれませんわね。では、わたくしはお2人の希望に――」
「待て待て。それ禁止にしただろ!」
「そうでしたわ」
3人で笑う。
ふと、私は新しい案を思いついた。
「では、『何もしない』というのはどうでしょう?」
カルマさんが首を傾げた。
「何もしないのか?」
「はい。3人で、何もしない休日です」
「同じ場所で座ってるだけ?」
「……それは、何かしていることになるのでしょうか」
リゼリアさんが真剣に考え始めた。
「読書なら、何かをしていますわね。お茶を飲むのも同じですし……」
「昼寝も寝てるから駄目ってことか?」
「厳密には、そうかもしれません」
「何だその休日。休むことまで禁止なのかよ」
もう少し詳しく検討した方がよさそうだ。
私が手帳を開こうとしたところで、宿の主人が声を掛けた。
「おや、あんたたち。明日は朝から出発じゃなかったかい?」
私たちは顔を見合わせた。
荷造りがまだ少し残っていた。
「……そうでしたね」
「では、続きはまた今度ですわ」
「頼むから次は、休むための会議を長引かせないでくれよ」
カルマさんが頭を抱える。
それでも、彼はちゃんと私たちが立ち上がるのを待ってくれた。
いつか本当に、3人で何もしない日を過ごしてみたい。
そう思えること自体が、今の私には嬉しかった。




