第12話 誰が名を預けたのか
「……中央教会の方も、ご一緒ですか?」
返事の代わりに、扉が開いた。
入ってきたのは黒い法衣の男が3人。先頭の男は短杖を手にし、残る2人が入口の左右に分かれた。法衣の襟元に、教会の正式な紋章はない。
廊下を塞ぐ配置。こちらを退出させるためというより、逃がさないための立ち位置だった。
「中央教会の記録管理を代行する。移送簿を渡してもらおう」
「所属部署とお名前をお願いします。代行を命じた方の公名も確認させてください」
「必要ない。汚染された記録を処分するだけだ」
記録汚染。
便利な言葉ではある。何をもって汚染と判断したのか、その説明まで省けるのなら。
「処分の前に、こちらをご覧ください」
移送簿を閉じ、封蝋の押された表紙を男へ向けた。
「移送人数は5人。行き先の施設名と、本人の同意を確認した記録がありません。もし誤記なら訂正すべきですし、違法な移送なら調査が必要です。いずれにせよ、焼いてよい書類ではありません」
「聖盾審問官の権限を越えている」
「祈祷と教会制度による被害の調査は、私の職務です。身につけた祈祷章で子どもが苦しみ、その調査の先にこの記録がありました。無関係とは判断できません」
先頭の男は、院長へ視線を移した。
「この女を入れたのか」
「彼女は、正式な巡回審問官です」
院長の声がかすれた。こちらに肩入れしたいというより、これ以上事を荒立てたくないのだろう。
「院長。5人の方は、どこへ移されたのですか?」
「……港の施設だ。中央から、特別救護を受けられると説明された」
「施設名は?」
「知らない」
知らないまま、送り出した。
その事実は重い。けれど、ここで院長を責め始めれば、目の前の男たちへ話を逸らす口実を与える。
「でしたら、送り先を確認するためにも記録を保全します」
男の短杖が持ち上がった。
「話は終わりだ」
杖先に集まった光が、まっすぐこちらへ伸びる。
人へ向けるには、あまりにもためらいのない動作だった。
「星盾!」
薄い星の面を斜めに置く。
光矢を正面で受け止めれば、腕にかかる衝撃が大きい。それに、背後には寝台と薬瓶がある。弾く方向まで考えなければ、守ったつもりで別の危険を作ってしまう。
星盾の縁をわずかに傾け、光矢を天井の梁へ逃がした。
乾いた破裂音。
古い木片と白い漆喰が降ってくる。
……そうでした。建物まで頑丈とは限りません。
もう一枚、寝台の上に星盾を広げる。落下した破片が表面で跳ね、薄い光が揺れた。午前中に14人分の祈祷章を処置した腕へ、痛みが戻る。
「院長、壁際へ! 頭を守ってください!」
院長が石柱の陰へ身を寄せた。
その間に、右の男が記録棚へ杖を向ける。
「焼却する!」
狙いは私ではない。移送簿だ。
先ほどまでの問いへの、なんとも分かりやすい回答だった。
星刃を短く形成する。人体を斬る必要はない。杖先と火の術式を結ぶ線だけを断てばよい。
踏み込み、刃先を接続線へ滑らせる。
灯りかけた炎が、火花を散らして消えた。
「なっ――」
「火を使うなら、せめて地下の換気を確認してからにしてください。ここには薬品もあるんです」
自分でも、ずいぶん場違いな注意だと思った。
男が杖を振り上げる。手首を切らず、星刃の幅を広げて柄へ押し当てた。魔力の流れだけが途切れ、握力を失った指から杖が落ちる。
背後で鎖の擦れる音。
残る男が、私の足元を狙って拘束鎖を投げていた。
避ければ、その先には院長がいる。
小さな星盾を鎖の輪の内側に作る。盾を斜めへ移動させると、鎖は床を滑り、石柱へ巻きついた。引き戻そうとした男の肩が、ぐいと前に持っていかれる。
力ではなく、向きを変える。
そうしておけば、こちらの体格など関係ありません。
……とはいえ、腕が痺れるのは別の問題ですが。
「審問官が、中央の仕事を邪魔する気か!」
先頭の男が新しい光矢を構えた。
「中央の仕事であるなら、なおさら公名と命令書をご提示ください」
「小娘が、口答えを――」
声が低くなったのを、自分でも感じた。
「私は20歳です。それと、まだ質問に答えていただいておりません」
その間に男の足元を見た。
右へ逃げれば、柱と寝台の間で動きが止まる。左へ逃げれば、仲間の杖とぶつかる位置。本人はまだ、そこに気づいていない。
星盾を床へ滑らせた。
片方だけ、足場の角度を変える。
前へ出ようとした男が身体を傾け、仲間と肩をぶつけた。杖先が跳ね上がり、光矢が天井近くの壁を焦がす。
そこへ一歩踏み込む。
足は動く。呼吸も乱れていない。ただ、星盾を維持する左腕だけが重かった。
星刃を指先ほどまで短くし、杖の術式を切断。落ちた杖を靴先で遠ざける。
「続けるなら、次は院長や患者さんにも危険が及びます。武器を置いてください」
男たちは互いの顔を見た。
こちらが剣を振り上げないと分かって、ようやく抵抗をやめた。
3本の杖が、石床へ転がる。
息を吐いた途端、膝が少しだけ笑った。
……いけません。あとで必ず休みましょう。
◇
3人を拘束してから、改めて所属を尋ねた。
先頭の男は黙ったままだったが、耳の後ろに白い羽根の焼印があった。ほかの2人にも、同じ印がある。
「この印は、中央教会の所属章ではありませんね」
「俺たちは《白鳥の翼》だ」
「団体名を尋ねたつもりはありません。命令した方のお名前を教えてください」
「名なんて、いずれなくなる」
妙な答えだった。
男は唇の端を上げる。
「名があるから苦しむ。なくなれば、苦しまずに済む。白い冠が救ってくれるんだ」
助けるために、名前を奪う。
救いと呼ぶには、ずいぶん勝手な話だと思う。けれど、彼が何を信じているのかと、実際に何をしたのかは分けておく必要がある。
「その救いを、移送された5人も望んだのですか?」
「どうせ使われなくなった者たちだ。買い手がつくだけ幸運だろう」
買い手。
冷たいものが背筋を伝った。
救護院の寝台に残っていたのは、薬瓶と毛布と、背丈を測った痕跡だ。その一つひとつに人の生活があった。それを、使われなくなったと一言で片づける。
「人に買い手がつくことを、幸運とは呼びません」
「港へ行けば分かるさ。黒宴には、もっと価値のある名前も集まる」
「5人も、そこへ?」
男は答えず、笑みを深めた。
知らないのか。話したくないのか。
どちらとも取れる以上、これ以上この男から結論を引き出すのは難しい。
記録棚へ戻り、移送簿の頁を一枚ずつ確認する。元の封蝋と筆跡を写し取り、複写には閲覧日時と自分の公名を記した。原本はそのまま保全する。
破り取って持ち出せば、あとから偽造だと主張されかねない。記録を守るのも、審問官の仕事だ。
傍らで、院長がずっと黙っていた。
「中央からの説明に、黒宴のことはありませんでしたか?」
「……ない。高度な治療が受けられると聞いた。冬までの寄付も約束された」
「本人たちには、どこへ行くと説明したのですか?」
「港へ。設備の整った施設へ行ける、と」
「行きたいと答えた方は?」
院長の指が、法衣の裾を握った。
「意識がはっきりしない者もいた。私は……救えると思ったんだ」
疑って、寄付が止まれば、ここに残る子どもたちは冬を越せないかもしれない。信じて送り出せば、重病の5人が助かるかもしれない。
その選択が苦しかったことは、理解できる。
けれど、苦しい選択だったからといって、本人の意思が確認されなかった事実は消えない。
「院長。あなたが信じたことと、5人の方が同意したことは、別です」
「……分かっている」
声に力はなかった。
「港へ行きます。誰が移送を命じ、5人がどこへ着いたのか、確認しなければなりません」
「中央に逆らえば、審問官の位を失うぞ」
「その可能性も、記録しておきます」
思ったままに答えると、院長は苦い顔をした。
「冗談を言っているのか」
「いいえ。権限を失えば調査に支障が出ますから、軽く考えてはいません。ただ、権限を守るために調査をやめるのも、本末転倒です」
言い終えたところで、肩から指先へ鈍い痛みが広がった。
そろそろ限界らしい。
「申し訳ありません。続きは少し休んでからでもよろしいでしょうか」
院長が、ようやく顔を上げた。
◇
その夜、礼拝堂には昼間の騒ぎが嘘のような静けさが戻っていた。
子どもたちは眠り、廊下の灯りも落とされている。薬草を煮た温かい飲み物を前にして、ようやく指の震えが収まった。口をつけると、少しだけ苦い。けれど今は、その温かさがありがたい。
港湾支部への調査申請書には、まだ返事がない。
子どもたちの祈祷章を外しても、地下の5人が戻ったわけではなかった。エナに名前を探すと答えた以上、手掛かりのある場所へ行かなくてはならない。
戸口で物音がした。
院長が、古い鍵を手に立っていた。
「まだ申請を取り下げられる。中央は、今回の件を穏便に済ませたいはずだ」
「それなら、移送先を明らかにしていただくだけで済みます」
「そう簡単にはいかないだろう」
「ええ。簡単だとは思っていません」
院長は長椅子に腰を下ろした。日中の厳しい表情が消え、年相応の疲れが顔に刻まれている。
「私はあの5人を救いたかった。それは本当だ」
「疑っていません」
「だが、本人に説明できなかった。説明すれば拒まれるかもしれないと思ったのも、本当だ」
ようやく、口にされた。
私は湯飲みを置き、院長の次の言葉を待った。
「……私を告発するか?」
「まず、5人の方がどうなったのかを調べます。あなたが知っていたことと、知らなかったことも記録します。そのうえで、責任を問うべきことがあれば、手続きを進めます」
「厳しい答えだな」
「曖昧なまま許す方が、かえって残酷になることもあります」
院長は苦笑し、掌に載せていた鍵を差し出した。
「クロイツハーフェンの港湾支部に、古い記録庫がある。中央へ報告されていない帳簿が、まだ残っているはずだ」
「なぜ、こちらを私に?」
「今までは、知らなかったと言い訳ができた。今日からはできん」
鍵は鉄製で、握ると指に冷たかった。古い溝には黒ずんだ錆が残っている。
「私が戻らなかった場合、この鍵のことも証言していただけますか?」
「……戻るつもりなのだろう?」
「はい。子どもたちに、名前を探すと約束しましたから」
「ならば、お前が帰ってから一緒に証言しよう」
それは罪を消す言葉ではない。
それでも、初めて院長が自分の責任を引き受けようとしているように聞こえた。
「承知しました。必ず戻るために、必要な準備をします」
◇
1か月後。
クロイツハーフェン港湾支部への応援辞令が届いた。
希望した調査を、中央がすんなり認めたとは思いにくい。監視の目が届くところへ置きたいのかもしれないし、別の意図があるのかもしれない。
辞令から読み取れるのは、赴任先と日付だけだ。
だから、そこに余計な意味を付け足すのはやめた。
出発の日、礼拝堂の前には子どもたちが集まっていた。修道女から預かった荷物を肩へ掛けると、エナが駆け寄ってきた。
「シュテルお姉ちゃん、帰ってくる?」
「戻ります」
「いつ?」
具体的な日付を答えられず、少しだけ言葉に詰まった。
黒宴の実態も、行方の分からない5人のことも、これから確かめる。何日かかるのかは分からない。だからといって、安心させるためだけに期限を作ることもできない。
「日にちは、まだお約束できません。でも、必ず戻るつもりでいます。そのためにできることは、全部します」
エナは眉を寄せた。
「……長い」
そうでした。この子に必要なのは、申請書のような説明ではない。
「戻ります。待っていてください」
「うん!」
エナはようやく笑い、覚えている歌を小さく口ずさんだ。
『黒い船から、光へ帰る』
あの節が救いの歌なのか、誰かの苦しみを隠すための歌なのか、今は分からない。
ただ、歌を教えた人が泣いていたことを、エナは覚えている。
涙を流した人が、何を望んでいたのか。
その答えを、ほかの誰かに決めさせたくはなかった。
青いリボンを結び直し、旅鞄を持つ。
胸元には審問官の身分証。鞄の底には、複写した移送簿と古い鍵。
港には、名を買う者がいるという。
ならば、まず確かめるべきことがある。
売られたとされる人たちは、本当に自分の名を手放したかったのか。
「行ってまいります」
振り返らずに歩き出す。
答えを聞くまでは、どなたにも『救われた』などと記録させない。




