第7話 初めてのダンジョン飯
包丁が、ふわりと宙に浮かぶ。
「…………」
「…………」
悠真と真琴が揃って黙った。
俺は作業台の上で、浮かせた包丁を見上げる。
よし。
昨日、ボールペンで試した時より安定している。
「えっと、悠真」
「うん」
「猫が包丁浮かせてるんだけど」
「俺も昨日初めて見た」
「そういう問題?」
真琴の声が少し上ずっている。
『念動力だ』
「説明が簡単すぎるのよ」
便利なんだからいいだろ。
俺は前足を組んだまま、包丁をゆっくり動かす。
まずは下処理。
ここを適当にやったら、さっきまでの二人の心配が本当になる。
『悠真』
「何?」
『手伝ってくれ』
「ニャルが全部やるんじゃないの?」
『俺は二十センチだぞ』
「急に自分の小ささを認めたな」
当然だ。
料理はできる。
だが、鍋いっぱいの水を前足で運べと言われたら無理だ。
念動力で無理やり持ち上げることもできるだろうが、昨日みたいに途中で魔力切れになったら困る。
料理の途中で床にぺたんとなる料理人は駄目だ。
『水。あと大きい鍋』
「はいはい」
悠真が素直に動く。
いい助手だ。
「私も何かする?」
『じゃあ、皿』
「私、皿係なの?」
『大事だぞ』
「ふふっ。分かった」
真琴が笑いながら食器棚へ向かう。
さっきまでダンジョン食材を前にして固かった空気が、ほんの少しだけ軽くなった。
さて。
やるか。
俺は収納へ意識を向ける。
最初に取り出したのは、ホーンラビット。
「うっ」
悠真の顔が戻った。
『なんだ』
「いや……さっきまで動いてたやつだなと思って」
『肉はだいたいそうだろ』
「正論なんだけど!」
気にしていたら肉料理なんて食えない。
俺には、どこが食用で、どこを取り除くべきかが分かる。
包丁を動かす。
すっ。
肉へ刃が入った。
思っていたより柔らかい。
食用にできない部分を分け、使う肉だけを切り分ける。
大きすぎず。
煮込んだ時に食べやすいくらい。
ころころとした肉が、まな板の上へ並んでいく。
「……普通に切ってる」
悠真が呟いた。
『普通に料理してるからな』
「猫が念動力でだけど」
『細かいことは気にするな』
「そこ細かいかなあ」
次。
ゴブリンポテト。
これは注意する場所が分かりやすい。
皮は少し厚めに。
緑色の芽は、周りごと深めに取る。
包丁がくるくる動き、茶色い皮が落ちていく。
「そこ、そんなに取るんだ」
『ここは駄目だ』
「見ただけで分かるの?」
『分かる』
悠真がまだ不思議そうに芋を見る。
俺にとっては、駄目なところだけ妙にはっきり分かる。
だから迷わない。
芽を取った芋を、悠真が用意した水へ入れる。
『そのままさらしといてくれ』
「了解」
次は妖精ニンジン。
こっちは流水でしっかり洗う。
「俺がやるよ」
『頼む』
悠真が蛇口をひねり、俺は横から確認する。
土が落ちる。
表面も十分洗えた。
『もういい』
「はい」
俺が薄く皮をむいて、一口大に切る。
包丁が入るたび、ほのかに甘い香りが立った。
「なんか、普通のニンジンより匂い強くない?」
悠真が鼻を近付ける。
『甘くなるぞ』
「……ちょっと美味そうかも」
ほう。
初めて聞いたな。
俺の耳がぴんと立つ。
「何その顔」
『別に』
「絶対喜んでるだろ」
尻尾が動いた。
仕方ない。
食う前から嫌がられるより、美味そうと思ってもらった方がいい。
ケイブマッシュルームも、使わない部分を落として切る。
これで具は揃った。
俺は一度、並んだ食材を見渡す。
肉。
芋。
ニンジン。
キノコ。
……いい。
実にいい。
こうやって並ぶと、もう危険物には見えない。
普通に夕飯の材料だ。
「ニャル」
『なんだ』
「なんかすごい真剣だな」
『料理してるからな』
「いや、そうなんだけど」
悠真が俺を見る。
「ちっちゃい前足組んで、包丁だけ飛ばしてるの……なんかすごいなって」
『褒めてるのか?』
「褒めてる」
ならいい。
「……あと、かわいい」
『それはいらん』
「耳動いたぞ」
うるさい。
今は料理中だ。
撫でようと伸びてきた手から、一歩離れる。
「逃げた」
『料理中』
「終わったら?」
『考える』
「よし」
何がよしなんだ。
――――――
鍋へ少量の油を入れる。
俺は前足を向け、小さな火を出した。
ぽっ。
コンロの火と違い、自分で出した火なら細かく強さを変えられる。
ただし、やりすぎれば魔力を食う。
だから最低限。
鍋が温まったところへ、切ったホーンラビットの肉を入れる。
じゅっ。
音がした。
「お」
悠真が反応する。
肉の表面へ熱が入り、色が変わる。
少し遅れて。
ふわり。
香ばしい匂いが立った。
「にゃ……」
鼻が勝手に動く。
肉だ。
焼けた肉の匂いだ。
猫だから仕方ない。
「ニャル」
『なんだ』
「尻尾」
見る。
左右に動いていた。
『気のせいだ』
「昨日からそれ便利に使いすぎじゃない?」
肉をひっくり返す。
また、じゅうっといい音。
表面に軽く焼き色がつく。
……美味そう。
ちょっと端を。
「ニャル」
前足が止まった。
『なんだ』
「今、味見しようとした?」
『安全確認だ』
「まだ煮込む前だろ」
『…………』
「図星じゃん」
くそ。
飼い主のくせに鋭い。
肉は諦めて、野菜を入れる。
ゴブリンポテト。
妖精ニンジン。
ケイブマッシュルーム。
肉から出た脂をまとわせるように混ぜれば、また匂いが変わった。
甘い。
香ばしい。
キノコの香りも混ざる。
「……あれ?」
悠真が鍋を覗く。
『どうした』
「いや」
少し間を置いて。
「普通に美味そうだなって」
俺は尻尾をぴんと立てた。
『だから言っただろ』
「まだ食ってないからな?」
『時間の問題だ』
「その自信どっから来るんだよ」
料理人の勘だ。
それから水を加える。
煮立ったところで浮いてきたものを取りながら、しばらく火を入れる。
ここからが大事だ。
ダンジョン食材は、ただ温かくすればいいわけじゃない。
必要なところまで。
必要なだけ。
きちんと火を通す。
俺にはそれが分かる。
鍋の中へ意識を集中させる。
生活魔法で温度をほんの少し補助する。
熱すぎず。
低すぎず。
食材ごとに必要な処理を終わらせる。
「……ニャル」
『ん?』
「今何してる?」
『温度見てる』
「温度計なしで?」
『うん』
「便利すぎない?」
便利だぞ。
ただし。
「にゃ……」
ちょっと疲れる。
耳が下がった。
「ニャル?」
すぐ悠真が気付く。
『平気』
「魔力使いすぎてない?」
『まだ大丈夫』
「本当に?」
『昨日みたいになる前にはやめる』
「絶対だぞ」
心配性だな。
まあ。
昨日、いきなり床に潰れた俺が悪いか。
『じゃあ火、頼む』
「任せろ」
俺は生活魔法を止めた。
あとは普通に煮込めばいい。
こういうところは人間の道具に頼る。
何でも魔法でやる必要はない。
しばらく煮込む。
ゴブリンポテトへ火が入りながらも、形は崩れない。
妖精ニンジンからは甘い香り。
ケイブマッシュルームは肉の旨味を吸っている。
そこへ。
別に作っておいた白いソースを合わせる。
鍋の中が、ゆっくり白く染まった。
「おお……」
悠真の声。
とろり。
木べらで混ぜれば、白いシチューが具材へ絡む。
湯気が上がる。
肉と野菜とミルクの匂いが、キッチンからリビングへ広がっていく。
「……いい匂い」
皿を並べていた真琴まで戻ってきた。
「本当にダンジョンのものなのよね?」
「俺とニャルで採ってきたから間違いなく」
「見た目は完全にシチューね」
『シチューだからな』
「そうなんだけど……」
二人とも鍋を見ている。
もうさっきみたいな、危険物を見る目じゃない。
料理を見る目だ。
いい。
それでいい。
俺は木べらを念動力で持ち上げる。
少しだけ。
本当に少しだけすくう。
「ニャル?」
『味見』
「今度は止めないけどさ」
ふー。
少し冷ます。
猫舌という言葉がある。
実際この身体になってみると、前より熱いものに弱い気がする。
十分冷まして。
ぺろ。
「…………」
肉。
美味い。
柔らかい。
クセは強くないが、噛むとちゃんと肉の旨味が出る。
ゴブリンポテトはほくっとしているのに煮崩れていない。
妖精ニンジンは予想通り甘い。
ケイブマッシュルームの香りもソースに移っている。
全部一緒に食うと。
「にゃぁ……」
声が出た。
「どう?」
悠真が聞く。
俺は木べらについたソースをもう一度舐める。
『美味い』
「二回食べた」
『確認だ』
「一回目で分かっただろ」
『念のため』
「それ絶対味見したいだけだろ」
ばれたか。
まあいい。
完成だ。
『皿』
「はいはい」
悠真が持ってくる。
俺はシチューをよそう。
白いソースの中に、肉。
黄色みがかった芋。
橙色のニンジン。
キノコ。
湯気が立つ。
見た目だけなら。
いや。
見た目も匂いも、もう普通の料理だ。
あとは。
食うだけ。
――――――
「…………」
悠真がスプーンを持ったまま止まっている。
『冷めるぞ』
「分かってる」
『じゃあ食え』
「分かってるって」
言いながら動かない。
目の前には具だくさんのシチュー。
俺はもう味見した。
問題ない。
美味い。
それでも悠真にとっては。
数時間前まで、
食べたら危ない。
絶対口へ入れるな。
そう教わってきたものだ。
「……ニャル」
『なんだ』
「本当に大丈夫なんだよな?」
『大丈夫だ』
「ちゃんと全部処理した?」
『した』
「火も?」
『通した』
「……よし」
悠真が覚悟を決めた。
大げさだな。
スプーンでシチューをすくう。
ホーンラビットの肉。
ゴブリンポテト。
ソース。
全部一緒。
「いただきます」
口へ。
俺は悠真を見る。
真琴も見る。
悠真が噛む。
一秒。
二秒。
目が見開かれた。
「うまっ!」
俺の耳が立った。
悠真がもう一口すくう。
「え、普通にうまい!」
『だから言っただろ』
「いや、だって!」
また食う。
「この肉、柔らかいな!」
『煮込み向きだからな』
「芋もうまっ。何これ、めっちゃ合う」
『そうだろ』
「ニンジン甘い!」
『そうだろ』
「キノコも普通じゃん!」
『さっきから俺はそう言ってる』
さっきまでの慎重さはどこへ行った。
悠真のスプーンが止まらない。
肉。
芋。
ソース。
また肉。
俺の尻尾も止まらない。
美味そうに食べるなあ。
いい。
これだ。
料理は。
食ってもらって完成だからな。
「そんなに?」
真琴が悠真を見る。
「母さん、これマジで美味い」
「さっきまであんなに怖がってたのに」
「食ったら変わるって」
真琴が苦笑する。
それから。
「じゃあ……私も、ちょっとだけ」
小さなスプーンを手に取った。
本当に少しだけ。
シチューをすくう。
「いただきます」
一口。
真琴が静かに噛む。
飲み込む。
「…………」
『どうだ?』
「美味しい」
その一言で。
俺の尻尾が、ぶんっと大きく動いた。
「普通にって言うと失礼かもしれないけど、本当に普通に美味しい」
真琴がもう一度鍋を見る。
「これが、今日まで危ないものだと思ってた食材なのね」
『正しく料理すればな』
「すごいのね、ニャル」
『料理が?』
「ニャルが」
頭を撫でられた。
「にゃ」
食事中だぞ。
……まあいい。
今日くらいは許す。
「母さん、ちょっとだけって言ってなかった?」
悠真が言う。
見ると。
真琴の皿には、いつの間にか二口目のシチューが入っていた。
「味見よ」
「それ俺がニャルの味見で聞いたやつ」
「細かいこと気にしないの」
親子だな。
俺は満足して、自分の分へ顔を向ける。
もちろん俺も食う。
ふー。
ふー。
冷まして。
ぱくり。
うん。
美味い。
自分で作ったが、かなりいい。
肉と芋はやはり正解だった。
次はもっと大量に作ってもいいな。
いや。
別の肉でも試したい。
魚もあるかもしれない。
もっと違う野菜も。
ダンジョンにはまだまだ食材があるはずだ。
考えただけで楽しい。
「あ、そうだ」
悠真が顔を上げる。
「もう一個なかった?」
『あるぞ』
「まさか」
真琴の顔が少し警戒する。
俺は収納から、小さな器を取り出した。
透明なものが。
ぷるん。
揺れる。
「スライム……」
「スライムだ……」
『スライムゼリーだ』
「名前変えただけじゃん」
失礼な。
こっちもちゃんと処理した。
シチューを煮込んでいる間に軽く湯へ通し、余分なものを抜いた。
あとは甘みを足し、冷やしてある。
『デザート』
「今日盛りだくさんだな……」
悠真が恐る恐るスプーンですくう。
さっきのシチューより警戒が薄い。
一度美味いものを食った効果は大きいな。
ぱく。
「……お」
『どうだ』
「ぷるぷる」
『見れば分かる』
「いや、食感が」
もう一口。
「さっぱりしてる。これも普通にうまい」
真琴も少し食べる。
「あ、本当。食後にちょうどいいかも」
シチューほど手を加えてはいない。
だが、これはこれで悪くない。
冷たいゼリーが舌の上でぷるんと揺れる。
ほんのり甘い。
俺も気に入った。
スライム。
侮れないな。
――――――
「ごちそうさま」
悠真が空になった皿を置いた。
結局。
少量から試す。
そう言っていたはずなのに。
「おかわりある?」
『あるぞ』
「悠真」
「いや母さん、だって美味いし」
「さっきまで命がどうとか言ってなかった?」
「安全なの分かったからいいだろ」
現金な飼い主だ。
だが。
悪くない。
むしろ、とてもいい。
『食え食え』
「よし」
「ニャルまで」
俺は二杯目をよそう。
その時。
少しだけ頭が重くなった。
「にゃ……」
「ニャル?」
悠真がすぐにこちらを見る。
『ちょっと疲れた』
「やっぱり魔法使いすぎたんじゃん!」
『昨日ほどじゃない』
「今日はもう禁止」
『もう料理終わった』
「ならちょうどいい」
悠真にひょいと持ち上げられた。
『おい』
「休憩」
そのまま膝の上へ。
頭を撫でられる。
「今日はありがとな」
『ん』
「めちゃくちゃ美味かった」
『そうだろ』
「また作って」
俺は目を細めた。
それなら。
またダンジョンへ行かないとな。
まだ知らない食材を探す。
持って帰る。
料理する。
悠真が食う。
美味いと言う。
うん。
やっぱりいい。
俺は悠真の膝の上で丸くなる。
「眠い?」
「にゃ」
「寝てもいいぞ」
背中を撫でられる。
食卓には、空になった皿。
鍋には少しだけ残ったシチュー。
数時間前まで危険物扱いされていた食材は。
もう。
今日の夕飯になっていた。
明日も悠真はダンジョンへ行くらしい。
なら、俺も行く。
次は何があるだろうな。
そんなことを考えながら。
俺はゆっくり目を閉じた。
この時。
俺も。
悠真も。
まだ気付いていなかった。
今日食べたものが。
ただ美味いだけの飯ではなかったことに。
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【猫のレシピ帳】
Recipe.001
■料理名
ホーンラビットとゴブリンポテトの具だくさんシチュー
■使用食材(1人前)
・ホーンラビットの肉 …… 約100g
・ゴブリンポテト …… 1個程度
・妖精ニンジン …… 適量
・ケイブマッシュルーム …… 適量
・牛乳 …… 適量
・小麦粉 …… 適量
・バター …… 適量
・塩などの調味料 …… 適量
■作り方
① ダンジョン食材ごとに危険な部分を正しく取り除き、必要な下処理をする。
② ホーンラビットの肉を焼き、表面に軽く焼き色をつける。
③ ゴブリンポテト、妖精ニンジン、ケイブマッシュルームを加えて煮込む。
④ 食材ごとに必要な加熱を終えたら、白いソースと合わせて仕上げる。
■味の評価
★★★★★
肉が柔らかい。
芋はほくほく。
ニンジンは甘い。
全部まとめて食べるともっと美味いにゃ。
■ワンポイント
ダンジョン食材は、見た目だけで安全だと判断しないこと。
危険な部分の除去と下処理は絶対に省略しない。
■悠真の感想
「うまっ!
これ、ダンジョンで拾ってきたやつって言われなかったら普通に分かんない。
また作ってほしい」
─ 今日のひとこと ─
最初はあんなに怖がってたのに、
最後はおかわりしたにゃ。
次は最初から信じろ。
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