幕間Ⅱ リゼリア、おつかいに行く
今日のお仕事は買い出しだけ。なのにリゼリアの準備は、どこまでも本格的だった。
「牛乳2瓶、卵12個、黒パン2斤、干し肉300グラム。今日はこれだけ買ってきてくれたら助かるよ」
宿の主人が渡してくださった紙には、たった4種類の食材が書かれていた。
たった4種類。
ですからこそ、失敗する理由がないように準備しなければなりませんわ。
◇
「……お前、何してるんだ?」
カルマが食堂の机を見て、足を止めた。
「おつかいの準備ですけれど」
「食材4種類を買うだけだよな?」
「ええ。牛乳2瓶、卵12個、黒パン2斤、干し肉300グラムですわ」
「それは聞いた。じゃあ、その紙の山は?」
「市場の配置図と、店舗ごとの価格表、それに購入順序をまとめたものです」
カルマはわたくしの資料を1枚取り上げた。
「卵の品質確認……11項目? おい、これ店先で全部やるのか?」
「当然でしょう。食材の安全は軽視できませんもの」
「シュテル、何か言ってやってくれ」
向かいに座っていたシュテルさんが、真面目な顔で資料を読んだ。
「確かに確認は必要です。ただ、殻の色だけでは鮮度は判断できませんよ」
「承知していますわ。これは仕入れ先ごとの違いを把握するためで――」
「そこまで調べるのかよ。卵だぞ?」
「卵だからですわ」
「……一応聞くけど、他に何か買う予定は?」
「ありません」
「敵は?」
「おつかいに敵などおりませんでしょう」
「お前が真顔でそれを言うのが一番怖い」
失礼な。
予定は8時40分に市場へ到着。牛乳、卵、パン、干し肉の順に購入し、9時過ぎには宿へ戻る。
市場の混雑を想定し、代替経路も考えてある。
準備は完璧だった。
◇
予定より少し遅れて市場へ着いた。
「原因はカルマですわね」
「まだ言うか。銃の手入れに3分掛かっただけだろ」
「その3分を見込んで、早く起きていただく予定でした」
「俺の起床時間まで管理してるのか?」
「共同生活ですので」
「怖いな、共同生活」
シュテルさんは横で静かに頷いた。
「カルマさんが朝食に遅れたのは事実です」
「俺の味方はいないのかよ」
「事実の話をしています」
これだからシュテルさんは頼りになる。
まずは牛乳屋。店主は気前のよい方で、2瓶分をすぐに用意してくださった。
わたくしが銅貨を数えている間に、カルマが値段の交渉を始める。
「2本まとめて買うから少し安くならないか?」
「兄ちゃん、朝っぱらから値切るねえ。じゃあ次も来てくれるなら……」
軽口を交わすうちに、あっさり値引きが成立してしまった。
「……仕入れ価格も確認しないで、よく決められますわね」
「向こうも納得してるだろ。市場じゃこういうもんだ」
「交渉には根拠が必要です」
「根拠は向こうが笑って売ってくれたことだよ」
わたくしは反論しようとして、店主が本当に楽しそうに笑っていることに気づいた。
……まあ、結果は悪くありませんわ。
◇
次は卵屋。
籠を用意してくださったお婆様が、にこやかに言った。
「12個でいいんだね。今日は1個おまけしておくよ」
「……13個、ですの?」
「そう。1個多いと困るかい?」
困るというほどではない。
けれど、資料に記載した卵の数量は12個。持ち帰る容器の配置も、荷物の重さも、それに合わせて――
「ありがたくいただきますわ」
お婆様の笑顔を見て、迷うのをやめた。
好意を無駄にする必要はありませんもの。
「予定外だな」
カルマが耳元で囁いた。
「言わないでください」
「配置、変わるぞ?」
「カルマ」
「はいはい」
シュテルさんは受け取った籠を覗き込んだ。
「これで1個多くなりましたね。割れないよう、私が持ちます」
「助かりますわ」
「そこは普通に頼るんだな」
カルマが何か言っているけれど、聞こえないふりをした。
◇
黒パン屋に着いたとき、最初の問題が起きた。
「ごめんねえ。今日は黒パンが売り切れなんだよ」
「……そう、ですか」
予定の時刻より遅れたためかと思ったけれど、今朝は荷役の方々が早く買いに来たのだという。
近ごろ仕事に戻れた方が増え、食べ物の売れ行きも変わってきたらしい。
よいことですわ。大変よいこと。
ただし、黒パンがない。
「代わりの店はあるんだろ?」
カルマに促され、地図を開く。
「第2候補と第3候補がございます。第3候補の方が品質評価は高いのですけれど、ここから徒歩6分……」
「近い方でいいだろ」
「でも、評価に差がありますわ」
「いま必要なのは、ちゃんと食えるパンだ。行ってみようぜ」
そうして歩き始めたところで、野菜を積んだ荷車が目の前で横倒しになった。
車輪が石畳の窪みに引っ掛かったらしい。荷台からジャガイモが転がり、老人が困り果てていた。
「すぐに手伝いますわ!」
わたくしは資料を畳み、落ちた野菜へ駆け寄った。
シュテルさんが小さな星盾で坂を転がる野菜を受け止め、カルマが荷車を起こす。その間に、傷のあるものとないものを仕分けた。
「ありがたいねえ。これ、持っていってくれ」
老人から差し出されたのは、ジャガイモ3個。
「そんな、お礼など……」
「店に持って帰るより、あんたらに食べてもらいたいんだよ」
受け取ると、老人は安心したように笑った。
「卵が1個多くて、ジャガイモも3個追加だな」
カルマの声がする。
「分かっていますわ」
「計画がどんどん育ってるぞ」
「手伝わずに通り過ぎる計画ではありませんもの」
「それなら合ってる」
あっさり返されて、少しだけ拍子抜けした。
◇
結局、黒パンは1斤しか見つからず、残りを白パンで補うことになった。
干し肉屋では、300グラムを頼んだところ320グラム包んでいただいた。これも店主の好意だという。
宿へ戻る頃には、予定から随分と遅れていた。
荷物を食堂の机に並べる。
牛乳2瓶。卵13個。黒パン1斤と白パン1斤。干し肉320グラム。そしてジャガイモ3個。
当初の数量どおりだったのは牛乳だけだった。
「……面白いものですわね」
「何が?」
カルマが椅子へ腰掛ける。
「計画どおりに買えなくても、必要な食材は揃いましたでしょう?」
「まあな。ジャガイモまで増えたし」
「人の好意も、予定には書き込めませんものね」
シュテルさんが卵の籠を厨房へ運んだ。
「でも、リゼリアさんの下調べも役立ちました。別のお店をすぐ見つけられたので」
「ありがとうございます。次からは、もう少し余白を作っておきますわ」
わたくしが資料を畳むと、宿の主人が厨房から顔を出した。
「ああ、みんなお帰り。助かったよ。そうだ、砂糖を切らしてたんだ。誰か1袋買ってきてくれないかい?」
カルマがこちらを見た。
わたくしも、カルマを見る。
「……やめろよ」
「まだ何も言っておりませんわ」
「目がもう計画書作ってる」
「今度は必要ありません。もう市場のことも分かりましたもの」
「お、成長したな」
「ですから3人で参りましょう」
「何でだよ。砂糖1袋だぞ」
「共同生活ですので」
シュテルさんが、持っていた籠を置いた。
「私もご一緒します。お店の方に、ほかに不足しているものがないか聞いておきましょう」
カルマが天井を見上げる。
「……まさか砂糖1袋から、また始まるのか?」
「ええ。おつかいですわ」
今度こそ、計画は立てない。
ただし、念のため小さな紙を1枚だけ持って出ることにした。
カルマは最後まで、その紙を怪しんでいた。




