第31話 一度だけの鐘
鎖の拘束を外したリゼリア。カルマたちは旧塩倉庫へ向かい、港に残された名前と輸送の記録を追う。
施療所の机に、3枚の紙を並べた。
水門の通行札。ロイの仕立屋で写した注文書。それから、リゼリアが《無名簿》から書き留めた搬送記録。
どれにも、錨を咥えた海蛇の印がある。
「同じ倉庫の印、ってだけじゃないんだろ?」
「ええ。こちらをご覧になって」
リゼリアが日付の横を指した。
「仕立屋への注文が増えた日から、搬送記録の人員欄が番号になっていますの。しかも、その後も同じ人数で荷が出ている」
「人が入れ替わっても、数だけ合えばいいってことか」
「その可能性がありますわ」
帳面に載っていたロイの名前を思い出す。前の名前を思い出そうとするだけで、あいつは首を押さえて苦しそうにしていた。
服を作らされていた本人が、何のために縫ったのか覚えていない。そんな注文書が何冊も残っている。
「今夜、向こうの荷を見れば分かるか」
「カルマさん。昨日も傷を増やして帰ってきたんですよ」
シュテルが俺の脇腹を見た。
「今日は3人だ。昨日よりはましだろ」
「人数の問題ではありません」
「分かってる。だから、あの白い環には勝手に触らない」
「……それなら、私も行きます」
「最初からそのつもりでしょ」
リゼリアに言われ、シュテルは少しだけ目を逸らした。
右手首の鎖が外れたおかげで、リゼリアも身軽になった。赤い痕は残っているが、魔札を操るのに支障はなさそうだ。
俺は《赤鐘》の装填を確かめ、銃を収めた。グレネードの準備も済んでいる。
ただでさえ傷が痛む。今夜はできれば、撃たずに帰りたい。
◇
旧塩倉庫へ通じる排水路は、潮が引いたときだけ人が通れる。
水門の番人から奪った通行札には、鐘が3度鳴ると外側の格子が上がるとあった。昨日のうちに確認した合図だ。
石橋の下で身を屈める。膝を濡らす程度の海水が、奥へ細く流れていた。
「足元、左側を歩いてくれ。右は石が割れてる」
「承知しましたわ」
先に俺が入り、リゼリア、シュテルの順に続く。
頭上で鐘が3度鳴った。石壁の向こうで鎖が軋み、少し遅れて右手の点検扉が内側へずれる。
「今だ」
扉の向こうは、地下荷役場の外れにある空の点検室だった。部屋の奥にもう一枚、倉庫側へ開く扉がある。鍵は掛かっていない。
中へ入るとき、シュテルが床の溝に目を留めた。
「この線……人の身体に繋がる術式と似ています」
「警報か?」
「今はまだ分かりません。踏まないでください」
溝を跨ぎ、細い廊下を進む。扉の隙間から見えたのは、昔の塩倉庫とは思えない光景だった。
天井には搬送用の鉄路。床には新しい導管。作業着の連中が荷車を押しているのに、掛け声ひとつしない。
荷車が角を曲がっても、次の奴が同じ位置へ進む。人間が運んでいるというより、機械の歯車を眺めているみたいだった。
右袖を見れば、白い光が布の下から漏れている。
「ロイの言ったとおりだ」
あの二重の袖は、認証環を隠すための注文だったらしい。
荷を降ろした男がよろめき、棚に手をついた。すぐに腕の環が赤く光る。
「……っ、ぁ」
声にならない呻きが漏れた。男は震える足を引きずって、また箱を持ち上げる。
休むことすら許されないのか。
シュテルが一歩出かけたが、俺は首を振った。男の周りには別の作業員が6人。奥には監督役がいる。今飛び込めば、あいつら全員を巻き込む。
「先に、何を運ばされてるのか見よう」
シュテルは唇を結び、それから頷いた。
◇
中央の輸送台に、蓋のずれた木箱があった。
隙間から覗いたのは古い契約書と、片耳の欠けた木馬。それから髪を束ねた小袋がいくつも。
「こんなものを、わざわざ夜中に?」
リゼリアが魔札を1枚だけ出し、箱の蓋を持ち上げないよう隙間を照らした。
「……《記憶痕》ですわ。人の名前に結びついている品を集めているんですのね」
「売り物には見えねえな」
「そうですわね。少なくとも、普通のお客様が買い求める品ではありませんわ」
箱の側面には王立名録院の封印。さらに別の紙札が釘で留めてあった。
俺は見張りが背を向けたところで紙札を外し、棚の陰へ戻る。
荷受けの控えだ。
送り手は港湾管理組合。受け取り先は聖オルディア教会の保管施設。下には品目と数量、搬送許可を出した者の印が並んでいた。
人員欄には47人。給金の受取先には、作業員の名前ではなく組合の口座が書かれている。
……ロイが言ってた未払いの金も、ここに流れてるのかもしれない。
「……教会だと?」
「見せてください」
シュテルが紙の端を持つ。
封蝋を見た途端、顔色が変わった。
「中央の承認印です。搬送先も、教会の管理施設になっています」
「こっちは港の帳面だぞ。両方に印があるってことは……」
「ええ。港の人間が勝手に持ち出していたわけではありません」
リゼリアは、控えの下段を指でなぞった。
「こちらにも《無名簿》で見た符号がありますわ。同じ荷の記録と考えてよさそうね」
欄外には、白い羽根の形をした印が押されていた。
その横に小さく、〈白鳥・搬送承認〉。だが、誰が押した印なのかは書かれていない。
「白鳥まで噛んでるのか」
《黒宴》で見た仮面を思い出す。あの連中が、ここでも荷を引き取っていたらしい。
「承認者の名前はないんだな」
「ええ。でも、港と教会の印が揃っているところに、これですもの。偶然とは思えませんわ」
「だな。誰が押したかは後で調べよう」
俺は控えを畳み、内ポケットへしまった。棚の帳面はそのままにしておく。ここで荷が欠ければ、向こうに知られるだけだ。
少なくとも分かったことがある。
港湾管理組合は、名前に関わる品を集めている。教会はそれを正式に受け取っている。白鳥は搬送を承認している。
誰かが勝手にやった仕事じゃない。
◇
奥の機械室から、金属の擦れる音がした。
作業員たちが運ぶ箱は、すべてそこを通る。俺たちは棚の裏を回り、機械室の格子窓へ寄った。
中には大きな操作卓と、床に半分埋まった真鍮の鐘。鐘の周囲へ白い導管が集まり、壁の向こうへ伸びている。
格子窓の先、操作卓の中央に、一人の男がいた。
左半身は焼けただれ、肩から腕にかけて黒い補強具で覆われている。金具を締め直す手つきには見覚えがあった。
グレゴール・ヴァイス。
2年前の火事で死んだと聞いた、港湾管理組合の前頭取だ。
あいつは補強具を動かすたび、机へ片手をついていた。その机から伸びた白い線が、両腕の環へ繋がっている。
シュテルが小さく息を呑んだ。
「……《聖冠》」
「何だって?」
「教会では、あれを聖なる結界だと教えています。でも……」
彼女は格子に手を掛け、内側の白い線を見つめた。
「《白冠》と同じ術式です。《聖冠》は、教会がそう呼んでいるだけの名前なんです」
リゼリアが顔を上げる。
「《白冠》……?」
「はい。あの輪をご覧ください。《名核》から魔力を集め、別の対象へ流し込む経路です。私が教会で学んだものと一致しています。普通の治療術式ではありません」
シュテルが示した先で、白い線が脈を打った。グレゴールの補強腕が動き、遠くにいた作業員が胸を押さえる。あいつの動きに合わせて、人の身体から何かが引き出されている。
「じゃあ、あいつが生きてるのは……」
「認証環で繋いだ人たちの《名核》を、利用している可能性が高いです」
「自分のために、あの連中を働かせてるってわけか」
「働かせるだけではありません。命を維持するためにも……」
シュテルは言葉を切った。
リゼリアは、じっと鐘を見ていた。
「……お父様の裁判で、《白冠計画》という言葉が出てきましたわ」
いつもの調子より少し低い声だった。
「父は、あの計画のために人を犠牲にしてはならないと……そう訴えていました」
「つまり、王国もこれを使ってるのか?」
「まだ分かりません。ただ……」
リゼリアは途中で口を閉じた。
訊かなくても分かった。教会はなぜ名前を集め、王国はなぜそれを奪うのか。ここで見ているものが本当なら、考えたくもない理由が浮かぶ。
そのとき、背後で床板が鳴った。
「誰だ!」
監督役の声。
振り向いた俺の足元に、警報用の白い線が灯った。廊下の奥から人影が迫る。
「見つかった。機械室へ入るぞ!」
格子の横にある扉へ駆けた。リゼリアの札が錠の外側を叩き、閂が跳ね上がる。
3人で機械室へ飛び込み、俺は背後の扉を閉めた。廊下側の閂を落とすと、すぐ外で足音が止まる。
正面には荷役場へ通じる広い搬送口がある。そちらからは、作業員の列が途切れず入ってきていた。
グレゴールがゆっくり顔を向けた。
「……赤鐘の小僧か」
「ご無沙汰だな。葬式に呼ばれなかったんで、挨拶が遅れた」
「相変わらず、口の減らん奴だ」
「おかげさまで。それより、死んだ男が何でここにいる?」
グレゴールは笑わなかった。
「2年前の火事で半身を失った。医者にはもう保たんと言われてな」
左腕の補強具が低く唸る。
「教会が繋ぎ止めてくれた。俺の命と引き換えに、港の輸送路を使わせろとよ」
「で、自分が死んだことにして、裏で荷を運ばせてたのか」
「死人にまで帳簿を付ける役人はいない。表の組合は表の仕事をすりゃいい。俺は、こっちを回す」
「そのために人の名前を奪った?」
「名を持ったままじゃ逃げるだろうが。連中は荷を運ぶ。それで俺も生きられる。余計なことを考えなきゃ、誰も困らん」
機械室の外で、作業員が呻いた。腕の環が赤く光っている。
「困ってる奴なら、すぐそこにいるぞ」
「あいつらは俺の命令で動く。それで十分だ」
ああ、そうか。
こいつは昔から、港の荷を数えるのが上手かった。人間まで荷にしたら、もう区別がつかなくなったらしい。
グレゴールの視線がリゼリアへ移る。
「それで、お前が黒薔薇か。《無名簿》を持ち出した女を探せと、白鳥がうるさくてな」
「まあ。そちらにもご迷惑をお掛けしましたのね」
「返してもらおう」
「お断りいたしますわ」
返事より先に、グレゴールの補強腕が操作卓を叩いた。
ごん。
鐘が一度だけ鳴る。
外の荷役場で、足音が揃った。
◇
最初に入ってきたのは鉤棒を持つ男が3人。後ろから運搬鎖を引きずった2人が続く。
「下がってください!」
シュテルが《ステラ・シールド》を斜めに立てる。鉤棒が盾の上を滑り、天井へ逸れた。
俺は左から来た男の手首を銃身で押し、鉤棒を取り落とさせた。身体は止まらない。空いた手で俺の首を掴もうとしてくる。
「おい、無理に来るなって!」
足を引っかけると、男は膝から崩れた。シュテルの小盾が床との間に入り、頭を打つのを防ぐ。
右側ではリゼリアの魔札が2枚、柱と荷車の枠へ貼りついた。そこへ細い赤糸を張り、作業員の進路を区切る。
「皆様、こちらへは来ないで!」
聞こえていないわけじゃない。男が一瞬こちらを見たのに、身体だけが勝手に踏み出した。
足を止めようとした拍子に、腕輪が赤く染まる。
「シュテル、あの環が……!」
「分かっています! 無理に止め続けると逆流します!」
赤糸を張ったリゼリアがすぐ緩めた。作業員たちはつんのめりながらも、また俺たちへ向かってくる。
グレゴールが補強腕を振った。
「邪魔だ、退け」
労働者が左右へ割れる。
空いた通路を、本人が突っ込んできた。
速い。
巨体を補強具で引きずっていると思ったら大間違いだった。左腕を引いたまま右足から踏み込み、腰を回して拳を撃ち込んでくる。
俺は銃身を斜めに立てた。受け切るつもりはない。腕の外へ滑らせ、横に抜ける――そのはずが、金具の角が銃身を噛んだ。
「くっ……!」
足を踏み替えて銃を引く。火花が散った。左肩をかすめた拳が、背後の木枠を一撃で砕く。
続けてグレゴールは、割れた枠の端を掴んで振り払った。
木片が飛ぶ。俺は身を沈めたが、脇腹に一片が当たって息が詰まった。
「昔から反応だけはいいな、赤鐘」
「そっちは随分、力が強くなったな!」
「ただの補強具だと思うなよ」
次の一歩に合わせ、グレゴールはわざと左側を空けた。
誘いだ。
そちらへ回れば、外で待っている労働者の鉤棒と挟まれる。踏み込もうとした足を止め、代わりに後ろへ下がる。
その瞬間、グレゴールの踵が床の導管を踏んだ。
白い線が跳ねる。
機械室の外から、作業員がさらに流れ込んできた。
「……あんた、そいつらを盾にしてるだけじゃないんだな」
「港の喧嘩で覚えたことを、忘れるほど耄碌しちゃいない」
俺が下がる先まで、こいつは読んでいる。
銃を向けても、背後に作業員がいる。避けようとすれば、補強腕が追ってくる。
「カルマ!」
リゼリアの声が飛んだ。
頭上の荷枠が視界に入る。空だ。左の支柱だけで吊られ、右の通路にはまだ誰も入っていない。
俺は荷枠の留め具へ銃口を上げ、引き金を絞った。
銃声が狭い機械室に跳ね返る。金具が弾け、空の荷枠が通路へ落ちた。作業員たちの足が止まる。
ただし、これで時間が稼げるのは少しだけだ。環が命令を出し続ければ、いつか乗り越えてくる。
背後でシュテルが息を整えた。
「カルマさん、これ以上は身体に負担が掛かります。先に環への命令を止めないと!」
「分かってる! でも、そいつを調べてる間、誰かがこの親父を相手しないとな!」
グレゴールは折れた木枠を足で払った。
白い線が両腕に集まり、補強具の隙間から光が漏れる。奥の作業員が胸を押さえたのが見えた。
グレゴール本人を撃てば、あの白い線を通して誰かが傷つくかもしれない。
けれど、手加減して止まってくれるような相手でもない。
「リゼリア、シュテル。環の方を頼む!」
「ええ。カルマも無理はなさらないで」
「後で言ってくれ!」
シュテルの盾が俺と作業員の間へ入る。リゼリアの魔札が鐘の周囲へ散った。
グレゴールが口の端を吊り上げ、また一歩踏み込んできた。
俺は《赤鐘》を構え直す。
グレゴールの補強腕が軋んだ。奴が踏み込むより早く、俺は半歩、横へ出た。




