↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/77

第15話 赤鐘への依頼



「辺境貴族リズ・ヴァーレンを、《黒宴》へ入れるな」


 そう言った男は、自分の名前を名乗らなかった。


 《錆鐘亭》の2階。薄暗い客室の卓には、金貨が10枚並んでいる。男は灰色の外套を着込み、指先まで手袋で隠していた。声まで魔導具で変えているとくれば、顔を覚える意味もない。


 代わりに、覚えておくものはある。


 金貨を並べる順番。扉を見る回数。こちらが「誰の依頼だ」と尋ねたとき、ほんの少しだけ動いた右手。


「入れるなってのは、どういう意味だ。会場の外で追い返せばいいのか?」


『招待状を奪え。負傷の程度は問わない。ただし、血は一滴も残すな』


「随分と細かい注文だな。殺すのは構わないが、血を流すなって?」


『手首と喉も傷つけるな。必要なことはすべて伝えた』


 なるほど。伝えたつもりなのは、そっちだけだ。


 邪魔なら足止めすればいい。招待状が欲しいなら盗めば済む。それなのに、傷つける場所まで指定する。


 標的を殺したいわけじゃない。もっと厄介な連中に渡す前に、そいつを確保したい――そんな注文に聞こえた。


「リズ・ヴァーレン。どんな女なんだ?」


『王国北西端の小領地を継いだ女当主だ。公名と爵位は照合済み。余計な詮索はするな』


「余計かどうかは、こっちで決める。10日前まで宿泊記録にいなかった女が、急に辺境領主になったんだろ?」


 男の右手が止まった。


 知らないふりをしてくれた方が、まだ信用できたんだがな。


 港へ戻って5日になる。


 薬箱の二重底から助け出した青年は、番号の代わりに「テオ」という名前を選んだ。本人を安全な場所に預けた後、《第9封鎖倉庫》を調べたが、積荷はすでに《黒宴》へ移されたという話しか出てこなかった。


 白い羽根を使う連中の素性も、その先へ運ばれた人間の行方も、まだ分からない。


 そんなところへ、同じ《黒宴》に関わる仕事が転がり込んできた。


 偶然なら、少し出来すぎている。


「前金は半分でいい」


 金貨を5枚だけ引き寄せた。


『残りは成功報酬だ。条件を守れなかった場合は――』


「説明が違えば契約は破棄する。俺に嘘をついてたなら、残りの金はあんたから直接取り立てる」


『脅しか?』


「契約の確認だよ。仕事を頼む相手に顔も見せないんだ。それくらいは我慢してくれ」


 男は笑わなかった。


 金貨を外套へしまう。手袋の中に汗が滲んでいた。部屋は涼しいが、窓の外からは港の焦げた油と潮の匂いが上がってくる。


 依頼人は最後まで名乗らなかった。


 まあいい。名乗らない奴にも、追えるものはある。


     ◇


 翌日、弾薬工房の戸を開けると、金属を削る音が止まった。


「面倒な顔が来たな」


 店主のローデンが、作業台の向こうで眉をひそめている。


「客に向かって随分な挨拶だな。修理を頼みに来たんだが」


「お前に売る弾ならある。良心は売り切れだ」


「最初から棚に置いてないだろ、それ」


 《赤鐘》を台に載せる。


 アダマンタイト製の銃身には、昔つけた細い傷が一本。撃つ分には問題ないが、銃把のワイヤーの巻き取りが少し鈍っていた。


「赤糸を替えてくれ。最近、戻りが遅い」


「また人間でも吊ったか?」


「自分を2回。どっちも必要な移動だった」


「お前の身体は軽くない。いい加減、ワイヤーを運搬具と勘違いするなよ」


「平均的な体重だと思うが」


「身体より態度が重いんだよ」


 ローデンは呆れながら銃を分解した。


 店内には熱い機械油と金属粉の匂いがこもっている。奥では弾頭を磨く砥石が回り続け、壁際には注文待ちの銃がいくつも吊られていた。


 職人の口は堅いが、ここへ来る客の注文までは口を閉ざしきれない。


「白い羽根を3枚重ねた印に、見覚えはあるか?」


 ローデンの手が止まる。


「……何でそんなものを知ってる?」


「依頼書についてた。前にも荷札で見たことがある」


「だったら、もう関わるな。2年ほど前から、あの印を持った奴らが妙な道具を注文するようになった」


「妙な道具?」


「拘束環に眠り針、魔力封じ。どれも相手を殺さずに動けなくするためのものだ。値切らないくせに、納期にはうるさい」


「物騒な割には、親切だな」


「逆だろ。壊さずに運びたいものがあるんだよ」


 血を流すな。手首と喉を傷つけるな。


 依頼人の注文と、きれいに重なる。


「《黒宴》の護衛も同じ連中か?」


「それ以上は聞くな。俺の店まで巻き込む気か?」


「もう巻き込まれてるだろ。心当たりがある顔だ」


「顔を証拠にするな」


「銃を見ただけで修理箇所が分かる奴が言うと、説得力があるな」


 ローデンは溜息をつくと、棚の奥から空薬莢を取り出した。


 底に小さな刻印。上下を逆にした白い王冠。


「黒宴の護衛が使う弾だ。火薬も薬莢も王立工房の正規品。横流しの刻印じゃない」


 王国の工房から、闇競売へ正式な供給品が渡っている。


 嫌な話だ。


「承認した奴は分かるか?」


「そこまで知ってたら、とっくに店を畳んで逃げてるよ」


 薬莢を受け取ろうとした手を止める。


 俺が持ち出した後で、店に出入りした記録を辿られたら面倒だ。刻印だけ覚えて、台に戻した。


「代金は?」


「ワイヤーの交換分だけでいい。それと、余計なことはするな」


「安い上に説教までつくのか。随分お得だな」


「お前が真面目な顔をしてるときは、港で誰かが死ぬ。前からそうだろ」


「普段は善良そうな顔をしてるはずだが」


「鏡を買ってから言え」


 修理の済んだ《赤鐘》を受け取り、店を出た。


 扉を閉める前、ローデンが何か言いかけた。


 聞こえないふりをする。


 お互い、「気をつけろ」と言って別れたら、帰ってくる約束まで必要になる。


 そういう面倒な約束は、なるべく少なくしてきた。


     ◇


 今夜の《錆鐘亭》は、客入りの割に静かだった。


 少なくとも、俺が屋根へ上がったときは。


 窓の内側に、黒髪の女がいた。淡い紅を混ぜた毛先、赤い瞳。身につけた外套は上等だが、周囲の男たちを見る視線は、金持ちの娘が護衛を探すそれじゃない。


 見ているのは手元と出口。扉の閂を下ろされたときも、慌てた様子はなかった。


 それから赤い札が飛び、護衛の剣から光が消えた。


「……なるほど」


 辺境の貴族様にしては、ずいぶん腕が立つ。


 依頼書には、招待状を奪えとある。


 だったら店を出たところで手元から抜けばいい。わざわざ酒場の乱闘に飛び込む必要はない。


 そのつもりで銃を抜かずにいたが、向かいの屋根に動く影を見つけた。


 2人。


 黒い外套、長杖。こちらからは顔が見えない。1人は裏口の油樽へ、もう1人は屋根を支える梁へ狙いをつけていた。


 女を捕らえたいというヘルトの手勢とは、狙っているものが違う。


 店ごと焼くつもりだ。


「依頼人が何人いるんだ、この仕事」


 屋根に伏せ、路地の距離を測った。


 燈の下は明るいが、雨に濡れた屋根は暗い。向こうの男たちは、酒場から出てくる相手を狙うため、路地の先へ身体を向けている。


 こちらの位置は、まだ割れていない。


 先に長杖を撃てば、居場所を教えることになる。まずは、撃つべきものを別にする。


 酒場の扉が開いた。


 黒い外套が路地へ飛び出す。リズ・ヴァーレンだ。追手が続き、向かいの長杖が持ち上がった。


 撃つのは女じゃない。


 霊晶灯だ。


 《赤鐘》を構え、引き金を引く。


 硬い銃声が雨を裂いた。


 白い灯りが砕け、路地の半分が闇に落ちる。追手が足を乱し、前を走る女は、そのまま暗がりへ姿を消した。


 こちらの屋根にも、ようやく長杖が向けられる。


「遅い」


 男が火炎術式を起動する前に、通常弾を続けて撃つ。


 一発は杖先の金具へ。もう一発は足元の瓦へ。


 金具が割れ、男の体勢が崩れた。


 だが、もう1人は油樽への照準を捨てていない。


 倒れた方を確かめている暇はなかった。


 銃把の底から赤いワイヤーを射出し、向かいの煙突へ掛ける。巻き取りと同時に跳ぶと、今までいた屋根の端を火が舐めた。


 顔へ雨粒が叩きつけられる。


 着地した瓦は滑ったが、膝を落として体勢を殺す。銃身で男の杖を外へ払い、踏み込んで腹へ蹴りを入れた。


 男が瓦の上へ倒れた。


「誰の依頼だ。ヘルトか、別口か?」


 男は答えなかった。


 ただ、口元が動いた。


「おい、待て!」


 顎を掴んで口を開かせるより早く、歯の内側で小さなものが砕けた。苦い薬臭が鼻をつく。男の喉が痙攣し、身体が重くなる。


 毒か。


 すぐに呼吸を確かめたが、もう戻らない。


 最初に撃った男も、数歩先で崩れていた。


 口封じまで手慣れてやがる。


 死体の手袋を外す。


 掌には、白い鳥の焼印。


 薬箱の荷札にあった3枚の羽根とは違う。黒宴で上位客の認証に使われるという、白鳥そのものの印だ。


 人を荷として運ぶ側と、買う側。印を使い分けているのかもしれない。


 ヘルトの手勢は生け捕り。


 俺の依頼は招待状の奪取。


 こいつらは店ごと焼却。


 そのどれもがリズ・ヴァーレンを中心に動いている。


 誰が本当に何を欲しがっているのか。もう、依頼書の文面を信用する気にはなれなかった。


 屋根の反対側へ移り、遠ざかる足音を聞く。追手の一部は、まだ路地を探しているらしい。


 もう一度、発砲した。


 路地の角に残っていた霊晶灯が弾ける。追手たちが身を伏せ、女の逃げた方角とは反対側へ走り出した。


 面倒なのは分かるが、わざわざあちらを追いかける必要もないだろ。


 魔力圧縮は使っていない。通常弾だけで済んだのは上出来だ。


 ただし、弾を数える手つきが、いつもより少し乱れていた。


 さっきの男たちの死に方が、頭から離れない。


     ◇


 夜が明けてから、《錆鐘亭》へ戻った。


 表には放火未遂と乱闘の立札。港湾衛兵が封鎖しているが、裏手の戸には鍵もかかっていない。こんな警備で証拠が守れるなら、港の連中も苦労しない。


 酒の酸い匂いに、煤と濡れた木の匂いが混じっている。


 床には倒れた椅子、折れた短剣、血のついた布。誰のものか分からない血を拾って回るつもりはない。


 ただ一つ、確かめておきたいことがあった。


 あの女が使った赤い札。


 窓越しに見えたのは、血を固めたような長方形の魔術媒体だった。王都で処刑を逃れた《黒薔薇》にも、似た術を使うという噂がある。


 似ているだけなら、まだ証拠にはならない。


 だから、まず痕跡を見る。


 卓の下に、赤黒い染みがあった。


 床に落ちた酒の色とは違う。木目に沿って、ごく細く光っている。


 ところが、その周囲だけ拭かれていた。


 布の繊維が、床板のささくれに絡んでいる。


 港湾衛兵が入った形跡はない。女が逃げた後で誰かが来て、ここに残ったものを集めたらしい。


「血を残すな、ね」


 依頼人の言葉が蘇る。


 そいつが証拠を消したのか。それとも、ほかの誰かが血を欲しがったのか。


 しゃがんで卓の下を覗く。


 床板の隙間に、銀色の細いものが挟まっていた。


 抜き取る前に、布越しに先端を確かめる。


 採血用の魔導針。


 傷をつけるためではなく、わずかな血液と魔力の痕跡を残さず回収する道具だ。


 誰かが、リズ・ヴァーレンの血を集めようとしていた。


 依頼人は、血を残すなと言った。


 だったら、これは何だ。


 裏口で、床板が一枚軋んだ。


 《赤鐘》の銃口を、音のした方へ向ける。


「……出てこい。どうやら俺以外にも、忘れ物をした奴がいるらしいな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。