第24話 船底に届く歌
舞台の上では《無名簿》の照合が進む。その頃、シュテルは船底で、魔力制御のために声を出し続けさせられている少女と、封印棺の人々を探していた。
競売場の小槌は、船底までは響かない。
代わりに聞こえるのは、隔壁の向こうを流れる水の音と、機関の低い唸り。それに混じって、少女の声が細く伸びてきた。ひとつの音を引き伸ばし、短く区切ってはまた続ける。旋律も歌詞もない。あれを「歌」と呼ぶのは、誰なのだろう。
ついさっき、見張り廊下から見下ろした競売場では、少女が2300金貨で売られていた。
盗まれた祭冠にも、押収された兵器にも腹が立った。でも、少女の値段が読み上げられた瞬間は、手すりを越えて飛び出しそうになった。
止まったのは、私の腕を誰かが押さえたからではない。
あの子の首には、警報線へ繋がる札があった。私が飛び出したせいで何が起きるか、確かめてもいなかったからだ。
……そんな挙動不審だと目立つぞ。
赤鐘と呼ばれるガンマンの言葉が、今さら耳に戻ってきた。
私だって、分かっているつもりだったのに。
護送路の階段を下りきり、左右に延びる細い廊下を見渡す。右手は機関室。左手の鉄扉には、搬送票と同じ逆さの白冠が刻まれていた。
胸元の職務札を認証板へ押し当てる。
『護送担当、星盾』
短い確認音のあと、扉が内側へ開いた。
入るとすぐ、湿った鉄と薬液の匂いが鼻についた。温度も一段低い。目が慣れるまで立ち止まり、入口の位置と、足元の段差を確かめる。
倉庫の中央には幅の狭い通路が一本。両側に8基ずつ、黒い輸送棺が並んでいる。
合わせて16基。
私が運び込んだ空の棺は、この16基とは別に、入口近くの荷役台へ置いてある。蓋の留め金が少し擦れているから、見間違えない。
……よかった。動かされてはいない。
けれど、ほかの棺の蓋には人が動いた跡があった。内側から押されたのだろう、金属の縁がわずかに浮いているものまである。
その奥には、円形の隔離扉が一つ。扉の中央に刻まれた数字は13。
途切れそうな発声は、そこから聞こえていた。
◇
まず、いちばん近い棺に耳を当てた。
規則正しいようで、ときどき途切れる呼吸。鎮静術式が強すぎる。
「聞こえますか。今、蓋を開けますね」
返事はない。けれど、何も言わずに手を伸ばすのは嫌だった。
星刃を掌に呼ぶ。青白い刃を指先ほどの長さに絞り、留め金を横切る封印線へ沿わせた。
金属を断てば大きな音がする。切るのは、その内側を流れる術式だけ。
細い光が弾け、棺の周囲から魔力の気配が薄れた。
蓋を持ち上げる。小さく軋む音とともに、冷えた空気が漏れた。
中にいたのは若い男性だった。首には数字だけを刻んだ札。唇の色が悪い。
胸に手を当てて、呼吸と脈を確認する。脈はある。呼びかけへの反応は鈍いが、意識は完全には失われていなかった。
「ここから出します。少し身体を動かしますね」
星盾を薄く、身体の幅に合わせて形成する。背中と棺の底の隙間へ差し込み、盾を手前へ傾けると、男性の身体がゆっくり滑った。
私は肩を支え、通路の端へ下ろした。
盾を担架代わりにしても、遠くまでは運べない。ほかの棺にも人が入っているなら、なおさらだ。
次の棺を開ける。
女性が1人。3基目は年配の男性。4基目を開けようとしたところで、背後からかすれた声がした。
「……あんた、ここの人じゃないのか」
2基目の女性だった。身体を起こそうとして、肘から力が抜けた。
「無理に立たないでください。封印を切ったばかりで、まだふらつきます」
「じゃあ……何をしてるんだい」
「皆さんを外へ出しに来ました。ただ、出口はまだ確保できていません」
その人は入口を見たあと、奥の円形扉へ目を向けた。
「あっちに、子どもがいる」
「ずっと声を出させられている子ですね」
「声を止めると、あの子、痛そうに叫ぶんだよ。……ずっと、聞こえてた」
強く握られた自分の袖を、ようやく意識した。
「その子も助けます。今はここで休んでいてください。誰か来たら、棺の陰に隠れて」
立ち上がれない人に隠れろというのは無理がある。
私は入口側へ小さな星盾を置き、棺の陰に身を寄せるための空間を作った。
「動けそうになったら、この盾の陰へ。扉にはまだ近づかないでください」
女性は頷く。私は空の棺を倉庫の入口側へ半歩だけ引き、通路に入ってきた人間から3人が見えにくい角度へずらした。金属の脚が床を擦る音が、思ったより大きく響いた。
……これ以上、動かすのは危険ね。
そのとき、入口の向こうで足音が止まった。
◇
「搬送担当、何をしている」
黒服の監視員が1人、扉の隙間から顔を出した。左腰に警報具、右手には短い杖。こちらの足元に横たわる男性を見るなり、目が細くなる。
「封印の不調です。呼吸が弱くなっていたので、確認していました」
「許可なく開けるな。再封印する」
男が杖を持ち上げた。
「待ってください。その方はまだ――」
「商品を傷めるなと言っている。担当者なら分かるだろう」
分からない。
呼吸が弱くなった人を、もう一度眠らせる理由など。
でも、その言葉を口にすれば、男は警報具に手を伸ばすだろう。
私は彼の右足が敷居を越えるのを待った。
杖先が棺の留め金へ向いた瞬間、足元へ星盾を斜めに滑り込ませる。杖から放たれた細い光は盾の表面を伝って天井へ逸れ、男は不意の反動に腕を引いた。
「なっ――」
「《ステラ・レストレイント》」
もう一方の手で構築した星縛を、警報具へ伸ばしかけた左手首と杖の柄へ絡める。男を敷居の外へ押し戻し、廊下の配管と壁の手すりへそれぞれ固定した。
身体が二方向へ引かれ、男の足が止まる。
「抵抗しないでください。怪我はさせたくありません」
「離せ! お前は誰だ!」
「聖オルディア教会の聖盾審問官、シュテル・シュトラールです」
男が一瞬黙る。その視線が、床の星盾から私の顔へ移った。
「教会……? なら、これは上の許可が――」
「許可した人の話は後です。ここの封印はどうやって解除するんですか?」
「知るか!」
警報具に伸びかけた指が、星縛を引っ張った。
私は男の手元へ近づき、警報具を腰帯ごと外した。腰の留め金が硬い。ようやく外したとき、指の腹が少し痺れていた。
監視員を気絶させる必要もない。星縛は本人が暴れても緩まないように締めてあるし、棺に近づけなければいい。
ただ、いつかほかの見張りが来る。今のうちに、仕組みを確かめなければ。
警報具の金具に、短い番号が刻まれていた。床下の配管にある印と同じだ。
私は扉を閉め、内側から閂をかけた。男は廊下側に固定したままだ。返事を聞き取れないくらい、隔壁が厚い。
もっとも、助けを呼べないとは限らない。時間はそれほどない。
◇
棺の列のあいだにしゃがみ、床板を調べた。
個別の封印線は、棺の底から床へ伸びている。右の8基も左の8基も、途中で一本の太い線へ集まり、円形扉の手前を横切って天井へ上がっていた。
鎮静、拘束、再封印。
人を閉じ込めるための術式が、これほど手際よく組まれていることに、胸がむかついた。
私は星刃を床へ向け、主線の流れを確かめる。触れただけで冷たい反動が返ってきた。上から一定の間隔で魔力が送り込まれている。
ここを断てば、棺の封印は解けるかもしれない。
ただし、行き場を失った魔力が、寝かされている人たちへ逆流する可能性がある。
助けようとして命を奪ってしまっては意味がない。
円形扉へ近づくと、少女の声が少し大きくなった。短く、長く、また短く。決まった長さで声を出すたび、扉の中央に走る太い導管が明滅する。導管は舞台の方角へ伸びていた。
……声を魔力制御に使っている。
発声に合わせて魔力の流れが整えられ、導管へ送られているようだ。歌ではない。魔術を動かすために、子どもの喉を働かせ続けている。
「聞こえますか」
扉へ向かって声をかける。
少女は声を出し続けた。
「助けに来ました。聞こえますか?」
伸ばされた声が一瞬だけ震えた。聞こえたのかもしれない。けれど、それ以上は分からなかった。
刻印13の下には小さな蝶番と覗き窓がある。覗き窓には内側から薄い布が掛けられていて、誰かの姿までは見えない。
そのとき、声が途切れた。
「……っ」
扉の向こうから、息を詰める小さな声。
私は反射的に留め金へ手を伸ばした。けれど、金具に触れるより早く、導管が白く光る。
導管が明滅し、少女は苦しそうに息を吸った。次の音が、喉から無理に絞り出される。
胸の前に浮かべた星刃が震えた。
そのまま金具を切ってしまいたかった。もちろん、この扉を開けて中へ入るつもりで来た。
でも、切断の反動が中の子へ伝わる構造なら、私が今すべきことは別にある。
まず、あの光の流れを止める方法を探す。
円形扉の下部へ星盾を沿わせ、外側の導管と扉そのものの間に挟み込む。薄い盾が接続を一瞬弱め、少女の声から張り詰めた響きが少し抜けた。
効果はある。
ただ、この盾を押し込むだけでは主線を断ち切れない。上から送り込まれる魔力の量が大きすぎる。
額に汗が滲む。祈祷に使う魔力は大気から取り込んでいる。だからといって、身体に負荷がかからないわけではない。構築を維持する集中力も、すでに乱れかけていた。
……どうすれば。
胸元の赤い霊晶が小さく振動した。
◇
『……星盾、聞こえるか』
雑音の向こうから、男性の声がした。
「レッドベルさんですか。こちらは船底倉庫です。今、どちらに?」
『護送階段の下だ。そこまで来たら、やっと通じた』
上の競売場から、この霊晶へ直接声は届かない。それを知っていたから、連絡を待つだけにはしなかった。
「倉庫に16基の封印棺があります。奥には、声を使って魔力を制御させられている子が1人。床下の封印がすべて繋がっていて、簡単には切れません」
『分かった。……リズも今、舞台で妙なものに捕まってる。上の檻は俺が見てるが、こっちも手が足りん』
「捕まった?」
『帳簿に血を落としたら、白い鎖が出た。リズはそこで、自分の本当の名前を名乗ったらしい』
……本当の名前。
身分を隠しているとは感じていたけれど、どんな事情があるのかは知らない。彼女が自分で明かしたのなら、今ここで私が詮索することでもない。
「リズさんは無事なんですか?」
『まだ動けてる。だが、あの鎖は帳簿と繋がってる。撃って外せる類いじゃなさそうだ』
舞台の帳簿。そして、船底の導管。
「こちらの封印にも、上から魔力が送られています。奥の子が声で制御させられている導管は舞台へ繋がっています。もし帳簿と連動しているなら、上で術式が変わるたび、ここにも影響が出るはずです」
『ちょうど今、リズがそう言ってる。下の子に逆流させたくないらしい』
「私も同じです」
言葉が少し早くなった。
「舞台側の術式を止められますか。ここで主線を切ると、眠らされている人たちに魔力が戻ってしまいます」
『止める。だが、あっちも護衛に囲まれてる。時間をくれ』
「どれくらいですか?」
『保証はできない。……できるだけ早く知らせる』
返事をする前に、床下の主線が脈打った。
赤い霊晶を握ったまま、膝が少し揺れる。
この振動は、さっきまでの脈動とは違う。上で何か大きな術式が動いたらしい。
棺の留め金が、端から順番に白く光った。
「……レッドベルさん。今、主線が強まりました。棺の封印が再起動しかけています」
『聞いた。そっちは守れるか』
守れる。
そう答えたかった。
けれど、奥の少女と、通路に寝かされた人たちと、開いていない13基の棺。全部を小さな盾だけで覆うのは無理だ。
私は床に手を当て、魔力の流れを探った。
太い導管は円形扉の左を通り、二列の棺の間へ分岐している。その全体を一度に受け止められる場所が一つだけある。
倉庫の中央。
通路の真ん中に立てば、左右の棺と、扉から伸びる導管をまとめて囲める。半面、外から来る相手へ動き回って対処する余地はなくなる。
「今から、この部屋を障壁で守ります。一度張ったら、私は動けません」
『……なら俺がそっちへ行く。入口はどこだ』
「護送路を左へ。逆さの白冠の扉です。ただし、監視員が1人、外にいます。拘束してありますが、気をつけてください」
『分かった。リズにも伝える』
通信が切れる。
私は残された3人の方を見た。
女性が、横たわる男性の手を握っている。こちらに気づくと、疲れた目で頷いた。
「何か、するのかい」
「ここに障壁を張ります。少し明るくなりますが、驚かないでくださいね」
相手が頷くのを見て、通路の中央へ戻る。
入口を守らせていた小型盾と、隔離扉へ挟んだ盾をいったん解く。星縛は廊下の監視員を拘束したまま。これ以上、別々の術式へ意識を割けない。
両足を肩幅に開き、呼吸を整える。大きな祈祷は、術式を展開している間に身体の位置を変えれば崩れる。守る範囲を定めたら、最後までそこに立つしかない。
掌の前に、青白い星が一つ浮かんだ。
「《ステラ・サンクチュアリ》」
光の輪が床へ落ち、左右へ広がる。棺の列を囲み、円形扉の前まで届いたところで、床から半透明の壁が立ち上がった。主線からそれぞれの封印へ魔力が流れ込む位置を、星の膜がまとめて遮る。
壁の向こうの発声が、ほんの少しだけ楽になったように聞こえた。
その直後だった。
上から流れてきた白い魔力が、太い導管を駆け下りる。
障壁に触れた瞬間、足元へ鈍い衝撃が伝わった。
私は奥歯を噛みしめた。肩に刺すような痛みが走り、ひざが折れそうになる。けれど、ここで一歩でも動けば、眠っている人たちの上へ反動が落ちる。
円形扉の向こうで、声が途切れた。すぐに跳ね返ってきた罰の魔力が、障壁を強く叩く。
「……助けて」
今度は、はっきり聞こえた。
扉まで、ほんの数歩。
なのに私は、そこへ行けない。
手を伸ばしても届かない距離を、青白い光が満たしていく。
「聞こえています。……必ず、そこへ行きますから」
動けないまま、私は扉を見つめた。
助けるために張った障壁を、今は解けない。
誰かがあの子の元へ行けるようになるまで、私はここを離れられない。




