幕間Ⅲ カルマは静かに眠りたい
カルマは静かに20分だけ眠りたい。それだけの願いが、なぜか叶わない。
俺の望みは、そんなに贅沢だろうか。
陽の当たらない場所を見つけて、外套を枕にする。それから、誰にも呼ばれずに20分だけ眠る。
それだけだ。
銃撃戦の後始末も、役所への付き添いも、買い物の護衛も、今日はない。ましてや、牛乳を買うのに30枚も計画書を読む必要はない。
宿の裏庭には古い木箱が積まれていた。風が通り、日陰もある。向かいの家の窓は閉まっている。
絶好の昼寝日和だ。
俺は銃帯を邪魔にならない位置へ寄せ、腰を下ろした。
目を閉じる。
「カルマさん」
3秒だった。
目を開けると、シュテルが庭の入口に立っていた。
「……何かあったか?」
「少しご相談したいことがあるのですが、今よろしいですか?」
「急ぎ?」
「いいえ」
「じゃあ、30分後にしてくれ。いま寝ようとしてたんだ」
「ああ、そうでしたか。失礼しました」
シュテルは素直に引き下がった。
俺はもう一度目を閉じる。
しばらくして、足音。
「カルマさん」
……勘弁してくれ。
「悪い、まだ30分経ってないぞ」
「はい。ただ、『後で』というのは、いまから30分後でよろしいんですよね?」
「そう言ったはずだが」
「承知しました。では、13時30分に伺いますね」
「……ああ」
頼むから、その時刻まで時計と一緒に帰ってくれ。
目を閉じ直す。
「カルマ」
「今度は何だ!」
勢いよく起き上がったら、リゼリアが両手に紙束を抱えて立っていた。
「随分なご挨拶ですこと」
「悪い。反射で……何か用か?」
「少しご相談がありまして」
「急ぎ?」
「今日中なら十分ですわ」
「30分後にしてくれるか? シュテルにもそう言ったんだ」
「もちろん。では、お休みなさいませ」
素直に帰ってくれた。
……いや、何だその紙束は。
不安になって背中を見送ったが、リゼリアは振り返らなかった。
◇
次に目を閉じたときは、さすがに邪魔が入らなかった。
……と思ったら、背中に視線を感じた。
そっと片目を開く。
木箱の向こうから、灰色の猫がこっちを見ていた。前足が白くて、右耳が少し欠けている。
「お前、シュテルのところにいた奴だな」
「にゃあ」
「俺の上に乗るなよ」
猫は答えず、木箱の陰で丸くなった。
まあ、それくらいなら構わない。
今度こそ眠れそうだった。
「カルマ、起きていらっしゃる?」
塀の向こうから声がした。
「……リゼリア」
「宿の主人が、こちらにいると教えてくださいましたの。資料を置くだけですから、起きなくて結構ですわ」
俺の横に、紙が12枚ほど置かれた。
「置くだけって量じゃないだろ。そもそも何の資料だ?」
「次の調査に向かう際の、宿泊候補一覧ですわ。今読んでおけば、後で相談する時間を省けますでしょう?」
「寝る時間が消えてるんだよ」
「あら」
リゼリアは紙束を見下ろした。
「では、要点だけを1枚にしましょうか」
「できるのか?」
「できますわ」
「じゃあ、最初からそうしてくれ」
何のためらいもなく11枚を引っ込め、残りを俺に渡した。
「おつかいの時に比べれば、随分柔軟になったでしょう?」
「自分で言うか、それ」
「評価は後ほど伺いますわ。今はお休みください」
歩いていく足音を聞きながら、紙を開く。
確かに1枚にまとまっていた。
ただし、文字が小さい。
「……それじゃ意味ねえだろ」
俺は紙を裏返した。
◇
結局、約束の30分になる前に、宿の食堂へ戻ることにした。
どうせ眠れないなら、相談を済ませた方が早い。
シュテルとリゼリアは、すでに同じ机で待っていた。
「早かったですね。まだ5分ありますよ」
「お前らが待ってるって思うと、落ち着かないんだよ」
「急かしたつもりはありませんでした」
「分かってる。だから余計にな」
俺は椅子に座り、シュテルの資料を指した。
「で、相談って何だ?」
「次の調査へ向かう前に、装備の補充と休養を兼ねて1日取るべきか迷っているんです。カルマさんはどう思います?」
「取ろうぜ。俺たち3人とも疲れてるだろ」
「……そうですね。では、そのようにしましょう」
「終わり?」
「はい。ご意見が聞けて助かりました」
「相談って、こんなもんだろ」
リゼリアが紙を差し出す。
「では、わたくしの宿泊候補も」
「風呂があって、ちゃんと眠れて、危なすぎないところ。そういう宿はあるか?」
「候補3が該当いたしますわ」
「じゃあ、まずはそこを確認でいいんじゃないか」
「……そうですわね」
紙がするりと閉じられた。
2人が俺を見ている。
「何だよ?」
「相談が終わりましたね」
「終わったな」
「……これなら、お昼寝の時間も取れたかもしれませんわ」
「気づくの遅いな、お前ら」
口ではそう言ったが、悪い気はしなかった。
◇
「じゃあ俺は改めて寝る。今度はここでいいや」
食堂の奥は静かだった。窓から涼しい風が入り、ほかの客もいない。
「20分だけだから、起こさないでくれよ」
「分かりました。私もここで本を読んでいます」
「わたくしも静かにしておりますわ」
「本当に?」
「本当です」
「猫が来たら?」
「……双方の意思を確認します」
「俺が寝てたら、その前に下ろしてくれ」
シュテルは少しだけ不満そうにしたが、頷いた。
俺は外套を丸め、机に伏せる。
紙をめくる音。遠くの市場の喧噪。窓辺を抜ける風。
今度こそ、誰も呼ばなかった。
◇
目を覚ますと、25分経っていた。
顔を上げる。
シュテルは本を開いたまま、机に肘をついて眠っている。リゼリアも隣の椅子で目を閉じていた。
起こすのは簡単だった。
でも、さっきまで俺の昼寝を邪魔したからって、仕返しするほど子供じゃない。
俺は宿の主人に毛布を2枚借りた。
「3枚じゃなくていいのかい?」
「俺はもう起きた」
「そうかい。仲いいんだねえ」
「……毛布、ありがとな」
それ以上は聞かないでくれ。
シュテルの肩へ1枚。リゼリアの膝へもう1枚。
起こさないようにそっと掛けると、なんだか俺だけ取り残された気がした。
銃帯を直し、窓に背を向けて座る。
見張りのつもりでいる方が、落ち着く。
◇
夕方、ようやく3人とも目を覚ました。
「毛布、ありがとうございました」
シュテルが言う。
「親父に言ってやれ。あいつのだ」
「頼んだのはカルマさんですよね?」
「……見てたのか?」
「目が覚めた時、宿の主人に聞きました」
「そういうところは抜かりないな」
リゼリアも毛布を畳んでいた。
「わたくしからも、お礼を言わせてくださいな」
「もういいって」
「礼を受け取るのが苦手ですのね」
「照れくさいだけだよ」
言ってから後悔した。
2人の顔が、妙に柔らかくなったからだ。
◇
翌日の午後、俺は再び裏庭の木箱へ戻った。
猫が近くに座ったが、今度は俺の上へ乗ってこなかった。
「そこならいい。お前も好きに寝ろ」
「にゃあ」
しばらくして、窓の方で気配がした。
見なくても分かる。あの2人だ。
「……声掛けないなら、そこにいてもいいぞ」
返事はない。
やがて風の音だけになり、俺はようやく眠れた。
目が覚めると、木箱の横に小さな紙が2枚置いてある。
『起こしていません』
シュテルの字。
『わたくしもですわ』
リゼリアの字。
「……報告書にすんなよ」
折り畳んだ紙を外套の内側へしまう。
捨てるほど邪魔でもなかった。
「カルマさん、もう起きましたか?」
宿の戸口からシュテルが呼んだ。
「起きてるぞ」
「夕食は何がいいですか?」
「肉」
今度は即答した。
リゼリアが顔を出す。
「珍しく希望がはっきりしていますわね」
「お前らに任せたら、また相談が始まるだろ」
「では、お肉料理にしましょうか」
「わたくしは魚も少しいただきたいですわ」
「両方頼めばいいじゃねえか。せっかく休みなんだし」
2人は顔を見合わせ、笑った。
静かな昼寝は好きだ。
その後で、誰かに夕食へ呼ばれるのも。
……まあ、悪くない。




