第23話 無名簿
――《ブラッドダイヤ》の搬入を。
競売人の声が、廊下の天井から降ってきた。
ご丁寧なこと。品物を運ぶより先に、売り主の逃げ道を塞いでくださるとは。
出品者通路の扉から、重い錠の音が響いた。つい先ほどまで出入りしていた係員が、こちらへは目も向けずに通路の奥へ消える。
赤い霊晶を握り直す。カルマからの連絡は、少し前に切れたばかりだ。
『特徴の似た女を逃がすな』。
誰に似ているのか。誰がそう命じたのか。肝心なところは曖昧なまま、女を閉じ込めることだけは迅速らしい。
今ここで扉を破るのは難しくない。《ブラッドアルカナ》なら12枚まで同時に展開できる。閂も錠も、壊そうと思えば壊せるでしょう。
問題は、その先。
舞台は霊晶灯で照らされ、客席には護衛と監視術式。ここで暴れれば、先ほど競りにかけられた少女も、船の奥で声を出し続けさせられている子も、別の場所へ移されるかもしれない。
ならば、壊すのはまだ早い。
「女爵様。こちらへ」
黒い手袋の係員が現れた。腰には鍵束。手にしているのは、わたくしが預けた硝子箱だった。
「鑑定は済みまして?」
「はい。まもなく、お預かりした宝石の競りが始まります」
「では、舞台の見えるところで拝見させていただけるかしら」
「出品者は舞台脇でお待ちください」
「承知しました」
係員の腕に抱えられた硝子箱の中で、深紅の光が揺れた。あれだけ手間を掛けて作ったのだもの。せめて、買い手の反応くらいは楽しませていただきましょう。
扉の向こうから再び歓声が上がった。先ほど、あの少女が2300金貨で売られたときにも、同じ音がした。
背筋が冷える。
あの子が売られるまで、客の誰一人として席を立たなかった。王立保管庫の禁制品も、盗まれた祭冠も、人間も。小槌が鳴れば、同じように拍手する。
次は、父の遺品と称する赤い石へ、どんな値を付けるおつもりなのかしら。
◇
「続きまして、第12出品! 《ブラッドダイヤ》! 実に100カラット! これほどの大粒は、王宮の宝物庫でも滅多にお目にかかれません!」
銀の仮面を着けた競売人が、高らかに両手を広げた。
舞台袖から、黒い布を敷いた台座が運ばれる。硝子箱の蓋が持ち上がった途端、燭光が深紅の結晶で幾重にも折れた。客席の壁から天井へ、赤い光点が踊る。
「そして、注目すべきはその来歴! 3年前、王都にて処刑されたノワールヴェイン公爵。その遺品と伝えられる、世にも珍しい血色の宝石でございます!」
思惑どおり、客席の空気が変わった。
「ノワールヴェインだと?」
「処刑の際に財産は没収されたはずでは?」
おや。そこを気になさる方もいるのね。
けれど、すぐ別の声が重なった。
「赤い石なら、我が家の紋章に似合うな」
「公爵家の遺品を首飾りに仕立てたら、王都でいい話の種になるぞ」
……まあ。本当に素敵なご趣味ですこと。
「鑑定では、100カラット相当の寸法と重量、精緻な結晶面を確認しております! ただし公爵家の所蔵品であったことを証明する記録は、今回付属いたしません。来歴の真偽も含めて、皆様のご慧眼にお任せいたしましょう!」
それでも会場は引かなかった。むしろ、証明できない物語に値を付けることまで、娯楽の一つらしい。
「開始価格、5000金貨!」
「8000!」
「12000金貨!」
金獅子の仮面が、隣席を押しのけるように札を上げた。
「15000! 公爵家の遺品なら、それくらい払う価値はある!」
「19000金貨」
黒山羊の仮面が声を張る。
「石だけでも大したものだ。ほかの家門の話などどうでもいい!」
……あらあら。少しばかり本音が早すぎませんこと。
「22000!」
「25000金貨!」
競売人の声が一段と弾んだ。杯を叩く音、椅子が軋む音。つい先ほど少女へ値札を付けた客たちが、今度は偽物の石に熱を上げている。
その中で、奥の席から一つだけ声が飛んだ。
「処刑された家の遺品を、誰が持ち出せた?」
目を向けるより早く、周囲の歓声に掻き消された。仮面の色さえ見分けられない。
そちらをもう一度確かめたかったけれど、前列の客が立ち上がり、視線を遮った。
「28000金貨! それ以上を出す方は?」
2度、3度。小槌が卓を叩いた。
「落札!」
拍手が湧く。石が収められた硝子箱は、落札者の名を記した札とともに係員へ渡された。品代の清算は閉会後だそうだ。
まあ、なんて景気がよろしいこと。
父の名に反応した者もいた。けれど、大半が見ていたのは石の大きさと、名門の悲劇を飾りにする値打ちばかり。父が何を遺そうとしたかまで考える方は、少なくともあの騒ぎの中には見当たらなかった。
……価値を知る方を探すつもりが、値段の好きな方ばかり集めてしまったようね。
大枚をはたいた方には申し訳ないけれど、最初からお売りするものなどございません。
あの深紅の石は《ブラッドアルカナ》が形を与えた偽物だ。術式を解けば、どなたの金庫に収められていようと消える。わざわざ買い戻したり、騒ぎを起こして取り返したりする必要はない。
もっとも、今すぐ消してしまえば、競売の目が一斉にこちらへ向く。こちらにはまだ《無名簿》を確かめる用事が残っている。
……もうしばらく、夢を見ていていただきましょう。
◇
「大層なお品をお持ちでしたね」
舞台袖へ戻ると、白い鳥の仮面をつけた男が壁際に立っていた。
白い羽根の留め金。声には薄い魔導具の響きが重なり、年齢も掴めない。
カルマが追っていた人物かしら。
「皆様、ずいぶん楽しんでくださったようですわ」
「ご自身は、さほど嬉しそうではありませんね」
「わたくしが知りたいのはお値段ではありませんもの」
「ノワールヴェイン公爵の遺品、と。珍しい来歴です」
「さあ。本当のところをご存じの方がいらっしゃれば、お話を伺いたかったのですけれど」
男は一拍、黙った。
反応はあった。けれど、この方が何に興味を持ったのかまでは分からない。仮面の下の顔も、声の調子も、よく隠していらっしゃる。
「では、最後の品もご覧になる?」
「招待状には《無名簿》とありましたわね」
「ずいぶん注目されています。手にすれば、王都での立場が変わると信じている方もいるようで」
「ご自身は信じていらっしゃらない?」
「価値を決めるのは買い手です」
便利な言葉ですこと。
「中身を見た方は?」
「正式な照合を済ませるまでは、お見せできません」
「では、皆様は何に値段を付けるおつもりなのかしら」
「それでも買いたい、と仰る方がいるのでしょう」
男は一礼し、奥へ引いた。
近くで護衛の靴音が増える。追おうとしたわけでもないのに、ひどく警戒されているらしい。
赤い霊晶へ触れる。
「カルマ。わたくしの品、随分と高く評価されましたわ」
『見てた。あんな石、どこから持ってきたんだ?』
「お話しすると長くなりますの」
『……あんた、何か仕込んだな?』
「さあ。お客様のご期待に応えられたなら、よろしいのでは?」
『今の笑い方、ろくなこと考えてないだろ』
「買い手の目を確かめただけですわ」
短い笑いが返った。
その向こうではまだ客席が騒がしい。わたくしも、ほっとしている場合ではない。
「出品者通路は施錠されました。こちらを調べる方も増えています」
『分かった。客席から回れる道を探す。もし通れなかったら――』
「騒ぎは起こさずに、と仰るのでしょう?」
『言う前に取るなよ』
「先ほどの少女は?」
返事まで、一拍あった。
『閉会後に引き渡しだ。それまでに連れ出す方法を探す』
「では、わたくしも出口を一つ探しておきますわ」
『頼む。まだ俺たちだけの問題じゃない』
そこで通話を切った。
どうやら、必要なときだけとはいえ、こちらの都合を伝えられる相手が増えたらしい。
◇
次の競りは、銀色の首環だった。
「第13出品! 対象の公名を一時的に剥がし、新たな呼称を定着させる《従属環》! 保管も移送も難しい、特別な禁制術具でございます!」
女主人の仮面が札を上げる。
「旧名を呼ぶ者が残っていても効くのかしら」
「定着には条件がございますが、実用試験では高い成功率を――」
「試す相手は選べるのか?」
別の席から男の声。
競売人は一度も、本人の意思という言葉を使わなかった。
1200金貨から始まった競りは、2100、2800と上がり、最後は3700金貨で小槌が鳴った。
落札した女主人が、隣の男に何かを囁く。男の笑顔が引きつった。
どこかへ運ばれていった《ブラッドダイヤ》を思い浮かべる。あの石は、わたくしが許す間だけ形を保つ。
父が追っていたものと、消された人々の名前がどう繋がっているのか。その手掛かりが欲しい。持ち込んだ宝石では、肝心なことを知る人間はほとんど見つからなかった。
けれど、この会場の人間が使う『名前』という言葉は、わたくしの知っているものとは、随分と違うらしい。
次の品が運ばれてくる前に、天井の灯りが暗くなった。
舞台に置かれたのは、宝石でも古文書でもない。細い導管を束ねた、白い金属の台座だった。
「続いて、第14出品! 実演付きの特別出品、《歌唱接続器》でございます!」
競売人が指を鳴らす。
奥から少女の声が聞こえた。
短い音を長く伸ばし、切り、また繋ぐ。歌ではない。息継ぎの間さえ足りていないのに、声を止めることを許されていないのだ。
客席が静まった。何人かの貴族は少女の苦しそうな声には目もくれず、自分の仮面に刻まれた認証紋を覗き込んでいる。
「声を媒介に、登録された呼称へ応答を返す術式でございます。今宵は特別に、実際の反応をお確かめください」
少女の発声が短く切り替わった。
その変化に合わせて台座の細い針が跳ね、客席の仮面に淡い光が点る。
「おお……!」
「これほど遠くから認証が通るのか」
「開始は1800金貨! この機会をお見逃しなく!」
「2400!」
「3200金貨。遠く離れた場所でも使えるのか?」
「設置条件は、ご落札後にご案内いたします」
「4100金貨!」
どこかで椅子が軋んだ。
わたくしは、思わず奥の壁を見た。声の主はそこにはいない。船底から延びた導管が、少女の発声を壁の裏で増幅している。
あの子を道具にして、何を試しているのか。
札が1枚、袖の下で静かに開く。床を伝わせれば、壁の向こうの導管に届くかもしれない。
だが、その前に通信晶が震えた。カルマだ。
『例の声、聞こえてるか』
「ええ。舞台から聞こえています。そちらも?」
『ああ。星盾は船底へ下りた。あいつが探してる子も、そっちにいるかもしれん』
「連絡は?」
『まだない。下は厚い隔壁だ。俺たちの霊晶じゃ声が届かないだろうな』
それなら、いま舞台で騒ぎを起こすわけにはいかない。シュテルさんは、何も知らないまま船底で警報に巻き込まれる。
「カルマ。あの方のところへ通じる道を探していただける?」
『探してる。先に檻の警報も外さなきゃならん。あんたは帳簿の方を頼む』
「お願いされなくても、そのつもりですわ」
『だろうな』
通話を切る。
舞台の台座が大きく明滅した。
少女の声が細く震える。その声を魔力の制御に使っているのなら、声を止めた瞬間に何が起きるのか。今のわたくしには、それを止める位置すら分からない。
……だから、任せるしかない。
カルマは出口を探し、シュテルさんは船底へ向かった。自分だけでできることを増やすより、あの2人の手を塞がない方が早い。
客席では、落札を告げる小槌が鳴る。
競り上がった額は4100金貨。
こちらは、もう金額を覚える気になれなかった。
◇
「お待たせいたしました。今宵、最後の出品でございます!」
広間の空気が変わった。
豪奢な衣装の客たちが杯を置き、互いの仮面を見比べる。金獅子は椅子を前へ寄せ、青魚は指輪を外して懐へしまった。
これまでの品々を買い集める者ですら、最後の一品には、簡単に札を上げられないらしい。
舞台の幕が、ゆっくり左右へ開いた。
白い王冠の留め金で閉ざされた、厚い黒革の帳簿。
表紙には題名がない。
「第15出品。《無名簿》!」
歓声より先に、長い沈黙が落ちた。
それから、競売人が笑みを深める。
「王国で失われた公名に関する、極めて貴重な記録でございます。何が記され、何ができるのか――それを今夜、皆様にご覧いただきます!」
「監査権限は本物なのか!」
金獅子の仮面が叫んだ。
「そうだ、名録院との接続はどうなっている!」
「監査の一部でも握れれば、王家の側近へ近づける。値段の付けようも変わるぞ!」
声が重なる。
わたくしの求めるものと、あの方々の期待するものが、同じ帳簿に重なっているらしい。
競売人は慌てなかった。
「どなたにも保証していない噂については、お答えいたしかねます。ただし、一定の条件を満たした方には、帳簿が実際に応じるところをお見せできましょう」
……条件。
黒革の表紙が、霊晶灯の下でわずかに波打った。見た目にはただの帳簿なのに、舞台周囲の術式だけが、先ほどから絶えず形を変えている。
閉じたままの書物を守るために、これほどの魔力を使う必要があるのかしら。
「開始価格、5000金貨!」
「7000!」
「8000金貨!」
青魚が札を上げる。
「10000金貨!」
金獅子の声に、場内がどよめいた。
「12000金貨」
奥の暗い席から、落ち着いた声。
いままで一度も競りに加わらなかった、銀の鹿仮面だった。
「12000金貨! ほかにいらっしゃいませんか!」
「本物だという証明が先だ!」
今度は別の客が立ち上がった。競売人はうやうやしく頷く。
「ごもっともでございます。ご希望にお応えし、最終入札の前に、試験的な照合を行います」
舞台の両脇で、護衛が位置を変えた。
立っていた係員が、こちらを向く。
「リズ・ヴァーレン様。こちらへお越しください」
……あら。
品物を預けただけの女爵へ、ここで何をさせるおつもり?
「《ブラッドダイヤ》の競りは、もう済んでおりますでしょう?」
「ええ。そちらの件とは別に、ご協力をお願いしております」
「断ったら?」
係員は答えず、背後の扉を見た。あの扉は、先ほどから施錠されたままだ。
断る自由を示したつもりらしい。
それにしても、ずいぶん正直なご招待ですこと。
赤い霊晶を指で押した。
「カルマ。舞台に呼ばれましたわ」
『見えてる。嫌なら引き返せ』
「引き返す道は塞いでおいて、素敵なご忠告ですこと」
『そっちは開ける。無理するなよ』
「わたくしにも、確かめたいことがありますの」
わずかな沈黙。
『……分かった。なら、出口の方は俺が見る』
「ええ。お願いします」
霊晶を離す。
壇上の帳簿から目を逸らさない。
父が見ていた記録に、あれは繋がっているのか。名前を奪われた人々について、何が書かれているのか。
ここまで来たのは、その答えを探すためだ。
けれど、あちらはなぜ、わたくしを呼ぶのか。
向こうが確信しているのなら、わざわざ試験などする必要はない。だからこそ、まだ隙がある。
わたくしは舞台へ歩き出した。
◇
「今夜のお名前を」
競売人が手のひらを上に向ける。
「リズ・ヴァーレンですわ」
帳簿の留め金に、細い白光が走った。
脇に置かれた認証板へ『一時公名』の文字が浮かぶ。続いて、もう一行。
『上位照合には不足』
客席がざわめく。
「失敗ではありません。今宵の仮名としては、きちんと通用しております」
競売人が場を取り繕った。
「ただ、より深い照合には、ご本人にしか答えられないお名前が必要な場合がございます」
――なるほど。
最初から仮名の客が大勢いる場所で、本名を要求なさるわけね。
ほかの客にはさせないことを、わたくしだけに。
留め金の細い光は、わたくしの胸元ではなく、手袋の奥へ延びようとしていた。血を探っている。名乗りより、その奥にある何かを。
仕掛けの正体までは分からない。それでも、ここで試そうとしているのが帳簿の価値だけではないことは分かった。
「お答えになれませんか?」
競売人が尋ねる。
12枚の《ブラッドアルカナ》が、袖の内側で静かに散開した。今すぐ誰かを斬るためではない。舞台の足場、退路、帳簿の四隅。逃げる道と、残すべき品を見極めるためだ。
名前を明かせば、三年前に失った平穏へ戻れなくなる。
もともと、そんな平穏がまだ残っているとは思っていない。
でも、名乗った先で何が起きるか分からない以上、選ぶのは怖い。
……怖いから、選ばない?
父なら、どう答えるかしら。
懐中時計の重みが、礼装の内側で小さく揺れた。
わたくしは仮面を外した。
「リゼリア・ノワールヴェイン」
一拍遅れて、客席の後方から椅子の倒れる音がした。
「ノワールヴェイン……?」
「処刑された公爵の娘じゃないか」
舞台脇の護衛が、慌てて剣に手をかける。競売人の声が上ずった。
「確認を、続けます」
「どうぞ。こちらの名前でお確かめなさい」
掌に浅く傷をつけ、血を一滴だけ留め金へ落とした。
白い光が脈打つ。
『照合一致』
文字を見た瞬間、胸の奥が冷えた。
……ああ。本当に、わたくしを待っていたのね。
帳簿の留め金が音を立てて外れた。
同時に舞台の床から白い鎖が跳ね上がり、わたくしの右手首へ絡みついた。予め伏せておいた札が動く。鎖の一本を弾いたが、床の別の場所からすぐ次が伸びてくる。
逃がすつもりがないのは、よく分かった。
……では、先ほどの売り物はもう必要ありませんわね。
《ブラッドダイヤ》へ与えていた形を、意識の中でほどいた。遠くへ運ばれたあの石がどう扱われていたかは分からない。でも、解除は一瞬。それで終わりだ。回収に走る必要もない。
数拍遅れて、客席の向こうで甲高い声が上がった。
「《ブラッドダイヤ》が消えたぞ! 箱の中が空だ!」
ざわめきが波のように広がる。何人かの護衛が声の方へ振り向いた。
――けれど、こちらもまだ終わりではない。
舞台の下で、どこか遠く、無理に続けさせられていた少女の声が悲鳴に変わった。
霊晶を握りしめる。
「カルマ。……帳簿が開きますわ。シュテルさんに届く道が見つかったら、知らせて」
『了解。そっちも――』
声が途切れた。
黒い表紙が、ひとりでに持ち上がる。
そして、頁をめくるより早く、白い鎖が手首を強く引いた。
招待されたのは、わたくしではない。
――この名前だったのね。




